らん
2017-09-18 14:47:02
3016文字
Public
 

ジュダとカノジョ。

wired発売カウントダウン2日前。

昨日は夕方に一度雨が止んでしまったから帰ったのだろう。そんなこと、すぐに分かった。それでも雨が止まなかったからだとか、そんな我儘を振りかざしてほしかった。
ジュダは疲れ切った身体でソファに雪崩込みつつ、リビングのテーブルに放置していた新曲のサンプルが消えていることを視認した。カノジョが来ていたのだと漠然と思って、おそらくCDラックに収納されたであろうサンプルのことはすぐに頭から消えていく。
深夜に酷くなった台風の影響で、ジュダが自宅に帰り着いたのは夜が明け、雨風が収まってからだった。大して働いたわけではないが、交通の乱れだとか、そもそもの時間設定のせいで待ち時間が多かったことが主な要因で身体が鈍い重みを抱えている。今日のスタジオ入りは夕方からに変更されて、それだけが不幸中の幸いだった。
「あー…………
シャワーを浴びるのも面倒になり、もういっそこのまま寝ようとソファの上で居心地を整える。お風呂まだでしょ、そんなカノジョの声が聞こえた気がして、ベッドで寝るのは気が引けた。いつから気にするようになったのか、もう忘れてしまったけれど。
別に居ない相手を気遣う必要なんてこれっぽっちもないはずで、それなのに気にしてしまうのは恋しいからなのか、それとも。
うっすらと冷えていた室内の温度に、ソファに置かれたクッションから香るカノジョの家のシャンプー。アイツ、ここでうたた寝したんだ。じゃあもういーじゃん、ベッドに移動するのも面倒くさい。
部屋着に着替えることさえも面倒で、ジュダはそのまま瞳を閉じた。相変わらず我儘もなければ、感想さえもない。思い出したら女々しさが爆発しそうで、彼は枕代わり以外のクッションをところ構わず蹴り飛ばす。
「ねーわ」
やっぱり我慢は嫌いだ。
夕方までは眠ろう、起きたらシャワーを浴びて、気が向いたらメシを食べればいい。その意思は自分の身体への休息が6割、あとの4割は不貞腐れ。
彼がカレンダーに新たに書き込まれた文字に気づくのは、果たしていつなのか。



「あった」
カノジョが地元近くのCDショップに赴くと、そこでは篝火の新曲発売に先駆けてコーナー展開がされていた。お目当ては、ここ近隣の店舗だけで配布されるというチラシ兼ポスター。明日がフライングゲット日ということもあってか、ポスター自体はまだ余裕がある在庫量だ。明日CDを引き取りに来た際、どこまで減っているだろうか。そう考えつつ、3枚ほどラックからチラシを引き抜く。
今回のジャケット写真がプリントされたチラシはA4サイズで、折らないようにと持ってきていたファイルに丁寧に仕舞い込むと、これまでの旧作CDを手に取る。篝火のCDはすべて手に入れているけれど、楽曲提供したものやジュダが製作に関わったものまでは手をつけられていないのが現状だ。彼の家に行けばすべて置いてあるとはいえど、この際集めてしまおうかと逡巡して、大人しく戻した。
ジュダは、カノジョが篝火の音楽以外を聴くことにケチをつけない。そこまで縛られることはほとんどないけれど、他のバンドの音楽の話をする度に一番好きなのは?だとか、オレ以外の歌がそんなに良い?だとか、分かりやすい嫉妬をするのも知っている。別に嫉妬をさせたいわけではないので、これからも彼の部屋で聴こうと考えを改めた。
ラミネートされたこれまでの楽曲ジャケットや、曲に関する店員の解説を眺め、満足したところでカノジョは店舗を後にした。自動ドアをくぐり抜けた瞬間むわりと立ち込める暑さに驚きながらも、軽い足取りで帰路につく。
今日は大人しく自宅に帰って、明日はジュダの家で彼を待つ予定だ。カレンダーに書いたメッセージが届いていれば、きっとジュダと入れ違いになることもないはずだし、もし帰ってくるのが遅いとしても待つ気でいる。
普段はマルやバツだけのカレンダー。発売日とバツが書かれた20日の左隣、19日はバツ印が無かった。その空白にカノジョの筆跡で書かれた「待ってる」の四文字にジュダは気づいてくれるだろうか。
カノジョ自身、回りくどいことをした自覚がある。アプリでメッセージでも飛ばせば良かったのに、あえて見なければ気づけないカレンダーに書き込んだ。
ジュダが帰ってくるまで待ってる。そう読み取って貰えるのかも怪しいけれど、そこに関しては不安がなかった。分かってもらえるだろうというなんとなくの確信にも近いものがあったのだ。問題はカレンダーを確認するかどうかだけ。
昨日とは打って変わって快晴の秋空が運ぶ暑さが肌を焼くようで、カノジョは暑いなあとひとりごちる。
台風一家、そう名付けたのはJETのユゥと彼のファン達だったか。朝見た天気予報では台風一過の青空のまま、どうやら発売日までずっと晴れるらしい。
こんな空のもとで紙飛行機を飛ばしたらどこまで行くのだろう?やんわりとした風に乗って、前みたいに遠くまで飛んでいけそうだ。力みもせず、ただ自然と紙飛行機を飛ばした彼を思い出して、カノジョは柔く笑みをこぼした。
(やっぱり神様に愛されてるね、ジュダ)
バッグに仕舞われたジャケットのように青空を背景にして歌うジュダの姿を想像する。キラキラと太陽の光を浴びて輝く蜂蜜色の髪や、光を採り入れると目映いほど目立つオレンジの虹彩。
ダルそうな態度からは想像もつかないほどアクティブに動くライブ中の彼。細い体躯のどこにそんな力があるのかといつもビックリするほど派手に裏切る音をかき鳴らすギターテクニックに、澄んだ高めの歌声を思い描く。誰よりも格好良く見える、ステージ上の彼。
リュックに仕舞われた3枚のチラシの使い道はすでに決まっていた。1枚は保存用、1枚は壁に飾って、もう1枚は、もったいないけれど手を加える。
(届くといいな)
『特別』を届けたいと思う。誰よりも特別をくれたジュダに返せるだけのものになるかは分からないが、カノジョにとって出来る限りの全てであげたいと考えていた。それだけの覚悟で「待ってる」と書き込んだのだ。だから、どうか気づいてくれますように。
ジリジリと刺すような日差しが眩しい。この日差しの中で疲れ気味のジュダが生きているだろうか?水分補給や食事だって心配だった。ああほら、またジュダのことを考えてしまう。
カノジョの世界の中心はいつの間にかジュダになっていた。それでいいと、思えるほどに。
ほとんど消えかけた歩道の水溜りを飛び越える。数センチのヒールがカツリと鳴って、カノジョは今度こそ声を出して小さく笑った。そういえば、前にヒールの音でジュダが曲を作ることがあったっけ。あの時はケンカしたなあ。
触れるもの、見るもの、嗅ぐもの、聞くもの、味わうもの、五感で感じる全てを共有するように、ふたりの世界は「共有」で成り立っている。本人達にその自覚があるかどうかは別として、端から見ていれば彼等の行動は共有させることで意味を成していた。無意識的に相手にも同じものを共有させたいと考えるそれが、愛だとでもいうように。
あたりに人が居ないことを良い事に、カノジョは篝火の曲を口ずさんだ。ヒールのタップするリズムと合わせて、共有された世界の一端を今日も歌う。
我儘を振りかざすのは、また明日。それまでは我慢の時だ。
これまでの後ろめたいような負の感情を掻っ攫っていくように、空はどこまでも青かった。