らん
2017-09-17 23:07:33
2982文字
Public
 

ジュダとカノジョ。

wired発売カウントダウン3日前。

家主の居ない部屋の少し冷めた空気に慣れたのはいつ頃だったか、もう思い出せない。
CDラックにズラリと並んだモノ達には目もくれず、私はリビングのテーブルに放置されていたジュダの新曲サンプルに手を伸ばす。何も書かれていない盤面をなぞって、オーディオプレイヤーに飲み込ませた。
時刻は昼時、外は轟々と雨が降っていて、家主の布団を干すことも、洗濯物を回すことも諦めた。来た時には小雨だったのに、一体この雨はどこまで酷くなるんだろう?
足を踏み入れた時には既にジュダは居なくて、でも彼の好んでつける香水が微かにわだかまったように残っていたから、ほとんど入れ違いだったのかもしれない。すう、吸い込んだ空気に感じる香水と、ヘアワックスの残り香。ジュダがちゃんと帰ってきて休んだ証。
私がジュダの家に足を運んだのにはワケがある。それは今オーディオプレイヤーに飲み込ませたCD、というより、そこに刻み込まれている篝火の新曲を聴くためだった。
あらかじめラフのフルを聴かせてもらってはいるけれど、マスタリングまで済んだ完成形は聴いていない。自宅に置いてきたメッセージ入りを聴くワケにもいかず、それならジュダの家にあるだろうサンプルで聴けばいいと足を運んだ。本当は日曜だし、もしかしたらジュダがまだ家に居るかもしれないと淡い期待をしたことは内緒だ。だって台風が来るから、雨が嫌いなジュダは休みたくなって、万が一、まだ行きたくないとゴネていたら。お仕事行かなきゃって言わなきゃでしょう?
そんないくつもの言い訳と一緒にレインブーツを濡らして来たけれど、そうそう甘いものでもないらしい。
(音楽のことなら、ちゃんとやるもんね)
掃除をするには窓を開けられないし、仕方なしに散らかっていた荷物を片付けるだけに留めて、昼前に来たというのにようやく本来の目的に辿り着いたのはこの時間なんだから苦笑いしか出てこない。恋しくて服の匂いを嗅いでしまった。なんて、絶対にジュダには言えないや。
リモコンでプレイヤーの再生をスタートさせれば、ラフよりも丁寧でクリアになったイントロが再生される。
ここのアレンジはこうなったんだ、相方さんのギターもいいな、ああ、大好きなジュダの歌声だ。相変わらずよく通る高音。いつも怒鳴る時はがなるから、素人目にしても不安になるのに、私の不安なんて余所に難なく出してみせる甘い歌声。
相変わらず彼の感情が染み入るように素直に伝わる。それだけの歌詞と曲を書き上げた当時のジュダの表情が浮かんでやっぱりちょっとだけ涙が出た。
飛翔、飛び越えるもの。どこまでジュダは飛んでしまうんだろう。置いてかないでと言いたくなりそうで、でも自由に飛ぶジュダをずっと見ていたい気持ちもあって、自分でもよく分からない。
2曲目でも荒々しい歌詞とアップテンポで激しく刻まれるビートとは裏腹に通る声が心地良い。どうしてこんなにも綺麗なんだろう?この声に名前を呼ばれる度、私はそれだけで笑顔になれる。
アウトロまで聴き終わった途端シンと静まる中、私は張り詰めていた息を全部吐き出した。今回も最高だった。すぐに伝えられないことがまたもどかしい。まだ会えないのかな、いつ会えるかな、このまま泊まっちゃおうかな。つい最近会ったばかりなのに、どうしてこんなに恋しいんだろう。
我慢は得意だし、これまでだって今以上に長く会えない日も多かった。それさえ耐えてきたのに、今回はどうしてか恋しさが募るのだ。なんでかな、どうしてかな、『特別』が多いから?
……会いたいなあ」
紙飛行機を折ったあの日みたいに、現れてくれませんか。
そんな願いは叶わないと知っている。なにせ、カレンダーには今日の日付にバツ印がついているから。明日もついていて、発売日前日以外はほぼバツだ。
忙しいのは人気の証、支えてあげるなら、これくらいの我慢は当然。大丈夫、我慢できる。我慢できるけど、ああ、会いたいなあ。
家主の居ない部屋の少し冷めた空気に慣れたのはいつ頃だったか、もう思い出せない。
暖めるのは私でもいいと覚えたから、それからは気にならなくなったんだ。残る香りに思いを馳せて、ジュダもそうだったらいいな、なんてちょっとだけ我儘の雫を垂らして残すのは彼の好きなとちおとめだったり、掃除の跡だったり、おひさまの匂いを集めた布団だったり。
気づいてるかな、気づいてるといいな。それでジュダも私のことを想ってくれたら嬉しいな、そんな、我儘の雫。
カレンダーだってそう。お揃いのコップや食器も、並ぶ歯ブラシも、いつの間にか増えた生活必需品達のすべてが私の我儘のアレソレ。
あの盤面のすべては、「もっと我儘になってもいい」、多分、そういうメッセージだったのだ。
だけどね、私はジュダが気づかない内にたくさん我儘をしてるの。私の残した何もかもは、全部私の我儘なのだ。だって、ジュダはとっても優しくて、結局私の我儘をのんでくれるから。だから、それに見合っただけの我慢をしてるに過ぎない。
ーーなんて、ジュダは「オレの我儘とつりあわない」って言いそうだね。
オレについてこれるのなんかアンタだけ、何度かそう言われたことがある。多分、私以外にも居ると思う。たまたまジュダが私を他の子より先に見つけただけで、他にもお眼鏡に叶う子はこの世界のどこかに居たはずなのだ。幸せが私だけでは無かったと思うのだ。これは女のカンとかじゃなくて、ただの事実。
それでもあなたが、私しかいないと決めてくれたから。私を『特別』にしてくれたから。だから、それだけでずっと幸せ。それだけで特別すぎるのだ。
振り回されることには慣れた。理不尽な我儘に付き合う為に諦めることにも慣れた。極論、恋は衝動で、愛は慣れなのだ。私の愛は此処にある。
それでもずっと、ジュダは私に恋をくれるから、ずっとジュダの隣にいるよ。大好きだよ。あなたと恋をして、愛するの。
新しい曲を聴かせてもらうたび、ジュダの世界に触れる。まだまだ先が見えないほど可能性に満ちた未来の種を教えてもらう。そんな『特別』を感じる瞬間、好きだと、恋をしていると思う。
こんなにも貰いすぎている『特別』を返す方法がまだ思い浮かばない。どうしたら返せる?あのメッセージに対する思いを伝えるだけで本当に返せるかな?私の恋も愛も全部ジュダのものですって、はやく伝えたいな。伝えるだけで、足りるかな?
「私にできることってなんだろう」
リピート再生をかけたプレイヤーはもう一度ジュダの完成された歌声を私の耳に運ぶ。アンタが欲しい、いつもストレートな彼の声が聞こえた気がして、途端に恥ずかしくなった。もうジュダのものですので、どうにでもしてください。
笑顔だけじゃ私が嫌なの。私をあげるのなんてありきたりで、あのメッセージの特別には足りない。じゃあ、どうしたら。
さめざめと降り続く雨に寂しいと思う暇もない。会いたいな、寂しいな、そんな気持ちの我慢の仕方は知っている。恋しさは募るばかりで、今回は我慢し難いけれど、我慢してみせる。それより今は、私がジュダのメッセージの『特別』に何をあげられるのか。
家主の居ない部屋の少し冷めた空気に慣れたのはいつ頃だったか、もう思い出せない。
今はもう、私の熱と彼の歌で少し溶けているから。