らん
2017-09-13 18:30:28
4603文字
Public
 

ジュダとカノジョ。

wired発売カウントダウン7日前。

ただいま、そんな声が聞こえた気がした。
リビングでちょうどやっていたバラエティ番組の節約術を真剣に見ていた私はそこで一度目線を扉に移す。カレンダーにバツ印はなくて、きっと定時で帰ってくるんだろうと彼の家に勝手にお邪魔しに来ていたのだ。リリース前後はいつも会えないことがザラで、それなら家に来てもいいかな、なんて思えるようになった私はここ最近よく彼の家にお邪魔している。
構ってやれないし、苛ついてる時もあるから来るな、そう言っていたジュダもいつのまにか何も言わなくなった。私も邪魔になるから来ない、だとか遠慮することをやめた。それだけで前より喧嘩が減って、会えない時でも互いの残り香を部屋の中で感じてちょっとだけ幸せになる。寂しくなるけど、ジュダのなにかを感じられるだけで幸せだった。
そんなことはさておき、やっぱり聞こえた「ただいま」に間違いはなかったみたいだ。居るなら鍵開けとけよ、ちょっとした小言と共に少しやつれたように見えるジュダが顔を覗かせる。お仕事が忙しい時はいつもこうだ。
ご飯食べなきゃ、やつれて見えるよ、大丈夫?言いたいことはあるけれど、口うるさく言ってもイライラさせて負担を増やしてしまうから、今日は大人しくしていよう。
「おかえりなさい。ご飯食べる?」
「あー、いや、いい。あんま食欲ねェし。今日はもう寝る」
「分かった。じゃあ何か作って冷蔵庫に入れとくから、お腹減ったら食べてね。寝る前にシャワーだけは浴びたら?」
構ってくれない日みたい。それでも少し会話出来るだけでもいいぐらいだ。極端に機嫌が悪いとすぐに物にあたって、口もたまに聞いてくれないから。それが私を故意に傷つけないようにという優しさなのはとうの昔に分かっている。だから、私も寄り添うことにした。これはここ数年で学んだコト。たまにお節介を焼きすぎて失敗するけど。あれ、もしかして今のもお節介になっちゃうかな。大丈夫かな。
「アンタはオレの母ちゃんかナニカなワケ」
案の定言われてしまったけれど、ジュダは少し気が晴れたように笑ってくれた。良かった、疲れている身に負担だけはかけたくないんだ。だって、今が一番大事な時期なのは私だって理解しているし。
そのまま寝室に引っ込むかと思ったら、ジュダは私の側まで来て肩にさげていたバッグを漁り始めた。何かあったのかと首を傾げて待っていると、彼の手はようやくお目当ての物を掴んだらしい。
「ん、」
たったの一音、五十音で最後にあたるその音と一緒に私の目の前に現れたのは一枚のCDだった。
二羽の鳩を肩に乗せて、普段は面倒くさそうに結んでいる唇が珍しく端を上げているジュダの写真。見間違えようがない、コレは来週発売される篝火のニューシングルのジャケットだ。どうやら完成形のサンプル盤が到着したらしい。
「もうそんな時期?」
「オレのツイッター見てんだろ、あと七日」
「見てるけど……。でも、こうやって実物見るとなんか、えーッもうそんな時期かぁ……
これまでの蜂蜜色の髪を際立たせるような、寒色を着ていたジュダとは打って変わって今回のジャケットは『飛翔』の名に相応しい白がメインの服だった。胸に下げた太陽に、背景は空色。舞う羽根の中で笑うジュダを見た時、私は言葉にならない感動をしたことだって覚えている。画像で見るのとはワケが違う。
文字だけでは実感があまり湧いていなかったけれど、こうして実物を貰うと手にした重みで否が応でも理解させられる。ここに、今回のジュダの渾身の全てが篭っている。
「ありがとう」
「ま、どーせアンタは自分でも予約してんだろうケド」
「当たり前だよ!」
「いつも渡してんのに、いつになったら買うのやめんの?同じCD何枚持つワケ」
「擦り切れるまで聴いちゃったら2枚目が必要になるし、篝火気になってる子にあげたりも出来るもん。それに、一万枚買えってワームズに催促してたのは誰ですか?」
「ツイッターは販促が目的なんで」
別に聴いてもらえるなら一枚でだって充分なんだと思っていることを私は知っている。ただ、売れなきゃ意味がないことだってジュダはプロだから理解していて、需要と供給のバランスの感覚を、彼はずっと持っている。その上で、いつもジュダにしか創れない音楽を奏でて、名声をモノにしているのだ。『天才』なんだと、自他共に認めるだけの成果を出している。自分のやりたいことと世間が求めるニーズを両立させている。
私は業界に詳しくないし、音楽にだって明るくない。それでも、ジュダの、篝火の曲が最高であることは知っている。だから、そこに対して価値があると思ってお金を払うのだ。ジュダの彼女だからってやめられない。ワームズとして、篝火がまた新しい曲を作ってくれますように、そんな気持ちで予約する。それだけのこと。
前にそう話したら、『特別』を甘んじて受け入れないのはわけがわからないと変な顔をされてしまった。そういう『特別』は、ジュダの隣に居られるだけで充分なのだ、私にとって。
両の手で支えるCDはまだ世間には見せられないモノ。特にクライマックスレコードは表題の文字や盤面デザインが発売するまで公開されないから、そういう所もサンプルを貰うたびに一足先に楽しめる特別だと感じてしまう。それぐらいの『特別』も前は申し訳ないと思っていたけれど、あまりにも遠慮し過ぎると今度はその『特別』をあげたいと思ってくれたジュダに失礼になってしまうと気づいたのはなんでだったかな。ああ、そうだ、不貞腐れたからだ。
ジュダはいつだって私に沢山の愛をくれるけど、貰いすぎたら神様に怒られちゃいそうなんだもん。神様に愛されてる天才さんだから、神様に嫉妬されちゃいそうで困る。だって、本当に私はジュダの隣に居られるだけで幸せなのだから。
……あれ、」
触ってから思い出したけれど、今回のサンプルは透明なビニールシートに守られていないようだった。
貰ったサンプル盤は勿体なくて開封もしないから、ビニールシートに包まれたまま保管している。どうして今回は無いんだろう。コレ、ジュダ用のサンプル盤じゃないのかな?人に配る完成サンプル盤はいつもビニールシートがかかっているはずなのに。
「ジュダ、これビニールシートかかってないよ」
「オレが開けたから」
「えっ、なんで?」
「アンタ、いっつも貰ってもそのまま保管じゃん。盤面デザイン見たり、聴く時はオレのサンプル盤だし、それか自分で買ったやつ開封するまで見ねえし。だから、開けてやった」
どうやらそれも不服だったらしい。だって勿体ないんだもん、と溢せば不機嫌になりそうなので、特別を遠慮がちに受け取る。やっぱり遠慮なくって難しい。幸せすぎるとちょっと怖くなるんだ、愛想を尽かされた時に立ち直れないほど哀しくなるから。
そんなこと言ってても意味がないので、ニヤけた顔はもう隠さずにもう一度ありがとうと呟いた。
「じゃあ、開けます」
「ドーゾご自由に?」
ひと呼吸ついてから恐る恐るパッケージを開く。どんだけ緊張してんだよ、隣で笑っているジュダは無視して、盤面を見た。
え、とこぼした五十音の四文字目はすぐに消える。なにこれ、ようやく言葉になった声を拾うようにジュダの大きな手のひらが私の髪をさらった。
「特別大サービス」
歌詞カードの裏表紙に書かれた音符のサイン、それはジュダの直筆だ。指先がかすかに凹凸を判断して、油性マーカーで書かれたソレだけが浮き上がっている。それに、多分、きっと、コレが彼の言う『特別』。
盤面には、ひとつのメッセージが筆記体で書かれていた。
「ジュダ、」
「なに」
もて遊ばれていた髪は既に下ろされて、さらっていた掌は私の頬を撫でる。輪郭を指ですくわれて、親指が私の唇をゆっくりとなぞった。いつのまにか近づいていたジュダの距離に驚く暇もなくて、軽いリップ音と共に奪われたのは鼓動か、声か。おそらく、前者。
……このメッセージ、なんて書いてあるの?」
時が止まるとはこういうことか。明らかに固まったジュダの顔から不敵な笑みが引っ込んで、代わりにジト目が贈られる。
「英語も出来ねーのかよ」
「筆記体なんて学んでないもん……。始まりはyouだよね?そのあとly……ぐらいしか分かんない……あっ、一番最後のmeは分かる!」
「アンタ、いつからムードも読めなくなったワケ?」
「だ、だって、……ゴメンナサイ」
「あーあ、今のでめっちゃ萎えたわ。明日の仕事行く気失せたー」
バッグを放り出してそのまま雪崩込んできたジュダを支えることは出来なかった。ずるずるとソファに倒れ込むと、そのままジュダに乗っかられてしまう。私の肩に顔を埋めたまま、ジュダはどうしてくれんの、なんて意地悪を吐いた。
「ごめんなさい、ちゃんと解読するから、」
「そーして。今回はオレから教えねえから。……調べても分かんなかったら、教えてやるけど」
「絶対正解します。なので、明日もちゃんとお仕事してください。リリイベの曲合わせでしょ、明日」
「マジでアンタはオレの母ちゃんかよ」
萎えた、もう一度聞こえた言葉に苦笑して、手にしたままの盤面のメッセージをもう一度読み取ってみる。ジュダの字ってちょっと可愛いから、なんだか筆記体も可愛い。全然分からないけど。
全体重をかけられているせいか、段々重くなってきた。いくら男の人にしては軽いと言ってもやっぱり重みはあるもので、ふわふわした髪を遊ぶようにポンポンと数度叩くと、ほとんど眠りそうなジュダのアンバーと目が合う。
「もうこのまま寝る」
「えぇ、だめだよ、ベッドで寝ないと疲れ取れないよ」
「英語解読できねーヤツがなんか言ってる」
「う、それは今関係ないでしょ?……ごめんなさい……
「ごめんのキスは?」
結局それか、と溜息をつく前に、やっぱり恥ずかしくてすぐに顔が赤くなった気がした。それも関係ないと突っぱねたかったけど、もう一度不敵に弧を描くジュダの唇の端にほんの少しだけ触れる。今日は頑張ったほうだと思う。
「顔真っ赤」
「ジュダのせいだよ」
「悪いのはアンタだろ」
仕切り直しとでもいうようにジュダから仕掛けられたキスは寝ぼけ眼の人が出来るようなものではなくて、段々と熱に犯されていく。ようやく互いの唇が離れた時に甘く笑ったジュダの瞳が蕩けて見えて、サンプルが私の手から離れていく様を見届けることしか出来ないくらいに力が抜けていた。私の手からサンプルを抜き取ったジュダは一体どこに置いたんだろう。あとで確認しなきゃ。
「ジュダ、寝なくていいの?」
構わなくていいよ、眠いなら寝ていいよ、本心からの思いはいつだってジュダに筒抜けだ。もっと奥深くの想いも、同様に。
「シャワー浴びたらどうせ眠気飛ぶし、」
それなら、アンタのこと構う。
構ってなんて一言も言わなかったのに、どうしてかなあ。やっぱり神様に嫉妬されちゃいそうだ。こんなに幸せでいいんだろうか。
『特別』はいつだって、ジュダが与えてくれる。優しい愛と一緒に。
ジュダの首に回した腕はそのまま離せなかった。我儘な彼女でごめんね。
「ありがとう」
……、ちょっとアガった」
照れ隠しみたいに笑う彼のくれたキスに溺れる。あと少しだけ、このままでお願い。