らん
2017-09-01 16:41:46
4891文字
Public
 

ジュダとカノジョ。

wiredカウントダウン20日前。

ビリ、と点線に沿って丁寧にカレンダーを捲る瞬間の緊張感が好きだった。うまく破れた時の爽快感と、上手に破れなかった時の靄がかる気分を想像しながら点線を消費していく時の、あのゲームのような感覚。
そんなことを思ったのも束の間、カノジョは壁にかかった8月のカレンダーを両手で丁寧に切り取る。今月は成功だ、知らず知らずのうちにほくそ笑んだ顔は誰にも見られることはなかった。
8月が役目を終え、満を持して現れた9月の暦、その中でも目立った場所にカノジョはそっと指を置く。
9月20日、赤丸と共に「発売日」と自身の筆跡で記入されたソレは、恋人であるジュダがヴォーカルを務めるバンド、篝火のニューシングルが発売されることを視覚的に示していた。
自分の手帳やスマートフォンにも残してある発売日のメモは、本来ならこのカレンダーに書き込む意味はあまりない。なぜなら、このカレンダーに目を通すのはジュダの家に来た時だけだから。
通うことが増えたジュダの家にカレンダーが無いと気づいたのはいつだったか。あまりにも時間に無頓着な生活を送っている彼らしさを体現したような部屋にカノジョがまず用意したのがカレンダーだった。
はじめはそれこそ要らないと言っていた家主も年月が経てば色々と書くことを覚えたらしい。あらかじめ予定の分かっている夕飯が欲しい日、帰宅しない日がふと書き込まれるようになり、買いはしたもののほとんど活用していなかったカノジョも予定を書くようになった。1年が終わればまた新しく用意し、月の予定が分かればまた書き込みが増え、今ではすっかり二人のルーチンのひとつだ。
そのルーチンのまま、なんの気なしに書き込まれた発売日の文字の下に、彼の字でバツ印がついていた。これは家に帰ってこられないか、確実に日付を跨いで帰宅することを表している。
よくよく見れば発売日前後はバツ印が多く、相変わらずリリースの直近は忙しいのだとカノジョは溜息を吐いた。謹慎処分が終わったあたりから忙しさに拍車がかかっていたし、リリース記念のライブやツアーの打ち合わせも終え、既に備えている段階だろう。
とやかく言える立場ではないが、会えない日が続くのはやっぱり寂しい。口では大丈夫、音楽に専念して、なんて言ってみせても、感情は消せないのだ。勿論、自分の納得のいく音楽を求める彼を応援する気持ちも本当のものだが、それとこれは話が別だった。
ままならない面倒な感情を胃の中に押し込んで、カレンダーから目を離し、カノジョはダイニングに用意された椅子に腰をかけた。手に持ったままの8月のカレンダーの書き込みを改めて見れば、そう大したことは書いていないのに何故か思い出す日々もある。
この日のカレーは上手くいったけど、この日のホットケーキは少し焦げたっけ。明確にデートと銘打って出かけた日もなんとなく丸で囲っていたせいか、数えれば案外と前半は二人で出かけていたらしい。その分、後半から怒涛の仕事量が分かるほど丸が無い。
今日だってジュダは仕事で、帰宅する時間さえよく分かっていなかった。バツ印がないから日は越さないはずだが、果たしていつになるのだろうか。
(今日は会えないかもなあ)
泊まることの出来ないスケジュールを翌日に抱えているので、一緒に居られない代わりにと手軽に食べられそうな夜食を作りに来たのが一時間前。時針の鳴らないサイレント時計が示す時刻は既にテレビのゴールデンタイムを終える頃合いだった。
手元で遊ばせていた8月のカレンダーを折ったり伸ばしたり、果てには正方形に切ってみたり。画用紙のような質感のそれは折り紙よりも頑丈でいて、厚紙よりも扱いやすい。カノジョは何度も視聴した篝火の新曲を口ずさみつつ、丁寧に折り目をつけていく。
正方形の紙は少ない工程で形を変え、やがて紙飛行機に成った。
「有象無象は、突き飛ばしていけ」
『飛翔』と名付けられた曲にジュダが込めた想いを、カノジョは知っている。彼が多くを口にしなかったことの顛末さえも傍で見てきたカノジョにとって、今回の新曲たちは自身にとっても思い入れの深い曲だ。そんな曲を口ずさんでいたせいか、てのひらは自然と紙飛行機を選んでいたらしい。
折り紙を使うよりも大きく折れた紙飛行機は姿形が整っているように見える。なにしろ紙飛行機なんて代物を作ったのは小さな頃以来で、あの時よりも手先が器用になっているおかげかもしれなかった。こんな簡単なのに、子供の頃は随分と苦心して折っていた記憶が色濃い。
「どうせなら遠くまで飛ばしたかったんだよね」
利き手で弄ぶ紙飛行機を飛ばすことはない。部屋の中で飛ばすには少しだけ貴重なものが多すぎるからだ。まかり間違って部屋に傷でもつけたら?そこまでの威力がないことは分かっているのに、飛ばせなかった。
ーー本当は、すぐに沈んでしまうのが見たくないだけ。
自分がナーバスになっていることが分かるからこそ、なおさら飛ばせない。ジュダに会いたいなあ、こぼした声は彼の匂いが残る部屋に霧散する。
「会いたいなら会いたいって直接言えばいいじゃん」
霧散する、はずだった。
手元に落としていた視線を声のする方へ移せば、ほんのりと楽しさを滲ませたジュダが見える。口角を上げ、ただいまも無しに隣に腰を下ろしてきたジュダに対して、カノジョの口はあんぐりと開いたまま止まってしまった。
「ナニコレ、紙飛行機?」
「な、なんで、ジュダが居るの?」
「ア? ここ、オレの家ですけど」
「だってお仕事忙しいから、今日は会えないかなって……
「気分乗らねー時に根詰めても意味ねェから帰ってきた」
で、なんで紙飛行機?まるでカノジョの動揺など気にした素振りもなく、ジュダは自分の出した疑問への解答を求める。会いたいと願ったのは自分とはいえ、あっさりと叶ってしまった事実にいまだ翻弄されつつ、カノジョはなんとなくだと答えを口にした。
なんとなくで作るものかと言われれば違うかもしれない。けれど、本当になんとなく折っていたから理由なんて特に無かった。
素直に伝えた事に嘘はないと踏んだのか、ジュダは興味を失ったようにあっさりとした相槌を打つに留まる。カノジョに弄ばれていた紙飛行機を譲り受け、今度はジュダが紙飛行機を弄んだ。
「この折り方じゃあんま飛ばねーし」
「え、そうなの?」
「高く飛ばすか、遠く飛ばすかにもよるけどな」
「ずいぶんと詳しいね」
「一応オトコノコなんで?」
気分が乗らずに帰ってきたのだと言っていたからには疲れているのだろう。それでも構ってくれる優しさに愛しさを感じる。知ってるよ、とカノジョが笑いかければ、おもむろにジュダが腰を上げた。
「アンタ、紙飛行機使う?」
「ホントになんとなく作っただけだから、ジュダにあげる」
「んじゃ貰う」
ほんの少し折り目を曲げた紙飛行機を持ち、彼はそのままリビングへと向かう。どうしたのかと目線だけでジュダを追っていたカノジョが彼の行動に合点がつき、急いで後を追った時には既に遅かった。
彼はリビングからベランダへと場所を移し、あまり多くはない明かりの灯る街へと紙飛行機を放つ。放物線を大きく描くこともなく、紙飛行機は柔らかな風に乗ってまっすぐ、緩やかに飛び続け、明かりに捕らわれない所まで飛んで消えてしまった。
「思ったより飛んだわ。さすがオレ」
「すごい飛んだね!」
ずっと飛ばせないと思っていたモノを彼はいとも容易く飛ばせてみせた。本当は外に飛ばしては駄目だと追いかけてきたはずなのに、ついカノジョもはしゃいでしまう。
さっきまでのナーバスさは彼が現れただけで拭い去られてしまった。いつだってそうなのだ。ジュダのやること為すこと全て、ささいなひとつを取ってみてもカノジョの中の何もかもが変わっていく。
だから敵わない、好きだ、溢れた思いのまま彼の隣でひとしきりはしゃいだところで、カノジョは本来の目的を思い出した。
「って、そうじゃない!何やってるの?!あれ、カレンダーだったんだけど、」
「そっちかよ。人のあげたモンを飛ばすなってのはないワケ?」
「紙飛行機は飛ばすものだし……
「ふーん?ま、いいけど。で、カレンダー、別に個人情報とか書いてねーし。マルとかバツしか大体ついてねぇじゃん」
……確かにそうだね?」
「っふ、……ハハッ、アンタさあ、すぐそーやって納得すんのヤメたら?詐欺に引っかかりそうでヤベェわ」
存外にチョロいと言われていることは彼の笑いによって分かっている。カノジョはお決まりのように頬を膨らませたはいいものの、結局自分でも笑ってしまった。
こんな夜遅くに何をしているんだと静かでほんのり湿気を混じえた夜の空気に咎められた気がして、二人はひとしきり笑い合うとベランダを後にする。その足で帰る道筋をカノジョが選ぶと、勘付いたジュダが不機嫌な声をあげた。
「ハ、なに、帰るワケ」
「うん、明日予定があるの。ごめんね」
「やだ」
掴まれた手首は彼の温もりを直接肌に伝えてくる。若干つんのめるように止まれば一度離され、今度は掌が重なった。大きくて、指の腹が硬いギタリストの手。綺麗に整えられた爪がカノジョの手のひらをやわく引っ掻いたと思えば、そのまま指が絡む。勢いのまま引っ張られ、カノジョはたやすく体勢を崩してしまった。
見計らったように誘われた彼の腕の中で、カノジョは幸せな溜息をひとつと、絡まった指先に力を込める。
……帰らなきゃ」
「ここから行けばいいじゃん」
「荷物が自宅にあるから」
「朝少し早く起きて、アンタの家寄ってから向かうトカ」
「もう!それが面倒な距離なの分かってるでしょ」
求められることは嫌ではない。むしろ、会いたい、寂しい、構ってほしいと思っていたから殊更に嬉しいぐらいだった。今日ばかりは諦めた態度も取れず、逃さないとでもいうように降ってくるキスを受け入れる。
引き止めてくれるかもしれないと、会えるかどうかも分からない中彼の家に来て、彼の帰りを待ってみたりして。会えば絶対に泊まることになると理解した上で訪れたことを今更ながら認めよう。下手な理由なんかつけて来たくなるほど彼に会いたかった。
けれど、カノジョは遠慮がちに今一番の心配を声にする。
「ジュダ、疲れてるでしょう」
「ンなコト心配してんの?アンタ」
構ってほしいのは本当。寂しかったのも事実。それ以上に、カノジョにとってはジュダが一番だ。
自分の感情よりもジュダの感情を優先したい。疲れているのならば休ませてあげたいし、自分を優先したいと言ってくれる心持ちだけで充分幸せだった。それが果たされなくたって、多分向こう3日は幸せになれるくらい。
すり合わさった頬の滑らかな感触と彼のふわりとした髪がこそばゆく、カノジョはつい肩を竦めてしまう。そんなカノジョにいじらしいちょっかいをかけ続ければ、痛くない拳が彼の胸を叩いた。ついで自分を呼ぶ声に応えるよう、ジュダは自分の腕の中で色づくカノジョの髪をゆるく撫でる。
「マジで疲れてるからアンタが癒して」
……癒せるかなあ」
「アンタしか無理。それに、……会いたいって、オレも思ってたから」
だから、帰るな。
いっそ理不尽なほどのお願いに陥落するのは容易い。唐突に訪れる素直で甘い誘惑の言葉には、おとなしく従うのが吉だと長い年月で学んでいる。
紙飛行機と一緒に、いや、彼が現れた時点でカノジョの中のぶすくれた感情は飛んでいた。彼の存在ひとつで今日もカノジョの世界は彩られていく。
彼のアンバーの瞳に自分の姿は果たしてどう見えているのか。きっと同じだと、信じてもいいだろうか。
彼の世界を彩るひとつで在れたら、それだけでも幸せ。
「明日、ジュダも早起きになっちゃうよ?」
「ホットケーキ出来たら起こして」
しょうがないなあ、諦めたようでそれ以上に嬉しそうなカノジョの声色に滲んだ愛しさを逃さぬよう、ジュダはゆっくりと抱きしめる力を強めた。


END