6:夜更かしメトロは終着点を忘れてしまったので
頭が痛い感覚はなかった。ただ、薄ぼやけた視界とふらつく身体のせいか、普段よりも思考能力が低下していて、頭もくらくらと熱に浮かされたような気分がする。私は今にも閉じそうな目蓋を擦って、無理矢理の覚醒をなんとなしに試みた。
「
……ここ、どこ
……」
人もまばらな終電の時間、電車内で流れる駅名は普段聞くこともないような場所。そこでようやく私はこのメトロの中で降り過ごしたのだと自覚する。
あれ、でも、降り過ごしたからなんだというのか。いやいや、これ終電だったんだ。じゃあどう帰ろうか。そもそも、帰る場所はどこだったっけ。あれ?まとまらない思考は一旦放棄してしまおう。
スマートフォンを手に持ったまま座席で眠っていたらしく、いまだに半覚醒状態のひどく緩慢な動作でボタンを押せば、そこにはつい先ほどまで一緒に呑んでいた友人達からのメッセージが並んでいる。
大丈夫?ちゃんと帰れた?今日結構呑んでたよね、しっかりしてたから一人で電車に乗せちゃったけど。また呑み行こーね。二人、三人ほどからそれぞれグループのメッセージが飛んできていたようだ。どうやら友人達の前ではこんなグダグダな状態では無かったらしい事に、僅かばかりの理性が安堵していた。
(
……ほんとに、どこに帰ろうかなあ)
本来の終着点は自宅のある最寄り駅だったはずなのに、それは私がアルコールのせいで深く眠ってしまったことにより忘れ去られてしまった。次の駅で降りたとして、そもそも現在地がどこに近いのかも分からない。かといって終点まで行ってしまったらそれこそどうにもならないだろう。
「次はー、」
間延びした運転手の案内音声とともに、どうにか足腰に力を入れて立ち上がる。やっぱりふらりと目眩がするようで、足元が覚束ない。呑み過ぎたなあ、ようやくそこで反省したけど、過去は過去。今は現状把握に努めよう。放棄した思考をもう一度拾って、私は降り立ったホームの椅子に腰をおろした。
他の車両に乗っていたまばらな人影が改札に向かう様子を見るに、そこまで小さな駅ではなさそうだ。近くの掲示を見ればやっぱり知らない駅名で、ほわほわした気分のまま乗換案内のアプリを起ち上げる。
出発駅は私が居る駅、到着駅は私の最寄り駅で検索をかけると、どうやら10駅ほど先まで来ていた。さすがに10駅は歩けない。乗っていた下り電車の終電はつい先ほど出発していったから、てっきり上り電車も無いだろうと思えばあと1本残っている。ラッキー、呟いた声は虚しく消えた。
「あ、でもこれも途中で終わっちゃうや」
上り電車の終電はどうやらここ近辺で特に大きい駅が終点らしい。そしたらやっぱり私の最寄り駅までは辿り着けない。さあどうしよう、うーん、どうしようかなあ。
もう一度思考を放棄しかけたとき、私の頭の中に思い浮かんだのは第二の家とも言えるあの場所だった。
「ジュダの家の最寄り駅
……」
上り電車の終点から、今度はジュダの家の最寄り駅で検索をかけ直す。やっぱり、そこからなら他の線にはなるけれど2駅ほどで行けそうだ。ジュダの家の路線も終電さえ終わっているみたいだけど、2駅なら歩ける。なんたってメトロだから。
そうとなれば上りホームに急がなければ。フラフラな足取りでなんとか反対ホームに辿り着き、駆け込みに近い形で終電を捕まえる。さきほどよりも空いた車内の片隅に腰を下ろして、私はすぐに意識を手放した。
「次は終点、終点のー」
アナウンスありがとう。良い目覚ましアラームです。
溶けた回路が意識を取り戻して、ひとつあくびをかます。あまり人数が変動していないのを見ると、私と同じように皆とりあえず大きな駅に出ようと画策していたのかもしれない。
やっぱりまだフラフラな、でもさっきよりはたしかな足取りで少しは見慣れた駅に降り立つ。温い風が心地よくて、気分の乗った私はジュダに電話をかけていた。友達への返信は明日にしよう。今のままだと変なことを送って心配をかけてしまいそうだから。
そんな考えは無意識でも出来ているのに、ジュダには良いのか?という問題は頭の中になかった。だって、ジュダだし。なんたって私の彼氏だもんね、いいよね、これくらい。
いつも迷惑かけられたりしてるし、これくらいは許されたいなあ。
我に返った時、どんなしっぺ返しが待っているのかまで思い至らないほど私は酔っていたのだ。あーあ。
どうせ出ないという考えも及ばず、むしろ、なぜか絶対出てくれるという謎の自信があった。こういう時ほど予想は当たって、数回のコールで相手先と繋がる。
「こんな時間にナニ、もう1時過ぎてるけど?」
「ジュダー!やっぱり起きてた!」
不機嫌には聞こえないけれど、ちょっとダルそうなジュダの声がスピーカー越しに届く。途端に更に楽しくなって、返す声が跳ねた。
「あ?なにそのテンション」
「ううん、なんでもーありがとー」
「
……アンタ、もしかして酔っぱらってる?」
「うーん、友達と呑んでた。足元フラフラなの。お家帰ろうと思ったら終電逃しちゃってね、だからジュダのお家向かってる」
「ハァ?!今ドコ」
慌てた様子のジュダがなんだか面白くて、ヘラヘラと見えもしないのに笑っていることをジュダにちょっと怒られてしまった。降り立った駅名を告げれば、ジュダの呆れた声が返ってくる。
「あー、そこか。そこならまだタクシー拾えんだろ。今住所送るから、それ見せてタクって帰ってこい。なんかもう声だけでも危なっかしい
……」
「酔っぱらうと手がつけられないジュダにそんなこと言われたくない
……」
「今ソレ関係ねーし。タクシー乗り場、分かる?改札出て右側出ればあるハズだから、」
「ねえジュダ、2駅だよ!」
2駅なら歩いても30分もかからないだろう。タクシーに乗る気分では全くないので、私はジュダの助言を無視して改札を出てから近くの柱に背中を預けた。怪訝そうなジュダはいつも眉根が寄るのだ。きっと今もそんな顔をしているかな、絶対してるだろうな。
「歩いて帰りたい!」
「足元フラフラつったのアンタだろ、バカか。マジでバカ。すげーバカ」
「ジュダよりはバカじゃない
……」
「うっせ、それも今関係ねーし。とにかく大人しくタクれ酔っぱらい。金ねーの?着いたら連絡くれれば降りてくし、」
「夜更かしメトロの終点を逃してしまったので、私はジュダっていう終点に行くことにしたのです
……」
「ハァ?ナニソレ。アンタさあ、記憶忘れらんねータイプなんだから、明日ゼッテェ後悔するぞ」
つまりそれは迎えに来いって言ってんの?
大きな溜息と共に返ってきた答えに満足して、私は素直に頷いた。迎えに来てほしいよ、だってもう終着点はジュダ以外にないし。私から行ってもいいけれど、それは許してくれなそうだから。
「オレの家の近くでタクシー拾えねェの知ってるだろ」
「タクシーはイヤ」
「なんで今日に限ってそんなワガママなワケ?」
酔っぱらいだと分かっているし、私がどうにかなってしまうんじゃないかと心配になるからジュダが放置出来ないであろうことだけは何故か骨身に染みているのか、これまた絶対迎えに来てくれるという自信があった。案の定、改札口から動くなと釘を刺されて通話が切れてしまう。もう少し話していたかったのに。
と、そこでついに限界が来てずるずるとしゃがみ込んでしまった。動こうにも脳からの指令にうまく反応出来ない。身体は重いし、目蓋も重い。さすがにここで寝るのは私の本能がダメだと告げている。
「はやく迎えに来てね」
スリープモードに入ったスマートフォンの、ブラック画面に反射して写された私の顔は随分と間抜けヅラだった。ジュダに会ったらブサイクと言われるんだろう。なんでもいいや。こんな顔はジュダしか知らないし。それでいいのです。
何分、いや何十分、体感はほんの数分だったけれど、実際には20分くらい経っていたらしい。大股な足音につられて少しだけ視線をあげれば、ここ最近お気に入りなのか、ジュダがよく履いているハイカットシューズと同じものを捉えた。
「オイ酔っぱらい」
「
……ジュダ、」
おんぶ!
満面の笑みで両腕を伸ばせば、ジュダは面食らったように頭を抱えた。今日の変装はメガネだけで、深夜とはいえそれでいいのかなあと思いつつ脇に置いておく。本当に迎えに来てくれたことが嬉しくて、もう少しだけ調子に乗ってみる。
「マジでタクっからな」
「えー
……」
「いい加減にしろ、酔っぱらい」
「
……歩いて帰りたい
……」
伸ばした両腕を下ろして、目の前のズボンを軽く掴みいじけてみせる。せっかく夜更かしをしているのに、タクシーじゃあ味気ないじゃないか。あと、タクシー使いすぎ。お金が勿体無いよ。そんな理由は二の次だけど。
「
……あー、
……クソ」
同じ位置までしゃがんできたジュダと目が合った。少し髪が濡れていて、もしかしなくても電話をかけたときはお風呂上がりだったのかもしれない。と、そこで私の脳みそは我に返る。ワガママを言って困らせている場合じゃない。こんなことで風邪でも引いてしまったら大変だ。
「で、なに?おんぶすんの?」
「
……ううん。タクシー拾う。ジュダ髪濡れてるし
……乾かしてないんでしょ?風邪引いちゃう」
「ハ?
……別にこれぐらいで風邪引かねーし。酔っぱらいは大人しく酔っぱらってろ。ホラ」
背中を向けられて、言外に乗れと示された。おんぶしてくれるらしい。でも、だって、重ねる言葉は直前と打って変わってしおらしくなる。ようやく酔いが回り終わって冴えてきた今この状況では躊躇以外の道がなかった。
「はやく」
「沢山食べて呑んだから絶対普段より重いし」
「散々振り回しといて今更すぎるから、さっさと乗れ。じゃねーと置いてく。今アンタにはおんぶされるかされないかの2択しかないから」
乗るしか道がないじゃない。言えない言葉の代わりに、これ以上は本当にジュダに置いて行かれそうなので大人しく肩に手をかける。
重いよ、ねえ、お家からここまでどれくらいあった?ジュダ風邪引かない?大丈夫かな?そんなことばかり言っていたら、強引に足をすくわれて持ち上げられてしまった。
「うっぜー!さっさと乗れっつったろ。風邪引いたらアンタが責任持って看病するコト。もしくは帰ったら髪乾かして。あと、アンタを支えられないほど筋肉がないワケじゃねーし」
篝火のヴォーカリストをナメんな。
そうでした。私のカレは曲がりなりにもトップオブフロントマン、篝火のヴォーカリスト様でした。
首に腕を回して、ブレることのない背中の安定感に思わず感心してしまう。
ごめんね、ありがとう。大好き。
何度も繰り返す言葉は深夜2時の街中に溶けて、ジュダの鼻歌を上機嫌にさせた。
夜更かしメトロは終着点を忘れてしまったので、私の最愛の終着点が今日は私を運ぶ。ああなんて、幸せ。
「アンタ、明日になったら自分のしでかしたことで死んでそー」
楽しそうなジュダの意地悪な声さえすり抜けていく。どうやらついに酔いが最高潮をキメたらしい。
彼の背中のベッドは随分と心地よかった。
titled by:ホームシッカー(
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