息せき切らしたまま、私は人混みをかき分けて一度ホールから出た。ズボンのポケットにねじ込んでいたバックステージパスを首にぶらさげて、お疲れ様です!なんて声と共に何度も涙を拭う。
「絶対泣かす!って思ったのに」。そう言った彼の言葉通り、私は新曲で大泣きしてしまったのだ。首にかけていたマフラータオルで何度も目の下を覆って、それでも止まらなかった。
きっと目が腫れてるから、ユゥにはバレてしまうだろう。きっとにやにやと笑うんだ。それでいて、本当に愛してくれているのだと感じられる優しい声で私の名を呼ぶんだ。
全部分かるから、ライブの余韻に浸らずひた走る。JETのマネージャーさんと合流すれば、泣いたの?なんて苦笑されてしまった。他人にも分かるレベルということは、相当メイクが落ちているのかもしれない。
「もうすぐ降りてくるから。これユゥの水とタオル」
「ありがとうございます」
「いいえ。ーーごめん、通して!うちのボーカル様のとこまで最速でこの子案内してやって。じゃないとアイツキレるから!」
事情を把握してるスタッフさんの何人かはそんなマネージャーの言葉に笑って道を開けてくれた。バックステージまで、あと100メートルちょっと。
みんなに挨拶しつつ歓声と足踏みによる振動で揺れるステージの袖に立てば、ちょうどベースの人が降りてくるところだった。大体いつもベースの人がきて、ドラム、キーボード、ギターの順にバックステージに降りてくる。
良かった、ぎりぎり間に合った。そんな私の安堵感からもれた一息が大きすぎて、ドラムの人に他人の汗やらでまみれてぐちゃぐちゃになった頭が撫でられた。
「その様子じゃ泣いたんでしょー」
笑うドラムにつられて、キーボードとギターの人も私の顔を確認して笑いだした。いやいや、人の顔を見て笑わなくても。
「あーあ、ユゥが喜んじゃうじゃん」
「誰だよカノジョちゃんは泣かないって言ってたの」
「それお前だろーが」
最初にマネージャーから水を受け取っていたベースの人も加わって、メンバーのやり切った清々しさを感じる。どうやら相当な手応えがあったらしい。確かに、今日の盛り上がりは特にすごかった。久々に鼻をすする音がホールに響くのを聞いたから。
アンコールも終えて、あとは設営を取っ払って、ーーそれで、あとは、ユゥだけ。
最後の最後までフロントマンとしてファンを魅了したヴォーカリスト様が、ようやくお出ましだ。
「ユゥ、」
名前を呼べば、やっぱりにやにやした笑みを浮かべていた。絶対私が泣いていたことに気づいていたんだろう。そういう笑顔だ。
「オマエ、泣いたでしょ」
「……泣きましたけど」
「ん、良かった」
最後の階段を降りた瞬間、たったの大股一歩で彼と私の距離はゼロになる。タオルも水も私の手から持ち去られることはなくて、額から流れる汗も、荒い息も、体力を使い切った重い身体も受け止めることしか出来ない。でも、それがこの上なく嬉しかった。あーあ、ユゥのせいでまた泣けてきた。
「おつかれさま……っ」
「なに泣いてんの、バカ」
何度も後頭部を撫でられて、水もタオルも床に落としてユゥを抱きしめる。汗でまみれたTシャツをキツく掴んで、しゃくり上げたままライブの感想を伝えれば、顔は見えないけれど優しく笑ってくれている気がした。
「ようやく約束守ってくれたね」
「やく、そ、く?」
「真っ先にオレの元に来て、って、結構前のツアーファイナルのときに言ったのにさ。オマエ、鈍くさいから実はずっと一番じゃなかったし。スタッフのほうが早かったし」
「それはもっとはやく言ってよぉ…!」
「今言った。……もういいよ、今日一番に来てくれたから」
ありがと。
頬に落とされたキスの感触に、ようやく涙が引っ込んだ。仮にも人前なのですけれども。なんて声はユゥには届かないみたいだ。メンバーに冷やかされても嬉しそうに笑っている。
「今日の打ち上げは樽酒あけるかー!オレが奢ってやろう!」
そんなに何が嬉しいの?なんて、野暮なことは言わない。
信じると決めて、約束を少しずつ積み重ねて。多分きっと、それが一番嬉しい。果たされるものと、継続するものがあることが、幸せ。
ねえ、そういうことでしょう?
「ていうか、オマエは絶対メイク直しなね。ぐっちゃぐちゃな顔の女連れて歩きたくないんで、ヨロシク」
そういうところは相変わらずですけど。
でも、変わりたいけれどすぐには変われなくて、って歌っていたから、いつかは変わるのかな。私が今日頑張って変われたように、ユゥも。
「ねえ、ユゥ」
「んー?」
「好き」
「……オマエさあ、」
どうしてここで言うの。なんて、怒ってても意味ないよ。だってユゥの顔、真っ赤だもん。
互いの背中に乗せた手のひらがいつもより優しく感じる。きっとこうやって、私達は二人で変わっていくんだろう。
END
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