らん
2016-10-09 23:04:46
3767文字
Public
 

いずあん


『二人の1日』『お別れの日』『アカペラ』
:瀬名泉×あんず

その日は見渡す限り澄んだ青が広がっていて、雲ひとつさえない晴れ空だった。 校舎を出た途端に広がった青空に、あんずは思わず小さく歓声をあげる。
(瀬名先輩の瞳の色だ)
一緒に食べたいと思うもの、その人に見せたいと思うもの、その人を思い浮かべるもの。そんな沢山のものが溢れたら、それは恋をしているのだと言ったのは一体誰だったろうか。
あんずは片手に抱えた資料の束を持ち直し、瞳に映した青から地面へと視線を下ろした。すぐ近くのガーデンテラスは今日ばかりは閑散としていて、その静かな空気に少し胸が痛む。ああ、この痛みはなんの痛みかな。そんなの分かりきっていた。これは、「プロデューサー」ではなく「あんず」の心の痛みだ。

あんずは、瀬名泉というひとに恋をしていた。

きっと泉は、あんずが食べたいと思っているショートケーキを一緒に食べてはくれないだろう。それに、あんずの宝物であるアイドル達を見ても俺のほうが輝いてる、なんて言いそうだ。そして、この空が泉の瞳と同じだと伝えれば、きっと呆れることもあんずは理解していた。
それでも確かにあんずは泉に恋をしていたのだ。弱さに泣きそうな時に思い出す彼の背中や、意地の悪い言葉とは裏腹に、力強く後押ししてくれた大きくて綺麗なてのひら。誰よりも好きだった彼の瞳の眩さが、今日も、いつも、思い浮かぶ。
そしてそんな瞳を細めて、きっと泉はこう言うのだ。
(「あんたねえ、別に俺は空の上の人じゃないんだけど」って、笑われるんだろうな)
いつしか縮まった距離は、泉が持っていたあんずに対する考えすら変えていた。ただの一般人からなんちゃってプロデューサーになり、今ではすっかりプロデューサーだ。だからこそ、彼の隣を歩くことを許されている。だからこそ、身分を必要以上に区別するなと怒られたのも記憶に新しい。
「俺が認めたものには全部価値がある、なんて、瀬名先輩じゃなきゃ言えないよね」
誰もいないガーデンテラスを抜け、いつもなら奏汰が居たであろう噴水には誰もいない。まだ皆ユニットで集まっているのだろう。それが分かっているから、あんずは一人でも声にして独り言をこぼした。
「俺が認めたものには全部価値がある」
それは返礼祭の日、ステージから去っていく泉が最後の最後であんずに残した言葉だった。
瀬名泉であることに誇りを持っている彼は、「プロデューサー」で在ることに固執するあんずにそれだけ残してスポットライトの下から退いた。プロデューサーとしてのあんず、ただのあんず、どちらにも価値はあるのだと。ふたつあることの何がいけないのだと。ただそれだけを端的に伝えたのだ。
それがあんずにとって、どれだけ痛くて苦しい言葉の棘だっただろう。それ以上に、どれだけ甘くて愛しい蜜だったのか、なんて、きっと泉は知らない。
だから、あんずもこの想いを伝えはしなかった。
貴方が許してくれたから、少し息がしやすくなりました。実は、いつからか分からないけれど貴方が好きでした。
空の青は貴方の瞳で、土砂降りの雨を見る度に貴方の心の傷を考えて。彩られた花束の優雅さに貴方の所作を思い出し、ふと香る柑橘系のものに貴方の匂いを探していた。ふわりと柔らかな銀糸は、もしかして雲だったのかも。
貴方のことを考えないことがなくて、それがプロデューサー失格だと思ったこともあったほど。それで貴方を恨んでしまいそうになったことさえも。
全部、言えない。
ゆるやかな風を肌で感じながら、ようやく辿り着いた目的地で佇むその人影が誰だか分からないほど、あんずの目は悪くない。たとえ悪かったとしても見間違えることなんて無い。
ずっと追いかけていた、泉の背中なのだから。
「瀬名先輩」
あんずが名を呼べば振り返るその動作すら綺麗だった。
……こんなところで待たせるなんて、あんた何様?」
「プロデューサーです」
「今日の主役はもっと丁重に扱いなよねぇ、チョ〜うざぁい」
俺、卒業生なんだから。
ーー今日は、三年生の卒業式。沢山のものを残して、お別れをする日。
はじめて泉があんずを認識したあの日の場所、校門で、二人は待ち合わせをしていた。
誘ったのはあんずではなく泉で、少しの間抜け出して来て、なんて珍しくストレートなお願いにNOが言えるほどあんずの心は強くない。きっとそれを理解した上で泉も呼んだのであろうことを、あんずだって分かっていた。ずるいなぁ、もう。
「はじめて俺がちゃんとあんたと一対一で話したの、此処だったよね」
「学院内に通してもらえなかったときのことですよね」
「そうそう、……なんだ、覚えてんの」
「当たり前じゃないですか」
あの時唯一助けてくれた人を忘れるわけがないでしょう。口にしない代わりに微笑めば、泉も少し笑ったように感じたのは錯覚か、幻覚か。
「結局あんたと二人だけで過ごす日は無かったけどね」
……そりゃそうでしょう。先輩は新米プロデューサーの手なんて借りなくても平気だっただろうし?」
「別に。借りられるなら借りても良かったけど、俺ばっかにかまけてたらダメでしょ?皆のプロデューサーなんだから」
とても敏い人だから。とても優しい人だから。きっと、私の気持ちなんてバレていて、その上でこうして優しさをくれているのでしょう。
その甘さが痛い。その優しさが憎い。どうしてこうも離してくれないのでしょうか。今日をもって貴方への恋心ともお別れしようと思っていたのに。
「ねえ、あんず。俺が返礼祭で言ったこと覚えてる?」
……先輩が認めたものには、全部価値がある」
「そう。それは存在だけじゃなくて、あんたの考えたことや、思ったことにも適用されるの。……あんず、最後だから聞いてあげる」
あんたの思いも、全部、価値があるよ。
柔らかな風が泉とあんずの髪を揺らす。彼女の片手に抱えやれた資料が力強く握られて皺になっていく。あんずの顔は、それでも変わらないように笑みをたたえているように見えた。
誰もいない校門。午後を迎えた春のひだまりが心地よいくらいだ。外が静けさに包まれているせいで聞こえてくるのはどこかのユニットの声。歌っているものは音程も歌詞もばらばらで、泣いていることがよく分かる。
そんな中、あんずはたった一言をしぼり出した。
「好きです」
ずっとずっと好きでした。価値はないと思って消そうとしていた言葉でした。プロデューサーにはいらない特別な感情で、あんずには必要なちぐはぐな恋心でした。それを認めてくれる存在が、ずっと貴方だったら良いと思っていました。
言いたいことは沢山あって、それでも吐き出せたのはそんな陳腐な言葉だけだった。
泉の左胸に飾られた花が終わりを指し示している。もう先輩と後輩では無くなるし、こうして顔を合わせることもないだろう。それが寂しいと伝えたいのは、あんずの感情か、プロデューサーの感情か。
もう、どっちでもいいよね。だってどちらにも価値があると先輩が許してくれたから。今この瞬間だけは、お願い、許して。
そう願ったあんずに、どうやら天の神様はご褒美をくれるらしい。
「来週の日曜日、空けといて」
……へ?」
「はじめての二人の1日過ごそうか」
卒業生のワガママ聞いてよ。
いたずらな笑みを浮かべるその顔が好きです。沁み入るようなその声も好き。真意の見えない言葉はちょっと苦手だけれど、彼の言葉が無駄だったことなんて一度もない。
わけもわからぬまま頷けば、なに泣いてんの、なんて証書の入った筒で小突かれる。それでようやくあんずは自分が泣いていたことに気がついた。
「今日でお別れだけど、今日が終わりなわけじゃないんだよ?バーカ」
ぐしゃりと髪を乱すように頭を撫でられて、それで満足したのか泉は校舎へと戻っていく。現状についていけず呆けていたあんずは頭の中を整理しつつ、随分と楽しそうな泉の後を追いかけた。
「えっと、どういうことですか?来週の日曜日何処行くんですか?レッスンですか?」
「未定。ていうか、レッスンが良いの?」
「なんでもいいです!そんなことより!」
ついペースに乗せられて忘れていたが、渡したいものがあったのだ。先ほど握りしめたせいで皺が寄ってしまった資料を泉に手渡す。なにこれ、そう怪訝な目をしつつ受け取ったものを眺め、今度は泉が呆ける番だった。
「これ、」
「以前先輩から預かったiPodに入ってた、月永先輩の楽曲を楽譜に起こしたものです。アカペラだけだったものも起こしてあります」
実は返礼祭を迎える前に泉から受け取っていたものがある。それが、泉が過去に愛用していたiPodだった。
もう要らないから捨てといて。そう言われてはいそうですか、なんて出来るわけもない。
不躾ながらも全曲聴いて、それを元に楽譜にしたものたちこそ、ずっと彼女が持ち歩いていた資料だったのだ。
あんずの作曲の師であるレオと、泉の過去の曲達。瀬名泉の青春を形づくるもの。
「卒業、おめでとうございます」
ここでお別れだけれど、ここが終わりじゃない。
泉のいつもの口癖が少し震えていたのは、きっと聞き間違いじゃあないだろう。


END