恋なんて夢物語のまま終わっていくのだと思っていた僕に、敬人が色をつけて本当の物語にしてくれる。今までも、これからも、僕の物語を描き表すのは敬人なんだ。
「明日、なんて言われるかな」
呟いた独り言に返ってくるものは何もない。明日が来るのが怖いような、楽しみなような、そんな気持ちでスマートフォンの電源と共に眠りに落ちた。
勢いよくカーテンの開く音がする。きっと侍女が起こしに来てくれたのだろう。いつもより音が大きくて、もしかして少し時間が押しているのかも、なんてまだ覚醒には程遠い意識でそれだけを考えた。
それよりも、すこぶる眠い。やっぱり昨日の夜更かしがあまり宜しくなかったんだろう。後悔していないけれど、ほんの少しだけ駄々をこねたい気分だった。
「もう起きなきゃ駄目なの……?」
柔らかなシーツを口元まで引き上げながら、小さな声でそんなことをのたまう。自らを照らす朝日が眩しくて、目を細めたままそこに佇むであろう侍女を見やれば、とんでもないものを見てしまった。いや、まさか、そんな。
「当たり前だ。貴様の大好きな学院が待っているぞ」
おはよう、英智。
君だって寝不足なくせに、僕に嫌がらせをしに来たのかい? 普段なら回る舌が全然反応してくれないのは、寝起きのせいにさせてほしい。
どうやら幼馴染であることが災いして、今日限定で侍女の役目は敬人のものにされてしまったようだ。
どうして、なんて陳腐な言葉はどうにか呑み込んだものの、驚いた表情は隠しきれなかった。そんな僕を見て君は笑うんだ。酷い顔だって僕に言うのは敬人ぐらいだよ。
「プレゼントくらい用意しておけ、阿呆」
「……え、何、昨日のこと?ちゃんといつも通りにしたじゃないか」
「ああそうだ、いつも通りだから説教してやろうと思って朝から駆けつけてやったんだ」
まるで感謝しろとでもいうような口ぶりだ。そんな君が右手の中指で眼鏡を押し上げる癖が好きだったりする。
敬人は苦笑しながら眼鏡をいつも通りに押し上げて、まだ梳かしてもいない僕の髪を優しく撫でた。こんな敬人は知らない。いつも通りじゃない。
「もう『幼馴染』だけじゃないから、少し期待してた」
もう一人分、追加で重みを受けたって僕のベッドのスプリングは鳴りさえしなかった。ただ、柔らかく重さを呑み込んで、音もなく敬人が僕に近づいただけ。
「けい、と」
重なった僕の右手と、敬人の左手の掌が熱い。そのまま絡まった指先がこそばゆい。手を繋ぐのも、指を絡めるのも、この年になってからしたのははじめてだ。いつも通りじゃない、これが「恋人の特別」なのだろうか。そうなんだろうけれど、突然過ぎて考える力は無かった。
瞬きすら許されない。目を逸らすことなんて出来ない。身動きさえも同様に出来なかった。ただ僕の肩口に敬人の額が乗って、彼の声が耳元で聞こえてくる。
「……プレゼントは?」
「……無いよ」
「阿呆」
「だって、まさか君がねだるとは思いもしてないもの」
「俺もしたくなるとは思わなかった」
じゃあなんでしてるんだい。呆れた僕の声に漏れた敬人の笑い声は軽やかだった。ああ、いつもの敬人だ。昔から変わらない、君の笑い声。
そうか、君も僕も「恋人」の距離が曖昧なだけで、きっと考えて、求めている「恋人」は同じなんだろう。ただ、敬人のほうが求めるスピードが速い気がするけれど。
勝手に納得していると、君が僕達は本当に『恋人』なのだと唐突に思い出させてきた。
ゆっくりと僕の肩口から君が離れて、いつも通りじゃない、見たこともないような優しい笑顔が見えて。名前を呼ぼうと声を出そうとした瞬間、
「け、……?! っま、待って!」
途端に近づいた距離に疑問を抱かないほど、今の僕達の関係は変わっている。幼馴染で、恋人、だから。その距離がキスをするものであるくらい、いくら寝起きの僕にだって理解出来た。
「プレゼント、」
「嘘だろう?! 君、そういう人だったっけ?」
捕らわれていなかった左手で敬人の口をギリギリのところで覆いつつ、超至近距離で敬人の目の下のクマを見やる。もしかしたら寝不足で人格崩壊しているのかもしれない。
「寝起きは細菌が凄いんだよ」
「英智、テンパってるだろう」
この状況に追い込んだ君がそれを指摘するのか。
なぜか面白くなってきた僕はただ笑ってしまった。だって、あの堅物を絵に描いたような敬人がこんな風になるなんて!
笑い上戸だからしょうがないのだけれど、中々止まない笑いに痺れを切らした敬人が口を抑える手を剥がそうとしてきた。あいにくと、力は敬人と同じくらいあるのだ。まだ離してあげない。
ひとしきり笑ったところで、僕は笑いすぎて涙目になったままもう一度敬人と視線を交わらせる。代わりになるかは分からないけれど、プレゼントが欲しいならいくらだってあげるから。まだ、唇へのキスは出来ないけれど。
「おはよう、敬人」
誕生日おめでとう。生まれてきてくれて、ありがとう。
絡まった指先を解いて、口を塞いだ掌をようやく外して、そのまま敬人の首に両腕を回した。こんなこと、『幼馴染』じゃ出来なかっただろう。
バランスを崩して倒れ込んでくる『恋人』と一緒に、たまの二度寝くらいどうか許してほしい。
愛しの学院よ、もう少しだけ待ってておくれ。僕は今、この腕の中で笑う僕の右腕が愛しくてたまらないのだから。
END
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