らん
2016-02-15 02:38:29
3122文字
Public
 

レオあん

あきたさんのイラストを受けて書かせていただきました。

▼never end.


「美術館に行くぞ!」
……はぁ?」
唐突なその一言に、あんずは不安げな、ともすれば呆れたような一声を返す。返された当の本人はさして気にもしていないのか、つい先程完成した楽譜を丁寧に一つに纏め、帰り支度を始めた。
月永レオという人は、考えていないようでとても考えている人だ。だから、きっとこれにも意味があるのだろうとあんずもペンケースにシャープペンシルを仕舞い、楽譜を纏める。
「あれ、おれ今日マフラーしてなかったっけ?!」
「マフラーはここにありますよ」
「おお!ありがとー!」
やっぱりあんずは見つけるのが上手いな、なんて彼は笑うが、彼女は単純に足元に落ちていたマフラーを見つけただけで、きっと違う場所にあったなら分からなかったに違いない。淡いクリーム色のマフラーは、あんずの中の月永レオとはなんだかちぐはぐで余計に記憶にこびり付いていたせいかもしれない。
「この近くに美術館があってさ、どうしても見せたいものがあるんだ。今、……今何時?」
「16時です」
「じゃあ今からバスで行けば半過ぎには着くかな」
今まで居たスタジオに律儀に「じゃあな!」と別れを告げて、レオは歩き出す。その一歩後ろをあんずはついて行った。
学院の外はそろそろマフラーがいらないくらいの気温で、それでもレオはマフラーを巻いている。口元を軽く覆うくらいに巻くくせに、気づくと邪魔になるのか下げるから、その姿を見る度にあんずは私が巻いてやった方がいいのだろうかと変に世話を焼きたくなるのが常だった。
それでも一度も巻いたことがないのは、首元は弱いから、なんてレオがくすぐったそうに笑ったからだっただろうか。それから、彼女はレオの髪に触れることも出来なくなった。
「あんずはゴッホって知ってるか?」
「えーと、ひまわりを描いた画家ですよね?」
「そう、その人」
おれはその人の絵をあんずに見せたい。きっと霊感が舞い降りるはずだから。
そこまで言わせるゴッホの絵とは一体どれ程のものなのか。揺れる尻尾のような髪と、クリーム色のマフラーは夕日によって照らされる。元々から橙の彼の髪の輪郭は淡く輝いて、まるで光のようだった。
バス停までの道のりはそこまで遠くない。それから一切の会話もなく、二人は歩幅を合わせながら歩く。つかずはなれずな一歩分の距離は今日も変わらなかった。
既にバス停にはバスが来ていて、発車を伝える運転手の声が聞こえた。ここいらのバスは後方乗車の後払いだ。急ぎましょう、先輩。駆け出したあんずの足はレオを追い抜く。追い抜いて、振り返ってもレオは走る様子がない。はじめて崩れた一歩分の距離がなんだか気持ち悪くて、あんずは足を止めた。
「先輩……?」
「早く行かないと間に合わないぞ、あんずっ!」
「え、で、でも、」
「行け、あんず」
いい子だから、お願い。
ああ、そうやって貴方は私に断われないお願い事をする。
後ろ髪を引かれつつバス停まで走る。あんずが乗ると、運転手はゆっくりと扉を閉めた。そこでようやく追いついたレオはやっぱり笑ったままで、窓を隔てた先で彼は唇を動かす。
「さよならだ」
泣きそうにも見えるその笑い方に、告げられたお別れに、唇は動かなかった。足だけはふらりと座席に向かって、終点の美術館までの休憩を余儀なくする。
大きく揺れる車内の乗客は片手で数えられる程で、揺れるつり革をぼんやり眺めることしか出来なかった。
レオの背後から差す夕日は眩しかった。髪に溶けるオレンジが境界を曖昧にして、まるでレオ自身が夕日のようで。
何も考えていないように見えて、とても考えている人だから。
貴方の言うゴッホを観に行きましょう。



一人、また一人と乗客は減り、終点の美術館で降りたのはあんずだけだった。客入りは少なそうで、運賃を支払いとぼとぼと独り歩く。
自動ドアをくぐり抜け、入館料を支払ってパンフレットに記載された道順に大人しく従う。他の絵画に目もくれずゴッホの元まで行こうかと思ったのだが。
……すごい……
はじめて踏み入れた美術館という場所はとても静謐で、それでいて鮮やかな場所だった。絵を飾る為に作られた空間はそれすらも芸術品だ。思わず惹かれたものには足を止めて魅入ってしまう。
そしてその度に最後に見たレオの笑顔を思い出してまた進む。こんな心境でも感動することが出来るのは、レオにしっかりとしごかれてきた賜物かもしれない。
白で纏められた壁が区切りを経て淡いクリーム色に変わる。それは作風が変わる合図で、目を向ければ現れたのは包帯をしてパイプをくわえた男の顔だった。
下の作品解説には自画像であることと、フィンセント・ファン・ゴッホの文字が踊る。
「この人が」
月永レオの言っていたゴッホ本人。随分と気難しそうな人だ。隣に目を写すと彼の生涯について説明がされている。
生前は評価を受けつつもあまり売れなかった絵。耳を削ぎ落とした話や、最期は銃による自殺とみられていること。37歳という若さで亡くなった彼の人生は想像よりも過酷でいて、鮮やかだ。
説明はゴッホ本人に留まらず、弟であるというテオにまで及んでいる。あんずはそのままゆっくりと文字を追い、そして、最後まで読んで理解してしまった。理解せざるを得なかった。
――月永レオが、ゴッホを見ろと言った理由を。
『弟であるテオはゴッホの死後から半年を経ち衰弱死した。彼は最初から最後まで兄のファンであり、見放さない者であった。まるで兄を追うように亡くなったテオ。二人の兄弟の墓はテオの妻であったヨハンナによって隣同士に建てられている。彼女が兄弟に捧げた言葉は、』
「二人は生来るにも死来るにも離れざりき」
それは、月永レオによる最低な別れの言葉で、最高のラブレターだった。
シンと澄んだ空気の中に響くのは自分のローファーの足音だけだ。誰もいない今だけ、どうか今だけ、泣かせてほしい。
きっとあの「さよなら」も、スタジオに告げた「じゃあな」も、彼の中でのラブレターなのだろう。
ゴッホの作品は黄色が鮮やかに映っている。とても印象に残るその黄色は眩しくて、まるでさっきのレオのようで。夕日でもないのに、照らされたようなその色に呑み込まれていく。
作品の最後を飾るのは、向日葵だった。
「この全部が、見せたかったものですか」
恥ずかしがりやなんですね、意外に。知ってましたけど。
涙をカーディガンの袖で拭う。女らしさなどにかまけている場合ではなかった。一歩抜け出すとまた壁は白に戻り、レオのクリーム色は消えていく。そこからは一度も涙を流さなかった。流す理由も、なかった。
貴方はもうアイドルではないのでしょう。なら、明日会った時にビンタしたって怒りませんよね。怒られませんよね。
最低なお別れの言葉をくれたお礼にビンタして、最高のラブレターには貴方から貰った音で返します。ねえ、いつだって私の中で貴方はひまわりのような人でした。
「崇拝、とまでいかなくても」
尊敬しているんです。
生も死も私達を離せないというのなら、貴方が離れたって離れません。
たとえ明日が、卒業式でも。
『ゴッホの生涯は、まさしく「炎」だった。』
きっと、貴方もそうなのでしょう?
燃える夕日と同じように、髪と同化するように。
それでいてひまわりのような笑顔で魅了するのだ。そんな顔に一度だけ、私の傷をつけさせて。もうあんな顔で「さよなら」なんて言わせない。
噛みしめるように踏み出す一歩は、彼との一歩分の距離より大きかった。


END

向日葵:崇拝、私はあなたを見つめ続ける、愛慕