らん
2016-01-05 15:45:38
4359文字
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英智とレオ


椅子に深く沈めた身体が重い。点滴を打った直後のような気怠さと、体内を巡る血液の感覚が自分を蝕んでいるのは今朝ぶりのことだった。
(最近、貧血の間隔が短いなあ)
運よく生徒会室だったからこそ蓮巳にしか見つからなかったけれど、逆に言えば一番煩い蓮巳に見つかってしまった。それでも、蓮巳は英智自身を除けば病弱な身体の一番の理解者だ。幼い頃から英智の世話を焼いていた蓮巳にとって、貧血への対処などは手慣れたものだった。
ネクタイとボタンを緩められ、そのままベルトも解かれる。まるで介護者のようだと笑えば、蓮巳自身は笑ってすらくれなかった。
「水を持ってくる。呼吸器は机の上にあるからな。薬は持ってきてるか?」
「今日は持ってきてないんだ」
「確か、保健室にストックを置いてあったな?取りに行くから遅くなるぞ。絶対に動くな」
「敬人は心配し過ぎだよ」
……自分の身体だから理解しているだろうが、今の貴様はいつ死ぬか分からん」
嫌な匂い、だ。
生まれた時から死と隣り合わせで過ごしてきたのは蓮巳も同じで、それこそ蓮巳にとって他人の死の匂いは線香と同じくらいに染み付いたものなのだろう。そんな彼に言われてしまっては、そろそろ延ばされ続けた命の手綱も切れる頃合が近いということだ。
普段は廊下を走るなと説教を垂れる蓮巳が競歩のような速さで生徒会室を出ていく。扉はしっかりと閉まらず、若干の隙間を残していた。
そんな隙間をぼんやりと眺め、今度はその視線を机に投射された椅子の影に落とす。
(朝に一度、放課後に一度……今週に入って四度目の貧血。投与するものは増えたのに、赤血球は足りない)
そんな数少ない赤血球の流れる様を感じつつ、ゆっくりと目蓋を降ろした時。
「ぅっお、ぁああ?!」
悲鳴を上げながら突然生徒会室に侵入を果たしてきた鮮やかなオレンジ。声につられてもう一度目蓋を押し上げれば、そこには月永レオが居た。
おそらく、壁にひたすら作曲していたのだろう。しっかりと閉まっていなかった生徒会室の扉に差し掛かり、体重をかけたことによって内に開いたのだ。生徒会室といっても所詮は生徒のものだから、扉はさして厚くない。
それによってバランスを崩したのがさっきの悲鳴、そして、その悲鳴をあげた本人は持ち前の身体能力で足だけを使い姿勢を戻していた。英智にとっては羨ましい体力だ。
両手にペンを握りつつ、レオはきょろきょろと辺りを見回している。
「お?どこだここ?おれは作曲をしていたはずで?もしかして、ここは不思議の国?!白兎なんて居なかったのにおれは迷い込んだのか?!いや、ちょっと待って、これは宇宙人の仕業かも!」
わーはっはっは!うっちゅー!なんて、響くテノールに英智は少し笑ってしまった。相変わらず、というより、壊したはずなのにもう一度輝いていることが眩しい。
「ここは生徒会室だよ。ごめんね、不思議の国ではなくて」
……げえ」
「非道いなあ、僕の顔を見て嘔吐しないでほしいな。たとえフリでもね」
「白兎が実はハートの女王だった気分だ。おれはなんでもない日を祝いたいのにっ!」
「あの常識的な奇人は君と仲良くなれそうだけれど、生憎、ここは現実だよ」
彼の名を呼べば、当の裸の王様はペンを投げ捨てた。きっと後で敬人からお説教されるかな、なんて頭の隅で思いつつ、英智はゆっくりと机に両肘をつく。
……まあ、いいや。おれも話したいことあったし」
侵入者によって内側から閉ざされた扉は、今度こそ隙間もなく外界を遮断した。


「お茶も菓子も用意が出来なくてごめんね?突然の来訪だったものだから」
「そーじゃなくて、おまえは動けないだけだろ」
……おや、なんだ。分かるの?」
「日の光を浴びたリッツみたいになってるからな〜。病弱なのなんて周知の事実だろ?今更取り繕わなくていいよ、面倒だ」
陳腐で面白くもない。吐き捨てられた言葉に、英智は微笑みを崩さず椅子へともう一度沈む。こうして話すのも相当な苦痛であることが見て取れるけれど、レオは止める気など更々無かった。
「ついに死ぬのか?皇帝」
……皇帝はよしてくれ。僕はもう流浪の身だよ」
「玉座に沈んでる時点でその台詞はちぐはぐすぎる」
「いいじゃない。最後の足掻きだよ」
「そんなこと、思ってないくせに」
そういう所が大嫌いだ。
その言葉がどれだけ英智を喜ばせるか知っているが、それでもこれ以上最適な言葉が見当たらないのだから仕方ない。レオの苦々しげな音を、英智はなおも笑顔で受け入れた。
「有難う」
目の前で儚げに微笑む青年は、「嫌われること」を求めている。そう言うと語弊はあるが、端的に言えばそういうことだ。
人間はポジティブなイメージや幸せの記憶より、ネガティブな感情をより多く記憶する。嫌いになると余計にその人の粗が目立つのは心理的なものだ。
それ故、天祥院英智という男は「英智」の為に革命家となり、皇帝となった。奇人と王に嫌悪を植え付け、民衆には恐怖を蔓延らせた。
だから、レオの抱く英智へのマイナスイメージは全て英智が求めた結果の上で成り立つ心情なのである。それが分かっているから憎々しい。自分の感情を他人に支配されるのはこの上なく気持ち悪くて、レオの苦手とするものだった。
「それで、話があるということだけど」
……ああ、うん。そーそー。この前はジャッジメントを手伝ってくれてありがとな。助かった」
「いい暇つぶしになったから、お礼なんて要らないよ。それに、あれが君の終わりだったんだろう?」
ほら、そうやってすぐに意図する所を察知するから嫌いなんだ。言わないけれども。
「fineの天祥院英智様はさすがですね〜、本当にうざいぞ」
「貶されるのも悪い気はしないかな」
その言葉すら本心なのだろう。本意が見えないようにみえるから、それが恐怖を煽っているだけで英智の本質は常に真だ。彼の言葉はいつも真実なのだ。
それはきっと天祥院として生きてきた賜物、なのだろう。嘘で塗り固めなくても、天祥院英智は生きていけるほどの権力を持っている。それが嫌で、レオの目の前で弱っている「英智」は抗っている。
それが、天祥院英智という一個人。
……おまえは、ベートーヴェンなんだ」
……ええと、?」
「天才になるよう強要された秀才。そこから抜け出したいと足掻いた天才。そうして目指した天才よりも自由を手に入れた代わりに人生の道標を失った塊」
おれが敬愛する存在に似ている。だから、これを書いたんだ。
ブレザーではなく、レオが着ているパーカーのポケットからぐしゃぐしゃに丸められた紙が机に転がされていく。呼吸器に一つ目の塊が到達してストッパーになると、紙の玉達はそのまま連なるように英智の前に並んだ。
「おれはお前が嫌いだ。壊されたことも許さない。許すつもりもない。それでも、もう一度立ち向かうくらいは出来るから」
「つまり、これは宣戦布告と受け取っていいのかな?」
「どうとでも受け取ってくれ」
満足したようにレオは腕を組む。英智は拙い動作で腕を伸ばし、ゆっくりと紙の塊を一枚の紙へと直していった。よくよく見れば五線譜で、書かれた旋律は天才・月永レオのものだと思っていいだろう。
一枚目は荒れた筆跡で、紙自体も少し古びている。しかし、最後の三枚は紙もインクも真新しく、筆跡も優雅なものだった。
「そっか、ここ、生徒会室なんだな。懐かしいな〜!壊れる前、何度もおまえに盾突いてこの机叩きまくったっけ」
「ふふ、そんなことはちゃんと覚えてるんだね?」
「逃げたいほど嫌な記憶だったからな」
……ねえ、月永くん。この曲は僕なの?」
荒れた筆跡、古びた紙。書き殴りもそこそこな楽譜は、おそらく壊れる前の月永レオのものだろう。
そして、最後の楽譜は今の月永レオが書いたもの。新旧の譜面を繋げるものは逃げていた時の彼だろうか。
「言っただろ。どうとでも受け取ってくれって」
「うん、だから、そう受け取ったよ」
「作曲家は曲で語るんだよ。言葉は陳腐にしかならないからな!」
「さっき嫌いだって言ってたじゃないか」
「そう!それすら陳腐だ!……だから、おれは何も言わない」
笑うレオの姿に、英智は泣きたくなった。君はまた輝きを見つけたんだね。壊れて、また輝いたんだね。僕と同じように、壊されて可能性を知ったのだろう。そうして書き上げたのが、僕の曲なのだろう。
この曲は手向けの花束なのだ。
「忘れないでくれると嬉しいよ」
「あーもー、陳腐な言葉を何度も言わすな!おれはおまえを許さないし、許すつもりもない」
……有難う」
「あーあ!もう帰る!おまえのせいでさっきまで頭の中にあった霊感がすっかり消えちゃった!あーあ!」
律儀に捨て去ったペンを拾い上げると、レオはくるりと踵を返した。閉ざされた扉を開いて、一人光の先へ進んでいく。
「おまえも、輝きを知ったならまだ生きてみればいーじゃん」
別に同じ位置で生きなければいけないわけではないのだから。
降りろ霊感!うっちゅー!爽やかなテノールが叫ぶ声は遠ざかる。あの声が歌うことを潰したのは間違いなく英智自身だ。
いっそ許すと言ってくれれば、英智に絶望さえ与えてくれるはずなのに、レオはそうしなかった。それが英智にとっては眩しくてしょうがなかった。
「苦しいなあ」
血が足りない。有り余るほどの希望を受け入れるだけの気力が足りない。それがこんなにも苦しくて、悔しい。
手に握った旋律は英智を体現するように、撫でるような優しい一音で終わりを迎えている。
天祥院英智は嘘がない。まるでそれを表すように、複雑な技巧が混ざっているのに、罠のような嘘偽りはどこにも無かった。
規則正しい足音が徐々に英智の耳に届く。これは聞き慣れた敬人の足音だろう。左腕である渉が居たら確実に判別できるのだけれど、生徒会室に彼は自ら来ない。
「敬人」
僕の死神。幼い頃の生きる希望。僕のために夢を諦めた人。嫌ってほしいのに嫌ってくれない右腕。この呟きは君にも言えない。
「僕は、もう死んでしまった方が幸せなのかもしれない」
くしゃくしゃの紙に描かれた「自分」という希望を抱きしめながら、今度こそ目蓋を開けることはしなかった。


END


生きていて良かったと言いながら、生まれてきてごめんなさいと英智は言うから、変革された今を生きている英智は今死ぬのが一番幸せなのかもしれないと悩みつつ、生きていたいという本能を持て余していたら。そんな感情を引き出させるのが、裸の王様となった月永レオであったら、というお話でした。
注釈入れないと分からないぐらいの概念文で申し訳ない。