白球がぎこちなく往復する。戻ってくる球は鋭く、平が投げる球は大きな弧を描いて日月の下に帰っていく。時が止まったままの学校内は暗いが、グラウンドだけどこからか供給される電気のおかげで明るくなっている。
白夜がある地域で暮らしている人たちのことを思った。一日中昼間の日があるということは、一日中夜の日があるということでもある。最近捲った教科書に書いてあった知識を思い出す。娯楽のない環境での退屈は、遊びたい盛りの学生を少しだけ勤勉にした。
頭の中には、怪我をする前の完璧な投球フォームがある。
といってもそれは平の中で最良の形というだけで、本気でやっている人から見れば、依然拙いままだっただろう。今はできないことだから、思い出がよりよく感じられてしまうのだ。
脳みそは動くはずだと信じて信号を送っているのに、体が自分の記憶の中にある通りに動かない。
そのことに苛ついたこともあったが、根気強くリハビリを続けて元に戻ってきていた。
白球が宙を舞う。
二人で何度もキャッチボールをした。
その滞空時間が伸びて、ボールを受け止める日月が遠くにいくほどに、彼に近づけているような気がしていた。
本当はそんなことはなかった。二人の違いは走ったところで埋まるようなものではないのだ。
キャッチボールのとき、日月は平の投げたボールの飛距離に合わせて前に出る。
ただ投げたボールはグローブに受け止められることなく地面に落ちて、日月の足元まで転がっていった。
キャッチして、掴んで、投げ返す。一連のリズムに体を合わせていた平は、受け止めるべきボールの代わりに、グローブで拳を掴んだ。
「日月」
声をかけるとハッとして顔を上げる。
「どうしたんだよ、ぼーっとして」
日月に詰め寄ったが、考え事があるのはわかる。
先日、学園を異変に巻き込んでいた七億不思議の正体が、ようやく明らかになったのだ。そしてそれをドッ祓う方法に関しても、通達がきた。
敵は学園そのもの。
体勢側に黒幕がいるという比喩的な意味ではなく、そのままの意味で学園が七億不思議であり、敵だ。だからそこで生活する学園関係者が異変に巻き込まれていた。
生気をじわじわと奪っていく七億不思議から逃れるには、学校生活を送ってきた学園そのものを祓うしかない。
あまりにも規模が大きく荒唐無稽に思えたが、それもこの学園にいればよくあることだ。
どちらかといえば、ブライの報連 相が仕事を怠っていたわけではなかったことの方が衝撃的だったし、今までの諦め気味の態度を少しだけ申し訳ないと思った。それにしたって、もう少し早く連絡できたんじゃないかなとは思ったが。
「ヘーキンはさ、俺と相罠でよかったって思う?」
考えごとに耽っていた日月は、思考の延長線のように呟いた。
よかったよが大正解の答え。だけど即答ができなかった。
嘘やごまかしや表面の会話で答えたって、意味がない。ずっと相棒を組んで一緒に生活していた相手だ。気を遣ったのだと直ぐにわかる。
本気でぶつかってきてくれた日月に、俺も本気で向き合わないといけないと思った。
頭の中で駆け巡ったものが多過ぎたのだ。
最高だと言い切れるときもあった。二人なら最強でなんでもできる。そんな万能感に包まれていた。
だが苦しくて痛くて、後悔して、日月を恨んだ瞬間だって、確かにあったのだ。
そのどちらも嘘ではない。
ただ自分の状況や周りの環境や変わるたびに、心も変わるのだ。
一つの強い目的や信念を持ち続けるほど、強くいられない。
たぶんこれからも変わり、自分の決断を後悔したり、人を恨んだりする。
それでも、と思うのだ。
よかったと思えるかどうかは、これからの平次第だ。
怪我をしても、やり直せる。元の通りにはならないし、無くしたものも戻っては来ないけど。
肩に残る傷跡に触れる。
躓いたとき、振り出しよりも更に前に戻ったような気がしているけれど、そうではないのだ。
ずっと進んでいる。良いものも悪いものも、蓄積されて確かに残っている。
平が足を止めてる間にも時間はとめどなく流れていく。少なくと日月のおかげで流されるのではなく、進むことができている。
大人になって、なんであんなことに命をかけたんだと苦々しく思うかもしれない。その後悔すら含めて、青春の輝きだったと老人になってから振り返るのかもしれない。
よかったのか悪かったのかを決められるのは、もっとずっと後だ。
だから、今は止まらない。思い出に縋ることもしない。後ろなんて見なくても、ずっと中に蓄積されている。
青春の意味なんて、誰が決めた。
学園がなくなったって、俺たちは何も無くさない。
駆けていく日月の背中を見送っても、もう置いて行かれたとは思わない。立つべき場所を相棒が教えてくれた。祓魔師だったら、無力な自分を嘆くことはなかったのかもしれない。だけど祓魔師だったら、日月の相棒ではなかった。
一般人だったから、日月と相罠になることができた。無力でなければこの出会いはなかった。だからこれでいい。
今の平は一番苦しい時間を乗り越えて、少しだけいろんなことに肯定的だ。
耳を澄ませれば、学校の色んなところから破壊音がしている。祓魔師たちが己の役目を果たしているのだろう。その中の物音のどれかは日月のものだ。
やがて校舎から戻ってくる日月の姿が見えた。
行くときには持っていなかったキャップを被っていたから、離れてる間に何をしていたのかわかった。学校の中で一番長く過ごしたのは、自分たちの部屋かブライの教室だろう。
あの部屋はもうないのだ。
その顔は晴れやかで、学舎を失うことに対する後悔や苦しさはない。
「似合うね。野球選手みたい」
「似合うっしょ。これで思い出と見間違えたりしないだろ」
日月がピースサインをする。
「じゃ、次いこうぜ」
「いけるの?」
カラーボールをもって行かなかったが、この短期間で祓いを終えて戻ってきた。決め球を使ったのだ。その力は、数発しか使えなかったはずだ。
「もちろん。どこから行く?」
息が上がっている様子もないし、憔悴もしていない。むしろ気力に満ち溢れている。
校舎を見上げる。これそのものが七億不思議。ここに閉じ込められた全員の手を借りて、祓いをやり遂げる。
今までにない規模の姿を前にしても今までのような恐怖や焦燥はなかった。
「なんかさ」
平の呟きを聞いて、日月は振り向いた。
「怖いのか?」
「いやそれが、実は全然でさ。今回の七億不思議、あんまり怖くないんだよね」
緊張感のない平の声に、闘気に満ちていた日月は出鼻を挫かれた顔になった。
「油断すんなよ」
わかっている。油断をした結果、大怪我をしたのだ。相手は人の命を奪う存在であることも自分が無力であることも、忘れてはならない。
だが思い出を断ち切って前に進むことも、青春を過ごした学舎を壊して先に進むことも、今の平にとっては恐ろしいことではないのだ。
たくさんの人と関わってきた。だからブライの人間を惑わそうとしてくる言葉にも惑わされない。
「これ、俺が校舎を壊しても、意味があるのかな」
七億不思議に対して一般人は無力だ。それが絶対のルールで常識だった。その溝は最後の最後まで越えられないと思っていた。
だが今回の七億不思議は違う。校舎はそこにある以上、物理的に触れて干渉できる。
「試してみてもいいかもな」
珍しく情報が出回るようになったブライの情報を確認すると、一般人でも校舎を破壊すれば貢献ができるらしい。
一般人であることを受け入れて、戦うことができないことを受け入れた。待っている側も、何もしていないわけではない。そう割り切ったのに手の中に戦う手段が飛び込んできた。
倉庫の資材置き場から、扱いやすそうな武器を探してくる。
「最後は、一緒に戦うよ」
二人で、学舎の最後を見届ける。
夜の匂いに、壊れる校舎の土埃の匂いが混ざった。
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