aknzy
2024-09-16 00:43:16
9086文字
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シンジャ

後ろが寒くて仕方ない、のところ、読み返してて我ながら好きな感情の流れで笑ってしまった

白い息を吐く。
普段はお目にかかることのないそれは、伸ばした手に忽ち纒わり付いて霧散し、消えた。
ただ、毎日繰り返される呼吸の産物の筈の物に感傷的になった自分に、酷く驚いて泣きたくなった。

感情の余韻が音を引いて逝くと、特にする事も思いつかなくなったので足を一歩、また一歩と踏み出してみた。
すると、遥か昔には慣れ親しんでいた感覚が土踏まずを直に通り、寒さに思考を放棄しかけている脳裏に、再び舞い戻ってきた。







___白い息を吐く。
ただ機械的に繰り返される呼吸と足音が耳を通って、脳までもを凍り付かせていくような感覚がした。

数多の生物のようでいて、無機質な身体に嫌という程馴染んだ布切れが、歩く度に腕を擦る。
それ一つでどうこうなるものでは無いと分かっていても、成長しきった腕に浮かぶ痣の上に、更に醜い傷が加わるような気がして、とうに感覚の無くなっている手で摩った。


「筆頭?どうかしましたか?」


後ろを歩いていた長い付き合いの部下に心配された。
普段なら一言、なんでもないと伝えて終わる所なのを、今回はどうしてか、そう出来ずに黙りこくる。
その代わりに、話しかけるなという圧を無言で放つも、それは簡単にスルーされてしまった。


「筆頭、本当にどうかしましたか?おかしいですよ、いつもと少し違います。」

「ヴィッテルの気の所為でしょう……少し黙ってて下さい。」

「嘘です、筆頭。いつもならなんでもない、ってちゃんと言うじゃないですか。」


肩を抑え、歩みを強制的に止められる。纏わり付いてきたその手にどこか違和感を感じたけれど、それを訝しむ間も作らず払い除ける。


「良いから黙って……私も、もう子供じゃあないんですから。」


そう疲れたような声で吐くと渋々自身の速度を落とし、半歩後ろへと戻って行った。

それを横目で眺めていただけなのに、何故か合わせ鏡を通して全てを見ている様な気になった。









* * *


男女が一人ずつ、皺の寄った寝台の傍らに座り込み、話をしている。けれどもその場を覆いつくす空気は艶かしいものでも、甘美なものでも満身創痍なものでもなく、全てを後悔しているような、そんな曖いものだった。

紫水晶の石壁に声が次々と吸い込まれて行き、ただでさえ陰鬱とした空気を更に悪化させていた。
場に響く会話の速度は決して早くなく、緊張しながらも何かを噛み締めるかのように、一定の速度を保っていた。


「何故、こんな事になってしまったのか。
私達にも全く分からないんです。身体の異変は何一つ感じられませんでしたし、発見も出来てません。ただ、ただ一つ言えるのは、このままでは……


半分泣きながら捲し立てる様に顔を伏せていた女性が伝える。
それを待っていた、という雰囲気が見受けられないのを不思議に感じたのか、女性が顔を上げたその時。
女性の背中をまるで父親が子供を落ち着かせる時にするように撫ぜていた男性が、重い腰を上げ、一際深い呼吸を一つ吐いてから口を開いた。


「いや、大丈夫だ。大丈夫なんだ。
別段どうということも無い。今までにも何度かあったのだよ、こういう事が。」

……と、仰いますと?」

「精霊の影響、らしくてな。俺がゼパルを譲り受けたのはお前も知っているだろう?
ただ、その時に完璧に別離したまま混ざることが出来なかったようでな……ゼパルの魔力の一部が入り込んでしまったようなんだ。」

「私達に伏せていたのですね……

「すまんな。」


さして悪びれた様子も無いままにそう男性が言い放つと、女性はそれを分かっていたらしく、小さく頷いてから言った。


「いえ……お二人がそう判断なさったのなら私から言う事は何もありません。
ところで、その話に確証は無いのですか?」

「いや、当の本人であるゼパルがそう言っていたから、そこは間違い無いだろうな。
まぁ、だから時々こうして『一番大切なものに出会えなかった人生』とやらに囚われてしまうらしい。
ゼパルの能力は知っている通り、精神に関する類のものだからな。何故かは全くもって分からんが、負の面にのみ強く影響を及ぼすそうなんだ。よりによって何故、この状況なのかも分からないのだがな。」

「でもどうしてそんな、そんな辛いものに囚われるなど……望んでいるようにはとても見えません。
いくら混ざってしまったとはいえ、望んでいないものを見せられる程制御できない訳ではありませんよね?」

「いや……それがそうとは限らないんだ。
こいつに自分を一歩引く節があるのは、何となく勘づいているだろう?
どうやらなぁ、まだこいつは、自分がここに居て良いのかを考えあぐねているらしい。
ひょっとしたらそれが原因かもしれん。」

「なっ、?!何を!!」


女性が突然立ち上がった衝撃で寝台が大きく歪み、いつの間にか座っていた男性の豪奢な装飾品がシャラ、と音を立てて揺れた。
最初こそ何も言わず、その反応をゆっくりと咀嚼するように宙を見ていた男性が、眉尻を下し、諦めたように笑って言った。


「実際問題そうなのだから仕方がないだろう……誰が言おうと、俺が言おうと、そればっかりは無駄だった。」

「あの人に限ってそんなこと……!」

「だからこそ、だ。」

……っ、」

「まぁ兎に角、俺達に今出来る事は寝覚めを良くする事くらいだな。頼めるか?」


ヤムライハ、と紫紺の長髪が人目を引くであろう美丈夫に呼ばれた、空色の髪をした聡明な女性はゆっくりと立ち上がり、一つの深呼吸と応答を残してから小走りでその場を去った。

残された男の声が壁に再び吸い込まれ、何を言っていたのか、終ぞ誰にも聞き取られる事は無かった。









* * *


「ん……


寒さで乾き切り貼り付いて離れない瞼を、人差し指を使って無理矢理こじ開ける。
指先でぺり、とやにを引っ掻き取ると、視界が完全に開き切る前に、肩口に頭が乗り、安心出来る数少ない声の一つが投げられた。


「筆頭、お早うございます。」

「ヴィッテル……もう起きてたんですか。随分と早いですね」


そう返答すると、頭をがしがしと撫でられた。どうやらまだ寝惚けているらしく、不思議とそれを咎める気にはなれなかった。


「ちょっと寝れなくて……筆頭は、何時までも元気でいてくださいね。」

「はい?何を突然。まぁ、当然その横には、ヴィッテル……貴方も居るでしょう?」


目を細めながら振り向き、そう述べると、何故かこの付き合いの長い部下は泣くように笑った。
この時ばかりはどうしてか、普段は手に取るように分かるこの部下の心中が理解出来なかった。







***





___「迷宮」、それはある日突然パルテビア近海に出現し、一万人越えもの人々を呑み込んだまま返す事なく消えて行った謎の建築物の事。
組織の人間も、迷宮の調査に、と若干名投入されたものの、一人として帰ってくることは有りませんでした。
その中には、確か筆頭が妹替わりにこっそり思ってた子も居ましたね。

『誰一人として生存が発見出来なかった』、との報告があったあの日から、思えば筆頭は何処かおかしくなって行きましたね。
今まで以上に、人に対して厳しくなった。そしてそれは勿論、周りだけでなく自分自身にも。「これが本当に十歳の子供がする事なのか?!」なんて事は何回も思いました。
それだけじゃない。何度も何度も、「ブッ殺してやろうかこのガキ!!」そうも思いましたよ……

でもその度に頭を過ぎったのは、まだ両親が何方も生きていた頃の、まだ幼い筆頭の無邪気な笑顔でした。
二人とは同じ組織で暮らしていた事もあり、それなりに仲も良かったんです。というか、俺達くらいの年代は大抵、ここまで来る前に死んでしまう事が多く、言ってしまうと他に居なかったんですよね。

いやまぁ、実際には、居る事には居たんですけど。その殆どが薬の実験台等にされていて、意思疎通なんて出来やしなかった……話しかければ返ってくるのは譫言ばかりですからね。

組織の中でもそんな環境の中だった為、自然と四人で集まる事やなんやが多かったんです。
とても楽しかった。どんなに辛い任務があっても、皆と話しているとその疲れも吹き飛ぶような気がしました。


そんな日々が続いたある日。
二人に子供が出来ていた事が分かりました。俺とマハドはびっくりしましたよ。それは。でもってその後に手放しで喜んだけれど、こうして振り返ってみると、あの二人は思えばどこか哀しそう……でした。自分達の子供の運命が分かっていたんだと思います。

シャカにその事が知れ渡ったと聞いても、シャカは何も言って来なかったらしいです。直接聞いた訳じゃ無いですけど。
それを無言の黙認と受け取って、二人はとうとう子供を産む決心をしました。

それから七ヶ月後。二人の容姿をそっくりそのまま半分ずつ貰ったような赤子が産まれました。名前はジャーファル。容姿と同じく、二人の名前を半分ずつ取ったものだったんですよ。

所謂普通ではない環境だったけれど、筆頭はすくすくと育って行きました。
その様子を見る事が出来たのは、筆頭が今置かれている状況を、自分達が今いるこの場所を忘れてしまいそうになる程に幸せなものでしたよ。本当に、幸せでした。


けど、そんな幸せもあまり長くは続きませんでした。
もっと続いて欲しかったんですけどね。

三年くらいが経ったある日の事です。
シャカが突然現れ、筆頭を暗殺者として育てると言い放ちました。
当然、俺達は猛反対しましたよ。自分で言うのもなんですけども。四人が四人とも、組織の中でもとてもレベルの高い暗殺者でしたし、四人も同時に失うのはシャカにとっても、組織にとっても間違いなく多大な損害だったんだと思います。
恐らくですが、それを理解した上で二人は縋っていた。筆頭の幸せな未来を、願っていたんだと、そう思います。


でも、シャカはそれを許さなかった。当人曰く、「産ませてやって、しかも幸せごっこを三年も続けさせてやったのですから。もういい加減良いでしょう。」だそうですよ。もう、ここまで来ると逆に笑える話ですよね。

巫山戯るなと思ったし、その場で殺してやろうとも思いましたよ。
でも、後の事を考えると、その場の誰も実行に移すことは出来ませんでした。


その次の日から、筆頭の暗殺者訓練が始まりました。通常ならそこそこ歳のくった爺さんなんかがやる役割なのを、シャカが当日現れ、請け負うと言った時には、組織内は天と地がひっくり返るような騒ぎでしたね。


筆頭の暗殺者としての才能は凄まじかった。それを僅か三歳の子供から見透かしていたと思うと、シャカは本当に恐ろしい存在だったように思います。

それでも、家族三人一緒に暮らせていましたし、特殊な場面さえ除けば何処にでもいる、極々普通の、幸せそうな家族でしたよ。
俺達二人はそれが誇らしくもあったんです。


でもやっぱり、あんな所でそんな幸せ、無理だったんですね。

シャカから筆頭に直接下された初めての任務は、両親を殺せというものでしたね。
しかも組織内の全員を集め、その集会の場での初任でしたからこっそりと逃がす事も何も出来ませんでした。
俺達は自分達を囮にして逃がそうとしたんですけど、あの二人が決してさせてくれませんでした。
後の事を頼んだ、そう言ってシャカの前へと飛び出して行きました。

強かったんですけどね。呆気なかったですね。最後は。
俺はあの時、人間ってそんなもんなのか、なんて悟りを開きかけました。
生きていたって幸せになどなれやしない、そんな人間が居るものなのか、と。ならばこの世界はなんでそんなものを生かしておくんだとね。

他の連中が死のうが何ともなかったんですけど、流石にあの時ばかりは堪えましたよ。

でもね、筆頭が居たから俺は今、こうして居るんです。
刃を曇らせた者は生きている価値の無いあの場所で、筆頭が生きていてくれたから。俺達の生きる意味が居てくれたから、あの時に死なずに済んだんです。


まぁでも、筆頭は生きてる心地、しなかったでしょうけれど。
虫も殺せないような優しい子が、いきなり親にとどめを刺せなんぞ言われて、まともな精神状態で居られるかって話ですよ。

思った通り、筆頭は元の自分を隠すように変わっていきましたね。
優しかった心を乱暴な性格に。泣き虫だったのを怒りっ早く。

助けられなかった俺達に出来る事と言えば、そんな筆頭の支えになる事しかありませんでした。たぶん筆頭自身は自覚無いんでしょうけどもね。

例えどう罵られようと俺達だけはこの子から離れないようにしよう、そうマハドと約束したんですよ。

……まぁ最初に言ったように、大分ムカつく事もありましたけど。

でもまた前と同じこと言いますけど、やっぱり筆頭の笑顔って魔法か何かかかってますよ、絶対!!

だってそのおかげで俺達生きてますもん。

筆頭。改めて、生きててくれてありがとうございます。


あ、ねぇ筆頭。覚えてますか?「シンさん」の事。

貴方を救い、貴方を変え、貴方を明るい世界へと引っ張り出した。
貴方の大切な、大切な人の事です。

え、覚えてない??

あーもう、筆頭、仕方ないですねぇ。
俺達が送って差し上げます!!



いやあのですねぇ、筆頭。本来なら、こんな所まで来ちゃ行けないんですよ?

俺達が来るのがもう少し遅れていたら、大変なことになってましたよ、貴方。
感謝、して下さいね。

……筆頭。

ちゃんと幸せでしたか?
ちゃんと、ちゃんと笑えていましたか?



___そうですか。それが聞けただけ俺は幸せなんでしょうねぇ、きっと。
他の皆にも、きちんと伝えておきますね。
ですので筆頭も伝言、頼みます。
とは言え、この事も筆頭は覚えていないだろうと思いますけども。


筆頭。また、百年後にでも会いましょうね。


さようなら、お元気で!












「ジャ……ル、……ファル、ジャーファル!!」


耳元で名前を叫ばれ、咄嗟に寝台から飛び起きた。この主があまりにも切羽詰まった声で叫ぶせいか、はたまた体に染み付いた教訓のお陰か。
上半身を起こすと同時に、膝を折り畳み、袖に常時忍ばせている眷属器を取り出そうとした所で、最早体の一部と染み込んでいるそれが巻きついていないことに気がついた。

慌てて周りの状況を確認しようと首を左に大きく回したその時、もうすっかり触れられ慣れた両手に顔を包み込まれた。


「落ち着け、ジャーファル!ここは俺の寝室で周りには誰も居ない!俺とお前だけだ!!」

……シ、ン?」

「あぁそうだ。お前が永遠について行くと誓ったシンドバッドだ!!」


その声通り、お互いの睫毛が触れ合う程の至近距離に我が永遠の主、シンドバッドその人は居た。
黄金の瞳に映り込む紫紺と白銀が乱反射して眩しかったので、自身のものと比べて幾分も分厚い胸板を、後ろ側へと押し退けた。
顔同士が触れ合うかそうでないか、ギリギリのラインが、「いつも」の距離。
そこまで腕を伸ばし、数多の乙女を落としてきた全身を目にしたその時、漸く警戒態勢が解けた。


「あのですね、近いです。シン。」

「あのなぁ、お前。第一声がそれってどういう事だよ。流石に寂しいぞ。」

「寂しいも何もないでしょうよ。
きっとどうせまた、いつものアレでしょう?」

「なんだ、やっぱり分かってたのか。」

「当たり前ですよ。あんないきなりおかしい世界にぶち込まれるの、あれ以外に有ってたまりますかって話ですよ。」

「なんだなんだ、今回相当キてるなぁ。
一体何を見たんだ?」


母親に似たんだ、そう懐かしそうな顔をして話してくれた眉が怪訝そうに顰められるのを見て、これ以上逃げるのは無理だ、と観念して話す決心をした。
意に沿わず独りでに震えた声は無視をして。

今回の事の顛末を、全て。

全て、話すと決めた。


……とは言え、この主ありて私という従者あり、胸の内を見透かされるのを避ける為に、主に外交の時に使う早口Maxで捲し立てる作戦で押し通る事にした。
起きたその時から何故か頭が痛くて仕様がない。
それを気付かれてシンに余計な迷惑をかける前に自室に戻りたい、その一心でそう決めた。



……と、言う訳ですよ。幽霊にでも会った気分でしたよまったく。挙動の一つ一つが全て同じなものですから流石に驚きましたがでもまあこの位で取り乱していては「ジャーファル。」

「なんですか?シン。」


小首を傾げ、半ば見上げる形でそう尋ねると、数瞬も無い内に今まで何度も抱き合ってきた体躯に力強く包まれた。


「シン?」

……

……どうしたんです?」

「お前なぁあぁあぁ、」

「はい?」


奇行に走った主を怪訝な顔で見詰めていると、まだ感覚が残っている肩口に押し当てていた顔を突然上げ、諭すように言った。


「どうしようもなく辛い時は話せ!全部話して楽になっちまえ!周りにそれを出来る人が居ない訳じゃあないだろ?
もう、もう隠す必要無いんだよ、ジャーファル。」


本人は老いを気にしているけれど。
恐ろしくなる程に、ずっと変わらない真っ直ぐな瞳に懇願されながら見つめられると、昔からずっと変わらない、無性に泣きたくなる。

今回もそれに違う事無く、世界の枠組みを崩しながら溢れてくる涙を一切、拭わずに目の前の主に衝動の任せるがまま抱きついた。


「シン、シンッ、シン……、私、私何も言えなかった、何も伝えられなかった……
ずっと傍に居てくれたのに……守ってくれてたのに、分かってくれてたのに!!私はずっと、それを謝りたかったのに、それなのに……!!」


赤子の様に泣きじゃくる事しか出来なくて、それがもどかしくてまた泣いて。
自然とそれが枯れるまで、シンは何も言わず優しく背中を撫でてくれていた。







「ずびばぜんでじだ。」

「何言ってるかさっっぱり分からんな!」

「スンッ……すみませんでした、仮にも一国の主に胸を借りるなど。」

「おい、ジャーファル。今はそういう話じゃなかっただろ。」

「ですが、やっぱり」
「ジャーファル。」


つい先程まで慈愛に満ちていた目線に突然怒りが入り込み、捕らわれた。


「そう身を引く癖、今すぐに止めてくれ、ジャーファル。お前ならそれが関わっている事も分かっているだろう。
それに、ジャーファル。」

「っ、はい。」

「こういう時は、なんて言うんだっけ?」

「え、」

「ん、ほら。なんて言うんだったか言ってみろ。」


赤子にでも話しかけるかのように問いかけてくる主に眉を顰める事で、ささやかながらの反撃を試みたけれど、結局唯の徒労に終わる気がした。
そして行き着く先は……
明日は外せない大事な会議がある。その準備だって終わっていない。
拘束だけはごめんだ、と思わず首を振りたくなるのを心の中に押し留めて、不機嫌なままの主の言葉を咀嚼してみる。

そもそもこういう時、とは何の事か。二人で向き合って話している時か、それとも私が泣きじゃくった時か。正直なところ、後者はあまり考えたくない。そもそもこの人の前とはいえ、泣く事は殆ど無いのだから。と言うか寧ろ、そんな頻繁に泣いてたまるかって話ですよ。可愛らしい子供とは違って、ただの歳食ってきたおじさんの様なものなのだから。

と、すると。矢張りシンが言っているのは、どんなに忙しくとも無理矢理に週一は作っている、この向き合っている状況の事。
甘い雰囲気を求めているのか、はたまた溜まっているのか。
すみません無理です今日は。本当に忙しいんです。予定に無く私が倒れてしまったせいで。申し訳ありませんがこの時間すらも惜しいので、さっさと撤退させて頂きます!

そう考えを纏めること、五秒。
視界を上へとスライドさせ、緊張しているのか、舌が上顎に張り付いていた口を開いた。


「すみません、シン。わざわざ有難う御座いました。
……では私はこれで。王よ、御前失礼致します。」


皺の寄り切った寝台を降り、扉の前でまた一礼し、後ろ手に扉を閉める。
あまりにも上手く行き過ぎた事が怖くなって、思わず早足で廊下を歩き出す。

ここに居てはいけない気がして。












まるで絹糸の様だな、以前そう褒めた白銀の髪を前に一日の出来事をただひたすらに話し尽くすのはこれで一体何度目の事か、とふと思案してみる。
別段これが何度目だからと言って、さして意味は無い。これからも何度も有るだろうし、先のことを考えずともこんな状況はただでさえ気分が落ち込む。
でも。


「早く、起きてくれないか。ジャーファル。」


後ろが寒くて仕方が無いんだ。











一人残された部屋、寝台の上で座り尽くす俺。一体何が起こっているのか理解が出来ないまま口が閉じない七海の覇王こと、俺、シンドバッド。

いやちょちょちょ、ちょっと待ってくれ。頼む。いやあれはあのままナカヨクする流れだよな??違うの?ん、?
いや違う訳ないよな、うんそれはそうだ。丸一日、話す事も叶わなかったのだから別に構わないはずだ。うんきっとジャーファルは照れているだけだな!!

そうと決まれば、する事は一つだ。


「待てジャーファル!!!」


重厚な扉を勢い良く開け、今や恋人となった養い子を全速力で追いかける。
音が届いた瞬間に、脇目も降らず走り出したのは、意図がすっかり汲まれている証拠だ。


「逃げるなジャーファル!!!」

『もっと言ってやって下さい、シンさん。』


久し振りに風を切っている耳に、これまた酷く懐かしい声が届いた気がしたが、それもジャーファルの聞き取れない叫び声に混ざり込んでしまい、何と言っていたのか分からなかった。

まぁいいか、と再びジャーファルの居た方を向くと何故か、何時もよりジャーファルが光を纏い、それはそれは美しく見えた。