溶けかけ。
2024-09-15 22:16:31
1712文字
Public ほぼ日刊
 

どうやっても彼には勝てない

やり返したかったけど、してやられたフリーナのお話。
恋する乙女みたいなフリーナちゃんを書くのが好きです。

 姿見の前に立ち、髪を整える。くるり、と軽やかに回ってみれば、ふわりと青いシフォンスカートが翻った。真っ白なブラウスにはシミ一つなく、今日のために新調したカメオは、彼の瞳の色をしている――気づいて欲しいな、気付かれたくないな、相反する想いがフリーナの胸を占める。

「って、もうこんな時間だ! 急がないと!」

 よく鞣されたキャメル色の革のバッグは今日のためにぴかぴかに磨き上げられて、フリーナの肩で存在を主張する。

「いってきます!」

 誰もいないけど、つい口にしてしまうお出かけ前の挨拶。スカートとお揃いの青い靴を履いたら、つま先でとんとんとリズミカルに石畳を叩く。約束の時間は目前に迫っていた。

「おまたせ! ――待たせてしまったかい?」

 約束の時間の五分前。
 オープンテラスのパラソル付きの予約席で待ち人である彼はゆったりと新聞を読んでいた。

「ごきげんよう、フリーナ殿。いやなに、打ち合わせが近くであってな。打ち合わせ自体も早く終わってしまい、私が早く着きすぎてしまっただけだ。気にしないでくれ」

 待ち人――ヌヴィレットは慣れた手付きで新聞を畳むとテーブルの端に追いやった。フリーナが彼の正面に座れば、ウェイトレスが二人の前に温かな湯気をたてる珈琲とプチ・ガトーが幾つか盛り付けられた皿を置いてお辞儀をして去っていく。
 二人はケーキを取り分けながら、他愛のない世間話に花を咲かせた。

「フリーナ殿、ついている」

 不意にヌヴィレットの細い指先がフリーナの頬を掠めた。彼の指先には真っ白なクリームが乗っていた。

「あ、ありがとう……

 頬にクリームをつけてケーキを食べるなんて子どもでもしないような失態だ――落ち込むフリーナを無視して、ヌヴィレットは指先についたクリームをぺろりと舐めた。

「ぎ、行儀が悪いぞ……

 辛うじて、言えたのがそれだった。バクバクと大きな音を立てる心臓を落ち着かせるために胸に手を当てる。

「ああ、すまない……だが、そのような顔で言われても説得力がないな」

 ヌヴィレットが手を口に添えて、喉を鳴らす。フリーナは頬を赤く染め、水を求める魚のように、ハクハクと口を動かしていた。
 彼は満足そうに目を細めると、珈琲を啜った。
 フリーナが余裕の表情を浮かべて、優雅に珈琲を愉しむヌヴィレットに恨みがましい視線を向けるも、彼は何処吹く風で、首をかしげた。

 ああ、やり返してやりたい――フリーナの瞳の奥で炎が揺らぐ。彼女は負けん気が強かった。フォークを握りしめるフリーナはあることを思いつく。

「ねえ、ヌヴィレット。これ、美味しいよ」

 先程まで自身が食べていたガトー・フレーズにフォークを入れて一口分を掬い上げる。
 にっこりと笑うと、彼の口元へと運ぶ。いわゆる、あーん、というやつだ。

(これ、意外と恥ずかしいな……

 口の端がひくつく。端から見たら、バカップルにしか見えない体勢にフリーナは自身の選択が完全に間違っていたことを理解した。

(だが、これならヌヴィレットに少しくらいやり返せただろう――

 己の羞恥心は一端忘れることにして、フリーナは如何にも気にしてませんよ、という風を装った。これで、少しでもヌヴィレットが恥ずかしがってくれれば、フリーナとしては大満足であった。来るなら来い――フリーナはゴクリと生唾を飲み込んだ。

「え」

 ヌヴィレットが耳に髪をかけながら、フォークに刺さったケーキの欠片を口に含んだ。驚き固まるフリーナに視線を向けながら咀嚼し、ナプキンで唇を拭う。

「ふむ。なかなかに美味であった。職人の拘りが感じられる――どうかしたかね? フリーナ殿」

 湯気を立てる勢いでフリーナの顔が耳まで真っ赤に染まる。ヌヴィレットは、彼女の様子に眦を下げると耳元に口を寄せた。

「胸元のカメオは私の瞳の色を模したものかね? ……よく似合っている――君を帰したくなくなってしまうな」

 彼の手がフリーナのカメオを持ち上げる。自身の瞳の色によく似た朝焼けのような薄紫色の石にヌヴィレットが口づけた。