【カブミス】守りたいもの

ライオスを守って負傷したカブルーに取り乱すミスルンの話。

 大切なものは、必ずこの手で守れると思っていた。私は強く、頭も働き、女王直属の部隊である、カナリア隊でも部下を亡くすことなく生き抜いてきていたから。でも、それは私の思い上がりだったのかもしれない。大切な人を守る力は、私にはなかったのかもしれない。
 カブルー、お前を守りたい。どんな力からも守りたい。私に与えられたこの能力で、どこまでもお前を守りたい。
 
 
「え……
 がしゃん、と、冷めた紅茶が入ったカップがテーブルの上に落ちて割れた。私の側に立っていた使用人はそれを手早く片付け、屋敷にやってきた王の使者は、多分青い顔をしていたのだろう私を気遣い、「しかし、命に別状はありません。マルシル殿から手当を受けておりますから」と言った。
 王の使者が、黄金城から離れている私の屋敷にまで馬車を飛ばして知らせたのは、カブルーの容体についてだった。彼は王に謁見した、他国の使者を装った暗殺者を抜群の体術で退け、しかしその暗殺者に斬りつけられたのだという。
「カブルー殿は勇敢でした」
 やめろ、死んでしまった者を讃えるような言葉を使うな。
「王をお守りになった。一番の忠臣として讃えられることでしょう」
 でも、あの男は怪我に苦しんでいるのだろう? マルシルが魔術で治癒してくれていると言ったって、苦しんでいるのだろう?
 私は唇を噛む。歯で破ってしまったのか、血の味がする。
 使用人は取り乱す私を気遣い、テーブルの上をすっかり片付け、王の使者にレモンの浮いた水を出した。しかし使者はそれに口をつけず、「いらっしゃいますか?」と私に尋ねた。
 私はその時、到底王に謁見できる服装をしていなかったが、そんなことはどうでも良かった。早くカブルーに会いたかった。傷を負って苦しんでいる彼に会いたかった。彼の側にいたかった。
 カブルーは王を守った。それは臣民として褒められるべき行動だ。彼はさっき使者が言った通り末永く讃えられるだろう、でも彼の恋人である私には、それはとても恐ろしい行動だった。
 今回は上手くいった。でも彼が怪我をするだけでなく、もし命を落としていたら? 彼は勇敢だったが、それは迷宮で命を落としてきたこれまでとは違うのだ。翼獅子がいなくなった今では、私たちはそのまま蘇ることができない。命の重さは、自然と違ってくる。
(カブルー……
 私は使者が走らせてきた馬車に、普段着のまま乗り込む。早くカブルーに会いたい。早くあの男に会いたい。私が守れなかった男に、誰よりも早く会いたい。
 
 
 私を載せた馬車は、馬を潰さんばかりの速さで黄金城にたどり着いた。あたりはざわついており、周囲が動揺しているのが分かった。
 私は馬車から降り、使用人たちが通る扉をくぐって、宰相補佐であるカブルーの執務室を訪ねる。気が急いてドアノッカーを叩くのすら面倒で、私はそのまま扉を開ける。扉がギィ、と鳴る。すると上半身裸のカブルーと、彼に治癒魔術をかけるマルシルがおり、彼らは親しげに談笑していた。私はそれに、どこかでほっとした。カブルーは生きている。そしてマルシルと話すくらい余裕がある。彼は私の想像の中の男よりずっと元気で、脇に置かれた血まみれの服を除けば、それは午後のさりげない光景だった。
「カブルー……
「あ、ミスルンさん。迷惑をかけましたね。俺が自分で言うって言ったんですが、ライオスさんがあなたに使者を送るって聞かなくて」
 カブルーは朗らかに言った。私を愛するときのようにほほ笑みかけてくれたけれど、彼の上半身には、マルシルをもっても消えない深い傷があった。痛みはないのだろうか? 我慢しているだけか? 
 私にも手伝わせてくれ、そう言おうとしたが、それはマルシルを侮辱する行為でもあったので私はそう口にせず、ただカブルーを見つめた。きっと無愛想に、何も考えていないような、いつもの顔で。
「これでもう大丈夫。……わ、私ちょっと席を外すね。ライオスに報告しなくちゃいけないし」
 マルシルがアンブロシアをぶんぶんと振り回し、笑って扉に向かって歩く。彼女は私たちの関係を知っていたから、きっと気を回して出て行こうとしてくれたのだろう。
「ありがとう、マルシル」
「ううん、いいのカブルー。あなたがいなくちゃ、ライオスはどうなってたか分からないから」
 マルシルが眉を下げ笑う。彼女も彼女なりに王を思っていて、それを守ったカブルーは恩人なのだろう。
 扉が閉まり、私たちは二人きりになる。カブルーは「今お茶を淹れますから」と言ったが、私はまたカップを割ってしまいそうで断り、黙ってじっと彼を見つめた。でも、そこから先にどう話を繋いでいいのか私には分からなかった。きっと臣民として立派だったと褒め称えるのが正しいことなのだろうが、私はどうしてもそれができなかった。
「ミスルンさん、どうしました? 俺は大丈夫ですよ。傷は浅いから、きっとじきに消えます」
「そうじゃない」
「ミスルンさん?」
 カブルーが、立ったままの私を見上げる。カブルーの傷は塞がったが、部屋には今も血の匂いが漂っている。私はそれが恐ろしく、腹立たしく、そして何より愛しい彼を守れなかった自分が馬鹿らしかった。そして私だって、女王のためならその身を捨てるだろうに、カブルーがそうしたことが許せなかった。
「お前が王を守らねばならないことは知っている」
 声が上ずる。カブルーはじっと私を見つめている。
「私も女王のためにならこの身を捨てるだろうから。分かるな?」
 鼻の奥がつんとする。カブルーがうなずく。
「でもカブルー、どうか私のために生きてほしい。お願いだから、どうか……
 我慢していた涙が、ぼろぼろとこぼれ出す。私は何度も目元を拭う。カブルーを責めたいわけではない、彼の忠誠心を友だちごっこと馬鹿にしているわけでもない。私はただカブルーに生きてほしいのだ。迷宮の跡地はまだあるが、私たちはもう二度と生き返れない。だから命を大切にしてほしいのだ。宰相補佐という立場ではそれは難しいと分かっているが、私は彼に自分の命を大切にしてほしい。私のために、そう生きてほしい。
 カブルーが立ち上がる。血の匂いが少し濃くなる。それから消毒液や、薬剤の匂いも。カブルーが涙を拭う私の手を取り、ぎゅっと握る。彼はそれを何度もさすって、最後に私の目元をたどって、ゆっくりとキスをしてくれた。私はそれを受けながら、何度も何度もキスをした。
 凝り固まった心が、ほぐれていく気がした。カブルーは本当に大丈夫なのだと、教えられた気がした。
 でも、カブルーが次に口にしたのは、こんな言葉だった。
「俺はこの国のために生きていかなくちゃいけません。そうするって決めたから」
……ああ」
 分かってる、私の願いが受け入れられないことくらい。分かっていて、お前がほしいと言っているのだ、分かってくれ、お願いだから分かってくれ。
「でも宰相補佐じゃないときだけは、あなたのために、あなたのために生きると誓います。ここまで来てくれてありがとう、ミスルンさん。心配をかけてごめんなさい、ミスルンさん」
 カブルーが私をぎゅっと抱きしめる。私は血の匂いと、消毒液の匂いと、薬の匂いを吸い込みながら、その中から彼の体臭を探す。甘くて、香ばしくて、すこしだけ汗の匂いがするそれ。私はそれを吸い込んでから、カブルーにキスをねだる。
 カブルーはああ誓ってくれたけれど、私だって女王のために死ななくてはならない。そう決まっているから、それに疑問を持つことはないから。カブルーも私と同じなのだろう。誰かに仕えるということは、そういうことだから。それでも、仕事から離れたときだけはお互いを思い合おう。それくらいなら、きっと悪食王も、我が女王も許してくれるはずだ。
 私たちはキスをする。宰相補佐殿の執務室で長くキスをする。お互いをさすりあって、私たちは長い長い、そんな優しいばかりのキスをする。