みがきにしん
2024-09-15 16:52:34
9522文字
Public アラン君のお話
 

愛という名の何かのことを

まだ自分がどういう性質を持っているのか分からなかった、若いころのアラン君の話です。
元ネタは「愛することもできず性欲もなくて恋人に夜中に追い出されるアラン君の話」という一文でした。
うっすらR-18です。

 りんごの木に集る羽虫の群れをカーバンクルと共に退治し終わり、アランはほっと一息ついた。あとは虫が発生する原因になった幹の傷にワックスを塗れば大丈夫だろう。この羽虫そのものは邪魔なだけだが、羽虫の幼虫は幹に穴を開けて木を弱らせてしまう。りんご農家の天敵であるということを知ったのはここ数か月のことだった。
「アラン! 終わったか?」
 畑の東側でりんごを収穫していたギルバートが手を振る。この小さな羽虫についての知識を教えてくれた、まさにその人だった。
「ああ、終わったよ。あとはワックスを塗るだけだ」
「助かる! さすが冒険者だな!」
 彼は手にりんごが山盛りになった篭を持ったまま、ぱあっと明るい顔をしている。それを見てアランは微笑みながら、木に塗るためのワックスを手にした。
 そうして少しだけ下を向く。あれほどに良い人だというのに、俺は――
「終わったら今日の作業は終わりだから、早く戻って来いよ~!」
 少し遠ざかった、けれど変わらず明るく跳ねた声が背中にかかり、思わず振り返る。だが家に向かおうとするギルバートに、急ぎ足で近隣の住民が近寄っていくのを見て、青年と少年の間の巴術士は、急いで木に向き直った。
 またかとうんざりする気持ちと、当然だろうなと納得する薄暗い内心の声。自身で選択したはずなのに、なぜここにいるのだろうという疑問がむくむくと膨らんでいく。アランは作業に集中しているふりをして、そこから必死に目をそらした。

 育ててくれた恩人でもある義姉が亡くなってそこにいる意味をなくし、かの都市を出て数年。何の因果か、アランは黒衣森の南部森林のリンゴ農家に厄介になっていた。
 幼いころの記憶とはいえ、かつて追い立てられた土地にいると、滞在しつづけてもやはり神経のどこかを炙られるような心地がする。それに、ゲルモラ遺跡が近いせいか、かの民族の入れ墨を顔に施したアランに、この周辺の人々は冷たい。
 天より落ちてきたダラカブが割れ、その内によりバハムートが現れた日から、2年。月日は過ぎても未だその傷にエオルゼアは呻いている。比較的被害が少ないと言われるグリダニアも例外ではなく、西部森林をほぼ丸ごと失った影響で、その恵みの量は減っているという。そんな状況で余所者、ましてフォレスターの仇敵を人並みに扱えということ自体が酷なのかもしれない。例え精霊がその人物の滞在を許していたとしても。
 けれど今厄介になっているリンゴ園の主、ギルバートだけはアランを差別しない。むしろ彼から仕事を依頼される中で、周辺の住民とトラブルになりそうになるたび、積極的に仲立ちし、アランを庇い、いきり立つ住民をなだめ、必死に関係修復に奔走している。そうするたびに「あの余所者に誑かされたのだ」と陰口を叩かれていることも気にせずに。
 その陰口はある意味では正しい。実際、ギルバートとアランは世でいう恋人という関係だ。だからこそギルバートは必死にアランと住民の仲を取り持とうとするし、噂は住民の間を回る。その余所者自身の心持ちなど無視して。
 誑かしたわけじゃない。
 アランは心の内で、吐露できない言い訳をする。最初はただの依頼人と放浪人だったんだ。依頼をこなすうち、むしろ言い寄ってきたのは向こうの方で――そこまで考えて、巴術士は首を振った。醜い言い訳をするのはよそう。恋人の彼はとても良くしてくれていたし、結局その思いを受け入れているのだから、非は確かに己にあるのだ。
 作業を終えてリンゴ園の中で立ちすくみながら、巴術士は小さなため息を吐いた。ちかちかと、脳裏に数か月前のやり取りが浮かぶ。あの時からずっと間違い続けている。それでも、僅かな希望が捨てきれずにいる。
 すりん、そばに侍る輝石の獣がアランの手に体をこすりつける。その僅かなぬくもりに縋るように、アランは獣をそっと撫ぜた。


「アランはずっと旅を続けるのか? 冒険者って、ひとところに留まらないよな」
 急に問われて、巴術士は言葉に詰まった。その問いにどう答えればいいのか、そもそも相手に答えるべきなのかも正直分からなかった。
 問いを発したのは、ここ最近の仕事の依頼人であるギルバートだ。「面倒な仕事を引き受けてくれるから」と寝床まで提供してくれている親切な人。流れ流れて南部森林にたどり着いたものの、一夜の宿を求めることすらできず困っているところを助けてもらったことが縁で、アランはここしばらく彼の仕事を引き受けていた。
「必ずしも、そういうわけじゃない、が……
 ギルバートは先ほどまでりんごが詰まっていた空箱に腰かけ、言葉を待っている。きっと相手からすれば仕事終わりの雑談なのだろう。だが、その問いはアランにとっては鉛のように重かった。
 黙り込んでしまった巴術士に、慌てて農園の若旦那は手を振る。
「や、答えにくいことならいいよ。ごめんな。ただちょっと思ったんだよ。アランがここにいてくれたら助かるなって。できたらずっといてくれないかなって。それだけ!」
 必死に言い募るギルバートに、放浪人は目を瞬いた。思ってもみないような言葉にあっけにとられたのだ。
 ずっと、ここに。
 アランは遠くを見やった。梢の向こうに落ち行く太陽が見える。頬を風が撫でていく。害獣や害虫の討伐、収穫の手伝い、畑の手入れに、りんごの加工品づくり。さして難しくもないそれらを毎日こなして、気のいい青年にお礼代わりの宿と食事をもらい、わずかなギルを懐に入れる。
 積み重なる、平穏な毎日。それが、これからも?
 改めてギルバートに目をやると、彼は顔を真っ赤にしていた。
「や、あの、でもアランは冒険者だし、そうなったら近所の人には色々説明しなきゃいけないし、答えはすぐじゃなくてもいいんだ。だけどその、ちょっと、オレとの関係込みで考えてくれたらなー……って思うわけで……や、無理なら言ってくれ! あとオレの気持ちはともかく、まず居たいだけ居てくれていいからな! それとこれは別でだからその……
 言い募りながらもちらちらと合う目線に、ああそういう意味も含めてか、とアランは理解する。羞恥と、期待と、欲と、不安とがギルバートの顔に浮かんでは消える。
 巴術士は深く息を吸い込んだ。
 今、農園の若旦那が思うほどに、事は平坦ではないだろう。アランは余所者で、シェーダー族の血を引いている。それでも、それを差し引いても、その言葉は魅力的だった。行く当てのない旅はここで終わるのだろうか、優しい彼のことなら愛せるだろうかと、じわり胸が膨らんだ。
 アランは、己の顔には今何が浮かんでいるだろう、とふと思う。期待だろうか、不安だろうか。せめてそれが、相手の望むものらしく見えているのならばいい。
……わかった。俺でいいなら、よろしく頼む」
 それは過ちだと心の奥底では分かっていた。それでも、その予感に蓋をしてしまうほどに、あるかもしれない希望に縋りたかった。

 アランには、好きという思いが分からない。
 もう少しはっきりさせると、性的な目線で他者を見た時に好ましいという感情のそれが、分からない。もう一歩踏み込めば、性的な欲求もおそらくない。なぜだか分からないが、どうやら大多数の人間が持つそれを、アランはどこかに取り落としてきたらしかった。
 それは捕らえられた時使われた薬のせいか、それともあの奴隷船の中での出来事のせいか、あるいは元からか――原因を求めたところでどうなるわけでもなく、アランはとうにその努力を放棄していたが――とにかく、気付いた時には「そう」だった。
 だからギルバートが顔を紅潮させ、必死に言葉を継いで己を引き留めようとしたとき、それに答える必要はなかったのだ。君のことが好きだ、一緒にいてほしいという言葉に頷かなければよかったのだ。これまでの旅で、また海都にいた時も、そういった機会はあった。その時のように静かに首を振ればよかったのだ。
 けれど、アランはひどく疲れていた。
 ダラカブが落ち、もはや名も姿も思い起こせないという光の戦士たちが去った日からまだ僅か二年。あの日確かに壊れたはずの世界はなぜか存続していたが、地形や気候は少なからず変化し、帰ってこなかった人々も大勢いた。
 けれどそれらを嘆く暇はなかった。生きている以上、生きていかねばならないのだから。そうして誰もが変わった世界に必死に順応しようと足掻き、どうにか暮らしの形を作り上げようとしている――それが今のエオルゼアだ。
 そんな世界の中では、放浪人であっても生きるには困らなかった。何せ、どこもかしこも人手不足なのだ。戦闘の経験があれば冒険者と身分を偽り、日銭を稼ぐ手段はいくらでもある。
 それでも、あてどなく流れていく暮らしに不安を覚えないほど、アランは楽観的ではない。ままならない復興でささくれた空気が漂う世間は、大なり小なり余所者に冷たい。ずっと同じ暮らしはできないと身に染みていた。
 それでも、海都には帰れない。古巣は義姉の気配があまりに濃いし、彼女を殺した相手を殺すとき、方々に迷惑をかけ無茶もやってしまった。幸運にもそれらは大きく露見せず済んだが、それでも代償はあった。あのままあの都市で暮らしていこうとすれば、後ろ暗い道を歩く以外なかっただろう。
 だが、それをアランは拒んだ。殺し自体に特別な感傷はない。必要だと思えばそれを躊躇うことは、これまでもこれからもないだろう。だから、そうやって生きていく人生でもきっと歩いて行けた。だが、義姉が教えてくれた利他の心を、無私の愛情というものを、やがて喪失していくだろう道を行きたくはなかった。例えそれらが自分の心に根付いていなくとも、義姉の遺してくれたものは何一つとして取り落としたくなかった。
 だから新しい家が、帰れる場所が、穏やかな暮らしが、何としてでも必要だった。
 けれど、同時にそれが己にはひどく難しいということも理解してもいた。
 なぜなら配偶者というものは普通、性的な欲求を抱く相手であるからだ。だが、アランはそんな感情を持ったことがない。もしかすると一生、そうなのかもしれないとも感じてもいた。
 そうして旅を続けるうちに育った孤独感は、やがて焦りとなってひたひたと心を濡らす。
 誰より大切だった義姉はもういない。両親は行方知れずで、そもそもが捨てられた身の上だ。ではどこに行けばよいのだろう? どこならば受け入れてもらえるのだろう? どこならば――生きていける場所になるのだろう?
 それを考えるとき、アランの心はぽかりと穴が空いた心地になる。その穴の淵に立って底を覗き込むたび、黒く塗りこめられた闇に射竦められ、寒風に身を吹きさらされたように身が軋んだ。
 そうした中に、ギルバートは現れた。これ以上ないほどの熱情を持って。
 だから頷いてしまったのだ。もしかしたら、この人の熱情に浸っていれば、それが理解できるのではないかと。そうして理解できたのなら、この人のいる場所が、己がいていい場所になるのではないかと。
 ひどい話だと自身で思う。最初から誠実さなど欠片もない。彼の抱く愛とやらが理解できないというのに、それを頼りにしようと寄りかかっている。
 
 畑作業を終え、家の扉を叩く。すぐさま鍵の開く音がして、玄関近くでギルバートが待っていてくれたことを知る。中に入ると、想像通り待っていた彼が唇をとがらせていた。
「また扉を叩いて。鍵は渡しているあるんだから、使えばいいのに」
……ごめん。つい、癖が抜けなくて」
「いいよ。今度は使ってくれよな」
 謝ればすぐに許してくれる。気のいい青年はもう、おかえりのハグだ! と手を大きく広げていた。いつものそれに苦笑しながらその腕に収まると、ぎゅうと抱きしめられ、「おかえり」と囁かれる。
 アランは「ああ」と応じながら、抱きすくめるようなその腕をそっと叩いて抜け出した。何度繰り返しても彼のスキンシップには慣れず、すぐに逃げ出してしまう。
 別に気恥ずかしいわけではない。ただ、どうしても違和感があるだけだ。愛おしげな視線に、嬉しそうな声に。
「そういえば、肥料を納屋から運んでおいた。少なくなってきてただろう?」
 つれないなとまたも唇をとがらせていたギルバートに、アランは作業の報告をする。ぱっと彼の顔が明るくなったのを見て、少し安堵した。彼の望むスキンシップの代わりではないが、少しは役立つところを見せたかった。
「助かる! さすがアラン~!」
 無邪気にはしゃぐ様子がまるで子供のようで、アランは目を細める。彼のこういうところが、きっと己のようなものを恋人にしても、見捨てられたり村八分にされない理由なのだろうなと思う。
 彼のそういう資質が、ひどくまぶしい。だからこそまっすぐな感情が、ひどく心苦しい。
……食事の準備は? 手伝うよ」
「聞いて驚け、もう終わってる! 今日の飯は……
 連れ立ってダイニングに向かいながら、巴術士は少し気が重くなった。きっと今日も同じベッドに入ることになる。そしてそれに、きっと答えられないのだろうから。
 口さがない噂のように、ギルバートを愛し、彼を本当に誑かせていれたのなら、どれほどよかっただろう。どれほど、正しかっただろう。
 助けてくれと漏らしかけた時、愛おしそうに顔を緩めたギルバートが視界の隅に入る。アランは苦鳴を噛み殺した。苦しんでいいのは己ではない。許されないことをしている己ではないのだ。
「へへ、好きだ」
 まっすぐ伝えられる好意。胸が裂かれるように痛む。それは相手の感情が理解できない己の孤独によるものなのか、相手への罪悪によるものなのか、アランにはもはや、判断がつかなかった。
 たとえ噓だろうと愛していると言えたなら、どれほどよかっただろう。それでもこの場所を手放しきれない己の愚かさに吐き気がする。
 夕食の味は、今日もしなかった。
 
「やっぱりダメそうなんだな」
……すまない」
「いいさ! 気にするな。第七霊災からそんなやつ、多いってさ」
 寝床の上で擦り合わせていた陰部を離し、ギルバートは元気を出せよとでも言いたげに、こつりと額をぶつけてくる。少しの哀れみと多量の心遣いが詰まった目線が間近で注がれて、アランはいたたまれない気分になった。
 むろん、付き合う前にそういった能力がないことは伝えている。そればかりはさすがに伝えねば不実だと思ったのだ。
 それでも彼はアランを愛することを諦めようとはしなかった。深いキスをし、首筋を食み、陰部を刺激し、時には調べて臀部の穴にも触れた。いずれも実を結びはしなかったが。
「手を貸してくれよ、アラン」
……ああ」
 アランはひとつだけ腫れあがる相手の性器を握った。血を集めた海綿体は固く、体温よりも熱を感じる。添えられた手と一緒に擦り上げれば先端の穴から涙のように先走りが零れ落ちる。
 視線を上げれば赤みを帯びた、そばかすの散った頬が目に入る。発汗して潤みの増した相手の肌が、落ち着いて乾いた己の肌に必死に吸いつこうとしているように感じた。
……キス」
 ちろちろと舌先がギルバートの厚ぼったい唇から見える。答える代わりに黙ってそこに唇を合わせ、口の中を差し出す。心なしかとろみを増し、熱い唾液が、薄くぬるいそれと混ざり、相手の体温がまた上がる。僅かばかりも温度の変わらない自分の体が異物のようで、アランは握る性器をただ扱き上げる。
 耐えきれず合わさっていた舌を吐き出し、ギルバートの腰が何かを突き上げるように空を切った。
 欲も愛も、やはり体には宿らない。手の中に吐き出されたものを見ながら、アランは呆然と夜を見つめる。気遣げに見やる恋人の視線には気付かぬまま。

 日々はアランの心の中などお構いなしに過ぎ去っていく。要らぬ諍いを避けるため、住民とのやり取りの一切をギルバートに任せていても、仕事は無数にあった。
 小さいとはいえ農園はやることが多い。樹勢の手入れ、虫よけの布掛け、肥料の漉き込み、受粉の手助け、農園を荒らす小動物には罠を、としていればあっという間に陽は暮れる。
 夕食を共にし、めいめい着替えるなり体を清めれば、小さな町ではほとんどの場合やることはベッドに入り込むことしかない。
――肉体の接触は今も続いていた。ただ、最近は時間が短くなった。萎えたまま様子の変わらぬ体に呆れたのか、身の入っていないアランに要求するのは酷だと思ったのか。巴術士にはその内心は分からず、また確かめる勇気もなかった。一般的に、反応しない体を抱き続けることは、普通楽しめるようなことではないということは理解していたから。
 しかし代わりに、抱きしめられる時間が増えた。ギルバートはベッドに入ると、まるで幼子にするようにただ黙ってハグをしてきた。そうしてしばらく経ってから、ようやく性行為をするようになっていた。
 やめてくれとは言えなかった。言葉がなくとも、必死にこちらに寄り添おうとしていることを感じ取っていた。きっと彼は、性行為ができないのは精神的な傷によるものだと思っている。そんな彼に、暖かい肌はただ暖かいだけなのだとは言いたくなかった。
 実を結ばぬ肉体の接触が終わったあと、アランはいつも通りギルバートの陰茎を握る。男は吐き出すものを吐き出さなくてはすっきりしない、らしい。少年には未だ知る由もない(あるいは一生知ることができないのかもしれない)が、だから行為の終わりにはいつも手淫があった。
 それに何か思うことはない。昼間の枝の刈り取りと同じ、ただの作業だ。その時排出される体液がぬるぬるとしているのが、やや気持ちが悪いと思う程度で。
……アランはさ、辛くないのか?」
 だから不意に相手に問われた台詞の意味を捉え損ね、アランは目をしばたいた。見れば握っていたそこは、先ほどよりも萎れていた。
「アランは本当に……オレのこと……好きなんだよな?」
……ギルバート?」
「オレは苦しいくらい好きだよ、めちゃくちゃ触りたいよ、毎日キスしたって足りないよ、けどさ……アランは一度も、自分からしてくれたことないよな」
 少年はぎらぎらと光るヒューランの眼差しから目をそらした。そんなことはないという形に口を動かしかけたが、唇は凍り付いたように動かない。
「オレさ、頑張ってるんだぜ? とっとと追い出せって、皆言うんだ。そん中であいつは違うから、って言い続けるの、どれだけしんどいのか分かるか?」
 将来性とか、先祖に顔向けできないとか、きっとそのうち金でも盗むとか、毎日毎日色々言われるんだぜ! 頭おかしくなりそうだ!
 その叫びにアランは身を震わせた。知っている。そんな目を向けられていることを。シェーダーという種族は、黒衣森の『悪』だ。個々人がどうとか、そうでない人がいるとか、そういった話ではない。『そういうもの』としてのレッテルがべったりと貼られ、滅多にはがされることはない。
 それでも、そういうものと付き合うということを――深い仲になるということを、ギルバートはそれを覚悟しているものだと思っていた。いや、覚悟はしていたのだろう。
「でもさ俺はアランが好きだ。だからそんなん気にならなかった……ずっと、今も、でもさ、お前がそれに応えてくれたことあるか?」
 ただ揺らいでしまっただけだ。巴術士が愛を返せないばかりに。それを察して、しかしどうすることもできず、体を縮こまらせる。
「なあ、言えよ!好きだって言ってくれよそんだけでいいから頼むよ
 アランは歯を食いしばり、ごめんと小さく繰り返す。だが何に謝っているのか、自分でさえ分からない。村の人々の冷たい視線に一人で立ち向かわせてしまったことになのか、人知れず傷ついていたことに気付かなかったことになのか、それとも、これほどに愛を持っていてくれた人にさえ、愛を持てないことになのか。
 熱く、びっしょりと汗を掻いた手が両肩を掴み、力づくでアランをベッドに押し倒す。頭を打ち、少年は小さくうめき声を上げたが、構わず相手はのしかかってきた。
「なあ……なんか答えてくれたっていいだろ? 答えろよ!」
「ギルバート、俺は」
 巴術士は覚悟を決め、きちんと謝るために体勢を変えようとした。重なるギルバートの体は、農作業で多少はしっかりしているが、各地を放浪し、荒事を生業にしてきたアランに敵うものではない。圧倒的に優勢であるはずがぐぐ、と押し返されて、ギルバートの顔がぐしゃりと歪む。
「またそうやって! お前自分の顔鏡で見たことあるか?! ずっと……ずっと落ち着いて、全部諦めたみたいな顔しやがって! オレばっかりずっとオレばっかりだ!」
 肩口に食い込んでいた手が、止める間もなくアランの首に伸びた。ダメだという言葉は締め付けられた喉元で消える。危機に陥った体は半ば反射で反応し、その手元を掴み、そのままごろりと転がるようにして体勢を反転させた。必死に起こした行動さえすり抜けられたギルバートは、呆然としながらも目からぼろぼろと涙を零している。
「くそ……こんな……こんなんでも思い通りにならないのかよ、お前……
「ギルバート……
 アランは必死に何か言おうとしたが、それより早く相手が顔を背けた。シーツに落ちるシミはどんどんと広がり、悲鳴のような声が最後通牒を告げる。
「出てけよちくしょう出てけ
 巴術士はそっと相手の体の上から下りた。せめて謝ろうと口を開きかけ、何をどうすれば詫びることができるのか分からず、結局閉じた。出て行けと言われたことに僅かに安堵している自分に気付いたからでもあった。
 
 ギルバートの家を出れば、ぽつぽつと灯る篝火以外は闇に沈んでいた。暗闇の中を慣れた足取りで進みながら、もっと早くこうすべきだった、とアランは思った。いつまで経っても灯らない熱情と、代わりに降り積もっていく罪悪感の、両方に気付いていながらも目を背け続けていたのは明らかな間違いだったのだから。
 ひどくお人好しのリンゴ農家の若旦那。彼の言葉に頷いた時は、ただ自分本位に期待していた。家を、愛を、ギルバートが与えてくれるのではないかと。
 なんと愚かなことだろう。孤独に耐えることもできず、持てもしない愛情を期待し、性の求めに応えることもできないのに、他人からは一方的に得てしまった。
 その果てが、彼の傷であり涙だ。
 もっと早くに本当のことを伝えられていれば、まだ正しく別れられたのかもしれない。怒りや悲しみがあったとしても、まだ少年側が悪者になれたのかもしれない。
 だが、最早何もかもが遅かった。優しいギルバートは、きっと恋人だった相手を害したことを気に病むだろう。アランの事情も知らないままに、今夜のことを悔やむだろう。
 もう戻って伝えることもできない。愛することはできなかったが、優しさに救われていたということも、心から思いあえる相手に出会ってほしいと思っていることも。
 そんな後悔さえ、ただの自己憐憫に過ぎないと少年には分かっていた。だから笑った。自分の愚かさを笑う以外、どうすればよいのか分からなかった。
 ただ足だけは正しく集落の外へ進み、アランの背中は暗がりの中に消えた。