千代里
2024-09-15 10:45:12
14011文字
Public リーブラ13話
 

リーブラの針は問う・13話・その46


「最初は反対していましたが、終わってみれば、皆が無事に帰ることができましたね」
 どすん、と荷物を置く音。肩を圧迫していた荷物の気配が消えて、サルヒはぐるぐると肩を回す。
「それは、終わったからこそ言えることだろ? 実際、ランドンと俺たちが真っ向からやり合っていたら、負けていたのは俺たちの方だ。ノエだって、魔法で治ったからいいものの、もう一日合流が遅かったら足を失っていただろうよ」
「それは、そうかもしれませんが。竜に出会って全滅するパーティもいると聞いていますので、それに比べれば私たちは格段に幸運です」
 ルーシャンの反論ももっともだが、サルヒの意見も的を射ている部分はあった。
 幸運であったのは間違いないが、何も問題がなかったと言えるほどではない。それが、今回の旅路の総括である。
「そうはいっても、あので三人を飢え死にさせずに済んだのです。旦那様も、よかったと思っているのではありませんか」
 サルヒの問いかけに、ルーシャンは答えなかった。代わりに、彼は荷物の整理が忙しいと言わんばかりに、床に置いたばかりの袋の紐を解いていた。
 二人は今、街に滞在しているときに使わせてもらっていた、孤児院の隣にある宿泊施設に戻ってきていた。
 砦の兵士に民間人を預けたあと、ノエとオデットは領主の館に招かれて、そちらへと向かった。そして、残った四人の冒険者たちは、宿泊施設へと帰ったのだった。
 ヤルマルは旅の疲れが出たのか、二階にある女部屋に戻ると、着替えるのも早々に寝台に倒れ込んでしまった。気絶するように寝てしまったので、暫くは寝かせておこうとサルヒは彼女を一人部屋に残して、男部屋に来ていた。ルーシャンの荷解きを手伝うためだ。
 オランローを見かけていないが、ヤルマルが元気になるような料理を作りに、一階の厨房で料理でもしているのだろうとサルヒは踏んでいた。
「若人の有言実行ぶりには、しっかり驚かされたさ。攫われた無辜の人々を助け、竜まで仕留めてみせた。まるで、物語に出てくる英雄様だ」
「竜については、偶然だと言っていましたよ」
「だとしても、だ。領主様もあの三人を無碍には扱わないって言っているんだろ。結果としては、大団円ってところじゃないか?」
 ルーシャンの言葉にしては珍しく、そこには皮肉はなく、純粋な賞賛があった。彼自身、この旅路に対して満足感を得ていると分かる呟きだ。
……旦那様」
「ん?」
「私は、今の旦那様は格好いいと思います」
 いきなり誉め殺しの一句を投げられて、荷物袋を覗き込んでいた男は思わず顔を上げる。視線の先に佇む従者は、いつもの鉄面皮を僅かに緩ませていた。
「いきなりどうしたんだ。俺をおだてたって、何も出ないぞ?」
「旦那様が、同行を拒まれたとき。私は……そんな旦那様の姿を格好悪いと思いました」
「おいおい、随分とはっきりと言ってくれるなあ。……ま、否定はしないけどよ」
「ですが、やはり旦那様はあの時と同じ旦那様でした。私が見た、あの日の旦那様と同じものはあったのだと、そう思いました」
 かつて、湖畔で夢を語っていた男はまだ消えていなかった。
 時を経て、夢ではなく現実を目の当たりにするようになっても、彼はいまだにサルヒが追い求める『星』であり続けてくれた。そのことを、サルヒはこの旅を経て再確認できた。
……買い被りすぎてるんだよ、お前は。今の俺は、あの頃に比べりゃ随分と味気ない男になっちまったんだから」
「それでも、ノエの選択に付き合うと決めました」
「それは……そうしなけりゃ、俺がこの先何か成し遂げたとしても、無意味になると思ったからだ」
 ようやくサルヒの不意打ちめいた一言から立ち直ったルーシャンは、再び荷物袋を漁り始めた。空になった薬瓶、使い切らなかった保存食などが机に並ぶ。
「それは、先日お話ししていた『夢』と関係があることですか」
「先日っていうのは、いつの話だ? 最近、物忘れが激しくってな」
「とぼけないでください。以前、ティエリーさんやエメーヌさんとの一件があったときのことです」
 しらばっくれようとしたルーシャンを、逃さじとサルヒがさらに追い討ちをかける。
 追撃を喰らったと察しつつも、ルーシャンは何度かゆるりと瞬きを繰り返すだけで、返事はしなかった。
「旦那様は何かを待っている。そして、今も何かを探している。それは、旦那様の夢に関わることだと、私に教えてくれました。そして、今回の旦那様の発言から察するに、旦那様の夢は……イシュガルドの情勢にも関わるもの、なのですか」
 情報を整理し、立て続けにサルヒは推理を並べる。
 以前イシュガルドからやってきた母子を護衛する一件に巻き込まれた際、ルーシャンは自分がオデットのそばにいるのは『待っているからだ』と語った。
 そして、サルヒはルーシャンが何かを探していると指摘して、彼はそれを否定しなかった。
 十五年前、ルーシャンは孤児の己を引き取ってくれた家族を失った。貴族であった彼らは、自宅である館の火災に巻き込まれて亡くなった。ルーシャンは、彼らは事故で死んだのではなく殺されたのだと考え、犯人を探し続けていた。
 そして、八年前、ルーシャンは、自身の家族を奪った相手を知った。本人は口にはしなかったが、長らく連れ添っていたサルヒにはすぐに分かった。
 ルーシャンが仇敵への怒りや憎しみを抱いたことは、そばにいたサルヒにも容易に想像できた。しかし、ルーシャンは仇をすぐに仕留めるような短絡的な行動に出なかった。代わりに、彼は何かを探すように各地を転々とした。
 一見不可思議にも見える行動には、自身の持つ夢が関わっている――ルーシャンは、イシュガルドに来訪する前に起きた事件の際に、サルヒにそう告げていた。
 では、その夢とは何なのか――
「旦那様が夢を叶えられたとしても、竜に傷つけられた人を見捨てるような自分が叶えたところで、意味がない。そう思ったから、ノエの救出劇に付き合った。そういうことですか」
――さあ、どうだろうな」
 ルーシャンは不自然に明るい声音を使って、中身がないも同然の曖昧な返事をした。彼の物言いに、サルヒの眉がぎゅっと寄せられる。
「お前は、ただのサルヒとして、ただの俺に関わりに行くと言ったな。それが最良だ、と」
……はい。言いました」
「だったら、ただのサルヒとして解き明かしてみせればいい。俺に答えを求めるんじゃなくてな」
 今まで、サルヒが従者としての姿勢をかなぐり捨てて振るまうと、ルーシャンはたじろぐばかりだった。
 だが、彼女が新たな姿勢を見せてから何ヶ月か経てば、流石にルーシャンも変化に慣れてくる。慣れた上で、今度は彼も主人ではなく、ただのルーシャンとしてサルヒに相対していた。
「俺が何を考え、どう行動するかは俺の問題だ。俺は今だって、お前が俺の旅路に付き合う必要はないと思っている。お前が縁を切るというのなら、喜んで首を縦に振ってやるさ」
「それだけはあり得ません。ルーシャンが、どれだけ望もうと」
「だろうな。そして、俺がお前の同行を拒否する権利はない。なら、俺がお前の質問に丁寧に答えてやる義理もない」
「旦那様が、私の質問に丁寧に答えてくれたことが、一度だってありましたか?」
 サルヒからの痛烈な反撃を与えられ、ルーシャンは目線を泳がせた。実際、ルーシャンがサルヒの問いかけに懇切丁寧に答えてやったことなど、数えるほどしかない。
 それでも、彼は彼なりに従者に対して自分の姿勢を示したつもりだった。
 もっとも、サルヒからしてみれば言葉不足もいいところだった。従者でありルーシャンのそばにいたいと願うからこそ、この曖昧な言葉をそのまま受け入れていた部分も、無きにしも非ずである。
「わかりました。ですが、答えるつもりはなくとも、私は質問を続けます」
「無意味だとわかっててもか」
「はい。それに、そこまで私は無意味だと思っていません」
 サルヒは荷物袋から汚れた衣類を取り出し、ルーシャンへと目を細めてみせる。
 彼女との付き合いが長いルーシャンには、それが彼女なりの挑戦的な微笑だと分かった。
「旦那様は、ご自身が思う以上に顔に出ている方ですから」
 言うだけ言うと、サルヒは扉を開き、風のようにするりと男部屋を出ていく。
 残されたルーシャンは、思わず自分の頬やら顔やらを撫でながら、首を傾げた。
……そんなに顔に出ているか?」
 自分では、存外に気付けないものなのかもしれない。だが、だとすると、自分はとんでもない相手を敵に回したのではないか。
 彼がいくらそう思えども、すでに戦いの火蓋は切って落とされたあとだった。
 
 ***
 
 部屋に残したルーシャンがどんな顔をしているか想像すると、なかなか痛快だ。そんなことを思いながら、サルヒは洗濯物と共に階段を降りていた。
 しかし、段の途中で一度サルヒは足を止める。
……誰か、いる?」
 今、二階を利用しているのはサルヒたちだけだ。二階にいる間に、階下に向かうオランローの足音が聞こえていたので、彼が一階にいるのは間違いない。
 しかし、サルヒの角は、下から響く話し声を拾い上げていた。この声の高さは、オランローのものではない。そもそも、彼は誰もいない空間で独り言を口にするような奇矯な趣味は持ち合わせていない。
(孤児院の人が、様子を見に来たのかもしれない)
 この施設は孤児院と併設しており、備品の管理は孤児院の手伝いをしている人々が担当している。その中の誰かが来ているのだろうか。
 一旦、疑問を整理したサルヒは、再び階段を降り始める。下に近づけば近づくほど、会話はよりはっきりと角に届いた。
……先ほどもご説明した通り、こちらは旅人用の宿泊施設です。現在は、六名の旅人が利用しています」
「ふむ。それは、人数として多い方なのだろうか」
「少ない方です。もっと団体の方々が来られる場合もありますので。先日の度重なる襲撃の影響で、商人たちが出ていってしまい……
 一人は聞き覚えのない男の声だ。だが、もう一人はサルヒも何度か耳にしたことのある女性の声である。
「プリシラさん。その人は、新しい宿泊者?」
 階下を降りたサルヒは、居間に入りながら問いかける。同時に、彼女は自分の質問が的外れであることに気がついた。
 彼女が目にした、二つ分の人影。
 一人は、何度かサルヒも世話になった女性――プリシラだ。幼少の頃のノエを知る人でもある。彼と話がしたいという申し出を受けて、野次馬のように皆で同席したことは記憶に新しい。
 だが、もう一方の男性は知らない人物だ。エレゼン族の壮年の男性――見たところ、歳は五十は超えてはいるだろうか。男は、教会の司祭が纏う装束を身につけていた。小綺麗な見た目をしているので、巡礼の旅をしている司祭というわけでもなさそうだ。
「ミズ・クロックフォード。こちらの方は? 何やら……不審な姿をしておりますが」
「こちらは、今朝からこの施設を使っているサルヒさんです。以前も、宿泊時には施設を利用しておられた方です。ドラゴン族の襲撃のときには、率先して魔物を討伐してくださった街の恩人でもあるのですよ」
 眉を寄せる司祭に対して、プリシラはサルヒの功績について語りつつ、言外にサルヒが怪しい人物ではないことを説明した。
 司祭がサルヒを『不審な姿』と表現したのは、彼女の肌を這う黒い鱗や、耳の部分に生えている角が竜に似ているからだ。
 異端者の多くは、竜の血を飲んで竜そのものへと変化する。その知識だけを持つ者にとっては、サルヒのようなアウラ族の存在は『不審』以外の何者でもない。
「そうでしたか。竜の襲撃の際に、助力を……
 司祭はプリシラの発言に納得はしたようだが、サルヒを見る視線には未だに疑いが残っていた。
「プリシラさん。そちらの男性の方は……
「二日ほど前に、この街の教会に新たに赴任された司祭様です。アラン司祭が、氷天に旅立たれてしまったので……教会も、人手が足りなくなってしまったので」
「そういうことだったの。……短い間ですが、よろしくお願いします」
 サルヒは、司祭に向けてぺこりと頭を下げる。
 いくら不審の視線を投げられているとしても、無礼な振る舞いは相手の心象を悪くするだけだ。アランのように気軽に話すことはできずとも、自分が無害な旅人であることは示しておかねばならない。
「サルヒさん。長旅お疲れ様でした。何か足りない物などがありましたら、いつでも教えてください。準備しますから」
「ありがとう。でも、大丈夫。ノエたちが戻ってきて、もし不足があったら連絡する」
「ええ。それと……サルヒさん。一つ、ノエさんに伝言をよいでしょうか」
「ノエに?」
「ええ。……グレンが、ノエさんに会って話をしたいと言っていたんです。あの子は、ノエさんたちが旅立った後、ずっと元気がなさそうで……先日は、風邪を拗らせて寝込んでいました。昨日頃から、ようやく熱が落ち着いてきたところなんですが、ノエさんが帰ってきたと聞いて、どうしても会いたい、と」
 プリシラの沈痛そうな表情に、サルヒにもグレンの状態が手に取るように伝わってきた。
 友人を助けてくれ、とノエに直接頼んだのはグレンだ。一度は撤回したものの、グレンにとってはノエの旅立ちは、自分が依頼したのが原因だとすぐに分かったはずだ。寝込んでしまったのは、心への負担も関係あるだろう。
「分かった。ノエに必ず伝えておく。でも、まずは体を休めるようにと、彼なら言うと思う。私たちは、すぐ出立するわけではないから」
 コーディの一件のことであるとしても、生還者たちも今日明日で出立するわけではあるまい。無茶をする必要はないと、サルヒは念を押した。
「ありがとうございます、サルヒさん。では、司祭様。お待たせしました。次の場所に向かいましょう」
 司祭は未だにサルヒに向けて、何やらじっとりとした視線を向けていたが、やがてそれを断ち切るようにしてその場を去っていった。
 オデットは司祭服を着た男を苦手としていると聞いていたが、サルヒも異端審問にかけられた過去を思い出すせいで、教会関係者とのやり取りは好きではない。警戒の視線を向けられれば、尚更だ。
 洗濯物をもったまま、プリシラがいなくなった後も、サルヒはその場に暫く立ち尽くしていた。我に返ったのは、厨房に繋がる扉が軋みをあげて開いたからだ。
「サルヒ。誰か来ていたのか」
 顔を見せたのは、サルヒも見慣れた同族の青年――オランローだ。暗色の赤髪に褐色の肌の彼は、背の高さも相まって威圧感を覚えさせてしまう。司祭がいる場に彼が出てこなかったのは、正解だったとサルヒは思う。
……とはいえ、その格好なら、出てきた方が相手の気を緩められたかも)
 なぜなら、オランローはシャツに紺色のエプロンという、まるで市井の料理人のような格好をしていたからだ。いかめしい顔つきの彼に、ヒナチョコボのアップリケが縫い付けられたエプロンという取り合わせを目にして、サルヒですら口角を緩めてしまった。
「新しい司祭が教会に派遣されてきたみたい。プリシラさんが、その人に施設の紹介をしていた」
「それで、誰かが入ってきた音がしたのか。なら、オレは顔が出さなくて正解だったな」
「ええ。私も、怪しいものを見る目つきで見られたから」
 竜と戦っている歴史が、イシュガルド人にアウラ族に対する偏見を生んでいる。どうしようもないことだと分かっているが故に、余計な諍いは二人とも避けるように心掛けていた。
「それで、今日は何を作っているの。美味しそうな匂いがする」
 サルヒは鼻をひくつかせ、オランローが出てきた厨房を覗き込む。クリスタルを用いて加熱する『コンロ』という調理用具の上には、鍋が一つ置かれている。そこからは、くつくつと中のものが煮える音がした。
「野菜を使ったポトフだ。肉も新鮮なものが用意できそうだったから、出汁を取るついでに入れてある」
 サルヒが覗き込むと、中には大ぶりに切られたカロットやオニオン、ポポトの実が揺蕩っている。ブロック状に切られた肉は、シープのものか。
「何か手伝えることはある?」
「だったら、魚料理にかけるソースを作れるか。オレはあまりイシュガルド流の味付けに慣れていない」
「この前、砦にいたときに作ってたシチューは美味しかった。あれでも不満?」
「あれは、クララが味付けをしてくれた。オレの手柄ではない。彼女から、いくつかレシピは教えてもらったんだが、舌と手に馴染ませるには時間がかかりそうだ」
 サルヒは、城砦で食事を終えた後のことを思い出す。たしかに、オランローとクララが厨房に残って、何やら話をしていた気配はあった。料理好きの彼らしい一幕だと思う一方で、
……それ、ヤルマルに誤解されそう」
 オランローに限ってそんなことはなさそうだが、と思いながらも、念の為に先達として言葉を送る。
「その点は気にする必要はない」
 オランローはサルヒにも前掛けを渡しながら、しれっとした調子で言う。
「あんたに美味いものを食わせるためだと言ったら、何も言えなくなっていたからな」
……ヤルマル。あなたがこの人を狼狽えさせる側に回れる日は、当分来なさそう)
 自分の立場と照らし合わせて、サルヒはヤルマルに、心の中でエールを送ったのだった。
 
 ***
 
 サルヒたちがノエたちの帰りを待って料理に勤しんでいる頃、ノエはラペイレット邸の裏庭を歩いていた。
 もっとも、裏庭といっても、市井の家々にあるような小ぢんまりとしたものではない。
 邸の前面にある庭が訪問者の顔としてあるのならば、裏手にある庭は家に住まう者の私的な場所である。そこは私的な場所といえども、決して小さいわけではない。華やかさこそ薄いものの、丁寧に整えられた生垣は、第二の玄関口のようにノエを出迎えた。
 寒冷化によって使われなくなったものの、東屋には茶会に使っていたティーテーブルが置かれ、ありし日の和やかな光景を彷彿させる。
 薄雪が残る生垣を通り抜け、ノエは従者に教えてもらった道順を通り、裏庭の奥へと向かう。
「まるで森みたいだな」
 思わず、そんな言葉が飛び出てしまうほどに、奥に向かえば向かうほど、森林に似た光景がノエを出迎えていた。人工的に植えられた樹々であるために、自然ではありえない秩序だった趣きはあるものの、街の喧騒から離れて自然の空気を感じるための場所としてはうってつけだ。
 そんな人工的な森林の最奥に、それはあった。
……ここが、僕のご先祖さまが眠る場所か」
 足を止め、ノエは森の中を通る細い道の終着点にあったものを見つめる。
 そこは、小さな広場のようになっていた。墓地と聞いていたので、墓碑が並び立っているものと思っていたが、そこにあったのは大きな石碑が一つだけだった。
 考えてもみれば、ラペイレットの血筋に連なるものだけでも相当の数がいる。全員にそれぞれ墓碑を用意していては、いくら裏庭が広いといえども、周囲は墓碑だらけになってしまうからだろう。
 ノエの腹ほどの高さの台座の上に鎮座している石碑には、ラペイレットの紋章――高山に咲く一輪の花と、それを守る木々をあしらったものが刻まれている。
 その下に見えるのは、人の名前だ。ここに眠ることになった血脈の者の名を、石碑にまとめて記しているようだ。
 ノエが想像していたよりも、石碑は劣化していなかった。察するに、いずれかの時に墓地の大々的な改修を行なった結果、墓標とする石碑を一つとするように方針を変えたのかもしれない。
……ナタロアさんの名前も、ここにあるな」
 墓標に刻まれた名前の中には、ナタロアの名もあった。
 かなり上の方に書かれていたので、彼はラペイレットという貴族がこの地の統治を始めて間もない頃の時代に、婿入りしたようだ。だからこそ、市井の出であっても問題なく受け入れられたのかもしれない。
「ナタロアさん。僕は、あなたに伝えなければならないことがあります」
 墓標の前に立ち、ノエは告げる。あたかも、そこにナタロアという人物がいるかのように。
「ランドンが、死にました」
 淡々と、静々と。
「僕が……殺しました」
 自らに連なる者へ、言葉を送る。
「彼は、あなたの行動に怒っていました。あなたの所業が、彼にとっては裏切りと感じられたようです。あなたに会うために、この領地に生きる人々を傷つけたと言っていました。そして……彼はそれを省みることもなかった」
 ランドンという竜の考え方が、ヒトのそれと決定的に違っていたから、だろうか。
 ランドンは、ナタロアという特別な一人の命が、自分が踏み躙ってきた命と同じものであると理解することができなかった。
「けれども、彼は……今際の際にこう言っていました」
 それでも、竜は望み続けた。
――あなたと、また話をしよう、と」
 懐に閉まっていた、竜の鱗を取り出す。野晒しにしておいては、人の目についてしまうので、ノエは冷えて硬くなった土に指をかけた。
 鱗が完全に隠れる程度の穴は、さして苦労することもなく、すぐに掘ることができた。念のため、少しばかり深めになるように穴を広げてから、ノエはそこに鱗を安置する。
「それが叶わない願いだと、彼は知らなかったようです。ですから、僕が代わりに……あなたに伝えます」
 鱗を土に埋め、丁寧に地面を均してから、ノエは立ち上がる。冷たい風が一つ、ノエの髪を揺らしていった。
 ランドンのことを憐れむ気持ちはない。ナタロアに対しても同様に、ノエは凪いだ湖面のような心で向き合っていた。
 ナタロアが竜と交流を持ったことが正しいか間違っているかなど、ノエには決められない。自身の正しさも未だ見つけられていないノエは、ナタロアの人生に対して正誤を判じられる立場でもない。
 だから、今の彼にできるのは、ただ伝えることだけ。
 一頭の竜が死したこと。その竜が願い続けた思いを、連れてきた。
 それが、ノエのできる全てだった。
 墓前に祈りを一つ捧げてから、ノエは踵を返す。
 自分が白雪につけた足跡を辿るように、墓碑から遠ざかる――その途上。
 
 ――ありがとう。
 
 ノエに似た誰かの声が、聞こえた気がした。
 
 ◇◇◇
 
 これは、何百年も昔の話。
 ナタロアという名の男は、とある辺境の小さな街にて生を受けた。
 両親を幼い頃に亡くした彼にとって、唯一の肉親である兄は大事な家族となるはずだた。
 だが、才覚に優れた兄は、ことあるごとに不器用なナタロアの不出来を笑った。人前では面と向かって罵倒をしない分、周囲の人間は兄の悪行を知ることはなかった。
 街を守るために同じ自警団に所属していたのも、悪い方向に働いた。ナタロアは、兄の痛罵を昼夜問わず受けることになってしまった。
 辺境に住まう竜の元に向かい、その血を得て、兄に飲ませてやろうと思ったのは、兄の嘲りに耐えられないと感じた頃だった。
 だが、ナタロアは辺境にて崖から足を踏み外し、落下してしまった。命は失わずに済んだものの、足を強かに痛めることになってしまい、ナタロアは崖下で途方に暮れていた。
 そんなとき、ナタロアの前に運悪く竜がやってきた。正面から竜と戦って勝てるわけがない。このまま食われるものと思った震え上がったナタロアは、気がつけば己の境遇を口にして、竜の同情を得ようとした。
 竜はナタロアの情けない言い訳を親身になって聞いてくれた。おまけに、ナタロアの怪我が回復するまで、護衛までしてくれた。
 ナタロアは、竜に名を与えた。ランドンというのは、幼い頃に飼っていた犬のことだ。
 兄によって猟に連れ出され、魔物に襲われて死んだ愛犬の名を、竜は喜んで受け取ってくれた。
 それから、ナタロアは兄から罵られ、心が挫けそうになるたびに、ランドンの元へと向かった。竜でありながらも、時折街に近づく獰猛な個体と異なり、ランドンは鈍重でのろまな部分があった。だが、ナタロアはそれは愛すべき欠点のように感じていた。
 お互いの不出来を話の種にする場面もあったのに、不思議と嫌な気持ちになることはなかった。
 だが、そんな竜との蜜月もやがて終わりを迎える。
「この前、隣町に買い物に行くって言って、お前が家を出て行っていた日があっただろ。お前、あのとき、ドラゴン族の所に行っていたんだな」
 ある夜、家に帰ってきた兄は唐突にナタロアに告げた。瞬間、心臓を鷲掴みにされたような衝撃が、ナタロアに走った。
 ナタロアにとって、兄は超えられない壁であり、絶対の存在だ。故に、事実をいきなり指摘されて、弟である彼は、蛇に睨まれた蛙のように、唇を震わせることしかできなかった。
「どうして、それを」
 ようやく絞り出した言葉は、兄の話を肯定するものになってしまった。もっと上手い言い訳を考えれば良かったと思っても、出してしまった言葉は取り消せない。
「お前がこそこそ浮かれた様子で出かけていくから、どこに行ったのかと後をつけたんだよ。まったく、驚かされたぞ。まさか、俺の弟とあろうものが、竜と仲良くお喋りしているなんてな!」
 一歩、兄は震え上がるナタロアに詰め寄った。
「俺がこのことを教会に伝えれば、お前は異端者として吊し上げを喰らうだろうな」
……!」
「だが、安心しろ、そんなことはしない。お前は、俺の大事な弟だからな」
 急に猫撫で声を発して、兄はナタロアの肩へと腕を回した。そんな馴れ馴れしい仕草で触れられたことは、今まで一度だってなかった。
 兄との親しい触れ合いに喜ぶべきはずなのに、ナタロアは蛇に首を絞められたような心地しかしなかった。
「だが、お前を教会に突き出さない代わりに、そいつを仕留めるのをお前も手伝え」
……え?」
「物分かりが悪いやつだなあ! その竜は、お前の友達なんだろう? お前が顔を出せば、そいつは油断する。そうしたら、仕留めるのも楽なはずだ」
 兄が何を言っているのか。ナタロアの頭が理解し切る前に、彼は意気揚々と続ける。
「竜を仕留めれば、俺は一躍街の勇士になれる。そうすりゃ、この前就任した、新しい領主様の目に留まるかもしれない!」
 兄はナタロアを逃さじと言わんばかりに、腕に力を込め、顔を寄せる。
「お前にとっても悪くない話だろ? 領主様のところには、年頃の娘が一人いるはずだ。街で一番勇敢な若者に嫁がせるって話だったし、その竜を討伐すれば、俺も領主一族の仲間入りができるかもしれない!」
 兄が何を考えているのか、ようやくナタロアは理解できた。
 彼らが暮らす辺境の街は、元から街があったわけではない。ドラゴン族からヒトが生きる土地を奪還するため、皇都から派遣された人々が暮らし始めるようになった末に生まれたのだ。
 領主として任ぜられた人物も、荒地を開墾するために指揮をとったリーダーが、功績を認められて貴族として召し上げられたと聞いている。彼らはまだ貴族としての認識が薄く、その分だけ市井の者との距離も近い。
 兄は、彼らに近づいて領主の血縁になり、貴族の仲間入りをしたいと考えていたのだ。
「ナタロア、お前が作戦の鍵だ。手伝わなかったら、お前を異端者として教会に突き出すからな」
 突き放されると同時に告げられた言葉は、ナタロアの心まで突き飛ばしていったかのようだった。
 兄の言う通りにすれば、ナタロアも領主から称賛の言葉をもらえるだろう。多くの犠牲を払いながら、兵士が総出でかかってようやく討ち取れる竜を、たった二人で倒したともなれば、一目置かれるのは間違いない。
 だが、ナタロアはランドンを裏切るような真似はできなかった。
 ランドンは、友達のいない彼にとっては、唯一腹を割って話せる相手だった。
 ――ランドンを守るために、兄を消す。
 その選択をするのに、さして迷いは必要なかった。
 
 計画は、至極簡単なものだった。辺境に向かう道中、兄の食事に強い睡眠作用のある錬金薬を混ぜた。それだけだ。眠気覚ましとして飲んでいた苦味の強い飲料は、薬の味を誤魔化してくれた。
 チョコボに乗って移動している最中に、急な眠気に襲われた兄は、手綱の操作を誤って急峻な崖を転がりおちていった。
 転落の一瞬、手を差し伸べようとするふりをしていた弟を前にして、兄の目はすべてを悟り、怒りに歪んだ。その憎悪と怨嗟に塗れた双眸が、ナタロアの見た兄の最期だった。
 通りがかった行商が証言をしてくれたおかげで、ナタロアは特段疑われることもなく、いつもの生活へと戻っていった。だが、弟に対して威圧的に振る舞う兄がいなくなったことは、ナタロアに思いがけない結果をもたらした。兄の顔色を伺う必要が無くなったおかげで、ナタロアの剣技や魔法の腕は、めきめきと向上していったのだ。
 また、ランドンと共にいた時間が、ナタロアから竜に対する不必要な恐怖を取り払っていた。おかげで、彼は竜を前にしてもパニックに陥ることなく、冷静に対処できる兵士として名をあげるようになった。
 ランドンの同胞でもあるドラゴン族を討つことに、抵抗はあった。故に、ナタロアはランドンの元に向かうのを避けるようになった。
 もとより、竜との戦いで目覚ましい活躍を見せるナタロアは、兵の間でも一目置かれるようになっていた。そのせいで、以前のように誰にも見られず、自由に行動するのは難しくなっていた。
 それでも、一度は時間を作ってランドンに会いに行った。兄を殺したことを彼に教えたのは、ナタロアなりの懺悔のつもりだった。
 しかし、竜は言った。
『すごいじゃないか。ナタロアはおれよりも先につよくなったんだな』
 兄を超える力を得たナタロアは、竜の称賛を聞いても彼のように喜ぶことはできなかった。
 自分を祝福するランドンに応じながらも、彼は思った。
 ――ああ。自分は責められたかったのか。
 兄を殺めたことを、己は罪と感じている。それを、ようやく彼は自覚したのだった。
 
 だが、真実を同胞に語るほどの勇気もなく、ナタロアは兵士として戦果を挙げ続けた。
 やがて、頭角を見せた若者に気がついた領主は、自身の娘の婚姻の相手としてナタロアを選んだ。
 平民の出身であるナタロアが貴族の仲間入りをするのは、同僚にも羨まれるほどの異例の出世だ。躊躇はあったが、自分が選び取った道を突き進むべきであると、ナタロアは縁談を受け入れた。
 美しく高貴な娘を伴侶に得て、自身も領主の片腕として、ナタロアは采配を奮った。義父も義母も、婿入りした男を、まるで自分の息子のように認めてくれた。子も生まれ、彼は二十年ばかりは穏やかなひとときに浸っていられた。
 だが、平穏なひと時に、不意の凶報が訪れる。領内にて、一際大きく頑丈な竜が、暴れ回っているという話がナタロアの元に舞い込んできたのだ。
 竜の特徴を聞いて、ナタロアは青ざめた。それは、まさしく、自分がかつて友としていた竜だったからだ。
 ランドンと友好的な関係を持っていたことを、知られるわけにはいかない。しかし、かの竜を今のままにしておくわけにもいかない。
 ナタロアは前線の指揮をとると言って、自らランドンに近づいた。兵たちの監視の目を縫い、ナタロアは廃墟と化した砦で眠るランドンに呼びかけた。
 嬉々としてナタロアを迎え入れる友人は、ありし日の言葉をナタロアに思い起こさせた。
 兄の死を誉れとして祝福した、あの日の言葉を。
 徹底的に何かが分たれた、あの日のやり取りを。
「なあ、ランドン。……今日は時間がいないから、君と話はできなさそうなんだ。代わりに、明日の朝、僕がいう場所に来てくれないか」
 ナタロアの頼みを、ランドンは二つ返事で聞いてくれた。
 誘い出したのは、鈍重な彼では決して上に戻ることができないはずの、とても深い奈落のそばだった。
 ナタロアが率いた兵は、何も知らずにやってきた竜を迎え撃ち、ついに撃退に至った。伝令の兵士がその知らせを喜び勇んで伝えてきたとき、ナタロアは自分の顔を覆い、静かに首を縦に振っただけだった。
 ナタロアは、討伐した竜の名を兵に伝えた。
 せめて、その名だけは正しく残したかった。それが、自分なりにできる贖罪だったが故に。
 
――許してくれ」
 それは、一体誰に対しての言葉か、もうわからない。
「許してくれ。私は、お前の心を裏切った」
 友としていた竜に向けてのものか。
「許してくれ。僕があなたを殺したのは、友を守るためではない。ただ、あなたが憎かったからだ」
 唯一の血の繋がる家族であった、兄に対してか。
 許しを乞う声は、決して表に出ることはなかった。しかし、常にナタロアは心の中で懺悔の言葉を口にしていた。
 時は移ろう。その体に老いの兆しが見られ、寝台に横たわる日々が続く頃には、彼の心は己の罪悪感を隠せなくなっていた。
 掠れたうわ言で、兄を妬んだ己を呪った。友であるランドンを謀ったことを、浅ましい己の欲のせいだと罵った。
 老齢の末に妄想に取り憑かれてしまったと悲しんだ家族は、ある日、せめてもの慰めになればと、とある吟遊詩人を館に招いた。
 来客にすら気づかず、贖罪と己への呪詛を支離滅裂な言葉に載せて語り続ける老爺を前にして、詩人はその言葉の断片を拾い上げ、一つの物語を即興で作り上げた。
 昔昔、ある場所に兄弟がいた。
 品行方正な弟を妬んだランドンという名の兄は、ある日、弟を言葉巧みに連れ出して、崖から突き落としてしまう。その日から、兄は竜に変じ、やがて急死に一生を得た弟によって討ち滅ぼされる。
 詩人は、そんな寓話を生み出した。
 それが、事実を取り入れながらも、現実とは真逆の内容になっているとも知らずに。
 
 
 かつて、竜と人が共に笑い合った日々があったことを知る者はいない。
 一人と一頭の蜜月を知る者は、皆、その命を星へと還した。
 過去を見る力を持つ者も、竜の言葉に情を覚える英雄も、ここにはいない。
 この地にいたのは、今を生きる冒険者のみ。
 故に、この竜と人の詩は。
 誰にも触れられることなく、眠りにつく。