目が覚める。あったはずの体温がなくて、少し肌寒くて、──さびしくて。
「なん
……、ツムが、おらん
……」
ぼやいても返事はないから、独り言になった。
ゆっくりと、瞼を開けたり閉じたりして、目が腫れてるのを自覚する。目尻には乾いてカピカピになった涙のあと。
まったく散々泣かされた。別にわんわん泣いたわけじゃない。子供やないし。でも生理的な涙を浮かべて、あかん、もうむり、いやや、と反射で漏らしても、昨日のアイツは一切加減をしようとせんかった。
声出すのを人が必死に堪えてんのに、わざと声を出させようとしてくる人でなし。ほら、我慢せんとあかんよ?聞こえてまうで、とドロリと鼓膜を溶かすようなイイ声で囁きながら、エグいピストンで奥をノックされまくった。ほんまいつもよりしつこかったし、死ぬかと思った。鬼かなんかなん、アイツ。
だるい身体をもぞもぞと動かすと、肌触りのいいシーツが気持ちよくて、またうっとりとする。パイル生地で、汗をよく吸うし、すぐ乾く。俺はこういう生地が好きで、いつだったかにそれをたまたま口にしたら、あの人でなしは、人でなしのくせに自分のベッドのシーツを、気づくと全部パイル生地のものに変えていた。
自分でえらい吟味して、こだわり抜いて買った特注のお気に入りのベッドに、あんなに浮かれていた侑が。
たしか、上等でツヤツヤのリネンカバーで統一して、洒落たベッドにすんねんと息巻いていた、こだわるものにはとことんこだわりの強い、あの侑がだ。
別に俺がちょぴっと好きなだけやし、そんなん気にせんでええ。毎日寝んのは自分なんやから、自分がいっちゃん心地いいベッドにしとけや、って。
俺が言っても「そんでも少しでもサムも心地いい場所にしときたい。そんで、サムもここにずっと居とぉなってくれたらって下心やねん」と舌出して、おどけた調子で返すだけだった。
いたずらっぽく言ってたけれど、俺が自分の巣を気に入って居着いてくれればいいのに、と結構マジなトーンで思ってることくらいお見通しだ。
おどけた調子は照れ隠し。
あんなとろけるみたいなやさしい目して言われて、わからんわけがない。こちとらテメェの双子の兄弟を、伊達に生まれる前からやっとらんねん。
自分のテリトリーに、侑は人よりもうるさくて、そう簡単には他人を自陣には入れない。
たとえそれが彼女という立場の女で、身体の関係までしっかりあったとしても、自分の家にあげるまでには時間がかかっていたし、そのせいで結局、家にあげるに至った彼女はついに現れなかったのだ。
侑は高校を卒業してすぐにMSBYに就職して、半年くらいは社員寮に入っていた。けど一年も経たない間にひとり暮らしを始めたことをキッカケに、そこからしばらく彼女ができては別れ、できては別れを繰り返している。
その話を「おまえがどうせなんぼも構ってやらんから愛想つかされてんやろ」と慰めるような叱るような態度と相槌を打ちつつ「俺にしときゃええのに」なんて心の中で愚痴りながら。俺は律儀にも聞いてやっていた。
そう。俺はよりにもよってこの人でなしで、Vリーガーで日本代表候補で、それ以前に男でしかも血の繋がった双子の兄弟のことを好きになってしまってたことを、侑の惚気によって自覚させられたのだ。
好きだと気づいた途端、振られてしまった。
なんともマヌケだと、当時は自嘲するしかなかったのを覚えてる。
うんうんと話を聞いてやりながら、でもやっぱりちょっと目が熱くなったりもして。電話越しに彼女の愚痴と、でもかわええねんと惚気てくる侑に、ずずっと鼻水をすすってしまい「なんや風邪か?」なんて、らしくもない心配をさせたこともあった。
もちろん、昨日は腹出して寝ててんとかなんとか言って誤魔化したし、珍しく侑も「あほやな、サムは〜」とかなんとか言ってサクッと誤魔化されてた。いつもなら気づく俺の些細な変化に気づかないくらい、当時付き合ってる彼女にそれはもう夢中だったし、浮かれてたと思う。
これまでやったら、こんなんウソやって気づいてたやんか、おまえ。
彼女できた途端、俺のことなんかどうでもええんか。
まあ、どうでもええよな。そらそうや。
社会人になって、部活漬けだった頃は作ろうとしても作れんし、興味もさほどなかった彼女ができて。新しくて楽しいもんにはとことん目がない侑が、はしゃがないわけないよな。
好きなやつに、恋人との話を無邪気にされるのって、しんどいんやなぁて初めて知った。
嫉妬で胸が掻きむしられるように苦しくても、俺と侑は兄弟で双子で家族で、そんな気持ちを誰にも言えなくて、ちょびっとだけそれも辛かった。
つらくて。さびしくて。
そんなオブラートに包みまくった侑への不毛でしんどいだけの気持ちを唯一聞いてくれたのが、北さんだった。
オブラートには包んでたつもりだけど、結果としてはフツーにバレてたらしい。でもあえて言及せんでくれてた北さんは、やっぱり人間ができてる。誰かさんとは大違いや。
あのときとか、特にしんどかったな。五人目の彼女のとき。
俺はその頃、昼間に飲食店でバイトしながら夜間に通ってた専門学校の卒業前で課題に忙しくしていたから、侑のことばかりに気を取られないで済んでいた。でも「最近なんで泊まりに来へんの?」と侑が言うから、そんなんテメェに彼女がおるから遠慮してんねんアホツムと言うのをグッと飲み込み、仕方ないから週末に勉強道具を抱えて泊まりに行ってやったときのことだ。
久しぶりに侑のひとり暮らしのマンションに足を踏み入れて、でも彼女が出入りしてる気配がまったくしなくて(基本の調味料がしぬほど無くて、逆にドン引いた)なんや彼女あそびに来てへんの?と聞けば「どうも彼女を自宅にあげる気になれん。なんか嫌やねん。でも誤魔化すのも限界がきたから、二泊三日の旅行に行くんや」と。それはもう意気揚々と報告された。
どこの温泉がええやろかとか。
ここ観光したら盛り上がるよなぁとか。
オススメの飯屋とか教えてくれとか。
旅行の行程を楽しそうに話す侑に、俺はうまく笑えもせず、でも機嫌を悪くするのはもっと自分が嫌になるから、ずっと変な顔をしたまま侑の部屋のリビングで適当に相槌を打つ。
でもそういうの。
やっぱり対面だとバレんねん、ツムには。
「なにをビッミョーなツラしてんねん。もっと身ぃ入れて聞けや」
いや、カップル旅行の計画めっちゃノリノリで相談するとかされるとか、そんなん俺らこれまでせえへんかったやん、逆に。いきなりなんやねん。女子高生か。
と言い返したら、まあ確かにな?とすんなり引き下がった。そんだけ旅行に浮かれる侑は、機嫌がすこぶるよかった。それがわかるから。手に取るようにわかるから、余計に苛立って仕方なかった。
引き下がってもなおイマイチという態度を侑がしてたのは、どうせ「俺が楽しみにしてることなのに、なんでコイツも興味あらへんのやろ」とかそんな理由だ。人のことをなんだと思ってんねん。でももしそれを言葉にしたとして、返してくる答えはどうせ「俺のことなんやから、お前も知りたいやろ?」とか、そんなんや。まるで当然とばかりに。迷惑すぎる話だ。
(お前は俺を、一番にはできないくせして)
後日、その二泊三日の旅行は無事に決行されたらしく、ご丁寧に侑からお土産までもらった。温泉まんじゅうだと。いや温泉まんじゅうには罪ないし、たしかに俺が好きそうなやつ選んでるなぁって感じで、美味かったけども。
美味かったから、北さんの田んぼを手伝いに行くついでに持っていって、北さんが出してくれた茶と一緒に飲んだら、ひとりで食べるよりは上手く飲み込めた。
「そんなつらい顔するくらいやったら、もうアイツのことは諦めてもええんちゃうか」
縁側で茶を飲みながら、静かに言われた。
あまりに静かで、そんで優しい声だから、不意打ちなのもあり俺はうっかり涙ぐんだ。辛うじて涙はこぼさなかったけど。
「やっぱ、
……北さんから見ても、不毛やと思いますか」
「不毛とは言わん。けど、ただでさえお前らがもし兄弟の枠を超えようってなったら、世間からは後ろ指さされるような分厚い障壁がある。それかてふたり揃って、そんなもん関係あらへんっていつも通りのおまえらで行くなら、もう外野がなに言うてもどうせお前らは聞かんし、それもらしくてええと思う。でも今みたいにお前の一方通行やと、お前がしんどいだけや。俺はおまえらのこと、自慢の後輩やと思うとるし、大事な仲間や思うとる。そんな大事な仲間が、しんどい思いしてんのは、よう見てられん」
北さんの言うことは正論で、それでいて俺に優しく寄り添うものだった。言われた通りだ。俺は、先輩に心配をかけるような恋をしている。そう改めて自覚させられた。でも。
「
……って言うても。はいそうですかって、やめれたら苦労せんよな」
「すんません
……」
「なんもお前が謝ることないやろ。
……せや、だったらお前も来たらええ。それがええな。うん、そうしよ」
「え?」
「アイツが彼女と温泉行ってんねんから、治も温泉行けばええねん」
「は?」
「俺と、ばあちゃんとで今度、有馬温泉行くんや。ちょうど福引が当たってな。四名までやのにふたり言うのもなあって話をしてたとこや。治がよければ、来たらええ」
もちろん最初はいやいや、家族水入らずに赤の他人の俺がついていくのも申し訳ないと断ったけど、ばあちゃんが普段のお礼もしたいし来てほしい言うてんねんと北さんにしては珍しく退かず。そこまで言われたらと、俺はお言葉に甘えて行くことにしたわけやけど。
でも何故か北さんに「侑には俺から言っておくから、お前からは俺らと旅行に行くこと、言わんとき」と言われ、理由はよくわからなかったけど北さんの言うことは絶対なので(魂に刻まれとるからな、こればっかりは)言いつけ通りに、旅行に行くことは黙っていた。
まあ、別に出かける用事をすべて侑に言ってるわけでもなかったし。それこそ彼氏彼女じゃあるまいし。俺が知らない侑がおるんや、侑が知らん俺がいたって構わんやろって。
行くと決まったら決まったで、俺は北さんたちとの旅行をわりかし楽しみにしていた。旅行なんて、学生の身じゃホイホイとは行けないし。バイトと学校の行き来ばかりだったのもあって温泉入るの楽しみや、くらいに思っとったら、泊まり先の旅館の部屋に、なんと侑が訪ねてきた。
旅館は二部屋用意されてて、北さんのおばあちゃんが一部屋。そんで俺と北さんで一部屋使うことにして、さっそく部屋で荷物を出したりしてたらインターホンが鳴って、北さんが珍しくにこにこと笑って「治、出てくれるか?」と言うから、言われた通りに出たら、侑だった。
もう本当にびっくりして。
目を三回くらい擦ったし、五度見くらいした。
「は? なんで?」
「なにが、なんで?じゃ、クソサムッ
…‼」
すこぶる機嫌が悪いですと顔に貼り付けた侑に、問答無用と手を掴まれて罵倒される。
でも罵倒される意味もわからず、怒りすら沸かないほど唐突すぎる展開に、俺は思わず部屋の中にいる北さんを見た。けど北さんはさっきのにこにこを貼り付けたまま、うんうんと頷くだけだった。
「なんでや。なんで言うてくれんかったんや」
「あ? なにがや」
「サム。北さんと、いつの間に、そんな関係になってたん
……」
「はぁ? そんな関係?」
「ふたりきりで泊まるとか。そんなん、嫌や。たのむ。やめてくれ。泊まるのだけは、あかん。お前が、北さんのものになるの、黙って見てられん
……気が狂いそうや」
「北さんのものになる? 俺が?」
「
……彼女とは、別れてきた」
「いや、ちょい待てやツム。落ち着け。お前さっきからなにを言うとんねん。そんで彼女と別れた? なんでや、お前めずらしく長続きしとったんちゃうんか。この前だって旅行まで行って
……」
「せや。気が合うし、かわいいし、胸でかかったし、ころころ笑うし、今度こそこの子かもって思っとった。でも別れてきた」
「なんで」
「そらお前のこと、北さんにとられとおないからに決まっとる。でも取られとおないって言える資格が、彼女がおる俺にはない。だから別れてきた。治のこと、取られるくらいならあの子のことはもうええねん」
「おまえ、北さん北さんって。さっきから、なんの話を」
「北さんから連絡あってん。治とふたりきりで旅行してくるって。ふたりきりの意味は察してくれって」
「ええ
……?」
北さんに思わず、変な声を出して困った顔をして振り向くと「悪いな。じれったくて、ついお節介焼いてもうたわ」とけろりと言った。この人、ホンマやるときはかます人なんよな。
ふたりきりじゃないのに、わざわざウソついて侑を煽ってる北さんに、なんでそんなことをと思ったら、北さんは部屋の出入り口に立ってる俺たちを素通りして「ほんなら、俺はばあちゃんの部屋でゆっくりするから、この部屋はお前らで使って、じっくり話でもせえ」と終いには俺のことを置いて出ていってしまった。
そのあとはもう、とにかく大変だった。
話し合えと言われたから、とりあえず部屋に入ってふたりで話したら、侑はずっと「今日、北さんのものになるつもりやったんか」だの「俺、自分で気づいとらんかったけど、お前が誰かのもんになるの、ほんま嫌やねん」だの「治は俺のんや。たとえ北さん相手でも譲られへん」だの「なあ、北さんとは別れてくれ。頼む」だの、支離滅裂かつ怒涛の詰め寄りに、キャパオーバーで畳に座ってるのに目眩がした。
目眩でくらくらしながら、絞り出すように「俺はそもそも北さんとは付き合ってないし、せやから間違いも起こりようないし、おまえはニブくてまったく気ぃついとらんかっただけで、俺はずっとおまえのこと好きでおったし」と白旗をあげる。
そしたら今度は「それを! なんで好きになったときに言わんねん‼」と怒り出した。
いやなんで怒られてんねん、俺。そんでコイツはどんだけ人でなしの暴君やねん。
「あほか。言われへんやろ、そんなん。おまえは彼女できたぁ〜言うて浮かれとんのに」
「そんなダサい浮かれ方してへんし‼ そんなら俺が彼女作ってんのを、おまえは俺のこと好きなくせして何も言わんかったんか⁉ そんなアホなことしとる俺に限って、どうしてお前どつかんのや! 普段はなにせんでもどつくくせして!」
「喧しいわっ‼ 嬉しそうに鼻の下伸ばしてるやつに、水さすみたいなことできるほど、お前みたいな人でなしやないんや俺は!」
「あぁ⁉」
「
……ほんまは、しんどかった。お前が、彼女との話、無神経にうれしそうにしてくんの。こんな胸が苦しくなること、あるんやな思うた。でもなんで言えると思う? 女に浮かれてるお前に、男の、しかも兄弟の俺が。お前のこと好きやから、彼女と付き合わんでくれとか。お前にこっぴどく、キモくてかなわん、もうお前とは双子でも家族でもなんでもあらへんて言われるかもって思ったら、どうして言える?」
言葉にして吐き出してるうちに、声が震えてた。
でも、震えはすぐとまる。
テーブルを挟んで畳に座ってた侑が、俺のところまで急いで来ると隣に座ってぎゅうぎゅうと抱きしめたからだった。そして珍しく神妙な面持ちで。
「
……気づけんくて、すまん。お前の片割れのくせに、そんなんも気づけんくて、アホや俺は。でもありがとう。ここまでそれ、捨てずにおってくれて」
辛いのに、それでも自分を好きでいてくれて、ありがとうなんて。どんな立場の、どんだけ面の皮が厚いヤツが言うんや。何様じゃ。
そう罵ろうと思ったけど、込み上げてくるもののせいで、うまく言葉にはできなくて。結局は、痛いほど抱きしめてくる侑のことを抱きしめ返す他なかったのだった。
ちなみに北さんのご厚意で、その部屋で俺たちはそのまま一泊したし、なんや、えらい盛り上がってしまったのは、許してほしい。
思いが通じあった場所が旅館の一室。俺たちもまだまだ血気盛んで性欲も余ってる健全な身体だったし、盛り上がってまうのは仕方なかったんや。
しかし、いま思い出しても北さんの一芝居は名優すぎたし、北さんから見たら俺だけでなく、侑のこともお見通しだったんよな。末恐ろしい人や。
そんなわけで結局、侑は彼女とやらを自分の家にあげることはついぞなかった。
そして侑のこのベッドは、今では俺を少しでも閉じ込めておくために作り上げられている。
こそばゆいけど、双子の兄弟ってだけでなく恋人って関係も加わってからの侑は、驚くほど俺を甘やかす方向にシフトした。
もともと侑は、自分が大事だと思うもんには一切の妥協ができない性格だ。そのぶっとい矛先が、バレーの次に自分へ向いてるのは悪い気はしない。
角名にはちょいちょい「うわ、重」とか言われるけど、正直、俺もアイツとDNAは変わらんし、好きなもんにはとことんという性分にあんまり差分はなくて。
だからこだわりの強いあの侑が、俺のためにあっさり俺のいいようにベッドのシーツを変えるのも。俺の家に来るときはさり気なく「翔陽くんがオススメやから治にもぜひ、言うとったやつ」と話題のスイーツを置いていたりするのも(自分はさほど甘いもんなんて興味ないくせに)。俺がこの調理器具気になってん、とぼやいてたものが、いつの間にか侑のマンションのキッチンに置いてあったりするのも。俺が泊まってくとせっせと人の衣服を自分のものと一緒に洗濯して、同じ柔軟剤の香りをつけるばかりか「乾かんから俺の服、着てってな」なんて俺の趣味じゃないって一発でわかる洋服を着せて帰らせるのも。特に重いだのなんだのと思ったことは一度もない。なんならちょうどいいウエイトだ。まあ、ダンベルのちょうどいい重さなんて、人によりけりやしな。
そんな俺に心地いい、いつまでも寝転んでいたいベッドで。でもこうして目が覚めてひとりにされてたら、意味がない。
いくら居心地がよくたって。肌触りのいい、高いパイル生地のシーツだからって、そんなもの、お前の体温に勝るものなんてないのに。
少しだけ自分より少し高めの、あの体温が恋しい。
どこいったん、侑。
あんなにお前の形にしといて。
腹のなか、寂しい。
ココはきっとまだ、お前の形のまま開いてるのに。
裸のままベッドから起きて、自分の服がやっぱりどっかにいってて。また洗濯機に勝手に入れられたんだろうと推測する。
まあええか。仕方なく、そのへんに放られた侑のTシャツとハーフパンツを身に着ける。たぶんこれは、アイツが昨日着たやつ。だって侑の匂いがする。
「俺の服はソッコー洗濯機に放るくせして、自分のは洗わんのかい」
でもまた脱いで、新しいのを出して、とするには頭も身体も起きてないし。あと侑の匂いに包まれていられるのは、言うてまんざらでもないし。仕方ないという体でそのまま侑が居るだろうリビングに向かうと、珈琲のほろ苦い香りが漂ってくる。わざわざドリップして淹れてるんだろう。珍しい。リビングじゃなくて、その手前にあるキッチンに目的地を変更。
半分はまだ閉じてる瞼のまま、のったりと歩いてキッチンにたどり着くと、珈琲の香ばしい匂いがより強くなった。あと豆の種類のせいか、すこし酸っぱい匂いも混じる。
「
……あつむ」
「あれ⁉ なんや、てっきり今朝は部屋から出てこんと思っとったけど」
言って、俺とは反対にしっかりしゃっきりした受け答えをしてくる侑に、なにをよそ行きのツラしとんねん、と開口一番でモヤりとする。
なんやねん。いつもは俺より、朝に激弱なくせして。
いつもベッドでグズグズしてるのはお前の方やろ。なのに今朝はえらいカッコつけとるやん。
というか、侑の格好を見ると外に今にも出かけられるような服をばっちり着込んでいて、頭には寝癖ひとつ残らず、いつも通りにワックスで完璧にセットされていた。しまいには。
「さ、サム
……⁉」
「やっぱり
……、香水までつけとるし」
ドリップ中の侑の背中に回って、後ろからぎゅうっと抱きついて、匂いを嗅いだ。すんすんと鼻で呼吸して、やっぱりムスク(俺がええ香りやなって珍しく言ってから、こればっかつけるようになった)をつけてるな、おでかけ準備万端やないかい、とますますムッとなる。
「ツム。今日、出かける予定あったっけ
……?」
「へあ⁉ え、べ、べつに、ないけど」
「えらい支度ばっちりやん。
……ベッド、もどらん?」
「ベッ
……⁉ いや、まあそら、もう起きたし。な?」
「
……まだ俺、寝てたい
……。でもツムは、
……今日は、もういらん
……?」
「いっ
……! いらん、わけがないやん⁉ せやけども
……!」
さっきからまったく乗ってこない侑に、苛立ちよりも、寂しくなってくる。
俺が、こんなにわかりやすく甘えてるのに。
あと侑がなんだか余所余所しいのも気になる。まるでソトヅラモードの侑だ。いつもの侑だったら「はぁ〜〜〜、なにそれ、めっちゃかわええ
……。起きて俺がおらんくて、寂しなったん? すぐ行くからベッドで待っときや。もすこしイチャイチャしよなぁ〜♡」くらいデレデレの顔して、返してくるとこなのに。
「なか、
……さびしい」
「ひ
…っ! ちょちょちょいタイム、おさむ、それ録音したい‼
……って、ちゃうわ! いまはそうやなくて!」
「起きたら、おらんから。
……ここ、きゅうきゅうさみしい言っとる」
「おおおおおまえは! なんで今に限ってそんなデレてくるん
……っ‼」
なんの拷問なん⁉とか侑が叫ぶから、さすがに寂しさよりも苛立ちのボルテージの方がグワッと既定値に達した。
「せやから、なんで今日はそんな他人行儀やねん! 今に限ってってなんやねん! 大体テメェはっ」
だから。ぜんぜん人のことを甘やかそうとしてこない、俺の恋人の顔を封じてる侑に、なんやねんと不満をぶつけようとしたところで。
「へえー! ミャーサムって、ツムツムとふたりっきりだと、そんなデレんのなー!」
「わーーっ‼ 木兎さん‼ いま話しかけないほうがいいです多分ッ
…!」
自分と侑以外の声がして、俺は本当に心臓が口から飛び出るかと思うほど驚いた。
それから「あちゃー
……」と漏れてくる侑の声。
あまりに驚きすぎて、侑の背中に抱きついたまま離れるのを完全に忘れたし、でもそこから一瞬で昨日から今朝までの現状に至るまでのすべてを思い出した。
寝ぼけていて、すっかり忘れていた。
昨夜はこの侑のマンションに翔陽くんに木っくんに、臣くんまで来ていて、俺も混ざって酒盛りして。そんで。
(ああ、
……せやからあんな必死に声、殺さなあかんかったんやった
………)
青ざめながら、昨日やたら声を殺さなきゃならなかったのは、客間には翔陽くんと木っくんが寝てるからだったことを、俺はようやく思い出したのだった。(ちなみに臣くんは終電でしっかり帰って行った。ブレへんよな)
「おはよー、ミャーサム! 朝のイチャイチャタイム、邪魔してごめんな! でも腹へっちゃってさぁ」
「あの、ほんと朝まで居てすみません
……‼ でもあの俺たち何も見てませんし! 聞いてないので‼」
「いや、それはさすがに無理あるやろ、翔陽くん
……」
もういっそ、今すぐこの場で気絶したい。
そんな衝動をどうにか堪えて、俺はなんとか翔陽くんにツッコんだものの。
リビングのソファでくつろぐふたりが、こちらを曇りない眼で見てきて、思わずまた精神的なダメージをくらう。俺はここで絵に描いたようによろけて、ようやく侑に抱きついてた身体を離した。
ちなみに侑はというと、両手で顔を覆っていて立ち尽くしてたから「なんでテメェが黄昏てんねん‼ 恥かいたのは俺やぞ‼」とツッコめば。
「あ〜〜〜! せっかくデレとるレアサムに出くわしたんに、ぜんっぜん堪能できんかった〜〜! ほんま、オマエなんで⁉ なんで今朝に限ってかわええことしよる⁉ その上なんでこんなふっわふわトッロトロのおまえを、他の男に見せたらなあかんねん〜〜ッ!」
泣きっ面に蜂やんけ〜!とまったく明後日の方向で世を憂いていた。なんやねん、コイツ。
そもそも俺が泊まりにくるって決まってた日に、テメェが突発で同僚を部屋に連れてきて酒盛りなんぞするからじゃ‼と怒鳴りそうになったけど、翔陽くんや木っくんにまったく罪はないし、いまここで言うことではないと飲み込んだ。辛うじて。
「いま、ツムツムに珈琲いれてもらってんだけどさぁ。朝ごはんに俺はミャーサムのおにぎり食べたい!って言ったら、ツムツムはミャーサムは今日は起きてこないから諦めろ、朝飯はこの珈琲飲んだら外のカフェに行くからの一点ばりで。な、日向!」
「侑さんの、絶対に寝起きの治さんを俺たちには見せてやらない!ていう、強い意志を感じてたとこデス!」
「そんなん当ったり前やし⁉ サムの朝のとろーんとして、ふにゃーんとしててめっちゃかわええの、なんで俺以外の野郎に見せなあかんねん! 大体サムもサムや、翔陽くんらがおるし、どうせ朝はもうふたりが出てくまで部屋から出てこんやろ思ってたのに、なんじゃホイホイ出てきよって
…!」
「なんで俺のせいにすり替えてんねん、クソツム‼
……はぁ。もう恥ずかしがってんのがアホらしくなってきたし、飯作るわ。ぼっくんは何がええの」
「え⁉ 作ってくれんの⁉ お疲れのとこ、ごめんな〜! 俺は肉入ってるやつ!」
「そぼろでええな。翔陽くんは?」
「なんかすんません‼ でも治さんのおにぎり、食べれるの嬉しいです! 俺は玉子とかあったら!」
「ん。せやったら、おにぎりは普通に塩と海苔にして、だし巻き玉子つけたろか」
「あ! それ俺も俺も‼ 俺も食べたい!」
「おん。ぼっくんにもつけたろな」
「「あざーーーっす‼」」
「待て待て待てサァム‼ そんなえっちな格好のままキッチンに立ったらあかん
……! そんなんでエプロンつけたら、オマエ十八禁やん‼」
「アホなこと言うとらんで、テメェも手伝えや。冷蔵庫から卵四個とれ」
「い・や・や! そんな俺の彼シャツで、寝癖ついたまま、気怠い色気ダダ漏れのエプロンサムを! たとえ翔陽くんや木っくんでも見せとおない‼ せめて着替えてシャキッとしてきて!」
「お前はなにをさっきから恥に上塗りしとんねん! 喧しいわッ‼」
あまりにも侑がよくわからないことを言い続けるものだから、我慢してた蹴りをついに出してしまい、お客さんおるのにキッチンで危うく殴る蹴るの喧嘩をおっ始めるところだった。ほんまコイツなにを真顔で言うてんねん。
そんな休日の朝の始まり。腹をすかした妖鳥たちに、たーんと美味しい飯を出してやり満足させたら、あっさりとふたり揃ってマンションを出ていった。
てっきり侑とこのあとも何か約束してると思っとったから、なんや気を遣わせてしもうたかなとぼやくと、アホツムは「ぼっくんから、今日はミャーサムの機嫌をこれでもかと取っといた方がよくね?て、割と真っ当なアドバイスいただいたわ」と俺のことを後ろから抱きしめて、地蔵のようにソファから動かなくなったまま報告してきた。
いや、もうここまでくると羞恥心も、曲げるヘソも、とっくにどっかに放ってしまっていた俺だけど。
でも、侑がこれでもかと機嫌を取ろうとしてきたり。あとは、俺のいかにもセックスしてましたってツラとナリをふたりに見られたことに、一日ずっとどうしようもなくモヤモヤしてる様子を眺めてるのはオモロかったし。
それで、まあええか、と思ってしまう時点で、俺も大概やなと思う。
思うけど、仕方ないよな。あれや。惚れたほうが負けってよく言うし。
……いや負けてないけどな。
「なあ、サァム〜〜」
「猫撫で声キッショ」
「朝のやつ、もう一回だけチャンスくれん?」
「朝のやつって、どれ」
「『ツムは、
……もう、今日は、いらん
……?』」
「記憶にございません」
「『おきたら、おらんから。
……ここ、きゅうきゅうさみしい言っとる』」
「同じく記憶にございません」
「そんなわけあるかい‼ なぁ、あれいま言うてくれへん? したら、サムはここが寂しいねんな♡ほな、いまから俺のでよしよししたろな♡て言うから〜。サムやって、ほんまにまだここ、寂しいんとちゃうん?」
「
……開いとる」
「お?」
「テメェのちんこの形にまだ奥が開いとる言うてんねん。ぐだぐだしてないで、とっとと人のこと襲ってこんかい」
俺の煽りをまともに受けて、シビビビッと髪の毛までぶわりと立たせて雄のツラするこの侑が、俺はほんまたまらなく好きで。
そんで、このツラを拝めるのが俺だけなら、まあいいかって。そう思ってしまうんや。