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shirajira
2024-09-14 20:54:19
8168文字
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お前がいるなら天にも地にも変わりはなく
2024.9.14ビマヨダワンドロより、お題「死後」。死んだ後にヨダナと再会するビマの話。捏造設定あり。よくわからない話です。
最愛の妻が、弟たちが倒れ、息を引き取っていく。膝が折れ、頬が地面に着いたところで、自分の番が来たことを悟った。
俺の罪とはなんだろう。今ここで、冷たい大地に横たわり、生を終えねばならない罪とは。ああ、教えてくれ兄貴。俺の罪とは。
「ビーマ。お前は大食らいで、自分が腹を満たしている時は周りのことを少しも思いやらなかったろう。その報いを今、受けるのだよ」
…………
いや。いやいやいやいや。
えっ? 俺の罪ってそれか? 食いすぎってことか? 確かに俺は、周りよりたくさん食べるけども。でもちゃんと、自分の皿に盛られた分を食べていたぜ? 他のやつから奪ったりとかしていなかったぜ?
他に。他にもっとあるだろ。なあ、ユディシュティラの兄貴。まさか俺の罪はそれだけか? 食いすぎってだけで、こんな死に方をするのか?
そんなの。そんなの、おかしいだろ。
ユディシュティラの足音が遠ざかっていく。嘘だろ、と思う。
マジで今ので全部なのか? 食いすぎ、それだけ? おいおいおい。
焦っているのか、怒っているのか、自分でもわからない。とっさに手を地面について起き上がろうとするのに、体に力が入らなかった。
目蓋が勝手に落ちていく。声が出ない代わりのように、涙が一粒ポロッと零れて、それで最後だった。
ふとビーマは、自分が霧の深いところに立っているのに気づいた。地面はおろか、一寸先も見えない。
ここがあの世とやらだろうか。もう鼓動を止めてしまった胸に手を置いて、途方にくれる。どこかに弟たちやドラウパディーがいるのだろうか。
自分は、彼らと同じ場所に来れたのだろうか。
ふと、耳が異音を拾った。何かが近づいてくる。霧しか見えない視界の中、目を凝らし、音を探る。
ギャリギャリギャリギャリギャリ! ものすごい音を立てて走ってきたのは戦車ではなく、椅子だった。
厳密には車輪のついた椅子である。珍妙な椅子に座った男の周りだけ、霧が晴れて見えた。ぽかんと口を開けたビーマを見て、椅子に座った男がわざとらしく叫んだ。
「おいおいおい、誰かと思えばビーーーマではないか! しばらく見ないうちに、随分と老いさばらえたものよなぁ!」
「
…………
ドゥリーヨダナ」
ビーマは呆然と男の名を呼び
――
崩れ落ちた。
「てめえがいるってことは、ここは地獄かっ
……
!」
「は? わし様がいるのだぞ天国に決まっとるだろ!」
「地獄に落ちるだなんて
――
食いすぎの罪、重すぎだろ!」
拳で地面
――
地面か? 霧しか見えないのでわからない
――
を殴る。情けなくて仕方なかった。
きっとドラウパディーも、弟たちも、天国に行っただろう。ユディシュティラは彼らにも罪がなんちゃらとか言っていたが、そんな大したものでもあるまい。きっと、いや絶対、天国に行っている。ユディシュティラだってそのうち、天国にたどり着くに違いないのだ。彼らは皆、素晴らしい人物だった。
なのに俺と来たら。
「おい人の話を聞け! 名誉毀損で訴えるぞ!?
……
おい泣くな!」
困惑した声が耳に届く。眉を八の字にし、口をへの字にした顔が思い浮かんだ。顔を上げれば思うい浮かべていたのと同じ顔がこちらを見ていて、ああ、と思う。
ああ、本当にドゥリーヨダナだ。ドゥリーヨダナなのだ。
ビーマたちを散々苦しめた憎い男。ビーマが卑怯な手を使って殺してしまった男。
一生、ビーマの心の片隅を陣取り続けた男。
「
……
まあ、落ちちまったもんは仕方ねえか」
「うわあいきなり落ち着くな!?」
すっくとビーマが地面から立ち上がると、ドゥリーヨダナが喚いた。いちいちうるせえやつだなと目をやる。珍妙な椅子から、ドゥリーヨダナが立ち上がる気配はない。
「何なんだよ、お前のその変な椅子」
「これか? いいだろう。わし様にふさわしいゴージャスさ、おまけにこうやって車輪を回すことで座りながらにして移動できる優れものだ!」
肘おきの外側につけられた大きな車輪をドゥリーヨダナが回せば、椅子が前後した。ドゥリーヨダナが得意気な顔をする。
「羨ましかろう~? だがこの椅子は一人用でわし様専用、お前のものはなぁ~い! 泣いて悔しがるがよい! わはは!」
「歩くことすら横着がってるのかよ」
鼻で笑ってやると、スン
……
とドゥリーヨダナが笑みを消した。その異様さに、ビーマはたじろぐ。
「な、なんだよ?」
「わし様が好きでこんな移動手段を取っているとでも?」
ドゥリーヨダナが、するりと左の太股を撫でた。
ああ、そこは。そうか、あるのか。
かくん、と膝が折れた。驚いた顔でこちらを見下ろすドゥリーヨダナの姿が、みるみるうちにぼやけていく。
「おいおいおいおいおい、何で泣く!? 情緒不安定すぎでは!?」
「う、うる、せっ」
自分でも、何で泣いているのかわからない。恐ろしいのか、嬉しいのか。下を向けばポロポロと涙が零れ落ち、霧の向こうへと消えていく。
やっぱりここは、地獄なのだろう。だってドゥリーヨダナがいるし、ビーマの罪もそのままそこにあるのだし。
なかったことにはなっていない。見て見ぬふりは許されない。ただそこにある、ビーマの罪。許されるべきではない、断じられるべきのそれ。
「うぉ~い泣き止め!? お前の情けない面を見るのは楽しくはあるのだが、何というか落ち着かんというか思ってたのと違うというか
……
ええい、くそ!」
ガタン、と椅子から立ち上がる気配に顔を上げる。次の瞬間、抱き締められた。
温かい。死んでるはずなのに。懐かしいにおいがする。香ばしいような、甘いような、腹を空かせた子供をふらふら誘うような、そんなにおい。
生前抱き合うことができていれば。何か変わったのだろうか。
思いながら、震える手で抱き返そうとしたところで、がしっと頭を掴まれた。
「よーしよしよしよしよし! 泣き止め~!! 泣いていると天国に行けんぞ! 行きたいだろう天国!? お前のお父上も首を長くしてお前が来るのを待っておるぞ、ほら泣き止め!」
わしゃわしゃと髪をかき混ぜるようにして撫でられる。指先が頭皮を撫でる感覚は気持ちよくはあった。あった、が。
「やめろ、俺は犬じゃねえんだぞ」
髪をぼさぼさにしてくる手を、掴んでやめさせる。これといった抵抗もなく止まったのをどこかで惜しむような気持ちもあったが、無視して尋ねる。
「父上が待ってるっていうのは、どういう意味だ?
……
どっちの、父上の話だ?」
「ヴァーユ神だ。本来はお前の迎えはヴァーユ神が行うはずだったのだが、あの神はお前に甘すぎるからと、ダルマ神とインドラ神が言われてな。それでわし様が代わりにやってきた。この素晴らしい椅子はその褒美にもらったのだ」
先払いとは気前がいいことだ、とドゥリーヨダナが言うが、ビーマはよく聞いていなかった。
「わざわざお前が地獄から俺を迎えに
……
」
それって脱獄じゃねえのか? と不安になる。神々はドゥリーヨダナのことを舐めているのでは? こいつは伊達に不屈の戦士の名を冠していないんだぞ?
「お前、地獄を牛耳ってたりはしねえよな?」
「だから地獄じゃないと言っとるだろうが! 天国だ天国! お前も見ただろ、わし様が天から祝福されて花を降らされたところ!」
それはビーマが決闘によってドゥリーヨダナの腿を打ち砕いた後のことである。啖呵を切って激しくパーンダヴァを詰問したドゥリーヨダナには、天から花が降り注いだ。
あの時ビーマが感じたものなんて、何も知らないであろう男が「わし様はクシャトリヤとして立派に戦ったからな、天国で面白おかしく暮らしとるのだ」と胸を張る。
「ふふん、羨ましかろう? あれほどの大戦は早々ないからな。わし様はVIP対応を受けておるのだ。向こうにはカルナはもちろん、弟たちもおる。ビーシュマ老だっているのだぞ」
「そうか」
この男は、天国にいるのか。クシャトリヤとして立派に戦って死んだから。
「じゃあ、やっぱり俺は天国には行けないんだな」
ビーマは立ち上がった。きょとんとした顔でこちらを見上げる男を見下ろす。
やることなすこと悪辣な男だった。散々煮え湯を飲まされた。けれども比類なき戦士であり、ビーマにとっては唯一無二の、好敵手であった。
その好敵手を、比類なき戦士を、卑怯な手で殺めた自分は、天国に行く資格がないのだろう。ドゥリーヨダナの言う通り、羨むことだけが許されるに違いない。
「わざわざ俺のこと笑いに来たのかよと思えば腹が立つが
――
まあ、お前の顔を見れてよかった。少なくとも今の俺はそう思う。向こうで俺の兄弟たちに会うこともあったら、仲良くしろとは言わねえが、俺がいないからって喧嘩売るような真似は」
「いや勝手に誤解して話を終えようとするな!?」
ドゥリーヨダナが勢いよく立ち上がった。
――
立ち上がった?
「おい、お前、足」
慌てて支えようとした手が、行き場を失ってさ迷う。眉を寄せ怪訝な顔をしていたドゥリーヨダナが、ああと瞬きをした。
「死んだ時の怪我をそのまま引きずってたら、このハンサムフェイスなわけなかろう」
確かに、ドゥリーヨダナの顔は綺麗なものである。とても戦争で死んだ顔には見えない。
「んだよ、じゃあその椅子は何だったんだよ」
「腹が立ったか?」
そう問われてみると、別に腹は立っていなかった。呆れはするが。
「いや。お前らしい姑息な真似だとは思うが。どうせ俺の罪悪感を煽って~とかだろ」
「貴様のそういうとこ、ほんっっっとに腹立つな。だからお前の迎えなんて嫌だったのだ」
ぶつぶつと呟いて、それからドゥリーヨダナが「おい大食いの胃袋底無し野郎」と呼んできたので、ビーマは「なんだよトンチキ王子」と返してやった。
「わし様に抱擁しろ」
「は?」
「接触面積を最低限にしたいのならキスでもいいが」
「死んで更に頭がトンチキになったのか?」
思わず心配してしまう。ドゥリーヨダナが地団駄を踏んだ。
「その可哀想なものを見る目をやめろ! いいか、天国に至るには、悲しみも怒りも、敵意も捨てる必要がある。この霧はお前の悲しみ、怒り、敵意だ。それを捨てねば、天国への道は開かん」
そう言えば、死して天国に至った者には苦しみがないのだと聞いた。生前の悲しみからも怒りからも解放され、ただ穏やかな気持ちで過ごせるのだと。
目の前の男が穏やかなようには、見えないけれど。ビーマの知っているドゥリーヨダナそのものである。
いやビーマの知るドゥリーヨダナは、抱きしめろだのキスしろだの言わないけど。
「つまり?」
「かーっこの次男坊! 何でも聞けば答えが返ってくるものと思いおって!」
「勿体ぶらず教えろ、お前ドヤ顔で高説垂れるの好きだろ」
ビーマが促すと、ドゥリーヨダナが顔を赤くして呻いた。やがて吐き捨てるように、言う。
「お前は、わし様に対し思うところあるだろう。怒りも、憎しみも、敵意も。生前抱えてきたものが。だからこんなにも霧が深い。それを捨てろ。そうすれば霧が晴れて、お前は天国に招き入れられる」
「
……
お前は俺に対する試練ってことか」
ドゥリーヨダナがわずかに顎を引く。棒立ちの男と、ビーマは向き合った。
腕を広げる。ドゥリーヨダナは動かない。ビーマはその体を抱き締めた。しっかりと抱き締め返されて、たまらなくなる。
生前こうすることができていたら。思って、すんと鼻を啜る。ドゥリーヨダナのにおいがして、余計にどうしようもない気持ちになった。
「
……
霧が晴れんな」
怪訝なドゥリーヨダナの声に顔を上げる。目が合った。ピンクサファイアの瞳に、ビーマが映る。今は憎悪に濁っていない瞳に、なるほどと思う。確かに生前のドゥリーヨダナと目の前のドゥリーヨダナは違うようだった。
もっとよく見たい。思いながら顔を寄せる。鼻先が擦れる。唇と唇が触れる。柔らかい。湿っていて、温かい。
もっと。伸ばした舌先で、小さく開いた口腔に押し入ろうとした、途端。
「待て待て待て!」
「んだよ、キスしろって言ったの、お前だぞ」
手でキスを遮られる。ビーマが唇を尖らせると、ドゥリーヨダナが喚いた。
「誰もお口とお口のキスとは言っとらんわ! それよりおかしい、これだけしても霧が晴れんとは」
確かにドゥリーヨダナの言う通り、霧は少しも晴れていなかった。相変わらず、ドゥリーヨダナ以外にはほとんど何も見えない。
「お前とわし様だぞ? ハグとキスまでして天国への道が開かんとかどういうことよ?」
「足りねえならもっとするが」
「お前は急に下心を出してくるな! 本当にわし様への怒りや憎しみを捨てとらんのか!?」
叫んだ途端、ドゥリーヨダナが突然黙り込んだ。何かと思えば、じろじろと舐め回すように顔を見つめられる。
「んだよ」
「ビーマ。ビーマよ。お前は腹の立つくらい正しいやつだった。お前らはいつだって公正だった。
……
お前、誰に腹を立てている? 何を悲しんで、ここまで生きてきた?」
何を。そんなものはたくさんある。目の前の男の所業。無慈悲な運命。己の無力さ。嘆き悲しむ声と、川を作らんばかりの涙。口先ばかりの慰めの言葉。
あの男は正しく報いを受けたのだ。あなたのしたことは何も間違ってはいない。あなたは誓いを守っただけなのだから。
あれは運命だったから。仕方のないことだったのです。あの子は使命に従って、運命によって命を奪われた。それはどうしようもないことだったのでしょう。
そんなわけ。そんなわけ、ないだろう。
俺のしたことは正しくなかった。正しかったのなら、花は俺に降り注いだだろう。
あれは運命なんかじゃない。あいつを殺したのは運命じゃない。あいつ自身の行いの結果、何よりあいつを止めることのできなかった伯父上たち、あんたらだ。そして、俺だ。
俺が、間違った手段で、あいつを殺した。正しくもない、運命でもない。俺が、やった。
なのにどうして、みんな俺の罪をなかったように扱うんだ。
「お前、自分自身に腹を立てておるのか。それとも、お前を罰しなかった周囲にか?」
静かな声に答える言葉を、ビーマは持っていなかった。ただ男を抱き締めている腕に力を入れると、ため息が返ってくる。
「は~~~これだからいい子ちゃんのパーンダヴァは
……
おいビーマ、このままお前に付き合い続けて天国に帰れなくなるのは嫌だからな、仕方なくではあるが、わし様がお前にありがた~いお言葉を授けてやる」
ポンポンと雑な手付きで背を叩かれる。
「いいか、まず何より勝つことが肝要だ。お前は勝った。だから誰もお前を罰することはできん。腹立たしいことにな。お前は胸を張っていていいのだ」
「
……
お前を卑怯な手で殺したのに?」
「ああ」
呆気ない肯定に、ビーマはドゥリーヨダナの顔を見た。ドゥリーヨダナはなんてない顔をしていた。まるで毎朝太陽が昇るのは当たり前だと言わんばかりの顔。
「卑怯が何だ? 勝てばいいのだ。勝ったものが、選ぶ権利を持つ。お前は勝った自分を誇るといい。この最強の戦士であるわし様に勝ったのだから」
「お前じゃねえんだから、そんな簡単には割りきれねえよ。
……
他のやつに対し腹を立てるのはお門違いだっていうのは、わかったが」
口した途端、少しばかり霧が薄らいだ。ドゥリーヨダナがしかめっ面をする。
「難儀なやつだなあ。お前自身のことは、許してやれんのか? もう終わったことなのに? これからお前の名は、非の打ち所のない大英雄として語り継がれていくかもしれんのだぞ?」
「他のやつにとっては終わったことでも、俺にとっては終わってないし、他のやつが俺をどう扱おうが、俺のやったことが変わるわけじゃねえだろ」
霧の濃さはビーマの抱えた怒りや悲しみだという。それを捨てなければ、天国には行けないのだと。
捨てることができるものなら、とっくに捨てている。それができないから、ビーマはビーマなのだ。
「
……
俺がこのまま天国に行けなかったら、お前、一緒にいてくれんのか?」
ふと気になって尋ねると「勝手に人を道連れにしようとするな!」と返ってきた。それもそうだな、と思う。
地獄に道連れはいらない。一人でいい。
「おいビーマ、お前また勝手に何か思い込んどるな? そのキリッとした主人公顔をやめろ!
……
こっちはヴァーユ神にお前のことを頼まれているのだ、早く天国への道を拓いてくれんと困る! 迷惑だ!」
「そうは言ってもな」
こいついつまで抱き締めさせてくれるんだろう。思いながら至近距離の顔を見つめていると、ドゥリーヨダナが「よし、ではこうしろ」と言った。
「お前はお前自身のしたことを許せないでいる。他の誰かが許したとしても、それでは意味がない。例え張本人のわし様が許したとしても。そうだな?」
「
……
ああ」
「なら、許せないお前自身を許してやれ」
言われた意味がすぐにはわからずビーマが瞬きを繰り返していると、鈍いやつだなあ、とドゥリーヨダナが眉を跳ね上げた。
「結局のところ、お前が一番怒りや悲しみを抱いているのはお前自身だ。それを一歩引いて、客観的に許してやれ。どうしようもないお前自身を」
「てめえにどうしようもないとか言われたくねえんだが」
それでこの霧が晴れるのだろうか。ビーマの疑問に、晴れるだろう、とドゥリーヨダナが答える。ビーマ自身を許す行為であるのは確かだろうと。
「ほとんどとんちじゃねえか」
「とんちだろうがトンチキだろうが、何だっていいのだ。言いくるめられさえすればな」
こいつのこういうところ、死んでも変わらねえな。俺も死んだってさほど変わらないし、そういうもんなのかもしれねえ。
天国には苦しみがないのだという。なら、そこに至れば本当に、怒りや悲しみを忘れられるのだろうか。苦しまず、こうして抱き合うこともできるのだろうか。
「ほら、早くお前自身を許してやれ。わし様早く天国に帰ってだらだらしたいのだ」
「
……
なあ、お前は俺を、許したのか? 天国に至るために」
ビーマの問いに、ドゥリーヨダナが目を細めた。口許に柔らかく浮かんだ笑みに目を奪われていると、ぷっと吹き出される。
「はは、何だその顔は! わし様がお前を許したか、だと? 許す許さないの話ではないだろう、わし様たちの間にあるものは!」
一瞬ピンクサファイアの瞳に去来したものは、生前見慣れたものだった。嫉妬、憎悪、憤怒。けれどもすぐにすうっと奥に引っ込んでしまう。
生前ドゥリーヨダナが抱えていた苦しみが、丸きりなかったことになったわけではないのだと、その一瞬で知った。あくまで許した、拒絶しないことを選び受け入れた、それだけなのだ。
ああ、いいのか。抱えたままでも。誰にも咎められず、罰せられず、一人罪を抱えるだけの、そんな俺でもいいのか。
そんな俺でも、こいつは抱き締めてくれたのだものな。なら俺も、好敵手と見定めたこいつに応えなきゃいけない。
思った途端に、視界が急に広がった。霧が晴れたのだ。清涼な風が祝福するようにビーマの周りで踊った。
澄み渡った空の下、咲き誇る花々が揺れている。「やれやれ」と大きく伸びをしたドゥリーヨダナが、椅子に腰かけた。
「これでようやく、天国に帰れるわい。あー疲れた。まったく、引き受けるんじゃなかったわ」
キコキコと緩やかに車輪が回り、椅子が動き出す。ビーマは手を伸ばした。
「うおっ何をするのだ!?」
「一人で行くなよ、俺も連れていけ。その変な椅子、押してやるから」
「押させてくださいドゥリーヨダナ様、だろうが。おい壊すなよ? これまだカルナにも見せとらんのだぞ」
「
……
ふーん」
急ぐ理由はなかったので。ビーマはゆっくりと、ドゥリーヨダナの座った椅子を押した。道中今度は自分から、誰に言われるでもなくこいつを抱き締めてやる機会はあるだろうかと、そう思いながら。
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