吾妻
2024-09-14 00:53:24
5363文字
Public アークナイツ
 

葡萄は互いを見て熟す【1】


1.

「崖崩れでこの先は通行止め……ですか」
 テキーラは、告げられたばかりの言葉を鸚鵡返しにする。
「ああ、数日前からね。お客さんたちも運が悪いね」
 座席まで料理を運んできたダイナーの店主が、心底同情した表情でそう言った。
 言われてみれば確かに。クルビアの血管ともいうべき国道沿いのモーテル兼ダイナーにしては、店内が閑散とし過ぎている。
「まさか天災で?」
 ボックス席の向かい側から、ややくぐもった声が上がる。
 フェイスマスクにフード姿の、よく見なくても不審な人物が、バイザーの奥から店主を見上げた。
 移動都市外の道路は、天災が起こりにくいルートを選んで敷設されるのが一般的だ。そうでもなければ天災によって破壊されるたびに修繕が必要になってしまう。クルビアの輸送網を担う国道もまた、例外ではないはずだ。
 店主は不審人物から上がった想定よりも高い声に、首を横に振る。
「い、いや……天災が起きたわけじゃないんだが……
 妙に歯切れの悪い返答だった。店主はそれ以上崖の崩落に関する話はせず、やや不自然な沈黙を保ったままテーブルの上にコーヒーを二つ並べた。
「このあたりで通信ができないのも、その崖崩れの影響で?」
「あ……ああ、そうみたいだな。どうやら通信基地局にも被害が出てるらしいんだ。数日前から離れた町と連絡がつかなくてこっちもお手上げでね」
 テキーラが少し話題をずらすと、そちらの方には乗ってきた。
「お陰でこの先が通行止めなことも周知されてなくて、お客さんたちみたいに足止めを食らっちまう人たちがいるのさ。復旧の目処も立ってないらしいから、急ぐなら引き返したほうがいい。まぁ、国道が通れるようになるまでウチに泊まってくれるってんなら大歓迎だけどな」
 店主の言葉を聞きながら、テキーラはついとテーブルを挟んだ向かい側へ視線を流す。ドクターもまた、物言いたげな眼差しをテキーラに向けていた。
 しばらく視線を合わせたあとで、ドクターが静かに口を開く。
……まずは食事にしようか。冷めてしまう前に」
 色々と話し合いたいことはあるが、あまりにも店内が静かすぎる。とりあえず腹ごしらえをして、店を出ることにした。


            *


「どうする? ここを通れないとなると、かなり引き返さなきゃいけなくなるけど……
 食事を終えて店を出ると、沈みかけの夕日が荒野を赤く染めていた。点在する岩場の間を通された真新しい幹線道路は、さながら干上がった大河のように沈黙している。目の前の国道は、近隣の移動都市への近道として数年前に敷設されたもので、平時なら一般車両はもとより輸送用のトラックも数多く行き交っているはずだ。
 しかし今は、吹き抜ける風の音がくっきりと聞こえるほどに閑散としている。
「引き返すのは構わないよ。仕事自体は片付いてるし、幸い急ぎの案件も抱えてないから。君も私もそこそこ有給が貯まってるし、休暇にしてもいい。問題は、本艦との合流ポイントに予定通りに着けなくなるのと、それを連絡する手段がないことかな」
「そうだね。まずは本艦に連絡する手段を見つけないとかな。少し離れた町に行けば別の基地局もありそうだし、クルビアの通信網に入れればなんとでもなるけど……
 まさか提携企業との会合帰りにこんな形で足止めを食らうことになるとは思わなかった。上司兼恋人と二人きりで遠出ができると浮かれ過ぎていたかもしれない。
 突っ立っていても事態が好転するわけもないので、ひとまず駐車場に停めてある社用車に足を向けた、そのとき。
「やめて――‼︎」
 まさに向かおうとしていた駐車場の方から、甲高い女の悲鳴が聞こえてきた。
……テキーラ」
「わかった。ドクターは俺の後ろにいて。前に出ないでね」
 ぐっと低められた上司の呼びかけで、テキーラは過不足なく意図を察した。
 背後のドクターを庇いつつ、足早かつ慎重に悲鳴の聞こえたポイントへ向かう。
 現場に近づくと、社用車を挟んだ向こう側に確かに人の気配を感じた。これほど近づいても姿が見えないということは、相手はしゃがんでいるのだろうか?
 片手で背後のドクターを制止したのち、テキーラは車を遮蔽物代わりにゆっくりと現場に回り込む。
 その目に飛び込んできたのは、地面に横たわって苦しそうに喘ぐ老人と、その傍らで顔色を無くしている若い娘だった。


            *


「お父さん……! ねぇ! しっかりして!」
 そこにいたのは、ヴァルポの父娘のようだった。
 若い娘は瞳に涙を溜め、声を震わせながら老人の体を揺すっている。しかし、老人は苦しそうに喘ぐばかりで娘の呼びかけには応えない。
……大丈夫ですか?」
 周辺に凶器になりそうなものもなければ、二人の振る舞いは演技と断じるには真に迫りすぎている。いざという時に即座に反応できる程度の警戒心は残しつつ、テキーラは二人にそっと声をかけた。
 かなり声を抑えたにも関わらず、娘はびくりと体を跳ねさせた。この様子では、他者の接近に全く気づいていなかったに違いない。
 しばらく呆けたようにテキーラの顔を見つめた後、娘は途切れ途切れに「父が、急に倒れて……」とだけ呟いた。
 どうしたものか思案するテキーラの傍らから、背後に控えていたはずのドクターが進み出て、娘の隣に膝をつく。浅い呼吸を繰り返す老人の様子を間近に見つめながら、「テキーラ」と部下を呼んだ。
「車から抑制剤を出して。鉱石病の発作だ」
「わかった」
 十中八九そうだろうと踏んでいたが、ドクターが言うなら間違いはない。社用車に常備されている抑制剤を取り出すべく、テキーラは車のロックを解除した。
 その間も、ドクターは老人の様子をつぶさに観察する。目につく限り体表への源石結晶の形成は見られない。服の内側まではわからないが、病状はそこまで進行しているわけではなさそうだ。
「あの……あなた……たちは? お医者様……なんですか……?」
 父親の発作に動転していたところに闖入者まで現れたせいで、娘はほぼ自失状態に陥っていた。どこか焦点の定まらない瞳に見つめられたドクターは、目深に被ったフードを下ろし、顔を覆い隠すマスクを取り外す。遮るもののない剥き出しの双眸で、まっすぐに娘を見つめ返した。
「私たちは鉱石病関連の医薬品を取り扱う製薬会社の人間だ。医者ではないが、こういった場面の対処には慣れている。――お父上に抑制剤を使わせてもらっても?」
「それで……父は、治るんですか……?」
……残念だけれど、根治させる方法は今はないんだ。でも、抑制剤を投与すれば、おそらくこの発作を抑えることができる」
「発作を……抑える……
「ドクター、持ってきたよ」
 テキーラがドクターの傍らに抑制剤の入ったケースを置く。ケースを開けて中身に問題がないことを確かめてから、ドクターは注射器を刺せる場所を探るために老人の腕に手を伸ばし――
「さ、触るな!」
 老人の手が乱暴にドクターの腕を払いのける。思わず身を乗り出しかけたテキーラを、ドクターは振り返りもせずに片手で制した。
 老人は、焦点の合わない瞳で虚空を睨み、がむしゃらに何かを払い除けようと手を動かしている。その表情には怒りよりも恐怖が色濃く滲んでいて、眼前の人間以外の何かを拒絶しているように見えた。
「また俺たちを利用するつもりなんだろう……よそ者の手なんぞ、二度と借りるもんか……
「お父さん……
 譫言を繰り返す父親に、娘が声を詰まらせた。
「俺たちに……金なんてない……どれだけ搾り取れば気が済むんだ……
 男の声は徐々に弱々しく、途切れ途切れになっていく。それに気づいた娘はいよいよ顔色をなくし、縋るような目で傍らのドクターを見た。
「突然現れた人間を信用できないのは当然だ。だが、事は一刻を争う」
 ドクターは既にアンプルから薬液を注射器に移し終えている。低く落ち着いた声に促され、やがて娘は震える唇から「父を……助けてください……」と絞り出した。
 その言葉に小さく頷き返すと、ドクターは背後のテキーラを振り仰ぎ、
「お父上を支えてあげてくれるかな」
 と、助力を乞うた。


            *


 娘に背をさすられて、男は乾いた咳をする。
 未だ体調は万全とは言い難いようだが、ひとまず発作は治まり、意識の混濁も落ち着いたようだ。
「助けてくれたことには、礼を言う……
 社用車の車体に背を預けるようにして体を起こし、男がとつとつと言葉を紡ぐ。
「だがな……俺たちに支払える金なんてない……これだけ効き目のいい抑制剤……きっと目玉が飛び出すような値段なんだろう……
 父親の態度には警戒心と戸惑いが色濃く滲んでいた。
 確かに、彼にとってはあまりに都合のいい話だろう。突然発作で倒れたところに運良く抑制剤を携えた医療従事者が通りかかる、なんて。しかも通行止めによって普段より閑散としているこの場所で、そんな偶然に巡り合うなんて。あまりに都合が良すぎる。全て仕組まれた悪意だったと言われたほうが、まだ信じられる話なのかもしれない。
 そして彼は、そのような〝都合のよい話〟に強い嫌悪感を抱いているように見受けられた。
「確かに我々は慈善事業をしているわけではありませんが……
 ドクターは再びフェイスマスクとフードを被り、ポケットに両手を突っ込んで男の傍らに立っている。見方によっては威圧的にも見える佇まいも、ドクターがしていると無害に感じられるから不思議なものだとテキーラは思う。惚れた欲目などでは決してなく、彼女は相手の警戒心を解いてしまえる奇妙な魅力を備えているのだ。
「それでも医療従事者の端くれとして、苦しんでいる人間を見捨ててまで金勘定をするつもりはありません。今回は私の独断なので、治療費は頂きませんよ」
 老父は緩慢に顔を上げて、値踏みするかのようにドクターを見た。
 その疲れ切った双眸には未だに胡乱げな警戒心が宿っている。
「それに、我々にも多少の下心はあったので」
 手負いの獣じみた気配を覗かせる男に対して、ドクターはわざと軽い調子で続ける。老人の表情が「それ見たことか」とばかりに再び強張った。
……ええと、この付近の集落について教えてもらいたくて」
 ここは説明役を買って出たほうがよさそうだ。怯える父娘を順繰りに見遣りつつテキーラは〝下心〟の内訳を詳らかにする。
「この先が通行止めになっていることも、通信が通じなくなっていることも知らなくて……別行動をしている仲間と連絡が取れなくて困っているんです」
 急ぎの用があるわけではないので、合流ポイントへの到着が遅れること自体は構わないのだが、現地に向かっているであろう本艦には先に連絡をつけておきたかった。
 父娘は顔を見合わせて、しばらく考え事をしている様子だったが、やがて父親のほうが口を開いた。
……それほど遠くまでは届かんぞ」
「クルビアのネットワークに繋がれば、それで十分なんですが……
 テキーラの返答に男は一度目を伏せ、緩慢な動きで地面から立ち上がった。
……ついてこい。俺たちの町なら通信が繋がるはずだ」
 娘に支えられながら、男は駐車場の隅に停められている車に向かって歩き出す。どうやら先導をしてくれるつもりらしい。
 テキーラは、傍らに立つドクターを横目で見遣る。バイザーの奥の瞳は、まっすぐに父娘の背中に向けられている。
……どうする?」
「お言葉に甘えよう。今後どう行動するにしろ、まずは本艦と連絡をつけなければ始まらない。もし何かしらの危険があるようならすぐに立ち去ればいいだけの話だし。それに――
 ふと、ドクターが父娘の方から視線を戻して傍らのテキーラを見上げた。
「何があっても、君が守ってくれるだろう?」
 女の目元には、いたずらっぽい笑みが滲んでいる。確かな信頼と共にからかいをぶつけられているのを感じて、テキーラは「ハハ」と小さく笑う。
「もちろん。安心して俺に任せて」
 今更改めて言葉にしなくても、彼女を危険にさらすつもりなど毛頭ない。その決意に代わりはないが、必要以上に張り詰めていた緊張がほんの少しだけ和らいだ心地がした。
 対応力にはある程度の自負がある。ドクターがいるなら尚のこと不安はない。
 父娘が彼らの車に乗り込むのを見届けてから、テキーラも社用車のドアに手をかけた。助手席の方へ回り込んだドクターが、ふと思い出した様子で、
「君は、逃げた男を見た?」
 と言った。
「残念だけど、しっかりとは見えなかったんだ」

 あのとき。
 『やめて』と叫んだ娘の傍から、走り去る人影があった。
 テキーラが現場に到着した頃には既に顔の判別ができないほど遠退いてはいたが、若い男であることだけは確かだった。
「だけど、耳と尻尾の感じからすると、ペッローか――ヴァルポかな……
 ヴァルポの父娘が乗った車が動き出すのを眺めながら、テキーラは社用車のエンジンをかけた。


(つづく)