けがわ。
2024-09-13 19:34:52
4666文字
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Night Record

リーマンパロ

残業して終電がなくなっちゃって……って感じのお話です。

 静かな室内にカチ、カチと時計の秒針の音が響く。
 パソコンを入力しながら視線だけでサイドバーに表示されている時刻を確認した。すでに時刻は二一時を超えていて、フロアに残っている社員も見渡す限りオレだけみたいだ。オレの部署は営業部で、ここだけが唯一明かりが付いている。入社三年目にして営業部のエースにまで上り詰めているから周りからの評価もそこそこで、オレ自身も人と会話したりするのは好きだから、我ながら向いてる仕事なんじゃないかなって思う。だけど、苦手な分野もあるわけで……。現にオレを苦しめているデスクワーク。まったく終わりが見えない。営業の成果とか、商談の内容とか、データ化して保存しないといけないのはわかるんだけど、なにぶん量が多い。自分でいうのも何だけれど、営業部のエースは引っ張りだこで、ありがたいことにお客さん側からオレを直々に指名してくることもあるくらいだ。と、まぁそれはいいんだけど。外回りしているときはもちろんパソコンに触れる時間なんて限られてくるから、こうして今必死に残業して書類仕事を片付けてるってワケ。
 ふぅ、と一つ息を吐き出して凝り固まった身体を解すように伸びをすると、パソコンの横に缶コーヒーが置かれた。反射的に振り返るとそこには人事部の折笠先輩がいて。
「折笠先輩? なんで……
「ん? なんかいつまでもここだけ電気ついてるし、可愛い後輩がこんな時間まで頑張ってるみたいだったからね。ちょっとした差し入れ」
……ありがとうございます」
 缶コーヒーを手に取ると、じんわりとした温かさが手のひらに伝わってくる。プルタブを下げて缶を一口煽ると、ほろ苦くも甘い加糖のコーヒーの味わいが口いっぱいに広がった。
「おいしい……。あれ? オレ、加糖が好きとか言いましたっけ?」
「ん? だって普段そればっか飲んでるじゃない。好きなのかと思ったんだけど、違った?」
「っ、」
 オレの好きなものを覚えていて、こうして差し入れまでしてくれる。どこまで先輩は優しいんだろう。
 視界に入るとついつい目で追ってしまうほどで、密かに芽生えていた気持ちにハッキリと名前が付いた気がした。
「好き……、ですよ」
「そう、よかった」
 優しく微笑んで、それからオレの隣に腰を掛けた先輩は、手伝える部分だけでもってパソコンを広げてオレの残業に付き合ってくれた。


 時刻は二三時三〇分。先輩に手伝ってもらったおかげで当初の予定よりだいぶ早く仕事が片付いた。とはいえ、終電は行ってしまっているだろう。
「すみません。こんな時間まで付き合っていただいて……
「いいよ。でも、いつもこんな働き方してるの? ちょっと、いやだいぶ心配なんだけど……
「いえ! 今日は金曜日だったのもあるし、いつもより業務量も多かったので」
「春原くんにばかり押し付けすぎじゃない? 他の営業部の人にも仕事振り分けた方がいいよ。このままじゃ春原くんが倒れちゃいそう」
「あはは、心配してくれているんですか? 先輩優しいですね、ありがとうございます!」
「はぁ、まったく。……もうこんな時間だし終電ないね。春原くんはどうするの?」
「んー、オレはネットカフェでも探そうかな?」
「ネットカフェ……?」
「はい。たまに行くんですけど、個室あるし結構広い部屋も借りれたりするので取り敢えず寝場所は確保できるかなと……
「なるほど……。ね、僕も一緒に行ってもいい?」
「へ……?」
「だめ?」
「ぃ、いいえ!! ダメじゃないです! その、先輩がネットカフェとか想像ができなかったので……
「まぁ、入ったことはないね」
「ははっ、ですよね……
「うん。だから、僕の初体験に春原くんも付き合ってよ」
「はっ、つ……!」
「うん?」
「ぃ、いえ、何でもない、です……
「そう? じゃあ行こうか?」
「はい……
 会社を出て近くのネットカフェを検索して向かう。こうして先輩と肩を並べて歩くのは初めてかもしれない。密かに憧れを抱いていた先輩と近い距離で会話しているのがなんだか不思議だ。部署も直接的な関りはないし、職場のフロアは同じでもデスクは離れているし、何よりオレはほぼ会社にいない。
 チラッと折笠先輩を見つめていると、澄んだ青の瞳がオレを映した。
「ん?」
「っ!」
 咄嗟に視線を逸らしたけれど、見とれていたことがバレてしまったようで恥ずかしい。と、そんなことを考えていると折笠先輩の足が止まったから、オレもそれに倣って足を止める。
「ここじゃない?」
 折笠先輩の指し示す方に視線をやると"コミック&ネットカフェ"の看板が出ていた。
「あ、ほんとだ。そこですね、入りましょうか」
「うん」
 二人して店に入って受付をする。先に先輩が受付をしているのを見守っていると個室の鍵を受け取った。どうやら受付が終わったみたいだ。
 オレも続いて受付をしようとすると先輩が不思議そうに声をかけてくる。
「春原くん、どうしたの? 部屋取ったから行こう?」
「ふぇ……!?」
 思わず素っ頓狂な声が漏れた。だって、部屋取ったってなに……? オレは一人ずつの個室を想像していた。だって、じゃないとオレ、先輩と一緒に寝ることになるよ? ねぇ先輩、意味、わかってる……
 固まっているオレなんか気にも留めずに、オレの手を取って歩き出す。
「ここかな?」
 個室の扉を開けると、デスクトップのパソコンと布団、毛布などの設備も整っているみたいだ。
 気後れしつつも、背広を脱ぐ先輩の真似をしてオレもハンガーに上着を掛ける。と、低くオレのお腹が唸り声を上げた。咄嗟にお腹を抑えたけれど、先輩にも聞こえていたようで、オレを見て先輩がクスクスと笑った。
「カレーとドリンクも飲み放題なんだってね、折角だしご飯にしようか」
「ぅ……はい」
 大き目の個室で二人並んで食事を摂る。それからお勧めの漫画とか、ゲームとか紹介しあったりして。気が付けば時刻は二時を回っていた。今日は本当に時間が進むのが早い。
 隣を見ると先輩も眠そうに欠伸をかみ殺している。
「先輩、もう寝ましょうか?」
「ん、そうね」
 ワイシャツが皺になってしまいそうだけれど、今日ばかりは仕方がない。寝苦しくないように袖のボタンと第二ボタンまで外して、ついでにベルトも引き抜いて、個室の隅に畳んである布団を敷いて並んで横になる。布団は一組しかない。この時間で借りられる最大の広さの個室がここしかなかったそうだ。お互い反対側を向いて背中合わせで寝ている状態で、遊んでいるときは特に気にならなかったけれど、大人が二人で寝るには幾分か狭く感じる。寝返りを打つたびに足や腕が振れる距離で思い出したかのように心臓が早鐘を打つ。
 気付かれないように大きく息を吸って吐き出す。落ち着け、落ち着け、何度も自分に言い聞かせても思ったほど効果はない。ふと、折笠先輩が寝返りを打って足がぶつかった。ドキリと心臓が跳ねて、咄嗟に身を引こうとしたけれど、それは叶わなかった——折笠先輩がオレを後ろから抱きしめたから。
 混乱する頭でこの状況を打破する算段を必死に考えるけれど狭い場所ではどうすることもできない。きっと先輩は眠ってしまったから、これは無意識の行動なのだろう。だったら、オレも寝てしまえばいい。そうすれば何も気にならなくなるから。
 我ながら妙案だと思って目を瞑る。ドキドキと煩い鼓動を無視して落ち着けるために羊を数え始めた。
 羊が一匹……羊が二匹……羊が三匹……羊がよぅぇあ!?
 四匹目まで数えさせてはくれなかった。折笠先輩がオレの頸に鼻を擦り付けてきている。さすがにこれ以上は無理だ。
「は……、んぁ……っ、」
 思わず上擦った声が漏れてしまった。でも今のは不可抗力だ。男が変な声出してキモイとか思わないでほしい。折笠先輩の無意識のセクハラに耐えているオレを誰か褒めて……
「百瀬……
「っ、!」
 不意に折笠先輩がオレの名前を呼んだ。どうして、とか先輩の夢にオレが出てきてるの? とか色んな考えが瞬時によぎっていく。
 ギュッと抱きしめる腕に力が込められて、ワイシャツのボタンが器用に外されていく。というか、もしかしなくても先輩起きてない? これで寝てたら逆に凄いよ!?
 先輩の手が開いたボタンの隙間から差し込まれて指先がオレの乳首を掠めた。
「ん……っ、」
 まってまってまってまって……! これ以上はダメだって!!
 先輩の腕を掴んで身じろぎをして後ろを振り返る。
「っ、せんぱい……
「百瀬」
「っ、んむ……っ!?」
 先輩が上体を起こしてオレに覆いかぶさる。視界の端に流れるシルバーの髪の毛がオレの周りにカーテンを作った——と認識した時には既にオレの唇は塞がれていた。
 何が起きているのか理解が追いつく前に先輩の舌がオレの唇を突いてきて反射的に開いた唇の隙間から舌が差し込まれる。
 歯列をなぞられて、根元から八重歯を舐められる。さらに奥に進んで口蓋を舐め上げられると反射的に鼻から声が抜けた。いくら防音設備の個室だからといって、深夜の静寂な店内では音が大きく聞こえてしまうかもしれない。できるだけ抑えないと……。恥ずかしさと気持ちよさで身体が熱を帯びていくのを耐えながら、先輩の腕を掴んだ。
「は……、んむっ、ふ、んん……ッ」
 口蓋から今度は奥に逃げ込んだオレの舌を追いかけてザラザラと表面を擦り合わせてくる。
 薄く瞼を開くと翳る青色の瞳と視線が交わった。いつもの優しい先輩の面影はなくて、熱を孕んだオスの貌。
 怖い。こんな先輩知らない。本当にどうしちゃったの? オレ、なんかしたかな?
「っ、ふ……、うぅ……
 涙で視界がぼやける。瞬きをすると溜め切れなくなった涙が目尻を伝って流れ落ちていく。すると先輩の切れ長の瞳が微かに見開いて慌てて唇を離した。
「っ、ごめんっ!!」
「はぅ、はあっ、は…………ッ」
「春原くん、大丈夫? ごめんね?」
 眉を下げて申し訳なさそうに謝ってきて、濡れた唇を先輩の親指が拭う。先輩の唇も濡れていて、本当にキスしていたんだって実感が沸いてくる。顔が熱くて自分でも真っ赤になっているってわかるほどで、でも先輩から逸らせない。
 整わない呼吸のまま「なんで」って問いかけた。先輩は少し眉を顰めて、それからオレのオデコに口づけをした。
「春原くん、いや……百瀬のことが好きだからだよ」
「っ、先輩……
「ごめんね、順番が……、その、君が隣で寝てるって思ったら我慢できなくなっちゃって」
「そ……だ、だめですよ! オレ以外にしたらセクハラで訴えられちゃいますからね!?」
「百瀬以外にはしないよ」
……ほんとにぃ?」
「うん。ねぇ、百瀬。それって君だったらしてもいいってこと?」
「っ、!」
「教えて?」
「そ、れは……
「僕は君のことが——百瀬が好きだ」
「っ! お……オレも先輩が——千斗さんが、好き……
「うん、……ありがとう」
 花が綻ぶように笑った先輩は、優しい顔つきでやっぱり好きだなぁって思った。それから、涙で濡れた目尻を指で拭ってくれて、再びどちらからともなく唇を重ね合わせた。
 今、何時だろう? って、そんなどうでもいいことを頭の片隅で思いながら、長く、だけどあっという間な夜の時間を過ごしたんだ。