【カブミス+リン】彼女の涙

薬師として暮らすリンを訪ねてくるカブルーの話。
リン→カブルーで根底はカブミスですが、ミスルンは名前しか出てきません。

 誰かにほほ笑みかけられるそれだけで、その人の思いが分かってしまうことがある。私には関係のないことだけれど、その思いに触れた時、まるで魔術に触れたような気分になることもある。やっぱり、人の抱く思いは魔法なのかもしれない。人に干渉し、ある時にはすっかり変えてしまうから。でもやっぱり、私には関係のないことなのだろうけれど。
 
 
 メリニ国ができてそれから、私は薬師になってそこに留まり、今は小さな薬局を営んでいる。問屋を介して政府とも取り引きはするけど、主なお客は怪我をした子どもたちや、食あたりになった老人なんかだ。私を東方の魔術師と知って、治癒魔法をかけてもらいにやってくる怪我をした大工の棟梁なんかもいるが、それはまれで、私は今日も細々と好奇心旺盛な子ども相手に仕事をしている。
「リン! 足怪我した! 薬ちょうだい!」
 昼過ぎ、ここいらのガキ大将が、子分を引き連れて薬局のドアベルを鳴らした。私はため息をついて、子どもたちの膝や肘や、ほっぺたの擦り傷を魔術で清めてやり、大工の棟梁に治癒魔法代のかわりだと作りつけてもらった薬棚から薬草を取り出し煎じて幼い皮膚に塗り付け、ガーゼで覆った。
 すると子どもたちは喜んで、また少し危ない遊びに(例えば棒切れを振り回し剣士の真似事をするとか)繰り出そうとする。私は対価を帳簿に書き付けながらも、また来られちゃあの子たちの母親に怒られると魔術でドアを閉めて、「危ないことはやめなさい」と命令する。するとガキ大将は「そんなんじゃあいつまで経っても嫁の貰い手はねぇぜ!」なんてきっと両親が言ったのだろう馬鹿らしい台詞を口にして、私をからかった。そして大笑いをしながら自力でドアを開けて出てゆく。
(嫁の貰い手ね……
 確かに、そろそろ私もいい歳だ。好きな人もいる。でも、自分から告白するのは恐ろしく、彼とはそれこそさっきの子どもたちと同い年くらいからの長い付き合いだというのに、彼も私を悪くは思っていないというのに(これは私の想像だったけれど)、思いを伝えられなかった。あの人も、まだ遊びたいだろうしと言い訳をして、私は思いを伝えられなかった。
 だって断られたら怖い。いや、あの人は直接は断らない。私を大切にしてくれるから、きっと周りくどく、今は仕事が忙しいからとか、俺以上にリンを思ってる人はいるよなんて言うのだ。吐き気がする。私はあの人に愛されたいのに、私はあの人のことが世界で一番大好きなのに。
 そんなことを考えていると、あの人が――カブルーが薬局のドアを開いた。鼓動が速くなる。どうして? どうしてここに来たの? 最近ずっと会ってなかったじゃない。衛兵たちのための薬を人数分欲しいと言ってきてから、ずっと会ってなかったじゃない。
 私は心臓の動きを速くして、顔を赤くして、でも気取られないように眉をひそめる。ちょっと機嫌が悪い女の子みたいな顔をする。でも、カブルーは気にしない。いつものように朗らかに私に挨拶をして、「やぁ、リン」って、私に話しかけてくれる。
「宰相補佐殿が薬局に何の用? 手下を寄越せばいいのに」
「はは、厳しいな。久しぶりにリンの顔が見たかったし、今日は薬草が欲しくて」
 私の顔が見たかった? どうして? でも嬉しい。お世辞でも嬉しい。ちょっとほほ笑んだ顔が愛しい。私はカブルーを眺める。そして彼が立つドアの向こう側を見る。店の前には馬車が停まっていて、衛兵がそれを守っている。カブルーはわざわざ忙しい仕事の合間を縫って私に会いにきてくれた。嬉しい、嬉しい、嬉しい!
「どんな薬草が欲しいの?」
 私は顔色も変えずに、でも足元を少し揺らしてカブルーに尋ねる。するとカブルーは楽しそうに笑って、こう言った。大切なものを手のひらで包み込むように、そんな顔、なかなか見せないのに。
「ミスルンさんが迷宮の跡地に潜るんだ。あの人は強いけど、なるべく質のいい薬草が欲しくて。そしたらこの国じゃあリン一択だろう?」
 俺はリンを頼りにしてるんだよ。カブルーが言う。私はそれに、頭をがんと叩かれた気分になる。
 あの人のためなんだ、そう私は思う。胸がちりちりする。
 もしかしなくても、あの馬車に乗っているのはミスルンさんだったりする? 一緒に出てきて、でも私の思いをあなたは知っているから、変な嫉妬をさせないように待たせたりしている? そんなことなんてしなくていいのに、私は物分かりのいい女なのに。あなたを守りたいと、思っているだけの女なのに。あなたの大切なものに、嫉妬なんてしないのに。
……エルフにはエルフに効く薬草があるんだから、今度はなるべく一緒に来てよね。今回は汎用性の高いものを出しとくけど」
「さすがリン。すごく助かるよ」
 カブルーがほっとしたように笑う。私はそれに胸をきりきりさせながら、薬棚から薬草を取り出し、煎じて袋に入れる。軟膏や液剤も瓶に詰める。すぐに使えるように、あの綺麗だけれど、どこか影のあるエルフが怪我を悪化させないように、怪我を悪化させて、カブルーを心配させないように。
「代金はこれでいいかな」
 私が薬たちを袋詰めしていると、カブルーは王の顔が刻印された金貨を私に差し出した。上等な薬を出したのは確かだけれど、それでもずっと多い。私はもらえないと言いそうになって、でもカブルーは「リンには世話になってるから。それに一人でここで生きてくのは大変だろう? みんなによくしてもらってるか?」と言った。
 一人でここで生きていくのは大変だろう、か。この人には、私が一人で生きているように見えるのか。そしてこの人には大切な人がいて、一人で生きているのじゃないのだ。
「大きなお世話。でももらっておくわ。エルフ用の薬草は高くつくし」
「ありがとう、また頼むよ、リン」
 そう言って、カブルーは去ってゆく。ドアベルを鳴らして、馬車に乗り込む。衛兵も、続いて入り込む。
 そこにあの人がいるかどうかは知らない。見たくもない。私はただ、カブルーがあの人のためにまたやって来ることを祈って、金貨をぎゅっと握り、ポケットに入れた。
 それから私は薬局を営むにあたって買い求めた本で、エルフに効く薬の調合方法を調べ、今度急に来られても大丈夫なように、あの人の大切な人を守れるように薬を調合した。
 私がポカをやれば、あのエルフは怪我を酷くする。そしたらカブルーは悲しむことだろうな。きっと誰よりも大切にしているのだから、もしかしたら泣いてしまうかもしれない。
 私はポケットに入れた金貨を金庫に入れ、帳簿をつける。それは何度計算してもやっぱり薬草の値段に釣り合わなくて、私はただそれだけのことにちょっと泣きそうになった。いや、いつの間にか泣いていた。一人の薬師を金貨で囲い込むくらい、カブルーはあのエルフを、あの美しい人を大切に思っているのだから。
 ぽろぽろと涙がこぼれる。帳簿のインクがにじむ。こんなんじゃ駄目って、私は目元を拭う。するとドアベルがまた鳴って、もしかしてカブルーが忘れ物を取りにか何かを理由にやってきたんじゃないかって思う。でもそこにいたのはさっき怪我をしたガキ大将とその取り巻きで、彼らは新しい怪我人を担いで「リン、助けてくれよ!」って私に言ったのだった。
「仕方ないわね、まずは消毒するからこっちに来て」
 私は涙を拭ったけれど、それはすぐに止まらなかった。それを見たガキ大将が神妙な顔をして、子どもたちもみんな居心地が悪そうな顔をして、私を見つめる。大人が泣くところなんて、子どもたちは見たことがないだろうから、ちょっとつらいんだろう。
「さっきはからかって悪かったって、リン」
「目にゴミが入っただけ」
「でも……
 私は魔術で怪我を清めてやり、薬棚から薬草を取り出して煎じて幼い皮膚に塗り付け、ガーゼで覆う。さっきと同じことをする。ガキ大将はそれでも居心地が悪そうで、自分のせいで私が泣いたみたいに思っていて、私はそれがちょっとおかしくて笑って、涙をまた拭った。こんなんじゃ駄目だ。ここで一人で生きていくにはこんなんじゃあ駄目。大好きなあの人を見守って生きていくには、こんなんじゃあ駄目。
「なぁ、リン。俺が大きくなったら貰ってやるからさ」
「お断りよ」
 私は笑ってガキ大将の頭をぽんぽんと叩く。もう無茶をするんじゃないのよって、母親のように叩く。すると子どもたちは遊びに行こうぜって笑って、薬局から出てゆく。
 私はあの人の一番にはなれない。私にはあの人しかいないのに。それは悲しいことだったけれど、やっぱり、私はそれでもカブルーが好きだった。
 そう、誰よりも、もしかしたら彼が愛する人よりもずっと、カブルーが好きだった。