どうしてこうなったんだっけなあ、と呟いて、アゼムは乾いたなめらかなシーツに仰向けにごろりと倒れる。少し大きめのベッドと、二人でゆったり座れるソファーと、ローテーブル、本や戯曲のイデアが納められた小さな棚。それだけがこの部屋の全てだった。窓も扉も時計もない。望むものは許されれば与えられる。魔法の制限で転移することも壊すこともできず、切れ目ひとつない滑らかな壁と天井を眺め、アゼムは小さく溜息をついた。
この部屋で目が覚めて、何日経っているのか。アゼムはもうわからなくなっていた。それだけの時間が、過ぎている。
ふとエーテルの流れを感じて重たい身体を起こす。慣れた気配と共に現れた黒いローブの男はフードを落として引っかかった髪を払い、赤い仮面を下げるとテーブルに置いてアゼムを見た。
「おかえりエメトセルク」
アゼムがそう言えばエメトセルクはじわりと目尻を微かに緩め、唇の端を綻ばせた。
「ただいま」
まだ慣れないな、と思いながらエメトセルクの少し甘さが滲む顔を眺めていると、彼はアゼムに近づいてそっと抱き締める。それを受け入れてエメトセルクに体重を乗せれば、さっとアゼムを抱きかかえてソファーまで運んでくれた。この部屋にエメトセルクがいる限り、アゼムが両足を床につけて立つことはほとんどない。異様なほどに、甘やかに制限されている。
「食事にしよう。今日はタコスとお前が好きだと言っていたスープだ」
エメトセルクの膝の間に少し身体を横にして座らされるのには、きっとずっと慣れないんだろうな、と思いながら頷く。エメトセルクが机に持ち帰った料理を並べて、スパイスとライムが香るタコスを一つ掴むと、アゼムの口元に運んだ。それを丁寧に一口噛みちぎって、咀嚼する。もぐもぐとアゼムが味わっている間にエメトセルクも一口齧って、うまいな、と呟いた。それに頷いて、アゼムはんあ、と口を開く。どう足掻いたってエメトセルクがアゼムに給餌することは定まっていて、変えられない決まりなのだ。大人しく食べさせられるしかない。かぶり、と噛んで、もぐもぐと咀嚼して。
「スープ飲みたい」
「熱いから気をつけろよ」
タコスを置いてスプーンを手に取ると、エメトセルクは掬ったスープにそっと息を吹きかける。あー、と口を開けて待つアゼムを少し笑いながら見つめて、エメトセルクがスプーンを運んだ。さまざまな素材が溶け込んだスープはとても美味しい。お気に入りのお店の味で、話半分に言ったことを覚えていてくれたことが、嬉しい。
まったく、友人への甘やかし方が少しばかり深すぎる男である。そんなんじゃ恋人ができた時に勘違いされるぞ、なんて。けして言いたくない言葉をスープと共に飲み込んで、またタコスをちょうだい、と親友の顔で甘えてやる。それをすれば、彼が喜んでくれるからだ。彼は本当に、友人のことが大好きな人である。
身内に対して酷く甘く、優しい人だ。
彼はアゼムの一番の親友で、大切な人で。
そして、アゼムをここに閉じ込めてしまった人でもある。
きっかけは、たぶん。アゼムが悪かった。そもそも、アゼムがエメトセルクのことを、親友と思えなかったのが悪かったのだ。
親友の一人だった。何よりも大切で、一番の友人であった。それはエメトセルクにとっても、もう一人の友人であるヒュトロダエウスにとってもそうである、と信じられるほどには気を許しあっていた。
ただ、それなのに。アゼムの心はどうしようもなく、エメトセルクへの恋を抱いてしまった。蝕む感情は酷く苦しいもので、何故ならばエメトセルクは、アゼムをどこまでも一番親しい友人としてしか扱わなかった。女扱いされていないわけではない。薄着をすれば怒られるし、歩幅は合わせてくれる。ただ、抱き付いても、触れても、大好きだと伝えても。彼にとってそれは親友のスキンシップで、はいはいとあしらわれて終わりだった。
もうやめよう、なんて。何度だって考えた。実行しようとした。できない。できなかった。エメトセルクのそばにいる限り、アゼムの心は彼が好きだと血が滲むほど叫んでしまう。好きで、好きで、愛おしくて、苦しい。
酔った勢いだった。エメトセルクと二人で彼の家で飲んでいて、ふわふわと酔いが回って思考が緩んでいた。ソファーに座った彼の隣に移動して、ぴたり、とエメトセルクに寄りかかってみて。
「酒臭い、寝るなら帰って寝ろ」
呆れたように離されて、水をとりに立ち上がられて、逃げられる。じわりじわりと歪む思考を止められなくて、ソファーの上で足を抱え込む。どうしようもない。
少しは異性のなんやらでドキドキしてくれてもいいじゃないか。そこまで私のことをそういう目では見られないか。こんなに好きなのに、苦しい。時折相談に来る女の子達は、みんな可愛らしくきらきらと恋をしているのに。アゼムの恋はずっと苦しい。どうして好きでいるのをやめられないのだろう。私を、私だけを見て欲しい。私を想って欲しい。親友じゃなくて、恋人として愛して欲しい。醜い願いがずっとずっと侵食して、叶わうことはないのだと理解するたびに、心がひび割れて行く。
「おい、アゼム」
「君と出会わなきゃ良かった、そうしたらこんな感情知らずに済んだのに」
差し出された水に気付かず、アゼムは声に出して呟いてしまった。
あ、と。想った瞬間、サァァ、と酔いが引いて行くようだった。今、私、何を言った? たぶん、決して言ってはいけないことを言った。それは恋など関係なく、友人に言う言葉では決してない。
アゼムは慌てて顔を上げてごめん、と謝ろうとして。言葉が出なかった。今までずっと長い間共に過ごしてして、それでも見たことのない顔をしたエメトセルクがそこにいた。その表情の意味を理解できぬまま、エメトセルクはアゼムに手を伸ばして。たぶん、触れられた。けれどもそれを認識できていない。なぜならアゼムの意識はそこで一度途絶えて、次に目を覚ました時には、もうこの部屋に閉じ込められてしまっていたのだ。
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