いを
2024-09-11 17:16:28
2124文字
Public 刀神
 

La douleur émoussée d'un premier amour

菊司
・定之さん【higasa_onink】
お借りしています。

 9月9日。
 定之の誕生日であることは事前に知っていた。けれど彼の家の事情は分からない。そこまで踏み込んでいいのかも分からないのだから当たり前か。
 もう15年以上も前だ。彼の姉、雪月とはじめて会ったのは。清陵院家は太いパイプがほしがったのだろう。今どき(昔だからそのときは普通のことだったのだろうか)社交界なんかに出て、よく知りもしないダンスを彼女と踊った。巌那家はセキュリティ・ポリスもしているようだったから、そのつながりを家はほしかったのだろう。
 今思えば刀遣いを排出している大家に、よくもまぁのこのこと手を取らせようとしたものだ。
 もしかするとそのとき、定之はまだうまれていなかったかもしれない。
「つまらないね」
 菊司が彼女に伝えると、雪月はまたたきを一度しただけだった。
 満月の夜のことだった。

 9月10日。
 菊司はぼんやりと窓際に立っていた。相変わらず散らかった机の上に、片手の手のひらにおさまるほどの鉢が置かれている。その鉢からはにょっきりとサボテンが生えていた。ちくちくとしてそうな棘ももちろん生えていて、てっぺんの花のつぼみは明日明後日くらいには咲くかもしれない。サボテンの花が咲くのはとても珍しいそうだ。そしてその花はとても美しいらしい。
「いいよなぁ植物は」
 光と酸素と水があればなんとか生きていけるんだから。
 それでも、加減を間違えればすぐに枯れて死んでしまう。人はそれを潔いとでもいうのだろうか。
 時計を見るとそろそろ時間だった。壁に寄りかかっていた背をゆっくりと起こして、パソコンの電源をつけた。
 こんこん、と控えめにノックをする音がする。
「はぁい。開いてるよ」
 サボテンを小さい紙袋に入れて返事をすると重たい音をたててドアが開いた。
 その隙間から小柄な体が滑り込む様子はまるで猫のようだった。
「ちょうど時間通り。ね、定之くん」
「約束、だったから」
「うん」
 座って、と手で促すといつものパイプ椅子に座り、右目が菊司をとらえた。
「豊和のメンテは終わってるからね。そこに掛けてあるから」
 壁ぎわの刀掛けに掛けられた豊和は光を通さないよう布で覆われている。
「ありがとう」
「いーえ。仕事だからね」
 ふとくちびるに指をあてた。オフィスチェアをぐるりとまわして定之に向き直る。
「ねえ定之くん」
「?」
「昨日誕生日だったよね」
 確認するように問うと、こくんと頷いた。間違ってはいなかったらしい。サボテンの花が枯れるころ、という事態にはならないようで安心した。
「これ誕生日プレゼント。結構……いやだいぶあれだけど」
「あれ……?」
 茶色いクラフト紙のような紙袋を定之に渡す。
「どうぞ」
 軽い促しを受けた彼が紙袋を指でそっと開くと、右目が一度またたきをした。あのときの雪月と似ている気がした。
「サボテン」
「そう、サボテン。そんなに献身的に水やらなくていいみたいだし。定之くんの部屋、もうちょっと賑やかにしたいなとか、あったりして」
 苦笑いすると、定之の片方の目がちいさく瞬く。前に会ったときより心なしか、その色が明るい気がした。
「なにかいいこと、あった? 誕生日に」
……うん」
「そっか。よかったねぇ」
 膝の上に紙袋を置いた定之は、「どうして」と訊ねているように見える。
 エナジードリンクの空き缶を肘で押しのけながら、菊司はすこしだけ笑ってみせた。
「この前より体のこわばりが少し、なくなったような気がしたから」
……よく見てる……
「そうだね。うん、見てる、かも」
 驚いたように目をわずかに見開く定之に再度笑いかけて、作りものの左足の上に手を置く。
「昔は凪鞘班にいたし、少しはね」
……
 そうではない。
 自分が言いたいことは。そんなことは自分自身が一番よく分かっている。
 忘れないでいていいという言葉を、ずっと大切にしまっている。昔の自分も今の自分も清陵院菊司に違いはない、と。
「俺ねぇ」
 目を細めて定之を見つめる。太陽の色の髪の毛はつんつんとあちこち跳ねていて、どこかいとけなく見えた。
 それでも彼は数年前に成人していて、死線を乗り越えてきた強い男だ。それを象徴するように、昇段試験も突破したのだから。
「きみのこと、好きだよ。かなり」
 定之の視線と真っ向からぶつかって、ふっと微笑んでみせる。
「それ、は」
 ぽつりと定之の言葉がこぼれて、落ちていった。
「うん。そういうこと。世間一般的に言う恋愛的な、意味で?」
 定之はくちびるを閉じたまま、こちらを真っ直ぐに見ている。呆気にとられている、とか、そういうたぐいの表情かもしれないけれど。
「まあ俺もきみも男だし、そういう感情向けられることが嫌なら嫌って言ってね。……言われなきゃ分かんないから。俺」
 すべて覚悟の上だ。
 こうして告げて彼が離れていく可能性も、もちろんある。彼を傷つけたかもしれないという可能性も、苦しめてしまうかもしれない可能性も。
「返事はいつでもいいよ。あ、メンテ終わった豊和、忘れないでね」
 
 今、いつものように笑えていたなら上出来だ。