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inte9rer
2024-09-11 16:52:30
5136文字
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『異世界より、君に一目』第六話
八幡の東京行きに合わせて工作に奔走する二瀬。
しかし釜石製鉄に務める知人、香村小録からとある懸念を伝えられる。
「そういうわけで
……
すみません、急にこんなことを言い出してしまって」
艶がかった黒い頭髪をなで下ろし、冷泉のような目をした青年が申し訳無そうに眉を上げた。
「あぁ
……
まぁ、良いじゃないか」
青年の眼の前、眼鏡をかけながら机の上に出された書類へ目を通していた壮年の男は、苦笑してその書類を置いた。
「なんだ、別に構わないよ
……
君は盆にもここにいたんだし、たまには休んでくれないとこっちが申し訳なくなる」
「ありがとうございます」
男はそのまま青年に書類を返す。青年がそれを受け取って一礼して下がろうとすると、二人がいた部屋へ新しい人物が入ってきた。
「おぉ、八幡じゃないかぁ!どうした?」
彼は丸顔に気さくな笑みで、部屋の扉の前にいた青年の肩を叩く。青年は気まずそうに、やや顔を引きつらせたが、奥の男が彼に話しかけた。
「二瀬と東京や東北辺りへ旅行に行きたいのだと。それでわざわざ私へ長期の休みの許可を取りにやって来てくれたそうだ」
「あぁなるほど、珍しいなぁ!君が自分の意思で旅行したいなんて、初めてじゃないか」
「
……
」
青年は目を伏せて黙って微笑んだ。眉間を歪めて、恥ずかしそうに黙っている。
そんな姿を景気づけるように、丸顔の男は彼の肩を叩きながら笑った。
「上京するんなら、服部先生や今泉先生へも久しぶりに会えるかな!楽しんでこいよ!」
「はい
……
」
青年は静かに返事をすると、そのまま部屋から退室していった。
その背中を見守っていた丸顔の男は、奥の男へ心配そうな目線を送る。
「うーん
……
なんだか、旅行だってのに、元気が無いですね!」
「はは、君のようないつでも元気な男にそう言われてしまったら
……
八幡も苦笑するしかないだろうね、黒田君」
部屋から──八幡製鐵所事務所の長官室から出てきた青年は、首から流れた冷や汗を拭って、安堵の息を漏らした。
そして、部屋の奥にいた男──八幡製鉄所の四代目長官、中井励作から返してもらった書類を手提げ鞄の中へしまう。旅行へ行く許可をとるため、昨日取り急ぎ彼を説得しようと頭を捻って作った書類だったが、こうもあっさり行くとは思ってはいなかったから、若干拍子抜けの気分だった。
建物の角を曲がり、物陰に入ると、青年は手帳を取り出してメモに何かを書き込んだ。
「これで人事課に連絡をして、次は
……
あぁ、香村さんへの電話か
……
」
腕時計を確認する。時刻は午後過ぎ、余裕は十分だ。
早く帰って、"八幡"と今後のことを話さなくてはいけないし──青年は、物陰から出て階段を下っていった。
青年の正体は、その実、この世界の八幡に扮した、二瀬であった。
彼は、別の世界から来た八幡を周囲から隠し、その上で彼の「釜石と会う」という願望を叶えてやるために、奔走している最中だったのだ。
月曜日に釜石を救うと宣言した八幡は、明朝には三井合名達に連絡し終えて、すっかり東京へ向かう気満々だった。しかし、急に東京へ行くなどと、なかば失踪のようなものだ。当然、周囲に多くの心配をかけることになる。
一方で、東京行きの理由を話すために、突如八幡が別の世界の八幡と入れ替わったなどと荒唐無稽なことを周囲に打ち明ければ、周りは騒然となって大混乱になるだろう。もしそうなってしまったら、八幡は取調や調査のために拘束されて、釜石と出会う以前に、もっとずっと不愉快な目に合うであろうことが、二瀬には用意に想像できた。
であるから、二瀬がとった策は、長期の旅行へ行くと称して姿を消すことだった。旅行と言っておけば、北九州に元の八幡の姿がいなくなっても、多少誤魔化すことができるだろう。それで、二瀬は三井合名に連絡した日の午後から、早速八幡の旅行偽装や釜石への連絡などの準備を始めていたのだった。
幸いにも、八幡が入れ替わっていることは未だ周りに知られていないし、元の八幡と二瀬は瓜二つの兄弟であった。そこで、二瀬が八幡に変装し、彼のふりをして旅行の許可を取りに来たのが、冒頭の出来事だったというわけだ。
現長官の中井は、まだ八幡に来てから四年ほどで、違和感なく騙せたようだが、その後ろに丸顔の男が──黒田泰造が現れた時は流石に二瀬の肝が冷えた。黒田は、大学を出た直後からこの八幡に務めて二十年近くもいるベテランであるし、二瀬にとってもコークス炉の開発をめぐって最も親しい存在になった技官だったから、正体がバレて怪しまれる可能性が思わず頭をよぎったが、一瞬のことだったからなんとか切り抜けられたようだ。彼らに見破られなかったのなら、年の浅い事務員や電話番の女性たちにもバレないだろう。
「
……
」
こうやって周囲の人間たちに黙って、勝手に行動するのはいつぶりだろうか。二瀬はむずがゆい気分になった。当然褒められたことではないのはよく理解しているが
……
二瀬の心には、なんとなくワクワクするような気分もあった。
人事課への連絡を終えて、事務室に顔をのぞかせると、電話に数人が並んでいる。どうやら少し混んでいるようだ。一度家に戻って書類を置いてこようか、そう思って二瀬は事務所から出た。
この世界の八幡の家は、八幡製鉄所の事務所傍の高等官舎の一つを譲り受けたものだった。元は八幡に務める技術者である高等官が居住するために作られた建物であったが、人員整理で官舎が余った際に、それまで筑豊の家で暮らしていた八幡が、大人になって独立するために一棟を貰い受けたのだ。しかし、元々高等官が東京から家族を呼び寄せて暮らせるように作られた官舎は、八幡一人で暮らすには広かったので、二瀬も時折同居させてもらっているのである。
八幡が別の世界からきた彼と入れ替わってしまっていることを隠そうとした二瀬は、その八幡へ、東京行きまではこの家にとどまるよう説得した。八幡の方も、流石にバレるのはまずいと思っているらしく、渋々その話しを了承して、家にとどまっている最中だった。
「八幡?」
二瀬が官舎に帰って、変装のために下げていた髪を整え直していると、別の世界から来た方の八幡が、二階の書斎前で腕を組んで難しそうな顔をしていた。
「どうしましたか?何か足りないものでも?」
二瀬の方を振り返ると、八幡は眉を上げて首を振った。
「いえ
……
そうじゃなくて、その
……
聞きたいことがあって」
あぁ、二瀬は声を上げる。この時代の書斎は大概家主である高等官専用のもので、一室しか無い。必然的に、そこは譲り受けた本人の八幡の部屋になっている。黒く丈夫な木々で支えられた無数の棚の中には、標本箱から書籍、アルバムまで、ぎっしりと詰まっていた。机の上には、八幡が入れ替わる日の直前まで読書をしていたようだ、鉱物学関連の論文と雑多に広げられた書籍、メモが書き残されたノートなど広げられていた。
「見てもいいかと言うことでしたら、構わないと思いますよ。別に
……
彼はそこまで人から見られることに頓着していませんでしたし」
二瀬が試しに戸棚から一冊の本を取り出す
……
森鴎外の『阿部一族』。明治大帝が死去した時、後を追って割腹自殺した日清日露戦役の英雄乃木希典陸軍大将の遺書に影響を受けて作られた作品だ。発売された当時は中々話題を呼んだ作品だったし、職員から勧められたのか、それとも戸畑と本屋に行った時、買ったのか。鉱山や鉄鋼業関係以外の本を見るのは久しぶりで、二瀬は少々興味が惹かれた。
しかし、八幡の問題はそこではなかったらしい。
「いや
……
私は今日ずっと家でこの世界の釜石の写真を探してたんですけれども
……
見渡せる限りには、全然それっぽいのが見つからないんですよ!貴方、釜石の写真が何処にあるかご存知ですか!?」
二瀬は苦笑し、顎に手を置いて考える。八幡は釜石の写真を探しているというけれど
……
正直、目当ての写真ということであれば、書斎の長押にかけられた幾つかの集合写真の中に、すでに釜石は写っている。だが、その写真に写る釜石は、いつも後ろの方の石段や土で固められた基礎の上にいるのが多く、服装も作業着姿でぱっと見ただけでは技師の一人のように見えるから、彼の顔を知らなければ全く気付けないだろう。釜石は写真をとる時、「俺は八幡の人間じゃあ無くて田中釜石の人間だから」と笑って、いつも自分のところから手伝いに来た技師たちの傍に立っていたから、中央の高級技師たちの中に立つ八幡の傍で写っている写真が無いのだ。
「まぁ
……
八幡も釜石も、あまり写真を取らない性格でしたから
……
それに、折角これから会いに行けるんです。彼の風貌は楽しみに取っておいて下さい」
二瀬の言葉に、八幡は不満げに眉根を寄せたが、観念したようにむぅ、と唸る。
腕時計を見て、二瀬は話題を変えた。
「約束通り、本当にずっとここで待っていて下さって、ありがとうございます。暇だったでしょう、散歩にでも行きませんか」
八幡が驚いて彼の方を見る。
「一度、事務所によって電話する用事があるんですが
……
それが終わったら、ご飯にいきましょう」
官舎から事務所までは歩いて数分程度だ。
「にしても貴方は随分私の世話を焼いてくれますね
……
」
手持ち無沙汰そうな八幡が二瀬に話しかけてきた。難しい質問だ。
世話を焼くのが礼儀だから
……
といえばそれもそうだが、それだけでは、一昨日の彼と戸畑の口論で八幡の方の肩を持った理由まで説明するに弱いだろう。
二瀬は目を泳がせて、その理由を考えながら答えた。
「まぁ
……
半信半疑、それに別世界の存在とはいえ、もし貴方が本当に八幡だとしたら、私は
……
、
……
」
なんと言えばいいか迷って、二瀬は一瞬黙ったが、ため息をついて言葉を続けた。
「私は貴方に同情していて、だから助けたいだけです」
「同情
……
?」
「あぁそうだ八幡」
事務所の眼の前まで来て、二瀬は訝しむ八幡へ振り返った。
「私は電話をしてくるので、少々廊下で待っていて下さい。職員の方に何かを言われたら、貴方は二瀬炭坑の方へ来た、農商務省の人間ということにしておけば大丈夫だと思います」
『おぉ
……
それは
……
中々、凄まじい内容の、頼み事だね』
電話口の向こうで、噛みしめるようにゆっくりと話すのは、かつて釜石の製鉄所で技師をしていた、そして現在は東京で釜石製鉄の取締役をしている香村小録だ。二瀬は申し訳無さそうに声の調子を落とす。
「すみません、急な頼みごとで
……
どうでしょうか、可能でしょうか
……
」
二瀬が香村へ電話した理由は、八幡と釜石を東京で出会わせるために、釜石製鉄の方へ、釜石を東京へ来るよう説得してほしいからであった。
とはいえ、今この世界の釜石は八幡へ向かって闘争心を燃やす一辺倒であったから
……
普通に言うだけでは、到底やって来ないだろう。しかし、八幡の様子がおかしくて、それを治すために来てほしいと頼めば、嫌々ながらも、来てくれるかも知れない。二瀬はそう考えて、香村小録──かつて八幡の技師のトップ、技監を務めた、今泉嘉一郎や服部漸の同窓生で、八幡へも何度か来たことのある彼に、話を持ちかけたのだ。
無論、釜石と出会えたからといって、八幡の様子が元に戻るかは、二瀬にも分からない。ただなんとなく、八幡の意思を助けてやりたい気持ちとは別に、虫の知らせのような感覚で、二瀬の心には彼と八幡と出会わせるべきだろうという意識が働いていた。
『ううん
……
君の
……
頼みには、答えてあげたい、のだけれど
……
少し問題があって、あぁ
……
』
吃音を抑えるために、気持ちを静ませようと、香村は一段と穏やかな声で話した。二瀬がその言葉に眉をひそめる。
「問題、とは?」
『
……
』
香村は電話口の向こうで何かを悩んでいるようにため息をついた。二瀬は黙って、彼の返答を待つ。
数秒の沈黙の後に、香村は口を開いた。
『これは、あんまり
……
他言しないで、欲しいことだけれど
……
実は、釜石君が、ちょっと
……
ここ数日間、姿を見せていなくて
……
』
「えぇっ」
思わず二瀬は息を飲んだ。まさか、こちらの世界の八幡が姿を消しているように、釜石もまた姿を消しているとでも言うのだろうか。
「二瀬ッ!」
すると突然、背後から自分の名前を呼ぶ大声が聞こえた。
二瀬は驚いて振り返ると──
「三井鉱山からの電報ですよッ!今週末にでも話をしてもいいと!」
嬉しそうな八幡のその手には、今しがたこの事務所に届けられたのであろう、電報台紙が握られていた。
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