溶けかけ。
2024-09-11 16:15:32
3207文字
Public ほぼ日刊
 

え!?あの最高審判官も餅を焼くんですか!?

ヌヴィレットのぬいぐるみを作ったフリーナとぬいぐるみに嫉妬するヌヴィレットのお話。

「出来た……!」

 針山に針を刺す。僕の目の前にはヌヴィレットを模した手縫いのぬいぐるみが一つ。
 初めて作ったせいか、粗が目立つがまあ、及第点と言ったところだろう。ヌヴィレットのぬいぐるみは掌サイズ。実際に掌に乗せてみれば、彼がちょこんと僕の手の上で座っているみたいで可愛らしい。

「ふふっ……可愛いねぇ、ヌヴィレット――早く帰ってこないかな……

 唐突に寂しさが募りぬいぐるみを落とさないように机に上半身を預ける。ふんっと偉そうにしている姿は彼が元素爆発を使う時に似ている気がした。

「僕ばっかり、会いたいみたいだ……

 手の上のヌヴィレットを小突けば、ころんと転がった。
 ヌヴィレットと僕は所謂、恋人と呼ばれる関係で、同棲もしている。とはいえ、彼は今、稲妻に出張中で不在なのだが。
 以前行われた交流会が今度は稲妻で行われるため、彼が打ち合わせのために出張という形で綾華たちの所へ出向いている。

「会いたいなぁ……早く帰って来てね……

 ヌヴィレットのぬいぐるみにキスを落とす。それだけでもほんの少し、満たされた気がした。



「おやすみ、ヌヴィレット」

 ぬいぐるみにキスをして、照明を落とす。すっかり、この子におやすみのキスをするのが日課になってしまった。

「キミはいつ、帰ってくるんだろうね」

 返事はない。当然だ、この子はぬいぐるみなのだから。

「明日は、キミの服が完成するんだ。楽しみかい? 僕もだ」

 フリーナは待ち切れない、といったようにいそいそと布団に潜り込むと早々に夢の中へ旅立って行った。



「おやすみ、ヌヴィレット」

 今日はヌヴィレットが帰ってきた。いつものように、ヌヴィレットのぬいぐるみにおやすみのキスをする。

「ゴホンッ……

 ――不意に聞こえた咳払い。
 フリーナは油の刺されていないマシナリーのようにぎこちなく音の聞こえた方を向いた。

「すまない……部屋に立ち入るつもりはなかったのだが……

 ヌヴィレットの耳の先が仄かに赤く染まる。彼の視線はフリーナの手の上――自身を模したぬいぐるみの方に向いていた。

「〜〜〜〜っ!」

 顔を瞬時に染め上げたフリーナは声にならない悲鳴を上げた。
 ――見られた! 見られてしまった!
 寂しさでぬいぐるみを作り出し、あまつさえ、その子にキスまでしているなんて、小さな子どもでもしないようなことを!
 パニックに陥ったフリーナは泡を食って逃げ出した。

「おっと……室内で走り回るのは危険だ。止めたまえ」

 フリーナの逃走はすぐさま終わりを迎える。当然だ。
 唯一ある出入り口にはヌヴィレットが陣取っていたのだから。体当たりをしてでも逃げ出す覚悟をしていたフリーナは彼の胸へ飛び込む形になってしまった。
 彼女が体当たりをしたところで、ヌヴィレットはびくともせず、それどころか、飛び込んできたのを好機とばかりに抱き込むと逃げ出さないように持ち上げた。

「離せよ! どうせ、気持ち悪いとか思ってるんだろ!?」

 ぽかぽかとヌヴィレットの肩を叩くフリーナ。あんなところを見られたのだ、幻滅されたに決まってる。

……気持ち悪いとは思わないが」

「嘘だ、思ってる」

「思っていない――何故、キミはそうすぐに決めつけるのかね?」

 ヌヴィレットはフリーナを抱いている腕を少しだけ下げて視線を合わせる。

「何? 言いたいことがあるならはっきり――

「私にはしてくれないのか?」

「は……

 予想外の言葉にフリーナは目が点になった――今、彼はなんと言った?

「私にはしてくれないのか、と聞いたのだ。ぬいぐるみの私にはしていただろう?」

 ヌヴィレットは眉を真ん中に寄せて、僅かに唇を尖らせた。
 ――拗ねている、あのヌヴィレットが?
 堅物で恋愛のれの字も知らず、休日ですら、やることと言えば専ら仕事な、あのヌヴィレットが?

――君は一つ考え違いをしている」

 ヌヴィレットはフリーナに言い聞かせるように真っ直ぐとした視線をぶつける。

「私は、君の思うような立派な人間ではない。性的欲求も持ち合わせいるし、嫉妬もする――無論、君にだけだが」

「え……

 特大の爆弾が投げられた気分だ、とフリーナは詮無いことを思った。ヌヴィレットは混乱している彼女を置いてけぼりにして、なおも続ける。

「私を模したぬいぐるみに嫉妬した――そう言えば、君は私にも同じことをしてくれるのかね?」

 ヌヴィレットの顔は真剣そのもので、フリーナへの嫌悪や侮蔑は見られない。むしろ、その瞳はきらきらと輝き、期待すらしていると言っていい。

「気持ち悪くないの……僕、あんなことをしてたのに……

「何故、気持ち悪く思う必要がある? 君は私がいない寂しさからあれを作り出したのではないのかね?」

 ヌヴィレットの言葉にフリーナが頷く。「ならば、気持ち悪いなどとは思わない」と彼が優しく微笑んだ。

「ヌヴィレットは僕とキスしたかったの……?」

 恋人になり、同棲もしているが、彼と恋人らしい触れ合いをしたことがなかった。せいぜい、観劇中にこっそり手を繋ぐくらいだ。

「僕ばっかりが好きなんだと思ってた」

 不安だった。告白したのも、手を繋ぐのも、いつもフリーナからで、無理をさせているのではないかと。だからこそ、キスをしたいと言えなかった。我儘に付き合ってくれている優しい彼の負担になってはいけないから、と。

「そのようなことは……不安にさせていたのなら謝ろう。すまなかった、フリーナ」

 敬称は付けない。不安に揺れる彼女をこれ以上、不安にさせないために。

……触れても良いだろうか?」

「ん……

 ヌヴィレットはフリーナを慎重にベッドの上に降ろすと隣に腰掛け、柔らかな頰に触れた。彼女は目を閉じてそれを受け入れる。

「んっ……

 ヌヴィレットの手がフリーナの首筋に触れた。柔肌を冷たい手が滑る感覚にぞわぞわと背中が粟立った。

「ヌヴィレット……?」

 ぽふん、と軽い音を立てて、フリーナがベッドへ沈み込む。思わず目を開ければ、彼が覆い被さって、こちらを覗き込んでいた。耳を触られて、お腹がきゅっとして、むず痒い。

「嫌か……?」

 ヌヴィレットが眉を下げる。嫌か? だって、そんなの――

「嫌じゃ……ない……

 そろそろと引かれる手を引き止める。誘惑、なんて出来る気がしないけど――

「やめないで……ヌヴィレット……

 彼の長い指を食む。たまに戯れる子猫たちがやるような甘咬みで、歯を立てないように注意を払う。

「君は煽るのが上手いな」

「キミにしかしないよ……

 二人の顔が近付く。
 あと少し、というところで、唇の間に何かが割り込んだ。

「ふふっ……キミもやきもち焼きなんだね」

 ヌヴィレットとフリーナのキスを遮った犯人――ヌヴィレットを模したぬいぐるみは、口をへの字に結んでいてご機嫌斜めだ。

……私のライバルが君の作ったぬいぐるみとは、なんとも言い難い気分になるな」

「ふふん、僕のぬいぐるみ作りの腕もなかなかのものだろう!」

 フリーナがヌヴィレットとの間にぬいぐるみを掲げて胸を張ってみせた。彼も納得したように頷く。

……君のぬいぐるみを私に作ってくれないかね? 無論、謝礼はする」

「謝礼なんて要らないよ……! 僕とキミの仲だしね――それより、その、何に使うんだい……?」

 フリーナがおずおずと尋ねる。ヌヴィレットは微笑むと唇の前で人差し指を立てた。

……それは黙秘させて頂こう」

 ――ヌヴィレットの耳の先が赤く染まっていたことは、ぬいぐるみの彼のみが知っている。