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千代里
2024-09-11 08:15:52
11101文字
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リーブラ13話
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リーブラの針は問う・13話・その44
戻ってきた。
窓の向こうに並ぶ、雪を薄く載せた街並みを見ながら、ノエは言葉にせずに静かに帰還の念を噛み締めていた。
もし、自分が帰着の感慨を抱く日が来るとしたら、それはこの街に対してではなく、グリダニアにある長らく世話になった宿の一室に足を踏み入れた時だ。当初、ノエはそのように想像していた。
しかし、今こうしてノエは帰ってきたという感情を噛み締めている。よもや、父の屋敷を歩いている最中に、そんな念が浮かび上がるとは想像もしていなかった。
「帰ってきたんだな
……
」
先を行く父の従者の後を追いながら、今度は声に出して帰還を噛み締める。
一ヶ月にも満たない旅路ではあったが、うっすらと雪が積もった砂糖菓子のような家々を見ると、自分がこの街に少なからず愛着を抱いているのだと気付かされた。
先日の襲撃の爪痕は、完全に消えたわけではない。だが、旅立った頃に比べれば修復は格段に進んでいる。ノエたちが不在の間も、ベルナールは領主としての辣腕を振るっていたようだ。
「いろいろなことがありましたが、無事に戻ってこられてよかったですね。兄さん」
ノエの呟きが聞こえたのか、傍らを歩いていたオデットがそっとノエの手を取る。彼女の言葉に、ノエは同意の首肯を返した。
ノエとオデットの二人は、無事に街に戻ったことを伝えるために、ノエの父が待つ部屋に向かうところだった。
帰着した一行は、ベルナールの指示に従い、マルコたち三名の生還者を城門の兵士に預けた。すでにベルナールから話は届いていたのだろう、生還者の身柄を預かった兵士たちは、緊張を交えながらも彼らを粗雑に扱うような真似はしなかった。
その後、ランドン討伐についての詳細な報告や、三名の今後の処遇についての説明なども兼ねて、代表であるノエがベルナールのもとに来るようにと、使いの者がノエの元へと訪れた。
帰還したばかりで疲弊している仲間たちを付きあわせるのも申し訳ないと、ノエは一人で行くと言ったのだが、
「兄さんが一人で行ったら、兄さんも、兄さんのお父様も気疲れしてしまいそうですから。わたしも一緒に行きます」
このようにオデットに言われて、彼女と共に行くことになったのだった。
彼女の言うように、ノエがベルナールと一対一で対面すれば、ベルナールはどうしても父としての顔を表に強く出してしまうだろう。
そして、ノエは父としてのベルナールに対峙すればするほど、精神的に疲弊してしまう。親子の溝は、今も消えたわけではないのだから。
それを思えば、生還した三名の救助に参加している一方で、ノエとベルナール親子とは直接の関係もないオデットは、二人の間の関係を取り持つにはうってつけといえた。まさか、ベルナールも実子よりも幼い娘を追い出そうとはするまい。
かくして、ノエはオデットと共に屋敷を歩きながら、無事に戻ったという安堵に耽っていたのだった。
「わたしが、あんなにも『危ないですよ』って言ったのに、結局兄さんは成し遂げてしまうんですよね」
苦笑混じりのオデットの言葉に、ノエは苦笑いをこぼす。遠回しに「だから兄さんは反省しないんです」と言われてるように聞こえたからだ。
「皆がいてくれたからこそ、成し遂げられたんだよ。もし誰か一人でも欠けていたら、どこかで必ず行き詰まっていただろうから」
「それは間違いありませんね。ヤルマルさんの情報収集には助けられましたし、オランローさんとサルヒさんが頑張ってくれたから、美味しい食事が食べられました」
「ルーシャンさんも、反対してくれたのに、最後まで僕の旅路に付き合ってくれた。
……
僕が道に迷っているときは、ちゃんと話を聞いてくれた」
竜の襲撃をあれほど警戒していたルーシャンも、最後までノエの救出行に参加してくれた。もちろん、協力してくれたのは彼だけではない。一人でも行けると豪語していた数週間前の自分が恥ずかしくなるほど、ノエは仲間に何度も助けられてきた。
「皆がいなかったら、僕は今頃あの山の麓で竜と共に干上がっていただろうね」
「それを思うと、兄さんは前よりもずっと、わたしたちのことを頼りにしてくれるようになったんですね」
「以前から、皆のことは頼りにはしていたよ。正確には、迷惑をかける踏ん切りが前よりついた、というべきかな」
まるで、最初から人に頼ることを前提としている、と言っているようで少々みっともなく聞こえる発言ではある。けれども、ここ最近まではウヴィルトータ以外に背中を預ける者がいなかったために、ノエは目の前の問題に対して、一人で解決しようとしがちだった。それを思えば、皆の助力を素直に受け取れるようになったのは、目覚ましい成長である
――
少なくとも、ノエ自身はそう思っていた。
「ノエ様」
呼ばれ慣れない敬称付きの呼びかけに、ノエはオデットとのささやかな雑談を切り上げる。
二人の視線の先にあるのは、もう何度目の訪問になるかわからない父の居室の扉だった。
執事に促され、ノエは扉を軽く叩く。
「入ります」
短く一声をのせ、ノエはドアノブに手をかけた。
貴族の中には扉の開閉も従者任せという場合もあるようだが、ノエはベルナールの従者にそのような雑事をさせるつもりはなかった。
蝶番の軋みなど微塵も感じさせないほど、するりと扉が開く。僅かな緊張を感じつつ、ノエは中に足を踏み入れた。
毛足の長い絨毯は、固い地面ばかりを踏みしめていた彼の足には柔らかすぎて、まるで雲の上を歩いているようだった。
「ノエか。無事の帰着、何よりだ。それに
……
そちらは、たしか仲間の」
「オデットです」
ノエの影のようにして、ちょこちょこと中に入ってきたオデットは、ローブの裾を摘んで貴婦人の如き一礼をしてみせる。街中で見かけた女性の物真似だ。
「この度は、無事の帰還を知らせにまいりました。ドラゴン族に攫われた者三名と、出立した際に共にいた僕を含めて六名。全員大きな怪我もなく、到着しております」
「城門の使者からも、そのように聞いている。改めて、我が領民を異端者の魔手から救い上げてくれたこと、感謝申し上げる」
親子としての無事の確認ではなく、事務的な報告を優先するノエにあわせて、ベルナールも領主としての仮面を取り出す。
たとえオデットがいようがいまいが、そのやりとりに変わりはなかっただろう。
「それで、先だって話していらっしゃった、生還者の三名についてですが」
「そのことについて話はする。だが、まずはその前に功労者であるお二人を労わせてくれないか。立たせたまま話を進めては、領主としての私の名にも傷がつく」
ベルナールに言われた通り、ノエは部屋に入り、立ったまま話を進めようとしていた。
ノエ個人としては、腰を落ち着けて父と長話をする気は毛頭なかったのだが、オデットを自分の我儘に付き合わせるのも気の毒である。そう思い直し、ベルナールに言われるがままに彼は長椅子に腰を下ろした。
扉のそばに控えている従者へ茶を運んでくるように命じてから、ベルナールは改めて二人に向かい合う。
「三人の処遇については、先日伝えた通りだ。これまで通り、街での暮らしを許すことは領主として許可できない。しかし、城砦にて兵の監視下に置かれた状態ならば、日常生活を送ってもらっても構わないと私は判断した」
「その場合、兵士の方に嫌な顔をされないでしょうか」
物怖じせずに、オデットは己の意見を口にする。
ノエのようにベルナールに対して特別な感情を持たない彼女だからこそ、彼女の発言は素直な感情の表れとなり、領主である男に届いた。
「彼らに対して、事情を隠すわけにはいかない。下手に隠し立てすれば、余計に軋轢を生んでしまう」
領主が隠していたとなれば、痛くもない腹を無為に探られることにもなりかねない。それは、ベルナールが望むところではなかった。
「兵の中には、彼らに対して良くない感情を抱くこともあるだろう。私とて、領民の感情全てを制御できるわけではない」
「でも、それでは」
「だが、彼らが異端者によって攫われた犠牲者であることは正確に伝えておく。なるべく、平等な目を持つ管理者のいる城砦に派遣するつもりでもいる。私自身が視察に赴くこともある場所だ。不当に扱えばどうなるかが分からないほど、我が領民は愚かではないと信じたい」
ベルナールの言葉には、希望的観測が多分に含まれている。しかし、ノエたちもベルナールも、被害者に一生涯付き添ってやることができる立場ではない。生活の場を整えたのなら、それ以上できることは彼らにはないことは、この場にいる全員が理解していた。
「それが、今の私のできる精一杯だ。先だっての襲撃もあって、街では異端者に対する恐怖心が強くなっている。ここに残るよりは、彼らにとって住み良い環境であることを祈るしかない」
「街では、そんなことになっているのですか」
「残念ながらな」
ベルナールは深いため息と共に、ゆっくりとかぶりを振る。
「小競り合いが暴動に発展する前に、兵を派遣し、人心を宥めるようにしてはいる。しかし、このような事件の後では一朝一夕に今まで通りの暮らしに戻る、とはいかない」
ベルナールの言葉には、隠しきれない疲労が滲んでいた。
人が人を疑い、牽制し合うような環境は、どう考えても住み心地が良いとは言えない。彼らの仲裁役となる必要のあるベルナールにとっては、頭の痛い問題だろう。
「現在の情勢において、ランドンの訃報は民にとって久々の良い知らせになるはずだ。二人とも、よくやってくれた」
「あの、わたしは何もしていません。全部、兄さんが成し遂げたことです」
オデットはすぐに自分への感謝を否定し、代わりにノエへと視線を送る。
ベルナールもつられて息子へと顔を向けたが、男の顔には英雄となった息子への賞賛はなかった。
「何十人もの兵士を返り討ちにしてきた竜であると聞いている。それを、お前は一人で倒したのか
……
?」
疑いではない。彼の言葉には『何という無茶を』という心配の気持ちが、鮮やかに浮かび上がっていた。話しながらも、素早くノエの全身を見やっているのは、竜との戦いで負った傷の影響が残っていないかと、不安を抱いているからか。
「はい。結果的にそうなりました。ですが、あれは偶然が重なって得た勝利です。僕が一人で仕留めたと言えるものではありません」
「それでも、勝利は勝利だ。お前が望むならば、お前の名を討伐者として公表することもできるが
――
」
「やめてください。僕は、目立ちたくてやったわけではありません」
凱旋の英雄扱いをすぐさま否定しつつ、ノエは反射的に懐へと手を伸ばしていた。上着の裏側にあるポケットの中には、今も鈍色の鱗が静かに眠っている。
「もし、討伐した者の名が政治的な意味を持つというのなら、あなたが最も扱いやすい形で処理してもらって構いません」
「
……
分かった。だが、ランドンを討った英雄に何の褒章もないというのは、私の気持ちが落ち着かない。何がしか、この先の旅で役立つようなものを準備しておこう」
「そんな施しのようなもの、僕は
――
」
「兄さん」
父から贈り物をされるという状況に、ノエは反射的な反論を口に仕掛けていた。
だが、気色ばむ青年を、オデットがやんわりと嗜める。
「贈り物を用意してもらえるというのなら、せっかくですから貰っておきましょう。領主様は、兄さんにとっては思うところのある方ではあるのでしょうけども、兄さんが竜を倒したという事実を賞賛したいと思う気持ちは、きっとこの街のどの方でも一緒だと思います」
贈り物はベルナール個人からノエへと渡されるのではない。この土地を生きる民の代表として、そして真実を知るものとして、感謝を形としたいと考えたが故のものだと、オデットは語る。
「
……
分かりました。連れ帰った人の件が片付くまでは、街に滞在しているつもりです。それまでに用意してもらえますか」
「ああ。私も、何度か教会には赴かねばならないと思っているところだ。その時に、渡すことになるだろう」
「教会に? もしや、葬儀の件ですか」
だが、合同葬儀については、ノエが出立をした日に執り行われたはずだ。朝早くの出立だったために、葬儀に参加はできなかったが、墓穴や墓石の準備を進めている一団を、出立前に遠目に確認していた。故に、葬儀自体はもう済んだはずであると思っていたが。
「いや、そうではないのだ。実は
――
」
その言葉が終わる前に、何やら騒々しい話し声が聞こえてきてベルナールは口を噤んだ。
毛足の長い絨毯越しにもわかる、微かに響く振動。扉の向こうからも聞こえるほどの声量の、誰かの話し声。
ただでさえ、苦しい旅路の果てに鋭敏な感覚を養っていたノエたちには、廊下を歩いて誰かが話しながら近づいてくるのがすぐに分かった。人数は、おそらく二人以上。
「この後、別の約束があったのですか」
「いや、そんなはずはない。お前の訪問のために、今日の時間は十分に空けておいた。面会の予定は夜までないはずだ」
ノエは嫌がるだろうが、オデットにはベルナールが息子の訪問を楽しみにしていたのだろうと分かった。
出会ってもぎこちないやり取りしかできなかったとしても、ベルナールにとっては生存を知った矢先に冒険者ギルドに手紙を送るほどに再会を望んだ相手だ。たとえ形式だけの報告の場であっても、時計を見ながら語り合いたいとは思っていなかったに違いない。
扉の前に訪問者がたどり着いたのか、話し声がより大きく聞こえる。
やり取りをしているのは、ノエを案内してきた従者だろうか。声の様子からして、訪問者を押し留めているように見える。
一瞬の静寂。そして、非常に恐る恐るといった様子でノックの音が響いた。
「何用だ」
ベルナールの静かな問いかけは、恐ろしいまでに感情の色がなかった。強いて言うならば、不機嫌がそのまま声になったかのようだ。
(
……
父さんは、苛立つとこんな話し方になるのか)
(ベルナールさんは、怒ると兄さんと雰囲気が似るんですね)
ノエは素直に驚きを覚えていたが、オデットは思いがけない親子の相似に気付いていた。
不愉快な相手を前にすると、ノエも感情の起伏を意図的に薄くしたような振る舞いを見せる。激情を外に見せまいとする姿は、皮肉なほどに親子揃ってよく似ていた。
ベルナールの誰何に応じて、ゆっくりと扉が開く。姿を見せたのは、予想通り、ノエとオデットを部屋まで案内してくれた従者であった。
「旦那様。申し訳ございません。お止めしたのですが、新しく来られた司祭様が、どうしても旦那様にご挨拶をと
……
」
「これはこれは、ラペイレット卿。ご歓談のところ、大変申し訳ございません」
従者が最後まで話し終わる前に、部屋に入ってきたのは、司祭服を着た壮年のエレゼン族の男だった。その後ろには、同じような服装のヒューラン族の男がいる。制止の声をかけている従者の存在など、まるで見えていないかのような振る舞いだった。
「
…………
!」
司祭の衣装。そして、年嵩の男性。それらの存在は、ノエの傍らに座っていた少女の身を強張らせるには、十分な要素だった。皇都にて、老年の司祭を前にした瞬間、彼女が気を失ってしまったことはノエもよく覚えている。
「オデット。怖いなら、僕を盾にしてくれて構わない」
「
…………
」
小声でそう囁くと、少女は彼の上着をぎゅっと掴み、文字通りノエを盾にして視界から司祭を遠ざけていた。
皇都にいた時のように気絶こそしていないのものの、小さな震えが止まらずにいるのはノエにも分かった。
(アランさんの献花に向かうとき、司祭様はオデットのそばを行ったり来たりしていた。ルーシャンさんも、司祭様の服を借りて行動していた。それでも、ここまで怯えてはいなかったのに)
今にも気絶しそうなほどに顔を青くしているオデットを、ノエはそれとなく片手で宥める。
その間にも、司祭とベルナールの間で話は進んでいたらしい。ベルナールは席を立たずに、部屋に入ってきた二名の司祭へと視線だけを送っていた。
「見ての通り、今は来客の応対をしております。司祭様へのご挨拶には、こちらから伺うと伝令を送ったはずですが、届いていなかったのでしょうか」
「ええ、もちろん受け取っておりますとも。しかし、領主様自らご足労いただくというのは、いささか申し訳ない。何せ、私たちはまだこの土地に来て日が浅いものですから。外様である私どもの元に、わざわざ領主様御自ら来ていただくというのは、礼を失するというものでしょう」
訪問の約束も取り付けずに押しかける方が、礼を失するのではないかと、ノエは無言で眉を顰める。
服装を見る限り、男たちが司祭であることは間違いなさそうだ。しかし、大仰な身振り手振りといい、従者の制止を押し切って部屋に押し入ってきた態度といい、皇都にいた老司祭やアランの落ち着いた礼儀正しい態度と比べると雲泥の差だ。
司祭の中には、その立場に胡座をかいて権力者のように振る舞うものもいると聞く。この二人もその典型例といったところか。
「お手数をおかけして申し訳ございませんが、場を改めてもらえないでしょうか。先ほども申し上げましたが、見ての通り今は先客がおります。お二人のお相手を十分にすることはできません。そのことは、従者もお二人に伝えたかと思いますが」
人の話を聞いていたのか、と遠回しにベルナールは指摘する。席を立たずに応対するのも、来客に対して無礼と分かって、敢えてしていることだろうとノエにも分かった。
だが、ベルナールの苛立ちを知ってか知らずか、司祭の一人は悠々と手を広げ、
「これはこれは、失礼しました。領主様が、どこの馬の骨とも知れぬ旅人に会われていると伝え聞いたものでして。そのような者が相手でしたら、すでに話は終わっているものかと思ったのですが」
司祭の発言を聞いた瞬間、ベルナールの周りの空気が確かに揺らいだ。父と十五年ぶりに再会したばかりのノエでもわかるほどに。しかも、かなり険悪な方向へと。
父がそれほどまでに怒りを漂わせている理由は、さすがのノエもすぐに悟っていた。
(
……
普通は、領主の元に図々しく上がり込んだ旅人が、領主の庶子であるなんて想像もしないものな)
だが、今の司祭の発言は、ベルナールにとっては息子を軽んじる発言にしか聞こえなかったのだろう。相手がイシュガルド正教の司祭であるため、出ていけとは言えないでいるようだが、苛立ちが目に見えていたならば、今頃は部屋の全て埋め尽くしていたはずだ。
「ラペイレット卿。此度の訪問を急いだ理由は、それだけではありません。実は、急ぎ、領主様の耳にお入れしたい話を聞いたのです」
「
……
それは何だろうか」
不愉快そうなベルナールを無視して、司祭は続ける。
「先日、この街には異端者と竜どもの襲撃があったそうですね。その際に、異端者に拉致された者がいたとか。彼らが、どのような手段を使ってか、街へと帰還するという話ではありませんか」
「
……
どこで、その話を?」
先ほどまでのような私情が消え去り、代わりに警戒の気配がベルナールの声に混じる。
今までもノエに伝えていたように、ベルナールは生還者の話については、一部の関係者にのみ伝える想定でいた。いたずらに人々の不安を煽らないためだ。
帰還した者のみうにには、使いの者を送って連絡はしているが、彼らも生還者の扱いは慎重にならざるを得ないと理解しているはずだ。帰還を知ったところで、周りに伝え回るような真似はしないだろう。
ならば、なぜ司祭は知っているのか。
「孤児院に訪れていた兵の方のお話を、聞いてしまったのですよ。我々が新たに赴任する教会を見て回っているときに、偶然耳にしてしまってねえ」
今度は、ヒューラン族の司祭が口火を切る。彼の声は、まるで蛇のようにずるりと懐に入り込むような薄気味悪さがあった。
「何でも、孤児院の孤児の一人は、異端者に攫われたにも拘らず、この度無事に帰還を果たしたという話じゃないですか」
「
……
ああ。そのような話はすでに私も耳にしている。それで、あなた方は何を言いたいのだろうか」
ノエの連れ帰った三人にも話題が侵食してきたため、ノエは思わず司祭たちを睨むように見つめてしまう。
もし、彼らが異端者の三人を異端審問にかけるため、皇都に連れ帰るなどと言い出したら、これまでのノエの奮闘もベルナールの譲歩も、全て無意味となってしまう。
「
……
聞くところによれば、彼らは望まぬ形で異端者に攫われた。そうですね?」
「ああ。飛竜によって、無理やり拉致されたと聞いている。私は、異端者が起こした事件の被害者として、彼らを丁重に扱うつもりだ」
異端者としては扱わずに領主の庇護下に置く。自身の方針を、ベルナールが言外に告げると、
「
……
そうでしたか。それなら
――
今一度、我々にも彼らと面会をする機会を設けてはいただけないでしょうか」
司祭の発言は、ノエやベルナールが予想していたものとは真逆のものだった。
司祭らの意図が分からないためか、ベルナールですら一瞬の沈黙を挟んでしまう。
「何故、そのようなことをお望みになるのでしょうか」
「いやいや、そのような怖い顔をしないでいただきたいものですな。異端者に拉致されたとあれば、哀れな子羊たちも異端者の牙を植え付けられたのでは、と疑われるのは当然の流れです。ならば、私どもイシュガルド正教の導き手が、彼らと直接言葉を交わし、問題ないと教会側に報告することで、彼らや周りの方々も安心を得られるでしょう」
「私たちも、無辜の民を奈落に突き落とすような真似はしたくありません。ですが、中にはそのような過激な思想の持ち主も少なくありませんから」
司祭たちの話は、ノエやベルナールにとっては願ったり叶ったりの提案だった。
今まで通りの生活を許すことはできずとも、教会のお墨付きがあるとないとでは、周りに与える心象も大きく変わってくる。
「
……
そういうことでしたら、また改めて場は設けさせていただきます。お忙しいところ、我が領民のためにご足労いただき、まことにありがとうございました」
形はどうあれ、ベルナールが治める地に生きる者のために、という名目で来た以上、司祭たちを粗雑に追い払うわけにもいかない。
とはいえ、言外ではあるものの、ベルナールの発言は「用が済んだならとっとと帰れ」という意味も含んでいた。これ以上、場をかき乱してほしくないという心情が手に取れるようだ。
だが、司祭の一人は話が済んだのを皮切りに、今度はノエの方へと視線をやった。
「そちらが、件の旅人殿でしょうか。
……
こう言っては何ですが、領地の報告のために、このような流浪の者を領主様の家にあげるというのは、領主様ご自身の品位を損なうことになりかねませんよ」
ノエたちを値踏みするような視線がノエの表面を彷徨い、次いでオデットに留まる。
彼女が更に体を強張らせ、できるだけ己を小さくしようとしている様子が、しがみつかれているノエには手に取るように分かった。
「おや、そちらのお嬢さんは
――
……
」
「司祭殿。用がお済みでしたら、お引き取り願えないでしょうか。見ての通り、私は旅の者と語らう約束をしております。客人とのやりとりも碌にできない領主となるわけには参りませんので」
「それは、失礼いたしました。それでは、また日を改めて」
ベルナールの声は、ノエが今まで聞いたことがないほどに抑揚が薄かった。そんな彼の感情がようやく伝わったのか、司祭も辞去の社交辞令を口にしてくれた。
従者とベルナールに追い払われるようにして、司祭たちが扉の向こうへと消えていく。
彼らの見送りと、余計な真似をしないようにと監視の意味を兼ねて、ベルナールの従者は司祭らと共に部屋を後にした。
残されたのは、真っ青になっているオデットと、彼女を支えているノエ。そして、苛立ちの残滓を纏わり付かせているベルナールだった。
「すまない。話の途中であったというのに」
「
……
いえ、僕はかまいません。話を聞く限り、あの方々が領主様が教会に行かねばならない理由、ということでしょうか」
「ああ。先日の襲撃によってアラン殿が亡くなったことを受けて、中央からこの街の教会に新しく司祭が派遣されることとなったのだ」
教会にはまだ司祭や見習いは残っているものの、孤児院と教会双方において采配を振るっていたアランの喪失は大きい。まだ来て日が浅かったにも拘らず、アランはこの街の頼れる存在として根を下ろしていたようだ。
故に、残った司祭たちは、人手不足解消のための人材を送ってくれと皇都の本部に頼み、先ほどの二人が派遣される運びとなったというわけだ。
「とはいえ、見ての通り、我が領土は皇都に近いわけでもない。中央で働いていた者にとっては、実質左遷のようなものと捉える者も少なくない。四大貴族の系譜でもない我が血脈を侮る者も、少なからずいる」
その結果、面会中であるというのも無視して押し入ってきたということかと、ノエは理解する。
貴族には領主としての責任だけでなく、教会のような別組織との折衝も必要であると、思いがけなくノエは知ることとなった。
「ですが、あの司祭様は生還者の方を異端者として扱うつもりはないようでした」
「ああ。それだけが、せめてもの救いだ。彼らはまだ、中央とのつながりを濃く残しているだろう。その彼らが、率先して『異端者の犠牲者ではあるが、異端者とは扱わない』と表明してくれれば、彼らの今後も幾分か楽になるはずだ」
そこまで言ってから、ベルナールは先ほどから無言を貫き通し、ノエにしがみついたままになっている少女に視線をやる。
「ノエ。そちらのお嬢さんだが、大丈夫なのか。随分と具合が悪そうに見えるが」
「
……
オデット。もうあの人たちはいなくなったよ」
ノエにそう言われて、ようやくオデットはノエの上着を握り締めるのをやめた。彼女が掴んでいた部分には、深く皺が刻まれている。
ノエから手を離したものの、オデットの顔は紙よりも白い。唇に至っては、血の気が失せて紫色になっているほどだ。
「
……
すみません。あのエレゼン族の方がわたしを見たとき、とても
……
なんだか、嫌な感じがしたのです」
「もしかして、どこかで会った覚えがあるのかい」
オデットはしばらく頭に手を当てていたが、やがてゆっくりと首を横に振った。波打つ薄紅の髪が、彼女につられてゆっくりと揺れる。
「ノエ。もしよかったら、彼女を休める場所を用意させよう。このままでは、歩いて帰るのも難しいだろう」
「
……
わかりました。お願いできますか」
ここで意地を張って、オデットに無理をさせては本末転倒だ。ノエは、素直にベルナールの申し出を受け入れた。
ベルナールは従者を呼び付け、女中と思しきエレゼン族の女性に、休める部屋を用意させるように言付ける。その様子を横目に見ながら、ノエはいまだ震えが残るオデットの体を、そっと支え続けた。
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