【カブミス】あなたが目をさます時

共寝した夜、うなされて自分を傷つけるミスルンを抱きしめるカブルーの話。

 ミスルンさんと思いが通じ合ったのは、もしくは俺の思いが通じたのは、メリニの建国騒ぎが終わって、しばらく経ってからのことだった。
 確か俺はあの日の夕暮れ時、ミスルンさんの邸宅で酒を飲んでいて、したたかにではないが酔っ払っていて、ミスルンさんはそんな俺を物珍しそうにじっと見つめていた。トールマンが酔っ払うのが面白かったのかもしれないし、特に感情はなかったのかもしれない。
 でも俺はというと、あの静かな黒い目、義眼の入った目がとても美しく見えたから、だからきっと思わず、「あなたのことが、好きかもしれません」と、ちょっとあやふやな言葉を発してしまったのだろう。
 それから数秒して、俺はいつもならもっと上手く出来たのにって動揺して、中途半端な言葉に慌ててしまったけれど、もう遅かった。でも酔いを見せないミスルンさんはというと、嫌悪感を表すこともなく、「そうか」と言うだけだった。俺は「覚えていてくださいね、それだけでいいから」って言い訳をして酒宴を切り上げようとして、椅子から立ち上がった。でもミスルンさんはそんな俺の腕を強く引っ張って、こう言ったのだ。
「もしかしたら、私もそうかもしれない」って、俺よりもずっとあやふやな言葉を、口にしたのだった。
 そこからは指を絡め合って、抱き合って、エールの味がするキスをした。さすがに初日からベッドに行くってことはなかったけれど(俺にだって分別はあるのだ)、刺激的ではなくとも、これまでの恋愛よりずっと心地よかった。天に昇る気持ちって、きっとこういうものなんだろうなって俺は馬鹿みたいに思い、やっぱり馬鹿みたいにいちいちそれを口にし、ミスルンさんに呆れられた。でも、ミスルンさんもどこか浮ついていて、俺を抱きしめる腕は少しだけ震えていた。そんな愛しい人の仕草に、俺はこの人を大切にしようと思った。トールマンは短命種だ。エルフは長命種だ。二つの種族はなかなか重ならないが、このいのちの全てをこの人に捧げようと思った。それが彼の負担になっても、覚えていてほしかった。あの時言ったみたいに、覚えていてもらえたら、それだけでいいと思ったのだ。
 それから、俺たちは恋人同士になって、互いの屋敷を行き来する仲になった。とはいえ新興国であるメリニ国は宰相補佐である俺にもとにかく雑用が回ってきたから、それほど毎日べったりとはいかなかった。でも俺は隙を見てはライオスさんの目をかいくぐって、ミスルンさんの屋敷に通った。語り合い、キスをし、抱き合い、朝まで一緒に寝た。ミスルンさんの身体は筋肉質だったけれど、俺よりも小柄な彼はすっぽりと腕の中におさまって、とても心地よかった。傷の残る肌はそれでもすべらかで、俺はひとつひとつの傷にキスをしていった。体中にある白い傷がうす赤く染まるのは、とても愛おしかった。ミスルンさんはそれを少し嫌がったけれど、身体が熱を持ち始めるともう何も言わなかった。俺の肌にぴったりと胸を触れさせ、逃げる様子も見せず、荒い息を漏らすようになれば、彼はもう俺のものだった。
 俺たちは幸せだった。ともに寝て、ベッドをきしませて、時には笑い合って眠りに入った。だからあの時はとても驚いた。ミスルンさんが苦しげに息を吐き、胸を上下させ、うなされていたあの時は。
 
 
 その日、俺たちはいつものようにゆっくりと食事を取って、ともに風呂に入り、身繕いをしあって、身体を拭いたあとは少しだけしずくを垂らしながらベッドでキスをして、お互いの身体を探り合った。それはいつものようにとても心地がよかった。日々の雑事のストレスを忘れてしまうくらいミスルンさんの身体は気持ちよく、俺は細い腰に子どもみたいにがっついた。ミスルンさんも久しぶりの逢瀬に感じているのか、俺にしがみついて離れなかった。
 俺たちは身体を重ねたあと、簡単に身体を清めて、さっき何度もきしませたベッドで寝た。ミスルンさんにおやすみなさいと言うと彼は不器用に笑って、「よく眠れ」と、俺に子ども向けの魔術をかけてくれた。最近忙しいと食事の時にこぼしてしまったから、疲れが取れる簡単なそれをかけてくれたのだろう。
 俺は幸せだった。なんて素敵な人と恋人になれたのだろうと思った。そしてうとうとと眠りに入って、俺は夢を見た。ミスルンさんが笑う夢だ。夢の中でも俺は幸福だった。でも、夢はだんだんと薄れてゆき、やがて誰かのうめき声が聞こえ出した。俺はそれに驚き、目をこすりつつ見開く。そして俺は見つけるのだ。俺の隣で寝ているミスルンさんがうなされているのを見つけて、愕然とするのだ。
 
 
「ミスルンさん? どうしました? ミスルンさん?」
 俺はうなされるミスルンさんを見てどうしていいか分からず、筋肉質だが、痩せた彼の肩を揺らした。でもミスルンさんはすぐには目覚めず、誰かの名を呼び、短い爪で胸をかきむしった。綺麗な肌に血がにじむ。俺は慌ててその手を取り、彼の肌を守った。でもミスルンさんは掴んだ俺の腕もかきむしり、嫌だ、やめてくれ、怖いと、殺してやると、低く何度も叫んだ。
 俺はどうしていいか分からなかった。いつ、ミスルンさんは目覚めるのだろう。いつまで彼の苦しみは続くのだろう。
 止まない雨なんてない、終わらない悪夢なんてない、救いのない悪夢だって、いつかは覚める。
 本当に明けない夜なんてない? この人にそれは与えられるのか? 迷宮の主だった彼に幸福は与えられるのか? 俺はこの人にそれを与えられるのか?
「ミスルンさん、大丈夫です、大丈夫ですから……
 俺はわめきながら腕を振り回す彼を抱き起こし、こめかみや頬、唇をさすって何度もキスをした。夜泣きする子どもをあやすように抱きしめ、俺は彼をじっと愛した。するとようやくミスルンさんが目覚め、いや、あやふやな意識の中目を開き、俺をじっと見つめた。空虚な、何も見ていないような、そんな目で。
 俺はほとんど泣きそうだったけれど、彼はまず、情けない顔をしていたのだろう俺を見て、「怖い夢でも見たのか?」と、優しく笑った。でもすぐに俺の腕に走る爪の傷跡を見て、赤く染まったそれを見て、顔色を変えた。「悪夢を見ていたのは、私の方だったのか」と、静かに口にして。
 あたりは薄暗く、薄いカーテンがかかった窓から見える空には、まだ大きな月とそれを取り巻く星があった。きらきらと輝くそれらは、ミスルンさんの細い銀髪や、血がにじむ白い肌を静かに照らしていた。
「苦しいんなら、言ってください」
 俺は思わずそんなことを言って、彼の悩みに踏み入った自分を恥じた。いつもならば誰彼構わず個人的な話をする必要はないなんて大人ぶるのに、俺は彼の中に入り込みたかった。あんなに苦しげにうなされる彼を、抱きしめて、愛してやりたかったから。
……久しぶりだったから、迷惑をかけたな」
「そんなことどうでもいいんです、あなたの苦しみを、取り去る手伝いがしたいんです」
 俺はじっとミスルンさんを見つめた。ミスルンさんはそんな俺を眺め、少しだけ呆けた顔をして、少しだけ笑った。
 きっと彼は苦痛のない世界を望んではいないのだろう。それは普段から彼と話していても分かっていたことだった。自分の意志でなくとも多くの人を傷つけ、そして悪魔に傷つけられた彼は、自分を許してはいないようだったから。
「それだったら、キスをしてほしい」
「え?」
「嫌なら、いい……
 ミスルンさんが恥ずかしそうに枕に顔を押し付ける。俺はそれを見て、どうしていいか分からなくなって、でも彼にはなんでもしてあげたくて、無理矢理身体をひっ繰り返して、ミスルンさんのかさついた唇を舐め、本当は柔らかいそこにキスをした。輪郭を舌でなぞり、彼が望んだとおりに優しくキスをした。
 ミスルンさんもそれに応じてくれた。俺の舌を誘い、ゆるく噛むと、俺の癖毛に指を通した。
 俺たちはキスをした。優しく、長く、何度も何度もキスをした。
 俺はミスルンさんを、きっと心の底からは理解出来ないんだろう。お互いに心に傷を持つ身の上だけれど、ミスルンさんが抱く傷を、俺は理解出来ないだろう。俺はそれを悔しく思う。でもいくら彼の傷を理解したくたって、自分から傷つきにいくのはまた違って、多分、こんなふうに身体を重ねるしか俺には出来ないのだ。悲しいけれど、きっとそれが限界なんだろう。
 俺たちはキスをする。
 月の光が差し込む窓の近くで、ベッドに寝転がって、空を埋め尽くす星の光の下で、長く、長くキスをする。
 ミスルンさん、ねぇ、俺、あなたが目をさます時に隣にいたいです。でも、あなたは嫌がるかな。
 俺はミスルンさんにキスをする。愛している、愛していると、ただそれだけを繰り返して、キスをする。