木綿子
2024-09-10 21:34:06
2260文字
Public 👹(義炭)
 

急冷式万華鏡

ワンライ過去のお題から。
お題:残暑

 ガラスのコーヒーサーバーに、たっぷりの氷。その上に乗せられた真っ白な陶器のドリッパーに湯が注がれると、一気にふくよかなコーヒーの香りが漂った。
 嗅ぎ慣れた、アイスコーヒーブレンドの匂い。店でも使っている、炭治郎が焙煎した豆だ。
(いい匂い)
 ぶわぶわっと膨らんだ細挽き豆から漂う、香ばしくてどこか甘い匂いは、炭治郎が好きなコーヒーの匂いの一つだ。三日前に焙煎した深煎り豆は、濃い香りを立ち上らせながら静かに白い泡を吐き出し終えると、微かに水を吸い込む砂のような音を立てる。蒸らされた豆の粒が落ち着くのを待ち、更に湯が注がれると、最初とは違うクリームみたいな泡がふわふわと盛り上がった。
 ドリップ時の機微の見極めは、未だに義勇に敵わない。焙煎なら炭治郎に軍配が上がるが、淹れるとなると義勇の方が格段に上手い。同じ分量、同じ手順で淹れても味が違う。どうやっても義勇が淹れたコーヒーのような甘さが出ないのだ。
 今、目の前で落とされているアイスコーヒーも、炭治郎には絶対に出せない味で出来上がっている。
「ほら」
 差し出されたグラスは何の変哲もない、なんなら百円ショップで買ってきた食器だが、透明な氷の周りを琥珀に輝かせる茶褐色の飲み物に満たされると、ロケーションが自宅のダイニングテーブルでもにわかにお洒落な雰囲気になるから不思議だ。
 差し出してくる人の影響によるところも大いにあるけれど。
「いただきます」
 口に含んだアイスコーヒーは、思った通りに美味しい。いつも飲んではいるけれど、飲むたび「美味しいなぁ」としみじみ思う。
 深煎りなのに、苦みがやわらかい。爽やかな柑橘系の酸味の奥から、飲み込んだ後にほんのりとした甘さが残る。全体的に重めの焙煎にしてあるのに、どうしてこうも軽く、尚且つコクのある味わいになるのか、炭治郎にはさっぱりわからない。
「いつも思うんですけど」
「うん?」
「なんか、美味しくて悔しいんですよね。すごく美味しくて!」
「そうか」
「こないだもお客さんに『前に飲んだやつと味違うくない?』って言われたし!」
「まあ、淹れる人間が違えばそうなることもある。平均値を求めるなら全部機械落としにすれば」
「それは嫌です!」
 炭治郎にもなけなしの矜持はある。そもそも、店は自家焙煎のコーヒーがメインなのだ。コーヒーメーカーでも美味しく抽出される自信はあれども、お客様にはハンドドリップの一杯をお出ししたい。そこは譲れないのである。
 両手の中でうっすらと汗をかき始めたグラスの中で、かろん、と氷が涼しく軽やかな音を立てた。
「おれが淹れると、なんか苦みが強く出るんですよね。こんなにやわらかくならないの、本当に謎なんですけど。というか、義勇さんが目の前で淹れてくれるコーヒーって、全部やわらかくて優しくて甘い味わいなの、本当に本当に謎なんですけど!」
 力を込めて力説すると、目の前のバリスタは自らが淹れた琥珀を飲み干し、面白そうに微笑んだ。
「そういうふうにしてるからな」
「はい?」
「炭治郎レシピなんだ」
「おれ?」
「そう。炭治郎イメージの、炭治郎にしか出さない、炭治郎レシピ。店で淹れるコーヒーは、これとは違う味わいにしてる」
 さらりと言われた言葉を、咀嚼するのに少し時間がかかった。
 グラスの中の「炭治郎レシピ」を一口二口味わって、その仄かな甘さを飲み込んで、頭の中がぶわぶわっとなった。
 さっきのドリッパーの中身のように。
……いつも思うんですけど」
「うん?」
「なんか、義勇さんがイケメンすぎて悔しい! おれも義勇さんに思い知らせてやりたい!」
「なにを?」
「いろいろです! いろいろ!」
 炭治郎が喚けば喚くほど青い瞳の笑みが深くなり、ついには楽しそうな笑い声が聞こえてきた。まだ暑くて鬱陶しいからと高いところで結った黒髪が揺れて、炭治郎は益々悔しさを噛み締めた。
 イケメンの上に可愛いのは本当にずるい。
「もう充分思い知ってるんだが」
「じゃあ畳み掛けます」
「それは参るな。対抗して『秋の炭治郎レシピ』でも作るか」
……負けました」
「判断が早くて助かる」
 笑っているのに涼し気で、それにも悔しさが増してくる。一泡吹かせてやりたくて、炭次郎はテーブルの上に置かれた男らしい手を取り上げた。
 さっき、丁寧にコーヒーを淹れてくれた手指はひんやりしていて、少し節だった指が長く、でも飲食店勤めらしく僅かにカサついていて、なんだか無性に愛しくなるから悔しさがまた一つ重なった。
(なんかもう、好きすぎて悔しいなあ!)
 そっと世界で一番きれいな指を持ち上げる。短く整えられた爪の先もきれいだ。そのツヤツヤの上に、炭治郎は唇を乗せた。
 衝動に任せ、できうる限り恭しく、騎士がするそれに見えるよう頑張った。
 握った指先の温度が少し変わった気がして上目に覗うと、さっきまで笑っていた青がその色を変えていた。いや、笑んではいる。笑んではいるのだが、睫毛が上下するたびに不可思議に色を変えていく。
 もっと甘く、とろとろとして、南国の果物から滴る果汁みたいに。
 それから一言、コーヒーよりもやわくて甘くて、重い声音が落ちてくる。
……負けた」
「おれの勝ちですか? 今ので?」
「うん。そもそもお前のほうが強いんだから、仕方ない」
 口づけをした指先に、捉えられた。やっぱりやわくて甘い。絡みつく手指が、熱を孕む。

「たぶんこれ、おあいこですよ」