何某
Public 花国
 

探し物はなんですか?

花国が真夜中にわちゃわちゃしてる話

……は?」

聞くんじゃなかった。そう思うより先に唸るような低い声が出た。




違和感のある明るさが暗闇を作る目蓋の向こうで不規則な明滅を繰り返している。
光に叩かれ、仕方なしに薄く視界をこじ開けると、丸まった背中が光に向かって傾いたり暗闇へ反ったりしていた。時折キーボードをたたく音が聞こえ、ノートPCを操作しているのだとなんとなく分かった。状況が分かったからと言ってわざわざ起き上がるのは面倒だ。腰がだるくて頭も眠気に塗りつぶされている。

着古してよれたTシャツの裾を摘まんでしばらくしてから、なにしてるんですかと聞いた。それだけだったのに、花巻さんから返ってきた言葉は脳の奥から冷え切るような言葉だった。

「女を探してる」

退屈を混ぜた、ぶっきらぼうな音を辿って言葉の意味を捉えた瞬間、いつでも閉じることができるはずだった瞼が一気に開いた。女を探している?

裾をつまんでいた手の力が抜けた。同時に、小さな解放感に花巻さんが振り返ってこちらを見下ろす。

「うるさかった?ごめんな」

そう囁く声はさっきまで飽きるほど繰り返した房事のときとあまり変わらない。やわらかく、ゆるやかで、慈しむような声。晴れて恋人となった頃から聞こえ始めた、大好きな甘みのある声。女を探していると宣った口と同じとは思えない口調で、まだ寝てろよ英、などと滴る声で言う。優しくて甘ったるい。いつもの自分だったら、素直に瞼をおろして再びの眠りについていただろう。だが今日は、今ばかりは何があっても眠りに落ちるなんてできそうになかった。

寝返りを打とうとしたつもりが結局、ブランケットに潜る形になってしまった。花巻さん曰く、自分が拗ねたときに取る行動と同じ動きを無意識のうちにしてしまっていた。何を察知したのか、PCを閉じた音がして、ブランケットの上から肩へ手を置かれる。

「どっか変にした?」

それは肉体の異常を憂慮する言葉だったが、どうにも答えることができない。確かに腰はだるくて軋むし、喉は痛いし、甘噛みも強噛みもされた体のあちこちはまだ痺れたような感覚が残っている。けれど今もっとも「変になっている箇所」というのならば心だった。

……べつにどこも、」

ほとんど息だけになった小さな返事だったのに、花巻さんはブランケットを剝がすでもなく、ただ肩に触れたまま器用にこちらの身体をまたいでフロアベッドを軋ませ、背後に滑り込んできた。

「どっか痛かったらすぐ言えよ?」

声が近づいて、すぐに抱き込められる。シャツ越しの体温が少しだけ高い。火照りもせず、悪寒も起こさない自分の体が彼の体温に解されていくような気がした。

誰かの体温が得体の知れない痛みを癒すこともある。そう言っていたのは松川という先輩だった。当時、自分たちはまだ世間のからさも他人のぬくもりのありがたみもいまひとつ実感していないような子どもだったのに、その先輩はどこか風貌も言動も大人びていて、中学からずっと同じ学び舎へ通い続けた同級生が秘かに「いつか俺もあんなふうに」と憧れを抱いていたほどだ。

なるほどこういうこと、と少しだけ冷静になった頭が呟く。しかし得体のしれない痛みをほぐしているのも、その痛みを与えたのも同一人物である場合は、若干でも事情が変わるのだと知らされてしまった。癒されていることにきっと変わりないが、それでも何が正解なのかがわからない。

痛くないですと言えば噓になる。けれど、痛いですと言えば彼は飛び起きてあれこれ尽くしはじめるだろう。どちらの解を示すにしても、きっと自分の心は晴れないままだ。女を探しているなんて何でもないように言われては、自分が今こうして抱きしめられている理由が消滅しかけていくばかりで、ちっとも埒が明かない。

「あきら?」

何も言わず、じっとしているだけの自分が不思議に映ったのかもしれない。彼は上体をわずかに起こして、こちらを覗き込もうとした。

「具合悪い?」
……んん、」

是とも否とも取れない微妙な返答に、彼が困り果ててしまった気配がした。だが困っているのはこちらも同じだった。



女ってどういうことですか ───…… 違う。
イイ女いましたか ───…… 言いたくない。
俺に飽きましたか ───…… 聞くのが怖い。



口にするのもうんざりするような科白ばかりが頭の中でハウリングを起こす。何を言えばいいか分からない。しかし何も言わなければひどく拗れてしまうかもしれない。眠気と衝撃で余計に回らなくなった頭が導き出したのは、体のわずかな震えだった。

……ちょ、本当に具合悪いんじゃねえの、ッ……ぅおァっ!」

慌てて起き上がろうとした花巻さんの腕を思い切り引っ張り、強引にベッドの上へ戻した。視線がかち合う前に、彼の腕の中へ自ら飛び込む。いくら暗闇の中とはいえ、正面から顔を突き合わせる気にはならなかった。

……どうしたよ?」

大きな手のひらが背中を優しく撫でてきた。そんなことをしておきながら、なぜ。

……って、」
「ん?」
「女って、なに」
……え?女?」

思いはうまく言葉に成形されないまま、歪な形で飛び出してきた。

「まだ5分も経ってないのに、もう忘れたんですか」
「女ってなに」

全く同じ言葉を、全く違うニュアンスで返される。
急激に、無性に腹が立って、彼の脇腹へ爪を立てた。

「い……ッ、なに。ちゃんと言えってば」
「だから……!」

彼を押し倒すような体勢になって、暗闇に慣れた視界が驚きに開かれた双眸と薄い唇を捉える。

……英?」
……女を探してるって、」
「へ?」
「さっき、なにしてんですかって聞いたら、女探してるって言ったじゃないですか」
………

いちだんと大きく開いた眼は、図星を突いたからなのか、失態を思い返して言い訳をはじき出そうとしているからなのか。しかし張り詰めた視線は瞬きと一緒にゆるんで、今度はこちらが彼の胸元に引き戻された。心拍とは違う、大きな振動が額を伝って響いてくる。彼の腕から抜け出して上体をわずかに起こしたとき、臍のあたりが小刻みに震えているのがみえた。

見上げたその顔はひどく楽しそうに笑っている。

……なに笑ってんすか」

彼のお気に入り───もとい、彼が言うところの一張羅らしいTシャツのロゴを噛んで反発すると、彼は引き剝がすでも諫めるでもなく、ざっくばらんに耳ごと撫でて笑い続けた。

「っはは、いや、ごめん。俺の言い方が悪かった」
「なにが」
「女を探してる、って、っくく、やべえ。まじでごめん」
「だから。なにが」
「漢字」
………え?」

思いもよらない答えに、素っ頓狂な声が出た。捩れたロゴが彼の胸に降りていく。

「さっき、ちょっと残ってた仕事片づけててさ」

噛み跡がついてしまったシャツなんか歯牙にもかけず、大きな手が後頭部を包んだ。

……
「取引先に”姱”って字が入ってる企業があんのな。その字を入力したかったんだけど……俺のやり方がわりぃのかな、一発で変換されねえの」
………
「いつもは目的の字が入ってる単語打って必要な字だけ残してっけど、こういう変に難しい漢字って単語とか知らねえし、変換だけでどうにかなんねえのかよって思うときがあって」
……っ、……

彼の右手が背中へ文字を書き始めた。これ結構やりづれえな、と呟いた声が骨伝導でくぐもる。指の動きを一緒に辿りながら頭の中で文字を作ってみると、確かにあまり見かけない、そんな単純な理由で難しく感じるような文字だった。

「さっきのがそれだったんだわ」
………
「”姱”って女偏だろ。だから女偏の字を探してたら、お前が起きて」
………
「女を探してる、って答えちまったわけだ」

何とも間抜けな種明かしだった。

……………ばっかじゃねえの、」

勘違いだったとはいえ、紛らわしい言い回しをしたのはこの人だ。一抹の恨みを込めて、彼の踝を爪先で何度も軽く蹴る。無駄に時間を使うようなやり方をして、挙句の果てにはいらない誤解まで呼んで、非はすべてこの人にあった。

だって、様々な想いがめぐった5分は、あまりに長すぎる300秒だった。暴力にも攻撃にもならない非難を、彼はやっぱり笑って受け止めた。

「な。せっかくお前がかわいいことしてくれてたのにな」
……何もしてませんけど」
「声かける前から俺の服つかんでただろうに」
……
「分かってたっつの」
………

無言は肯定とみなされた。
薄い眉尻が下がって、涙のすじを拭くように親指の腹で下瞼を逆さまに撫でられる。

「ごめんな。変な心配させて」

こうして穏やかに謝られると弱いのに。彼はきっとそんなことを少しも知らない。

………心配とか、してないです」
「うん。ありがとな」
……不安とかも、別になってないし」
「うん。お前が好きだよ」
「ただ、少し……
「うん」
……怖かった、……のかもしれないです」
「気ぃ付ける」
「そうしてください」
……なあ、あきら」
……はい?」
「怖いの怖いの飛んでけ、するか」

肩甲骨から背中を辿っていた左手が、下肢へ向かって動くにしたがって卑猥さを帯びていく。

……腰、痛いんで」
「そお?」

やらしい手が、やさしい手に変わった。
軽くさすってから離れていこうとしたのが分かって、その手首をゆるくつかむ。

………加減してもらえるなら」
「っはは。おっけ。まあ保証はできねえけど」
……

分かりやすく上機嫌な声が頬を滑っていった。こちらだって、加減してもらえるなんて思っていない。加減してくれと言っておきながら、むしろ加減されて困るのは自分だった。中途半端にされて熱を燻らせたまま眠るなんて、絶対に出来やしない。

「だからさ、今日1日ずっとお前を甘やかすってオプション付ける。どうよ?」
…………ゆるします」
「あんがと、」

見た目も行動もわりと大雑把な性格に見えるのに、彼はこういうときとても律儀だった。きちんと目を合わせ、キスがしたくてたまらなくなる距離まで近づいてくる。俺が了承の意味を込めて唇を軽く結んだら、嬉しそうにすこし微笑んで目を伏せるのだ。


いつか、この人は俺の目をきれいだと羨んだ。
伏せた目が美しいのはこの人のほうだった。

「たかひろさん、……

キスが深くなる寸前、熱が増していく吐息のあいだで精一杯に卑猥な声で名前を呼んでやる。

お前みたいな漢字だったよ、と彼が笑った。


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