ユコ
2024-09-08 22:55:19
10516文字
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常冬惑星観光ガイドブック


お題:家族
ヤリーロⅥに旅行で訪れたギャンブラーがランドゥー姉弟に出会って家族のことを思い出したりしてしまうのを黙って察する教授のお話。





 積もりたての新雪というものは、きめ細やかに泡立てたメレンゲのように柔らかいと知ったのは初めてだった。汚れを知らない深雪に一歩前に歩を進ませるだけで僕の口から、わぁ、と感動と困惑を混ぜた声が溢れる。
「ほら見てよ、教授。僕たちの足跡、冬眠から目覚めた熊の親子みたいに大きさが違うや」
 一面白く染まった銀世界に、僕たちの足跡が絶えず刻まれていく。僕の足跡の一歩前を行く一回りも違う大きな足跡は、同じ成人男性のものと思えなくて、笑いながら僕は前を歩く友人に声をかけた。僕の声に博識な友人はげんなりした顔で振り返り、寒い雪国でも相変わらずよく回る舌で、僕に皮肉を漏らす。
「こんな面倒しかない景色で、足跡一つでそこまではしゃげる君を初めて羨ましいと思ったよ」
「そう? ありがとう。僕は頭の硬い君と違って何事も楽しめる柔軟さがあるからね」
「ふん」
 彼のこういう不機嫌が最高潮の時の嫌味は、謝辞とともに受け流すのが正解だ。僕の返しがつまらなかったのか、彼は鼻を鳴らすだけでそれに対する嫌味の応酬はなかった。僕はそろそろ見慣れてきた雪を爪先で蹴り上げながら、歩みを進める。履いていた革靴にまとわりついていた雪がぱらぱらと宙に散った。
「雪ってさぁ、砂漠と同じぐらい難儀だね。そんなに歩いてないのにもう足が疲れてる。この感覚、懐かしいよ」
「こんなところにそんな革靴を履いてくる馬鹿は君ぐらいだ。歩きづらいに決まっている」
「これ無人の地ノーマンズランドで生きていた狼の皮を嘗めして作った革靴で、宇宙で十足の限定品なんだよ。氷点下で生きていた獣の皮を使ってるから、氷点下十度まで耐えられるって職人が言ってた」
「聞いていない知識をひけらかすな」
「僕の革靴は君のスノーブーツより優れてるって言いたかっただけさ」
 レイシオの服装はいつもよりもずっと地味だ。撥水性のある青いロングコートに、黒いブーツ。この惑星に降り立った時にはその格好にさらに防寒具の一つとして石膏頭まで被ろうとしていたので、流石に不審者にも程があると僕の隣にいる時は石膏頭禁止の命を出しておいた。対する僕は買ったばかりのウィーゼルのふかふかの毛皮のロングコートに、自慢の革靴だ。そんな普段の僕の僕の装いと大して変わらない姿に嘆かわしいとレイシオは渋い顔を見せる。
「むしろよくそんな機能のない防寒具でこの惑星に旅行に来ようと思ったな」
「旅先で困ったときは現地調達すればいいだけだ。カンパニーが介入してる星なら信用ポイントで大概なんとかなるしね。トパーズもベロブルグの街にさえいけば、買い物には困らないって言ってたよ」
 ヤリーロⅥ。
 そこが、今僕たちがいる惑星の名前であり、先日、同僚のトパーズが外交の入り口を拓いた惑星でもある。
 ピノコニーの案件と石心の懲罰会議もひとまず一段落を見せ、ジェイドは僕に次の案件が定まるまで、たまっている有給を消化するようにと命じた。混沌医師からも経過は良好という診断を受け、久々の長期の休暇に普段は行かないような星々を見て回ろうと思った。旅行という名目で休暇申請を出したが、ピノコニーという高難度の案件で結果的に利益をもたらした僕を面白くないと思っている連中たちから絡まれるのを避けるために、ピアポイントから暫く逃げたかったというのが本音だ。
 いくつか旅行先の惑星は選んだけれど、その一つがヤリーロⅥだった。あんな何もない惑星で休暇をとるの? とトパーズも驚いていたけれど、むしろ何もないからちょうどいい。トパーズの案件の惑星であれば、僕の関係者も少ないだろうし、まだスターピースカンパニーの手垢がついて間もない、僕のことを誰も知らない惑星で羽を伸ばしたかった。
 そんな僕の旅の同行者が教授になったのは、僕も想定外だった。
 ヤリーロⅥにいく話をしたところ、星核の研究をしている彼にとって、星核の影響で長く閉ざされていた惑星への興味は長くあったらしい。ただカンパニーの案件となって債務処理を行なっている最中のため、渡航許可がレイシオ曰く処理が面倒らしく、僕への同行という形でその面倒な手順を彼は勝手にすっ飛ばしたのだ。彼は相変わらず僕の権力を勝手に使うのが上手い。
 僕は歩きながら手に入れていたスターピースカンパニーが発行したばかりのヤリーロⅥ電子観光ガイドブックを端末で開きながら、滞在中の旅行プランのことを考える。トパーズは何もないとはいっていたけれど、こんなガイドブックを発行できるぐらいなのだから多少の観光ポイントはあるだろう。そう思ったが、画面をスクロールしてもスクロールしても、雪と退廃した建物の写真しか出てこない。変わり映えのない退屈な写真と記事が続く中、間に挟まれる途コラムには雪国ならではの生き物の案内が載っていた。ガイドの端っこに乗っていた眠そうな顔をした小さなクマの写真に僕は目を止める。
「ねえ、教授。この惑星、何もなさそうだけど、この氷原クマってやつはかわいいね。普通に歩いてたら会えるのかな」
「僕は星核の跡地と、博物館に行く」
「はいはい、僕とは別行動ってことね。お好きにどうぞ」
 僕が開いた観光ガイドに興味を見せることもなく、教授はどんどん歩みを進めてしまう。まぁ、どうせ教授と僕の旅なんて現地に着いたら解散だと思っていたので、彼の反応は想定内だ。だって、彼は僕のことをただの権力のある便利なパスポートぐらいにしか思ってないだろうし。
 なんだか旅ってテンションでもないな、と僕が溜息混じりに電子ガイドブックを畳んだ瞬間だった。街から続く坂道の向こうから金髪の長い髪を靡かせて走ってくる女性が、僕たちの姿を見つけて飛び込むように駆け寄ってくる。ここには高級幹部の身であるのはお忍びで渡航したので、街にいるカンパニーの人間のお出迎えとも思えない。綺麗な金髪が逆風でめちゃくちゃになっていたけれど、それも構わず必死な形相をした彼女は、初対面であるはずの僕に物怖じもせず、僕の二の腕を掴んで言った。
「すみません! うちのリンたん見ませんでしたか!?」
「ええ……?」


           *


「妹ちゃんかぁ。それなら仕方ない」
 セーバルと名乗った、僕以上に雪国を舐めている格好をした金髪に紫のメッシュの入った髪をしたミニスカートを履いたパンキッシュな女性が探していたのは、最愛の妹だった。リンたん、なんて愛称で呼ぶのでてっきりトパーズと同じようなペットでも愛でるタイプの女性かと思った。ペットなら勝手に戻ってくるのではと思ったが、妹と聞けば確かにそれは心配だ。
「妹は生き物の生態観察と探索が大好きでね。暇さえあればすぐ雪山に出ちゃうんだ。いつもは流石に遅くなる時は端末で連絡もあるんだけど、今日は一日連絡も来なくて。日が暮れる前に見つけなきゃって……
「それは心配だね。もしよかったら、僕はカンパニーに知り合いがいてね。ここの惑星に滞在しているカンパニーの人間にも捜索をお願いしようか?」
 そう端末を取り出して彼女に言うと、隣にいたレイシオが渋い顔を見せた。僕の首根っこを後ろから掴んで、彼女から無理やり距離をとったレイシオが僕に耳打ちをする。
「おい。君は休暇でここに来てるんだろう。こんなことで軽々しく君の権力を使うな」
「まぁ、これぐらいいいじゃない。あのトパーズが降格をかけてまで賭けた惑星の住人だよ? 恩を売っておいても悪くない」
「彼女がこの惑星で重要な人物かどうかもわからないだろう」
「そこは僕の幸運に賭けよう。僕の勘が言ってるんだよ。あの女性を無碍にしないほうがいいってね」
……好きにしろ。僕はホテルをとる」
「はいはい、どうぞ。あ、レイシオ。先にホテルにいくんだったら僕の部屋も予約しておいてくれない?」
……部屋の好みは知らんぞ」
「そんなの寝れたらいいって。教授に任せるよ」
 僕は手にしていた小さなボストンバッグをレイシオに押し付けた。妹探しは手伝う気はなくても、流石に探すのに邪魔になる荷物ぐらいは預かってくれる心の広さはあるらしい。溜息混じりに僕の鞄を手にしたレイシオは僕に背中を見せて、思い出したように口を開いた。
「ちなみに氷原クマは、針葉樹林の密集地に群れを作る傾向がある。この時期は冬眠から目覚めて、昼の日中は凍った鼻水を樹木の皮に擦って削り落とす必要があるからだ。彼らを見つけるには樹木の皮の傷を探せば、大体群れが生息している」
「君は僕に氷原クマのツアー案内でもしてる? まず僕は氷原クマの前に、彼女の妹ちゃんを探すんだけど」
「好きにしろ」
「するけど」
 全く話が噛み合わない男だな。
 僕は呆れながらさっさと一人で街へ向かってしまう薄情な男の背中を見送った。




 レイシオと別れて、彼女と雪山を歩く。僕の持つ幸運なら意外と一緒に歩いていれば見つかるじゃないかなと思ったけど、歩けど歩けど妹ちゃんの気配はなく、彼女はすまなさそうに僕に謝った。
「本当にごめんね。旅行できたのにこんなことに巻き込んじゃってさ」
「気にしないで。人探しは人手は多い方がいいだろうし」
「今、弟がシルバーメインも動かして探してくれてはいるから、流石にここまで人を増員すれば見つかると思うんだけど……
「え、シルバーメイン?」
 彼女から出てきた組織の言葉に、僕は目を丸くした。その組織の名前はトパーズからの報告書で聞いたことがある。国の防衛線を司る戍衛部隊の名前だったはずだ。妹のためにそんな組織が動くってことは、彼女はこの惑星でかなりの重要な関係者だったようだ。本当にトパーズに貸しが作れてしまうかも。僕の幸運も捨てたもんじゃない。
「そんな有名な部隊まで探してるって凄いね。君の妹ちゃんってそんなに遠くまで出かけてしまうのかい?」
「うん。あの子の探索能力はすごいんだ。興味を持ったらどこにもいっちゃう子でね。最近は氷原クマの生態観察に熱心でさ、毎日氷原の深くまで出かけちゃうんだよ」
「へえ。活動熱心な妹ちゃんだ」
「本当に。好きなことには私に似て一直線なんだ」
 そう妹のことを語る彼女はどこか嬉しそうで、シスコンってこういうことを言うのか、と思い知る。
……あれ? 氷原クマ?」
 ところで、その言葉は聞き覚えがある。僕は彼女から出た言葉にぴたりと歩みを止めた。不思議そうな顔で彼女が小首を傾げて僕を見る。
「そう。知らない? ヤリーロでたまに見かける熊だよ。小熊は特に眠そうな顔がすごく可愛いんだ」
「そういえば、なんかうちの教授がさっき言ってたな……
 なんであのタイミングで、彼が僕に氷原クマツアーを口にしたのか。ようやく彼の噛み合わない話のピースが遅れて僕と噛み合った。教授の言うことは、出会った時から万事が大体こんな感じだったのを忘れていた。助言なら素直に助言と言ってくれ。
 僕は溜息をつきながら、彼女に言った。
「ところでさ、この辺りで針葉樹林が多く生えているエリアってあるかな? これは僕の勘なんだけど、君の妹ちゃん、その辺りにいそうな気がするんだ」


           *

 
 教授のアドバイスを振り返りながら、街に一番近い針葉樹林の林に目星をつけて彷徨うこと小一時間。
 樹木の傷を目印に林の中を歩き、ようやくリンたんと呼ばれていた妹ちゃんの姿を、無事発見した。氷原クマの群れと出会い、夢中になっていたところ、気づけばその周囲をレギオンに囲まれ、妹ちゃんは一歩もそこから動けない状態になっていたようだ。レギオンに気づかれてしまうため音を立てる端末を使うこともできずに、小熊を抱えてひとり樹木の木陰で震えている妹ちゃんがそこにいた。セーバルさんと共にレギオンを一掃し、無事氷原クマの子供と妹ちゃんの救出は果たされた。彼女が腕に覚えがある人であるのは助かった。
 寒いところに長時間いたからか、帰り道、眠そうに目を擦る妹ちゃんを僕は背中におぶって、セーバルさんと一緒にベロブルグの街へと戻った。眠る妹ちゃんを僕から受けとった彼女は、僕に満面の笑みでお礼を告げてくれた。
「本当にありがとう! あなたの助言のおかげだよ、あなたがいなかったら日が暮れても見つからなかったかも知れない」
「いや、良かったよ。博識な友人の先見の名が役に立ってさ」
 じゃあこれで、と彼女と別れようとした矢先だった。街の奥からやってきたいかつい甲冑を着た男の連中と、僕には馴染んだスターピースカンパニーの制服をきた連中がわやわやと僕たちの方に向かってくる。その先頭を切って僕たちの方へと向かってきた男は、彼女と同じ柔らかい金髪の髪をした端正な顔をした青年だった。
「姉さん!」
 どうやら、彼女の弟らしい。彼女が道すがら言っていたシルバーメインの関係者でもある弟とは彼のことのようだ。同時に、その青年とともに駆け寄ってきたうちの社員の一人が僕の姿を見て声をかけてくる。
「総監! 先ほどの人探しの件ですが……
 馬鹿。総監って呼んじゃったよ。
「あー、うん。手伝わせて悪かったね。先ほどの件は解決したから解散してくれ」
「承知いたしました。滞在中、何かご不便等ございましたら……
「悪いけど、今回は休暇できていてね。お忍びなんだ。僕が滞在している件は君たちの胸に秘めておいてくれると助かるよ。トパーズにも君たちがよくしてくれたってことは言っておくからさ」
「承知いたしました!!」
 トパーズの名前を出した途端、現金にも僕に完璧な敬礼を見せた部下の姿に溜息をつく。
 僕たちの一連の流れに、隣にいる彼女も僕の立場が相応のものだということを察したようだった。目を丸くして僕の方を見上げる。流石に関係者とは言ったけど、そんな役職ある人間とは聞いていないという顔だ。同時に僕たちの方に駆け寄ってきた弟くんも状況を察したのか僕のことを険しい顔で見つめる。敵対心をあらわにした彼は僕を問い詰めるように口を開いた。
「で? スターピースカンパニーの高級取りが僕の家族に何の用だ?」 
「ちょっと、ジェパード! この人は私が声をかけただけだよ。リンたんを探してるって言ったら善意で手伝ってくれたんだよ」
「カンパニーの人間に善意だけなど存在しない。今度は何を僕達に求めている?」
「ジェパード!」
……失礼した」
 弟という生き物はどこの惑星でも姉には逆らえない生き物らしい。彼女の怒声に僕への突っかかりをおとなしく引っ込めた弟くんは、渋々と言わん顔で僕に頭を下げた。その弟くんの様子を見届けた彼女はまったく、と溜息と共に口を開いた。
「私、リンたんのこと探してくれたシルバーメインのダンたちにもお礼言ってくるから。ジェパード、しっかりその人にもお礼してよ」
「礼だと?」
「そう。カンパニーの人間とはうまくやっていくってみんなで決めたでしょ」
 ごちゃごちゃ言わないの。
 そう言って弟くんの背中をばしりと叩いた彼女は、妹を背中に背負ってシルバーメインの連中の方へと去っていった。大切そうに小さな妹を背負う彼女の姉としての背中は、どこか懐かしくて僕は思わず目を細める。かわいそうなことに強制的に僕と二人きりになってしまったジェパードと呼ばれた弟くんは、僕の隣で気まずそうな顔で押し黙っているばかりだった。僕は苦笑混じりに自分から口を開く。
「さっきも言ったように僕は休暇できているだけだ。このことで特にカンパニーに対して君が負い目を感じる必要はないさ」
……お気遣い、感謝する」
「君のお姉さん、いい人だね」
 妹が戻ってきたことに喜びを隠さず、カンパニーの役職持ちだと知れても僕に対して変わらない態度と感謝を告げた彼女の背中を見つめながら、僕は弟くんに言った。僕のその言葉に、彼は僕をカンパニーの関係者と知る前よりも苦い顔を見せて僕を見下ろす。
……僕の姉は破天荒だし、人の話は聞かないし、確かに見目は綺麗かもしれないが、騙されないほうがいい」
「ん?」
「何か?」
「いや、誤解させたかもと思ってね。……僕にも姉がいるんだけど、君のお姉さんの心配性な気質が彼女に似てると思って。つい自分の姉を思い出して言っただけだよ。だから、さっきの言葉に他意はない」
 彼女に好意とかそういう目で見て出た発言ではない。
 そう僕が意図を暗に告げると彼は自分の勘違いに気づいたようで、恥ずかしそうに咳払いを一つ払った。
……失礼した」
「いーや? 真面目な戍衛官が妹思いだけじゃなくて、姉思いなのもわかって、僕は君を好ましいと思ったよ。これからも君たちとカンパニーが懇意な関係が続くことを願うよ」
 これは心の底からの本意だった。彼に手を差し出すと、誤解も解けたのか僕の手を大人しく握ってくれた彼は生真面目に僕に改めて頭を下げた。
「僕も、カンパニーの人間を誤解していたようだ。今回は妹と姉が世話になった」
「妹ちゃんが無事で良かったよ」
「滞在中、何かあればランドゥー家の名前を出してくれ。このベロブルグの街であれば僕らの家の名前は通るだろうから」
「ありがとう。困った時は頼りにさせてもらうよ」
「では」
 部下にも見習わせたい綺麗な敬礼を見せたシルバーメインの戍衛官は、僕に背中を見せて、姉と妹たちの元へと去っていく。その広い背中を見送りながら、本当に良かったな、と思う。どういう形であれ、家族は一緒にいるのがやっぱりいい。
 街角でシルバーメインの連中と談笑していた彼女に駆け寄った弟くんが姉さん、と彼女を呼ぶ。どうやら僕に別れを告げるように伝えてくれたようだ。呼ばれた彼女が僕の方を振り返る。
 裏も表もない溌剌とした笑顔を僕を見せて、彼女は改めて頭を僕に下げてくれる。彼女の蜂蜜色の綺麗な金髪が寒風に晒されて揺れた。背中に背負われた妹ちゃんも僕の姿に気づいたのか、小さな手を僕に振ってくれる。寒いねえ、リンたん。そう言って、彼女が手を振る小さな妹の手を握った。今度は、手を離さないように、ぎゅっと。その仲睦まじい姉と弟と妹の家族の風景は、この街の至る所に置いてあるストーブよりもよほど暖かい光景で、僕は遠巻きに彼女たちの去り行く背中を見送った。一騒動終えた僕ははぁ、と真っ白い吐息を唇から吐く。
 息をするだけで、心臓が凍えてしまいそうに冷たい。なんだか、雪山を歩いていた時より、寒く感じる。体の芯から凍りついて、氷像にでもなってしまいそうだった。僕はぶるりと身を震わせて、二の腕を抱きしめる。
……早く、帰ろ」
 夢から覚めたように、ぽつりと僕は呟く。
 ──帰るって、どこに?
 僕の戻る家なんてこの惑星にはなくて、仮宿のホテルぐらいしかない。ううん、この惑星だけじゃない。この宇宙のどこにも、彼らのように僕を待つ人も、帰るべき家族も。僕には何もない。その事実が僕の空っぽの胸をぴゅうぴゅうと寒風のように通り抜けていく。そんなの当たり前だ。何を、今更。
 僕は身を翻して、ベロブルグ随一の荘厳な宿と聞いているゲーテホテルへと足を向ける。教授がちゃんと僕の部屋をとっておいてくれてるといいんだけど。そう思いながら、石畳の街を歩く。どこもかしこも石でできているこの街は、雪の中を歩いているよりも、酷く冷たい。歩いているだけでつま先から凍っていきそうに感じる。雪道と違って足跡も残らないつまらない石畳を歩きながら、なぜだか侘しいなと思った。


           *


「え。部屋が別々じゃなくて、ダブルでとられているのかい?」
「はい。ベリタス・レイシオ様よりそう預かっております。連れが後からお越しになられると伺っておりました。あいにく、本日シングルは空いているのですが、ツインの部屋が空いておらず……
 ゲーテホテルの受付でチェックインを済まそうとすると、予想外の言葉が受付から帰ってきて僕は目を丸くした。シングルが空いてるならシングルでよかったのに。受付から部屋の鍵を受け取りながら、僕は首を傾げた。僕は戸惑いながら用意されていた部屋の扉の鍵を開ける。
 どうせ、彼のことだからとっとと博物館に足を運んでいることだろう。きっと僕の預けたボストンバッグは適当にベッドの上に投げ捨てられて、冷え切った部屋が僕を迎えるだけだ。
 そう思ったのに。
 扉を開けた瞬間、体の芯まで冷え切った僕の体を暖かい空気が包み込む。あたたかい。同時に僕の鼻腔をほのかに漂う淹れたての珈琲と、風呂のシャボンの香りが擽る。その香りは、この部屋に僕を待つ人がいる証だった。僕は積雪を踏み入るよりも慎重に、部屋の中へと一歩、歩みを進める。
 部屋の窓際に鎮座している火が灯ったストーブの橙色に、ほっと息を吐く。部屋の窓ガラスは外と内側の温度差でたっぷりと水蒸気の水滴を纏っていた。ここまで水滴が溜まってしまうほど、この部屋をストーブ一台で暖めることはそんな短い時間ではできない。随分と前からこのストーブの火が灯されているのは明白だった。きっと僕があの妹ちゃんを探している間は、確実にストーブの火は灯され続けていたんだろう。
 僕はストーブの火を灯した人物を求めて振り返る。
……君、博物館にいくんじゃなかったの」
 部屋の中央に置かれた広いダブルベッドの真ん中に、ホテルの部屋着に着替えたレイシオが優雅に寛いで腰を下ろし、いつものように本を広げている。僕が部屋に入ってきたのにもとっくに気づいているのに、僕に顔を向けることなく無言で本の頁を繰る姿はいつものレイシオの姿だった。僕の問いに本から顔を上げることもなく、レイシオはさらりと答える。
「館内を一周は見終えたので戻ってきただけだ」
 彼の研究する星核の影響があり、ずっと閉ざされていた辺境の地であるベロブルグ随一の資料館を? 
 一日中引きこもっても得るものがありそうな場所を見終えたとさらりと言ったレイシオに僕は困惑する。
「ホテルの部屋も、シングル2部屋でよかったのに」
「別に、経費がもったいないと思っただけだ」
「ふうん」
 僕が帰る頃に、こんなにも暖まった部屋が用意されていて。
 妹ちゃんが夢中になっている熊の生息域や癖まで教えてくれて。
 きっと、この季節に動物の生態を観察するのが好きな妹が取る行動は一つだと、あの時点で彼は推察したんだろう。
 結果、多分二人で探すより僕に任せた方が効率がいいと思ったんだろうな、とか。
 探し終えた僕が冷えた体で帰ってくることも見越したんだろうな、とか。
 この小さなストーブで部屋を暖めるのにどれぐらい時間がかかるのかも、あの賢い頭で計算したんだろうな、とか。
 本当に言葉は足りないけど、一足足飛びで僕の先をいってしまう彼の思考が手に取るようにわかって、僕は思わず小さく笑ってしまう。僕の笑いに気づいたレイシオが、そこで初めて本から顔を上げた。
「何がおかしい」
「別に。ここはあったかいなぁ、って思っただけ」
「ここの惑星のストーブの技術は優れているからな。熱伝導率が高い」
「うん。そうだね」
 なんだか、泣いちゃいそう、なんて。
 寒暖差で馬鹿になってしまいそうな涙腺を必死で堪えて、僕はコートを脱いで彼が寛ぐベッドの隣に腰を下ろす。黙って本を読む彼の肩にもたれかかって、もう一つ問いを尋ねた。
……聞かないの?」
「何がだ」
「博識な友人がアドバイスした、妹探しの顛末さ」
「君が戻ってきたということは見つかったんだろう」
「そうだけど」
「あの姉が喜んでいるなら何よりだ」
 姉、と言う言葉をあえて使ったレイシオに、僕は思わず顔を上げた。
 ──やっぱり、気づいてた。
 あの揺れる懐かしい金髪の長い髪を視界に入れた時。家族のために必死な顔で彼女が僕の元に駆けてきた時から、心が動いてた。僕が迷わず彼女の頼みを聞いてあげたいと思ってしまった理由に、この男は。
 レイシオが本から視線を動かし、僕を見やる。炎が灯るストーブよりもずっと暖かく熱い情熱の色が、僕を穏やかに見つめて言った。
……きっと彼女のために、君は見つかるまで探し続けると思ったし、君なら早々に見つけるだろうと思った」
 君は家族思いの人間には、人がいいからな。
 そう当たり前のように言った彼は、僕からまた本へと視線を戻してしまう。僕は彼の肩に頭を預けながら、そっと瞼を閉じた。
 ──君も、いい人だよ、レイシオ。僕にとっては。
 そう胸の内でひっそりと囁く。
 僕の生き様を見届けるこの博識な友人の眼差しは、常冬の惑星の氷も溶かしてしまうほど、暖かい。僕はぽつりと彼に明日の希望を口にする。
「ねえ、教授。僕、明日からの予定、空っぽなんだよね。君の行くところに付き合ってもいい?」
……君の休暇がそれでいいのなら、好きにするといい」
「うん。好きにする」
 僕は本を持たない空いた彼の右手に、そっと自分の左手を重ねた。雪の上に刻まれた足跡と同じように僕より大きい彼の掌は僕の冷たい手を受け入れてくれる。読書の頁を繰るのに邪魔になるだろうに、レイシオは僕の手を払うこともしなかった。
 この街の石畳の冷たい道は、歩くだけで酷く冷えるから。明日は君の隣を歩いて、暖を取らせてよ。君の見たい博物館でも、星核の跡地でも、どこでもいいからさ。どこにだって、ついていく。だから、君と一緒にいさせて。
 冷え切った氷のような手が、彼の熱で溶かされていく。
 人肌って、こんなに暖かったんだ。
 電子観光ガイドブックにも載っていない、僕だけの常冬の惑星の一番の観光スポットに僕は満足して笑みを浮かべる。この惑星は僕の同僚が言った通り、雪ばかりで何もない。でも、きっとこの休暇は僕にとって素晴らしいものになるだろうという予感がした。