めやぬら
2024-09-08 11:52:52
5913文字
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支配

不定期週刊燐一

 リビングのソファの背もたれに凭れかかってスマホを弄る燐音と、その反対端には深く腰掛けてテレビを眺める一彩。田舎への旅番組をテレビで流し、緩やかな人の声をBGMにした穏やかな休日。曇りがちでも差し込む昼前の陽光が室内を明るく照らしている。風が吹くのかベランダで干す洗濯物の揺れる影は、時たま窓際の燐音の視界をかすめた。体感時間の進みがゆっくりな部屋の中で、明光風靡な観光名所をタレントが訪れる様子を映すモニターが唯一、刻一刻と明滅して変化していく。
 外出すればさぞ心地よいだろう日に、二人とも家でぐうたらしているのは些か時間を浪費していると思う。だけど、こんなに贅沢な浪費は中々無い。朝起きた段階で出かけることも頭をよぎったが、一彩は今日明日と予定は無いものの燐音は本日夕方にラジオ収録がある。昼下がりには外に出るので、長閑で麗らかな外気はもう少し後の楽しみに取っておく、ということにした。決して面倒だったからとか、起きた時点で十時を回っていたとかの理由ではない。
 燐音は手元のスマホを眺める。本日午後の仕事先に向かうための地図を写した画面には複雑な線がいくつか描かれ、そのうちの一つを選んで保存する。道中に馴染みのパチンコ店と、新しくできたと噂のカフェを見つけた。寄る予定もないのに常連の店があるルートを選ぶのはギャンブラーというより単なるクズなのかもしれないが、新台が無くてもなぜか吸い寄せられるのはもう仕方がない。日頃から気にかけていないと、勝負の女神にはいつもすぐ見放されてしまうのだ。愛想は振りまいておいて損はない。カフェはあくまでついで。一彩が楽しそうにそのカフェの雑誌紹介記事を読んでいたからではない。
 今日の燐音はローテーブルに置いていたマグカップに手を伸ばした。

「ねぇ兄さん」
「んー?」

 適当に注いで持ってきた作り置きの麦茶に口をつける。ぼんやりとテレビを眺めたままの一彩の気の抜けた呼びかけに、同じく何の棘もない返事をした。
 何か番組内で気になることでもあったのだろうか。そんな当たり障りない想像は、続いた一彩の一言で吹き飛んだ。

「兄さんは、人を支配するのが好きなのかな」

 そんなことを言われて、思わず飲もうとしていたお茶を吹き出しかける。なんとかこらえて飲み込むが、今度は気管に入ってしまって、盛大に咽せた。

「大丈夫かい?!」
「っげほ、っまえのせいで大丈夫じゃねぇよ!」
「そんなになるほどの質問じゃないと思うんだけど」

 喉を詰まらせて咳き込む燐音の背中を摩りながら、心配そうに見つめてくる。他人事みたいな顔してるけど、お前のせいなんだよなぁ、今お兄ちゃんが呼吸困難なのは。飲みかけていたお茶を飲んでようやく落ち着いても、一彩は目線を外してくれない。じっと、忘れていないよね?と答えを待っている。
 
「なんでいきなり、ンなこと聞くんだよ」
 
 テレビでもそんなきっかけになりそうな話題は無かったはずだ。すっかり聞き流していたから自信を持って断言することは出来ないが、絶対に無かった。
 
「前から気になっていたんだよ。兄さんは人に指図したり、命令したりするのが好きなのかって」
 
「いきなり人を独裁者みてぇに……
「でも兄さんは暴君なんだよね?」
「あァン?だァれが言った」
「椎名さんとこはくとHiMERUさんと藍良」
「全員じゃねぇかよ……藍ちゃんに関しては何にもしてねぇだろ」

 今日会うニキはシメる、と心に決める。ユニット全員に暴君と言われている事実は、まあ、仕方ないと言えば仕方ない。性格もあるが、わざとそういう風にしている自覚はある。キャラ付けの一環でもあるが、思惑や謀略をそれとなく隠しやすいから、という理由もあったりなかったり。それでも裏の意図や話さない事情を察して、呆れても着いてきてくれる彼らだからこそ、面白おかしく、得た微妙な立ち位置や自由を以て仕事に繋げていけている。そこに感謝はすれど文句のつけようはない。だがあいつらも俺に負けず劣らず自分勝手で気侭な奴らだ。俺を暴君と言うのなら、あいつらはそれを上回る無頼者。手綱を握るのは難しくないが、大人しく言うことを聞くような純朴さは無い。どんなに身勝手に振る舞おうとそれがすんなり通るわけもないので独裁にならないが、一彩の目から見れば支配したがっているように見えたのだろうか。

「お前はどう思うんだよ」
「僕?なにが?」
「俺っちは人を支配すんの好きそうですかァ?って」
……うーん、そこなんだよ」
「はあ?」
「操るのが好きそうなときもあるし、逆に反抗された方が楽しそうなときもあるし……そもそも、Crazy:Bの皆に対する振る舞いは冗談の類いだと分かっているから、彼らの評価もまあ、気安さの表れだと思うけど。実際のところは分からないから聞いてみようと思って」


 分からないことがあれば、一度自分で考えてみて、それでも分からないなら人に聞く。脊髄反射であれは何だ!と聞く前に自律思考が挟まった流れは成長したのだろうだが、人に聞くかどうかは内容に依るだろうというのは俺が教えてやった方がいいのか。

「あー……あのな」
「うむ」
「そういう、なんてーの?あんま他人に言えないような趣味嗜好は直接聞くもんじゃねーの」
「あいた!」

 ピシッと一彩のおでこを手加減して指で弾くと、痛くないだろうに少ししょげて額を摩った。
 昔一彩を軽く注意するとき、よくこうしていた。例えば一彩が約束を破ってどこかに一人で遊びに行ったときや、隠れて木の実を食べていたとき。こらっと叱れば肩を跳ねさせて、だってだって、と幼い言葉で言い募るのが大層可愛かった。絆されないように気を引き締めて危ないだろうと言えば、しゅんとした顔でごめんなさいと謝られる。兄さんと行きたかったんだけど忙しそうだったから、と少し口を尖らせていた弟があんまりにも可愛くって、叱る気もなくなってしまったのだ。物分かりの良い弟のことだ、咎められるべきと分かれば自分から大人に白状することは目に見えていた。だがもう反省しているのにこれ以上怒られるのは可哀想で、その場で終わらせたくて、お仕置きとしてやったのが最初だったように思う。
 それがまあ、可愛くない質問をするようになってしまって、感慨深いよりもなんで恥ずかしげもなくそんなこと聞くんだ?という疑問が先立つのは仕方なかろう。額を弾くのがこんな歳になっても活用できる仕置きになるとは思わなかった。昔と同じようにむっとする一彩は可愛げがあるのだが、内容が駄目。

「むぅ……人に言えないようなことなんだね」
「そりゃそうだろ」
「それで、どうなの?」
「あん?」
「兄さんは、好きなの?」
……聞くなっつったよなァ、今」
「知りたいよ。僕たちは恋人なんだからいいんじゃない?」
「余計ダメだろ」

 注意は理解していても、好奇心が勝ったらしい。きらきらと青の瞳を輝かせて、詰め寄ってくる。お仕置きは意味がなかったようだ。恋人だからと言って、何でもかんでも明け透けにできるわけがない。むしろ深い仲だからこそ、知られたくないことだってあるわけで。そう思ってノーを提示しても、一彩は食い下がる。

「でも気になるよ。実際のところどう考えているんだろうって」
「どうって……

 ぎゅっと腕を掴まれて、逃げられないようにされる。腕を振り解くのは簡単だが、ここで言わなけりゃいつまでもつけ回されてことあるごとに聞かれるだろう。他の人に聞くなんて暴挙に出られたらそれこそ厄介だ。それにこいつなら、公衆の面前で口走りかねない。観念して深い溜め息を吐いた。

「好きでも嫌いでもねェよ……支配なンてのは手段の一つだ。それ以上でも以下でも無い」

 何かを成すために人を使うのに手っ取り早いのが支配 それだ。だが、人を使う手段にこだわりや好みがあるわけではなく、思う通りに動いてくれるなら人望だろうが交渉だろうが構わない、というのが自分のスタンス。やろうと思えば弱味を握って脅迫することも、身体でも言葉でもなんでも使って誘惑することもできる。だが専ら自分の普段の言動やそれぞれのメリット、デメリットを考えると、副所長やHiMERUのように損得勘定で動いてくれる方が分かりやすくてありがたい。
 支配は、自らの対価が発生しないという点ではローコストだが、支配される側の状況や心理でひっくり返る可能性があるリスクがある。保険もかけない曖昧な手段は取らないのが自分のやり方だ。手段でなく、それら全ての布石を打って盤上を整えた上での賭けにこそ価値がある。
 その程度。あくまで方法の一つであり、嗜好になるほどでもない。
 だが、世の中にはそういう手段を目的にする奴は腐るほどいる。あるいは、自らが陥っている状況に高揚や興奮を覚える奴もいる。燐音が賭けにスリルを見出しているのと同じように、それは責められるようなことでもなく、世間一般的に当たり前にある事実だ。俺は違うけど。

「じゃあ兄さんは、自分の言うことを聞く人間は嫌なの?」
「ンー、てかどうでもいい。つまんねェなこいつ、とは思うけど。ギャーギャー反抗されんのもめんどいし……
「ふぅん……

 興味深そうに相槌を打つが、何を思っているのかはあまりよくわからない。趣味嗜好と言った燐音だが、こういったものはそれほど性癖に絡んでいない。面白味のない答えに収まってしまうが、これ以上興味を持たれるのも面倒だ。
 逆に俺がそういうプレイやりたい人間だったらどうするんだ、とも思う。無邪気なのだろうが、こんな質問をしてしまうあたり、この弟はやはり少し警戒心が薄いのだ。
 まだ何か聞くことを考えているのか、思慮の中に潜る一彩。自身の脳内を探る沈むような眼差しは、いつもの元気で明るいイメージとは程遠い。
 その頭をぐしゃぐしゃと撫でて、ソファから立ち上がる。

「はいはい、この話終わり。俺っち腹減った〜」
「む、もうそんな時間か。お昼何食べよう」
「なんか味濃いやつがいい」
「難しいな……カレーとか」
「おっ、採用。食いに行く?」
「いや、作る」

 相変わらず生活力の高いやつだ。ニキと同室だった期間のおかげか、一彩は随分と自炊に対してハードルが低い。もちろんありがたいし、弟の手料理だったらどんなに不味くとも、簡単で名前の無いものであっても完食するつもりだが、一彩が大変なのではないかと思う。レトルト食品も好きだというから忙しい日や食べたい日はそういうものも食卓に並ぶが、基本的にはなにかしらの手料理が出てくる。
 自分でレシピを調べながら、カレーの材料を確認しに冷蔵庫を覗きに行った一彩をぼんやり見送る。

 自立、支配。対局にある関係性。
 一彩はかつて、明確に支配下に置かれていた。今は都会特有の漠然とした不自由さはあるものの、盲目な服従はもう無い。上下関係や仕事上の役職関係に絶対的な支配性は無いだろう。声を上げようと思えばできるし、抵抗しようと思えばやれる。あらゆる謀略で行動が制限されることはあっても、理屈や損得を飛び越えた精神の従属までは求められていない。内心では罵詈雑言並べ尽くして中指を立てていても、やることやってりゃ黙認される。バレないように隠し通すでも構わない。頭の中身まで強制されることはないのだ。
 自分の好奇心の赴くまま、色んなことを知って伸びやかにいてほしい。兄で恋人なんて複雑な上に常識ではまず理解されない立ち位置に収まっている身としては、身勝手すぎてあまりそんなことも言えないのだが、それはそれ、これはこれだ。

 キッチンで冷蔵庫の野菜室を漁っていた一彩の後ろ姿を眺める。にんじん、玉ねぎ、王道の材料を引っ張り出していたその手が止まった。
 
「兄さん、ピーマンと大根入れていいー?」
「カレーに?!聞いたことねぇぞ」
 
 放っておいたら今ある野菜を手当たり次第放り込みそうな弟を止めるため、燐音もその隣へと並んだ。
 
 なんとかカレールーの箱の裏にあるレシピの材料程度に収めさせた後、キッチンに立って料理をする姿は、世間一般の男子高校生だ。
 一彩は沢山の顔がある。それはこはくのように表情や身の振り方を使い分けるということではなく、単純に表情豊かなだけだ。だがそれが、たまにはっとするぐらい燐音を不安にさせる。
 パフォーマンス中の全身で貫くような表情。普段の飾り気ない素朴であっけらかんとした屈託の無い表情。考え込んだ思慮深さをのぞかせる表情。驚くほど いとけないときも、息を飲むほど秀麗なときもある。顔が整った美人が黙ると怖いというのはHiMERUで経験済みだが、一彩の場合は別の怖さがある。
 表情豊かで快活な一彩が時折見せる深みに、どこか焦りを覚えるのだ。即断即決、何事にも猪突猛進で勇猛果敢、藍良には蛮族とまで言われている弟が、ふとした瞬間に知らない何者かになる。遠い遠い、理解も及ばない境地に手をかけているのではないか。そしてこのまま、戻ってこないんじゃないか。そんな突拍子もない馬鹿げた妄想が現実味を帯びてしまう。
 一彩の知らない一面や内心を垣間見るたび、不安に似た焦燥が掻き立てられる。だか、その深みは同時に魅力でもあった。
 何もかもを知り尽くして、一彩さえ知らない一彩の本質をもっと暴いて、目の前に晒してみせたい。自分だけがそこに牙を突き立てていいという許しを得てから、痛みも恥も、滴る全てを飲み干してしまえたら、どんなに甘美だろう。骨の髄まで、思考の果てまでも自分で占めてしまったあと、啜り泣くほど望まれてから存分に堪能できたら、それはきっと天にも昇りどこまでも堕ちていける心地に違いない。

 伸び伸びとなんて宣っていた舌の根も乾かぬうちに正反対の思いを抱く。
 だが、燐音は一彩の深みにどうしようもなく絡め取られているから仕方ない。どうかしてでも自分を求めて欲しいと思っているのは一彩ではなくて、本当は燐音の方なのだ。一方的に搾取するのではなく、一彩の自律性に依って望んでほしいなんて、これ以上ない強欲さに、自分でも呆れて笑ってしまう。
 容易に想像できてしまう褥の姿を打ち消そうと、明らかに食べ合わせの悪そうな食材を一緒くたにぶち込もうとするような奴だぞ、と頭を擡げた感情を振り払う。そして一彩がまた変な行動に出ないよう、リビングから見守ることにした。