八雲ルートに入っていると、たびたび研究所にきてる八雲ととうとうエンカウントできて、高校生フォームのまま話せるイベントが発生するんだよね……という幻覚に基づく掌編です。
仲良し(コミュニケーションが発生するの意)です。
暗く静まり返った研究所の管制室の、誰も使っていない椅子は選び放題だ。その内の一番綺麗な一つに、僕は座っていた。モニターは青く輝いていて、特に目新しくもない情報を垂れ流し続けている。手元のパソコンは当たり前だけどロックがかかっているから、パスワードの入力画面しか見られない。キーボードをピアノのように叩いてみてから、すぐにそれにも飽きてしまった。
万全を期したかったし、休みなく動き続けていることが心配でもあったので、アオガミをもう一度研究所に預けることに迷いはなかった。アオガミは問題ないとばかり言うが、出会ったばかりのことを今になって思い出すと、まだ不安は残っていた。アオガミが信じられないわけじゃない。単に、自分がアオガミを心配しているだけだった。彼はずっと意識を失っていたらしいのに、突然目覚めさせられてから、記憶すら曖昧のまま再びの戦いを強いられたのがほんの数日前のことだ。誰でもいいからアオガミ以外の人に、アオガミは大丈夫だとお墨付きを貰いたかった。
研究員の一人を引き留めて、アオガミのメンテナンスは頼めるか、と聞いた。責任者が不在だから断られるかもしれなかったが、案外快く引き受けてもらえた。データが取れることを喜んでいるくらいだった。アオガミを頼んでから、僕は久しぶりに一人になった。
座り心地の悪い椅子を行儀悪く揺らしながら、椅子が床を擦る音に耳を澄ませる。人のいない管制室が、不気味に静かだった。
寮で待っていようかと思っていたが、アオガミにそれはやめろと止められていた。学校にも悪魔が出るのだから、もうどこも安全とは言い切れない。アオガミが僕の言うことを聞いてくれたので、そのぶん僕もアオガミの言うことを聞くべきだと思った。だからここで大人しく待つことにした。
こうなるのなら本でも持ってくればよかったが、生憎いつも手ぶらだ。スマホからインターネットでもと思っても、目に入るのは東京への恐怖を煽動するような記事ばかりだ。つまらない。
仕方がないので、同じ画面を映し続けるモニターを眺めつ、ここから見下ろせるターミナルを眺めつして、時間を潰している。どうせ誰もいないことだし、眠ってしまってもいいだろうか。椅子の座面は硬いのに、リクライニング機能が付いている。レバーを引いて椅子を少し傾けながら、もし眠っている間に……と叱るような声で注意をするアオガミが思い浮かんで、僕は椅子を戻した。
アオガミには悪いが、やっぱり暇だった。ターミナルを行き来する研究員の数を数えるのにも飽きた。みんな白衣にバイザーだから、少し荒い画像で見分けるのにはコツがいる、なんてところまで極めてしまった。靴が意外といいポイントだ。今のところ、ピンクの靴の人が、一定の時間おきにターミナルを確認しに来ている。いま来たので四度目、つまり一時間が経ったらしい。ピンクの靴の研究員は、ターミナルに繋がっているケーブルを確かめ、モニターの一つを確かめ、異常無しと言った具合で大きく頷くと、また別の階へと帰っていく。
ちょうど誰もいなくなった。これが一番退屈だ。授業中に窓から見下ろす校庭の方がまだ面白みがあった。何度瞬きしてみても、水中みたいに青い空間の中央に、変なドラム缶じみた筒が鎮座しているだけ。待てど暮らせど、変化は訪れない。いっそここから階下へ降りて、ターミナルと背比べでもしてみようか。ナホビノのときは僕の方が高いが、今の姿では多分負けるかな。
いっそ何かが起きればいいのに、とターミナルを見つめていると、ターミナルは視線に応えるように、輝き始めた……ターミナルが? それはおかしい。階下には誰もいない。だからここからターミナルを使おうとしている人はいないはずだ。
俄かに輝き出したターミナルは、瞬く間に回転を始める。やはり転移が起きるときの動作だ。つまり、誰かが魔界から帰ってくる──日本支部の者なら、予め連絡があるはずだ。だから今から始まるのは、支部の外からの襲撃、あるいは──。
ターミナルが激しい光を撒き散らした後、一呼吸分の静寂が下りる。
その刹那、僕は思わず立ち上がっていた。ガラスの向こうに見えるのは、人間が一人きり。
有事に対応しているかのような厳めしい雰囲気の、制帽を被った男だ。朝日と桜が帽章に輝くが、左肩のマントから少しはみ出た刀の柄は、どう見ても警察の持つものではない。
確かに、一番可能性がありそうなのは、お前か。
辺りは騒然となり、研究員たちが慌ただしく様子を見に来る。だがターミナルから現れた男は、それらを気にもせず、迷いなくこちらを、管制室から見下ろす僕を見上げた。満月の眼が、間違いなく僕を捉えた。
……来る。僕は直感する。
階下、ターミナルを照らすスポットライトを浴びながら、長いブーツが一歩進んで、マントが重たげに揺らめく。貰える時間は数秒か? 僕はその間に、先程まで座っていた、おそらく長官用の椅子に体を戻す。それからスマホを取り出して、緊急用の連絡先へ簡潔にメッセージを打った。手出し無用。下手な刺激は逆効果。以上。用の終わったスマホを投げ出し、改めて椅子に体を沈める。
ちょうどその時、ぱっと目の前が暗くなる。部屋を照らし続けていたモニターの光が、何かに遮られたのだ。やはり一瞬で飛んできたか。
背もたれに体重を存分に預け、長官になった気分で、僕は招かれざる来訪者を見上げた。
沈黙。
男はいつもの休めの姿勢で、しかし何故か口を開くことなく、鋭利な視線を落とし続ける。互いに睨み合うだけの時間が、僕たちの間に流れる。
男は背後からモニターの青い画面に照らされ、ただでさえ青白い顔に暗い影が落ち、少しこけた頬が余計に不健康に見えた。加えてナホビノの姿の自分と同じ金色の瞳が、夜行性の獣のように僕を見据えている。一応は人間であると知らなかったら、警官の亡霊か何かに見えたかもしれない。あるいは軍人だろうか。軍刀の柄に置かれた左手の白手袋が不気味に浮かんでいて、嫌でも視線が引き寄せられる。
右腰には銃もあるはずだし、魔法だって使える男だ。アオガミのいないこの状況では、客観的に見ればかなり危機的状況と言えるだろう。いや、例えこの男に武器も魔力も無くたって、丸腰のひ弱な体の自分では、こいつに敵うべくもない。
だが男は僕の動向を探っているのか、うんともすんとも言わない。もしやわざわざ僕と話をしにきたのだろうか……それは殊勝すぎるか。だが、折角だしそういうこととして、話をしてみようか。
何をしに来た?
どうして今来た?
目的は何だ?
浮かぶ疑問を口にしかけて、飲み込んだ。
代わりに、
「……殺すか? 俺を」
何故だか自然と笑みが零れた。口にしてしまうと阿呆らしかった。
だがこれが一番シンプルな答えだ。ナホビノのときは勝てたとしても、今このただの人間の体では、何もできない。ナホビノを減らすには、知恵を持つ人間を殺してしまうのが一番手っ取り早い。ベテルの天使もやっていたことだ。
だからこそ、この男はそれをしないだろう。故に笑えた。陳腐な答えに思えた。
「殺されたいか」
男は笑っていなかった。にやにやと笑う僕に気を悪くしたらしい。真面目に鯉口を切って、僕に答える。
「望むならその腹、貫いてやろう。ラフムに誑かされた娘に、貴様がしたようにな」
へえ、と僕は思った。
「ジョカから聞いたのか?
腹に穴が空くのは結構痛かったからな。今思えば、別のやり方にするべきだった」
腹をぽんぽんと叩くと、男は余計に顔を顰めて、刀を戻した。驚いたりしないということは、今はあの一部始終を知っているらしい。前は知らないようだったのに。
俺たちだけの秘密だったんだけどなあと呟くと、わざとらしい大きな舌打ちが聞こえて、僕はまた笑いそうになった。それを誤魔化すべく、まともな話を選ぶ。
「それで、何しに来たんだ。ベテルの様子を見に来たのか。
今のベテルにもう力は無い。長官も天使もここにはいない。見たらわかるだろうがな」
男は再びいつもの姿勢に戻ると、眉を顰めて首を傾げた。
「そして、ベテルに属していた神々を斬ったのは貴様であろう」
「なんだ。知ってたのか」
「知っているからこそだ。
その貴様が何故、ここで油を売っている? 今更になって臆したか?」
睨まれるのにも慣れた。僕は頬杖をついて、目を細めた。
「……俺を探しに来たのか?」
冗談めかして言ってみると、男は呆れたように鼻で笑った。
でもそうだろ、と僕は続ける。
「道を開く三つのカギは今この手にある。そして今なら、ただの人間の俺の首ごとお前はそれを奪える。状況的に考えれば、お前はこっちに戻ってきた俺を狙って追いかけてきた、と考える方が筋が通る」
「ハッ、貴様相手に不意打ちなど」
「選ぶほど焼きは回っていない……」
言葉尻を奪うと、男は再び沈黙した。
よくわからない男だ。ベテルの現状は知っていて、カギのことも知っている。王座を目指すならまずカギを持つ僕を殺してしまうのが最善。でもそれはしない。そこまではっきりしていて、わざわざこんなところで話しているなんて、答えは一つじゃないか。
「ならお前は、やっぱり僕を探しに来たんだ」
ありえない表現が面白かった。鋭利な視線が余計に冷たく光ったが、露になる感情がさらに楽しく見えた。一人でいた時の退屈さが随分紛れていることに気づいて、僕の頬は再び緩みそうになる。代わりにどうにか「怒るなよ」と言葉を絞り、今すぐにでも姿を消しそうな男を引き止めた。詫びにちゃんとした説明をしよう。
「ここに居るのは、準備をしているからだ。大事な試験の前日は体調を万全にしたいだろ。忘れ物があってもいけない。気がかりなことがあったら片付けて、やることはやったと思いながら次の日を待つ。それと同じだ。お前もそうだろ?」
言いながら、一つ思い出した。
「……気がかりなこと、一個あったな」
机に投げ出したスマホを拾い、画面をつけて、カメラのアイコンを押す。
男はマントを翻し、半分背を向けた姿勢のまま、顔だけ僕を振り返った。今しかない。
ぱしゃり。
場違いな軽い音が響く。スマホのアルバムに男の顔が残る。振り返り様だったから、ちょうど目を瞑っている写真だ。映りとしては最悪だが、今はこれがいい。幽世に近い唯一の証が見えなければ、一見ただの人間だ。
「お前を心配してる警官に、これでも見せようかな。
そのあと、行くよ。創世」
八雲は、不自然なくらい大きく舌打ちをすると、
「……好きにしろ」
忌々しそうに吐き捨てて、姿を消した。後には青白い光だけが残った。僕はもう一度カメラを起動して、誰もいない空間を撮った。
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