溶けかけ。
2024-09-07 22:17:36
1636文字
Public ほぼ日刊
 

ふたりでいっしょに

もう一度、旅に出ようーー

 ――ねえ、知ってる?

 深夜二時のエピクレシス歌劇場に、歌姫の霊が出るんだって。その歌声を聞いても、追いかけちゃいけないよ。
 え? なんでかって?

 ――あの世に連れて行かれちゃうからだよ。



 ぼーん、ぼーん、と鐘が鳴る。
 ヌヴィレットは目を閉じて、静かにその時を待っていた――最前列の中央、それが彼の指定席。

 ヌヴィレットが立ち上がる。控え室から聞こえてくるのは美しい歌姫の歌声。

「フリーナ!」

 声を追って舞台へと。予め用意していた鍵で控え室の扉を開ける。



 大きな音を立てて開けた扉の先には、しかし、誰もいない。
 机の下、も花瓶の中も、本棚の裏まで注意深く調べても。焦燥感に駆られるヌヴィレットを嘲笑うかのように、今度は遠くで歌が聞こえた。




「これ以上は行き止まりのはずだ……何がしたいのだ、君は」

 声を追いかけ、最終的にたどり着いたのはガラクタばかりが集められた物置部屋。忘れ去られたかのような古い機材が並ぶここは、まるで時が止まったかのようだった。
 ヌヴィレットが歩き出せば、ガタンと物音がして、扉に鍵がかかった。

「何かしらの罠か……それとも、ただの事故なのか」

 部屋の中を歩き回る。こつん、とブーツの先に硬いものがあたった。

「神の目……?」

 拾い上げた瞳は灰色に濁りきり、何も映さない――ずきん、と頭を鈍器殴られたような痛みが走ってその場に蹲った。
 ぎっぎっぎっ、とオイルを切らした音をさせながら偵察記録型マシナリーがヌヴィレットの前に座り込んだ。プネウムシアをエネルギーとして動くタイプのマシナリーはアンティークとまで呼ばれ、一部の好事家の間では今でも人気が高い。

 ヌヴィレットがマシナリーにエネルギーを補充する。かちかちと歯車の音をさせながら、機械的な声が喋り出す。

「エネルギーノ供給ヲ確認シマシタ。遺言ヲ再生シマス」

 マシナリーの目が光り、薄黄色いスクリーンに投影を開始する。



「あー、あー……てすてす……うん。大丈夫そうだね」

 一人の少女が映る――いや、これはフリーナ殿だ。何故、忘れていたのだろう。
 フリーナがくるりとターンをした。指の先からつま先まで計算され尽くした角度は見る者を魅了する。

「さて、これをキミが見ているということは、僕は死んでしまったのだろう」

 フリーナが真剣な顔つきになる。そうだ、彼女はもう――

「だから、これは遺言――いや、違うか。旅への誘いかな」

 ふわりと彼女が微笑んだ――優しい笑みで。ああ、君はそんな表情で笑える人であったな、と思い出す。

――ヌヴィレット。これをキミが見ているということは、プネウムシアに代わるエネルギーが見つかったということかな? ……まあいいか、細かいことは――えぇ!?もう、あと数分で録画は終わり、だってぇ!」

 フリーナが近づき画面が紺色に染まり、すぐに離れていく。

「こほんっ、キミに言いたいことはだね。キミがいなくてもフォンテーヌが回るようになったら、旅に出てほしい、ってことなんだ。旅はいいよ――ってキミも一緒に行ったからよく知ってるか」

「録画終了マデアト一分デス」という無機質な声が入る。

「ああ、わかってるとも! とにかく、やりたいことをやって、行きたいところに行ってほしい。『どうか、しあわせに』じゃあね、ヌヴィレット……お元気で」

 ブツッという音がして、画面が暗くなる。部屋の中は俄に静寂に包まれた。

「一縷の希望すら、残してはくれないのだな」

 ヌヴィレットがマシナリーの表面を撫でる。よく見ればどこもかしこもボロボロだ。エネルギー供給をしてみても、動く気配はなく、壊れたことを理解した。

「さようなら、フリーナ殿」

 首元のカメオを外して、灰色の瞳を身につける。
 ――たとえ、曇った眼だったとしても君と見る風景は美しいのだろうから。