米田
2024-09-07 21:54:37
3610文字
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雨降る歌会の読み

2024年9月6日に開催された雨降る歌会の、詠草への読みです。
素敵な歌会をありがとうございました!

①あお 醒めた白む朝いつ終焉が来るとしたってぬくむスープを (米田)

自作でした。
ネロの、自分がいる以上冷めたご飯は食べさせない、みたいなプライドというか信念が好きで、それをストレートに言いたかった歌です。
いつ自分に終わりが来たっていいと思っているけど、その瞬間にだって温かいごはんを食べさせてあげたいと思っていそうなネロの、ネガティブなんだけど優しいところ。
後ろ向きで、だけど生きるということに関して食ってとても重要なので、前向きでもあってという。
情景としては、朝、目が覚めた時に真っ先に目に入るのはもしかしたら自分の髪の毛だったりするのかな(ネロってうつ伏せで寝ていそう)、とか、白く光る朝日の中でキッチンに立って料理をするネロの後ろ姿かな?をイメージして読みました。



②主文後回しの主文までの間をバターナイフで塗り潰す日々 (古月ももさん)

主文後回しは一般的には死刑や無期懲役などの極めて厳しい判決を言い渡す時の判決朗読のサインと言われています。主文を読み上げる前に判決理由についてを読み上げられるわけですよ。
自分がどういう罪を犯して、どうしてここにいるのかについてを知らしめられる時間、みたいなのを、ネロは自分に課された罰として受け取っているのかもしれないなということを思って、グッとくる歌ですね。
まだ自分の罪は確定していない、けれど確実にここに立っている理由がある、その理由を、罪状を述べられて、ついに主文に差し掛かる、その前の一瞬の沈黙のような日々、それをバターナイフで塗り潰す、というのは、いつかは俺は罰せられる、そのことを知っている、罰を受け入れようと思っている、けれどそれまでは、自分ができる料理というものをしていたい、という気持ちなのかなと思いながら読みました。
バターナイフで塗り潰す、というので、受け入れようとは思っているけど、周囲にはそのことを黙っていたい、内緒にしていたい、ブラッドリーとのことを秘密にしているネロらしさのある歌ですね。
魔法舎での日々を執行猶予や無期懲役の懲役期間として解釈するとわりとすんなり読める歌かなと思いました。



③償いになるか例えば丁寧にカウンター席拭いてきたこと (数の子さん)

ネロの抱いている罪悪感についての歌が2首続いているのがすごくおもしろいなとおもいながら読みました。
彼は自分の犯した罪について自覚的で、今はたぶんそのことについて後悔もしていて、この歌のように、償えるなら償いたいと思っているかもしれない。
カウンター席、と出てくるので、もしかしたら魔法舎の食堂にもカウンター席はあるかもしれないですが、すごく静かな閉店後のお店の様子が浮かんできたので、東の国時代のこととして読みました。
彼が東の国で自分の店を持って暮らしていたころ、一体どんなことを思いながら生きていたんだろうと考えるとすごく苦しい気持ちになるんですけど、後悔の記憶って思い出さないようにしたいと思っても、時折ふと思い出されてしまうもので。
私自身、北国出身で、北を捨てて今は東京に住んでいる身なのですが、なのでネロのことについてわりと自分ごとのようにわかるような気がしてしまうんですけど、苦い記憶って静かな空間にいると追いかけてくるように思い出されるものなんですよ。昔のことを思い出しつつ、贖罪のように丁寧にカウンター席を拭いているネロのことを思い浮かべて、ちょっと泣きそうになってしまいました。
いつまでも消えない記憶を抱えて生きていくネロのことを、強く生きていってほしいと願わずにはいられません。




④雨だとは思わなかった からっぽの酒瓶のように光る水門 (hさん)

雨だとは思わなかった、という初句二句がかなり効いている歌ですね。
雨だとは思わなかった、という自分にとっての予想外のことを、でもネロは悔しいともうわ〜とも思わずに、そうか、って受け入れそうなところがあるなと思って。
そして、からっぽの酒瓶のように、とあるので、水門は枯れているのかもしれない。
水門は河川の水の急激な増幅を防ぎ、水流を制御する役割を持っているので、彼の中での感情の濁流を制御する役割として、比喩としての水門なのかなと思いました。
彼にとって感情が揺らいで雨が降ってくるような時、彼の中の水門は閉じて、全体の水流が荒れることを防ごうとする。雨だとは思わなかった、という不意に情緒を突かれるようなことが起きた時の、いかにもネロっぽい作用のことを歌っていてすごいな、と感心しました。



⑤根を張ったふりして一人コーヒーを淹れる水さえ選べてしまう (葉子さん)

根を張ったふりをしているけど、一人である。彼っぽいなと思います。
まほやくの世界において、基本的に水って自分の住んでいる地域のものしか使えないと思うんですけど、ネロは北にいた時と、東に来てからも店を数年ごとに転々と変えていたと思うので、色々な地域の水について知っているんだろうな、ということに思い至って、なるほどな、と思いました。
彼の、居場所を一つに絞らなかったところが好きで、希望だなと思っているんですけど、こうしてこの歌を読むと、色んなところを転々としてきたことの利点も絶対にあって、彼は様々な価値観を比べてみることができるんですよね。
その上で、今日の気分でもなんでも、自分に合った気風のところを選べる。東で、多少窮屈だと思っても自分に合っているとして暮らした彼の生活のことを思いました。




⑥祈ります 寝ぼけたままのフライパン振るう笑顔が多からんこと (月見里花火さん)

これは誰かから見たネロ、の歌なのかなと思いました。リケかな?
リケとネロの絡みがすごく好きなので、いいな〜と思いました。
リケって最初温かいパンを知らなかったじゃないですか。そこからどんどん、新しい味や温かさを知っていって、ネロにどんどんおねだりするようになって、それがすごく微笑ましいなと思っているんですけど、そんなリケがこんなにまっすぐにネロのことを祈っているとしたら、とても美しくて素敵だなと思って。
眩しい歌だなと思います。



⑦穂の波に沈む貴方の優しさは月を溶かした蜂蜜の味 (海色の風船さん)

やはりネロのイメージとして穂は出てきますよね。
これも誰かから見たネロの歌なのかなと思ったんですが、具体的に誰視点かはわからなかったです。
穂の波に、という初句が情景としてとても美しくて、そこに溶けて沈む優しさ、というのもすごく美しいです。
風にそよいで波のように見える穂の情景に、彼の優しさが溶けて沈んでいく、それが金色に馴染んでいくさま、それが蜂蜜の金色にリンクしているのがとてもいいなと思います。
月を溶かした、とありますが、月という語に付随するまほやく世界における不吉さみたいなものはこの歌からは感じられず、ひたすらに美しいものとしての月として詠まれているような気がしました。



⑧渡すにはなれすぎていて片手から雨水のようにこぼれる青果 (波澄さん)

ネロって人に与えること、施すことにたしかに慣れすぎている、とこの歌を読んで今更ながらに思いました。
与えることに慣れているから、雨水のようにこぼれていく青果たち。
片手から、というところに、両手で与えるのではない、彼の気安さみたいなものも感じられていいなあと思いました。
慣れすぎていて、と読むのだと思いますが、ひらがなでなれすぎていて、と表記されているので、私は「渡すに 離れすぎていて」だから届かず溢れてしまう、とも読めるなと思って、そう読むとしたらブラッドリーに宛てた歌になるのかなとも思いました。



⑨こしらえた言葉を捨てて盛りつけたパセリが揺れるいつもの皿で (くれないさん)

言葉を捨てて、というのがいいですね。
ネロは優しいですが、言葉にあまり期待していないのかな、と感じるところもあって、だから対人関係として少し不器用な印象もあるのですが、言葉よりも自分の作る料理の方で全てを伝えようとしているところがあるのかなと、この歌を読んで思いました。
言葉でわかってくれなくてもいい、俺の料理を美味しく食べてくれるならそれで、といったところでしょうか。
彼のそういった不器用な優しさがとても好きだなあと思います。




⑩黄金の庭に光る太陽が目に眩しくて夜を望む (水樹紫鶴さん)

先程の歌の印象と地続きになるんですが、この歌は字足らずの箇所が二つあって、それが少し言葉足らずなネロっぽいなと思いました。
太陽よりも夜の方が好き、なのもネロっぽいなと思います。
陽の光の下を歩くより、静かな夜にキッチンに立っている姿が似合うような、そんな歌ですね。



素敵な歌会と歌をありがとうございました!