inte9rer
2024-09-06 21:50:14
5724文字
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『亜空間より、君に一目』第五話

 八幡に反発して、北九州を飛び出した戸畑。
 彼が向かった先は、なんと敵の総本山、三井本館であった。

「僕、貴方がたのような性悪は嫌いですが……
 戸畑は顔を逸らしながら口を尖らせて呟いた。
「でも背に腹は変えられません。八幡を止めるためには貴方がたと組むのが一番です!」
 眼の前に立つ少年の威勢に、座る大人二人は足を組んで煙草をふいた。
 
 戸畑が立っているのは、日本橋の直ぐ側に立つ大理石の巨城、三井財閥の本拠地として三井銀行や三井鉱山等、三井の主力級の直系会社本店が入るオフィスビル、三井本館の役員室の一つである。そして、彼の眼の前に座るのが、話題の中心、釜石製鉄所の経営に関わる三井鉱山と、その兄貴分であり釜石の製品を一手に販売する三井物産であった。
 戸畑は、八幡の暴走を止めるべく、彼のことを釜石を有する三井側に暴露して、妨害する策に打って出たのだ。八幡の様子がおかしくなったこと、彼曰くそれは別の八幡に入れ替わったからだとかいうこと……どれも、三井側には到底荒唐無稽で信じられない話ではある。しかし、わざわざ三井に反感を持っている戸畑がやってくるのは相当の事態が起きているからだというのは、二人ともなんとなく感じていた。

 戸畑の不躾な物言いにも、三井鉱山は怒る様子もなく、平然とした態度でぶっきらぼうに首肯する。
「おう、性悪ね。同族嫌悪だな?分かるぜ……
「はぁ!? 僕のどこが性悪だって言うんですかぁ⁉」
 思わず振り向いた戸畑の怒り顔を見ると、鉱山は前のめりになり、ニヤニヤと笑いながらタバコの煙を吐いた。
「“性悪”なんて言葉を、面と向かって人に使うやつがマトモな性格してると?素晴らしい人生経験をお持ちだねぇ、僕……
……ッ」
 赤くなった戸畑には言い返す言葉が出ないようで、口を開けわなわなと睨み返すことしかできない。
 意地の悪さはお互い様だが……年の功の分三池の方がずっと上手だ。
「はーッ!? だからなんですッ!? 僕のほうが素直なぶん、全然性格良いですけどッ!」
 割合小さな肩を最大限にいからせて反駁する戸畑は、大型犬に囲まれてしまった子猫のようだ。

「いや……別に条件が付けられるなら、八幡に釜石をくれてやったって俺は構わねぇが……
「義兄貴ィ⁉」
 すると物産が投げやりな言葉を吐く。鉱山が思わず驚いたように振り返った。
「俺は釜石の生産分の鉄鋼が販売できれば、あいつを八幡にくれてやってもいい……ついでに来年から八幡への石炭納入はうちが五割以上もらうっつうことで」
「ちょっと!この薄情者!呑気なこと言わないで下さい!」
「絶対無理ですよ……後者に関してはこっちの石炭が足りなくなるでしょう!」
 すかさず戸畑や鉱山が食い気味に物産へ反論した……が、鉱山はややため息をつく。
 物産が釜石の経営に若干興味を失いつつあるのは鉱山もよく分かっているのだ。買収した当初こそ物産も釜石への投資に乗り気であったが、高炉の刷新やコークス炉の建設など長期に渡る大規模な改修計画は、短期な物産には遅く感じてしまうらしい。買収から3年も過ぎた頃になると、物産も金が足りないからといって資金の融通から手を引きはじめたのだ。無論、それは彼が単なる薄情だからとかという問題ではなくて、東洋レーヨンなど化学部門や満州での工場開発など、他に資金を入れなくてはいけない方面が増えすぎているからでもある。

 鉱山がこの物産の態度をどう改めさせようかと頭を捻っていると、不意に役員室の扉が開け放たれた。
「フハハ、おぉ、物産!久しぶりにお前と意見があったな。私も釜石の売払には賛成だと言っておこうか!?」
 上機嫌な口調で現れたのは、荘厳な洋式の三井本館には不釣り合いな和装を着込んだ、いかめしい顔の老人であった。
 戸畑が謎の老人を見て困惑した顔をする。
「え、ちょ、誰ですかこの人。三井家の人?」
「違……いやまぁ合ってるけど……三井合名だよ」
 鉱山が参ったように、顔を歪ませながら小声で答える。
 三井合名は、三井財閥の系列会社の大部分の株を有し、経営権に指示を与える機能を持つ持株会社である。もっとも、住友や三菱の持株会社とは異なり、三井合名は系列会社の経営にほとんど実権を行使しないが……それでも、物産や銀行からすると、口うるさくて面倒な父親であった。

「八幡の方から連絡をうけたぞ!釜石を合併してもいいと!」
「はぁ!? 嘘だろ……
「やってくれた、あぁ、面倒くさい相手に言ってくれたよ……
 物産が腰を浮かし、鉱山が額を叩く。
 彼らが驚くのは大正期の製鉄合同の失敗に原因があった。数年前のこの問題で、もっとも大きな反発を見せた業者の一人が、紛れもない、八幡自身であったのだ。それがこんなにも積極的に働きかえてくるのは、到底信じられない。
「所詮、鉄鋼業のような危険性が高い上、めったに稼ぎのでない業界など、一発当ててでもしないとこの三井家の足元にも及ばん、有象の新興業者共に任せるべきなのだ。我々がするべき仕事ではない!」
 合名は胸を張って断言する。
 彼の言った"有象の新興業者"の中に、自分の父親である久原財閥のことまで含まれているだろうと察した戸畑は、思い切り合名を睨んだ。
「うわ!なんですか、この絵に描いた嫌な年寄!? こんな嫌味な悪役なんて、今どき宝物級でしょ!」
「口やかましいのは良くないぞ、小僧。それとも、君のお兄様の八幡君は、年下の躾も満足できない半端者だと我々に教えてくれているのかな」
 戸畑の皮肉にも合名は薄ら笑いで答える。三井組は徳川の治世から、市場の破壊者として同業者から散々憎まれてきた存在だ。この程度の悪口は何千と聞いてきたのだろう。戸畑はうが〜ッと唸り声を上げて頬を膨らませた。
 
「待ってくださいよ、義親父さん!」
 なんとかこの室内の嫌な流れを止めるために、鉱山はなんとか声を上げる。
「今の釜石が大規模改修中なのは義親父さんもご存知でしょう!建設費用も技術も俺等が出したってのに!結果を見ない内に、八幡のやつが鳶みてぇにかっさらってくのは我慢がならねぇ!」
「そうだな……お前の言い分は分かる」
 その剣幕に、物産も煙草の火を消して、腕を組みながら考え込み始めた。
「八幡のとこに行くとしたら、釜石のとこに作った石炭コンビナートの契約分もどうなるか……
 物産は眉間にシワを寄せて、横目で鉱山を見た。
「それに条件を付けたって、八幡のやつがその約束を守るかは分からねぇだろ?」
 その言葉に、物産が顎に手を当てて頷いた。
「まぁな、彼処の官僚共は、俺達卸売業者の都合を考えてねぇ……
 八幡製鉄所の販売部が、卸売業者からすればひどく自己都合で一方的なのは、設立時から彼の販売方式に振り回され、指定取引先にまでなった物産が一番良く知っている。険しい顔をしながらも、物産は鉱山の説得に傾きつつあった。
 しかしそこで合名が口を挟む。
「だがどうするつもりなんだ。八幡はすぐにでもここに来ると言ってたぞ」
「はぁ!? ここに!?」
 鉱山が上ずった声を出す。
「おぉ、随分積極的だな……
 物産は面倒くさそうにつぶやいた。
「電話係曰く、マトモに話の通じるような剣幕では無かったとか」
……
 合名の言葉に鉱山と物産が同時に絶句する。
 話の通じない八幡というのが二人にとっては想像できないものだった。話が通じないのではなく、冷静に話を聞いて、なおかつ平気な顔でその話を無視する男というのが、二人にとっての八幡である。

 その、一瞬の沈黙で包まれた室内に、再び扉の開く音が聞こえた。
 入ってきたのは、栗毛色の髪と端正な顔をした長駆の男である。
「おっと……もう、話は終わってしまったのかな」
「ぬあー!三井銀行!」
 戸畑が声を上げて彼の名を呼ぶ。
 三井銀行は、工業倶楽部での付き合いや、久原のメインバンクである関係で、戸畑も数回出会ったことがある相手であった。
「聞いて下さい!貴方も八幡を元に戻すのを手伝って!」
 銀行へ駆け寄るなり、戸畑は彼に体当たりでもするように協力を迫った。年の離れた年下の突飛な行動に、銀行がやや困惑したように眉を上げる。
「あぁ、分かっている、話は合名から聞いた」
「銀行!お前も分かっているだろう?ここは喜んで八幡に──」
 
「いや、私としては反対だ」
 銀行は、きっと二言目には釜石の売却を肯定すると思っていた鉱山や物産は、その答えに驚いた。
 釜石と銀行の仲が悪いのは、彼ら身内がもっともよく知ることである。快活で気性の荒い前者と、皮肉屋で高慢な後者は性格からしてまず合わない上に、そのうえ釜石は銀行と融資を巡って問題を起こしたことがある影響で、まったく銀行から信用もされていない。であるから、銀行はきっと釜石と距離を取りたがるだろうと思っていたのだが……
「な……ど、どうしたんだ銀行?金の都合か?」
 すっかり自分に同意すると思っていた、最愛の息子のこの態度には、合名もたじたじである。
 だが銀行は平然と言葉を続けた。
……我々には準備が足りていない。少なくとも、釜石を売却するには冬まで待つ必要がある」
 その言葉に、物産が口を挟んだ。
「決算の問題か?そうだな……下半期の営業の結果が出てねぇのに売ると利益の折半が面倒になるしな」
「第一、施設や備品の償却や負債の計算をどうするかという話もある。釜石を売却するにあたって、彼の評価額を決めるなら、もう一度我々が彼の帳簿を厳密に調査しなくてはいけない」
 銀行は端的にその理由を述べた。釜石の経済状況のことをもっともよく知るのは、長年彼のバランスシートを見てきた銀行である。
 しかし、その銀行の大真面目な態度に、鉱山は寧ろ焦燥感を感じた。
「な、ちょ、ちょっと!なんかめちゃくちゃ売る準備する気満々じゃないですか、銀行の義兄貴……
「反対って……言っておきながら、銀行、貴方!それ売るために反対みたいな面倒くさい言い方じゃないですか!」
 不満げな二人を前に銀行は肩を揺らして笑った。
「ははは……
 不思議そうに見る二人に、銀行は首をかしげながら微笑んだ。
「どうせ、こんなものは全て、ただの冗談だろう?」
 玲瓏な笑顔だが、そこには冷たい感情が潜んでいるのを、鉱山も、戸畑にさえも感じ取られた。
「鉱山、君は釜石を売る気なんて早々無いだろう。そして君がその気なら、どうせ全ては、八幡が買収のテーブルへ付く前に終わると私には分かるからね。こんな買収話は、議論するだけ全て無意味だ」
……
 物産は黙って銀行の顔を見つめる。重化学方面への投資を巡って鉱山と対立していた銀行が、鉱山のことを支持するようなことを言うのは、間に挟まれた物産にとって意外であった。

「フン……ええ、その通りです!」
 鉱山は、その銀行の言葉に答えるように不敵な笑みで言い放った。
「どんな八幡が来るかはしりませんが、この俺の弁舌があればきっと奴を乗せてみせるし……
 そして鉱山が拳を握りしめる。三池炭田時代から、四百年以上の時を刻んだ彼の腕は、石炭層よりも分厚く頑丈な筋肉質で覆われている。
「それに……どちらにせよ、奴が勝つ方法なんて無いんですよ」



 長い廊下には、赤い絨毯が続く。
 三井鉱山は腕を組んでその廊下を闊歩していた。八幡に勝つ方策はいくつか思いついたが、どうやって手を回そうか……
「三池」
 不意に名前を呼ばれた鉱山が驚いて振り向くと、廊下の白いミルガラスのランプの下に、先程役員室で分かれた三井銀行が立っていた。
「釜石が消えた話は、牧田から聞いたか?」
 彼は鉱山の方へ近づきながら、話しかけてきた。急な話題に驚きつつも、鉱山は頷く。
「えぇ、もう一昨日くらいに聞きましたよ。あいつは無鉄砲だから……毎回困らせてくれます。どこほっつき歩いてんだか……
 ふぅん、と銀行は相槌を打った。
 
 そして銀行は悪戯っぽい笑みで、指を鳴らした。
「ふふ、君が考えた八幡への戦略を少しだけ言い当てようか」
……
 鉱山は眉を上げて、黙ってその内容を聞く。
「少なくとも……そのうちの一つは、釜石に八幡をぶたせる気だったろう」
 銀行の答えに、鉱山は肩をすくめて笑った。
……へへへ、まぁ、当たりですね!釜石に直接振らせるのが一番でしょう!流石にぶつまで上手く行くとは思っていませんが」
 そのまま指を立てて自分の考えを披露する。
「散々自分が負かされてきた八幡なんかに手を差し伸べられたところで、あの負けず嫌いな男なら、侮られたと思って怒りだすするのは目に見えていますからね」
「でも、その肝心の釜石がいないと」
 それについては、鉱山も良く分かっている、切実な問題だ。鉱山はため息をついて肩を落とした。
「はぁ、そうですよ……まぁ、策はあともう一つあるわけですし……
 
……安心しろ、三池。釜石は私が連れてきてやる」
 銀行は、鉱山の肩を叩くと、そのまま廊下の奥の階段へと歩きだしていった。
 鉱山が動転しながらも、その背中を見る。
「は、はい?」
「あぁそれと」
 その困惑声もいざ知らず、銀行は何かを思い出したように鉱山の方を振り向いた。
「八幡を早く東京に呼んだほうが良い。土曜に彼と話をするつもりなら、少なくとも金曜には、この東京に彼を呼ばなくてはいけない」
 今日は水曜、しかし北九州から東京へは丸一日使う大移動だから、必然的に金曜が最短である。
……な、なんでです?」
 鉱山は、滅多に荒唐無稽な冗談を言わないこの兄貴分が、急に無茶なことを言い出したことについていけていない。
「私の第六感だ」
 その答えもまた、荒唐無稽だ。おかしい、平素のこの男は、こんなことを大真面目に言いはしないのに……
 鉱山が、よもや三井銀行まで様子がおかしくなったのかと顔をひきつらせていると、銀行はさらに追い打ちをかえるような言葉を言い放った。

「今週の週末は、台風が来るだろうから」