inte9rer
2024-09-06 21:48:55
4309文字
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『亜空間より、君に一目』第四話

 釜石を救うと決意した八幡は、その作戦を考える。
 相棒の二瀬の出した案は、三井をよく知る彼らの敵、三菱財閥に話を聞くことだった。

「あぁやって啖呵は切ったものの……
 八幡は、若干間の悪そうな顔で腕を組んだ。
「どうやって釜石を買収しましょうか。まさかあの三井相手に、真っ当な株の買い占めをしかけても、勝てるとは思えませんし」
 三井財閥は日本国内でも最大規模の財閥だ。二位の三菱財閥でさえも、彼らの勢力には未だ追いつけずにいる。それに、三菱や住友のように、堅固で誠実な経営者よりも、切れ者かつ腕力で押し通す辣腕な経営者を好む財閥だ。真正面から取り組んでも、言いように足を取られて一瞬でオチがつくのは二人の目に見えていた。
「そうですね」
 二瀬も八幡と共に思案して目を瞑った。肩を持つと言った以上、自分のできる範囲で彼には協力するつもりだが……
……まぁ、三井から釜石を切り離すのでしたら……三菱の方々に聞いた方が、何か良い策を思いつけるかもしれません」
 他人の力を借りる伝手を作るのも、協力の一つだろう。二瀬は、電報をかけるために手帳の連絡欄を開いた。



「八幡ちゃん……それは……
 白髪の髭をたくわえた初老の男が、眉根を寄せ、神妙な顔でつぶやく。
 そして次の瞬間、満面の笑みで眉を下げた。
「うん、すっごく、良いと思うよ!」

 夜半の川面に赤い提灯の輝きが列をなしている。
 魚河岸に連なるように築かれた小倉の料亭群の一角に、八幡たちは集まっていた。向かいに座るのは、かつての三菱商会、そして三菱合資石炭部を経て大正期にようやく独立した三菱商事と、大分臼杵の第百十九国立銀行から買収されてやってきた三菱銀行二人であった。小倉の支店からやってきた支店格達であったが、その性格や振る舞いは本店格と遜色ないものである。

「軽工業ばっかりで、重工業のことを理解してない三井家なんかに行ちゃって!釜石クンもホントに可愛そう……ワシもずっとそう思ってたし!」
 白髪の老人が身振り手振りで感情を前身で表すように話す。その額や手には、愛嬌に満ちた彼の表情とは似つかわしくない、幾つもの切り傷や火傷痕が残っていた。
「それに金庫番はあの冷徹無比な三井銀行クンでしょ!? 絶対釜石クンも肩身の狭い思いしてるよ!早く助けに行かなくちゃいけないよね!」
 商事は頷きながら、拳を震わせて涙目で語る。
「あ、はは……
 商事のとなりで若干顔を歪ませて笑うのは、相方の三菱銀行である。ヌーボー家を絵に描いたような性格の彼には、商事の目まぐるしい愛嬌についていけないらしい。
 それに、銀行は商事の露骨な態度の裏腹をよく知っている。三井物産の足を引っ張ってずり下ろすためなら、手段を選ばないのが三菱商事だ。その物産の鉄鋼市場でのシェアは北炭系列の鉄鋼会社二社と釜石によって支えられている。前者は販路を軍部に依存していたので、最近の軍縮騒ぎがあってからほとんど落ち目だ。それに加えて釜石までもを三井の手から奪いされたなら、鉄鋼市場は朝鮮半島で兼二浦製鉄を持っている商事にとって有利に働くかも知れない。しかも、鉄鋼のデパートと称される八幡にはいり用のものから売るものまで、卸売業者の活動場所が溢れている。ここで恩を売っておいて、石炭の納入や鉄鋼販売の割当に有利な立ち位置をとるのを狙っているとも受け取れた。
 ただ、そうした商事の思惑は彼と付き合いの長い二瀬もよく分かっている。よく回る商事の口を冷静に受け流しながしつつも、商事が何か妙な条件を言い出したら、すぐにでも自分が口を挟むために、彼は出された酒もほとんど飲まず黙って肴だけを食べていた。
 
「分かってくれますか⁉うんうん、やはりこの不景気で釜石のことを救えるのは、私ただ一人なんですよね〜!」
 そんな二瀬の懸念を他所に、八幡は嬉しそうに酒を仰いだ。
「八幡……あの、あまり飲みすぎないように」
 商事の明らかに常人離れしたテンションに、なんの疑問も挟まずついていく八幡の姿を見て、二瀬もやや困惑しつつ声をかけた。
「銀行もホラ!黙って相槌打ってないで、良い案考えてよね!今回は八幡ちゃんの合併話だから、しぶちんな銀行も文句ないでしょ!」
「とは言いましても……
 商事が銀行の肩を揺らし、銀行の手の盃がこぼれかけた。銀行は首を捻ってうぅんと唸った。
 しかし商事は銀行の言葉も待たずに話し続ける。
「何が良いと思う⁉ここは男らしく敵陣たる三井本館に襲撃をかけるべきかな⁉」
「ありえません……
 二瀬が目を細め、呆れ顔で商事を見た。
 だが八幡はノリノリだ。
「そうですね、彼らの金庫から釜石の株券を奪いに行きましょう!」
「冗談ですよね!?」
 二瀬が驚愕の顔で八幡の方を振りかえった。

「えぇっと、わざわざそんな事する必要ありますかね」
 ぼんやりとしたような、落ち着いた声で銀行が三人に口を挟んだ。
「単純に、三井銀行さんや合名さん経由で、釜石さんを買収したいって言えばよくないですか?」
 その言葉に三人が豆鉄砲を撃たれたような顔をして銀行を見る。
「なぁにそれ!つまらなすぎて、ワシ、泣いちゃうんだけど!」
「そ、そんな普通の手段で行けるんですか?」
 商事は落胆して肩を落としながら、八幡は驚きで銀行に迫りながら彼に問いかけた。
「だって、三井財閥さんは全体として、別に鉄鋼業にそこまで思い入れがあるわけではありませんし、すでに北炭の輪西や日本製鋼所で随分苦労されてますし……
 顎に手をやりながら、銀行は思案した。
「それに正直、彼らの資金源の三井銀行さんや合名さんは、重化学工業のことが好きではありませんから。外様の釜石さんのことは、きっと売りたがると思いますよ」
 あっさりとした物言いに、二瀬もはぁ……と気の抜けた声を返した。
 官営会社の二瀬や八幡にとっては、卸売業者や造船業者と会話することがあっても、銀行業者や持株会社とは滅多に顔を合わせない。となれば勿論、彼らの考え方を知ることも無いので、三菱銀行のその見方に、世間はそんなものなのかと首をひねるほかない。

「ううーん、だとすると、一体何処に連絡を……
「銀行さんや合名さんの居る三井本館の方へ電話と手紙を送ったらどうでしょうか。彼らは大体何でも仕事が早いので、一週間以内に電話で何かしら返事を返してくれるでしょう」
 三菱銀行が取り出した手帳の番号を二瀬がメモする傍らで、八幡は拳を振るって決意を固めた。
「分かりました……貴方がたのアドバイスに報いるためにも、絶対に釜石は私が救ってみせます。三井の魔の手から」
 商事も両手を握りしめてそれに答える。
「ウン……ワシら、待ってる!八幡ちゃんが……小倉に、帰ってくるまで!」
 二人を他所に二瀬は手提げかばんから茶封筒を差し出し、三菱銀行へ頭を下げた。
「すいません……忙しい月曜の夜に、しかも急の連絡だったのに、まさか当日に来てくださるなんて」
「あはは、いやいや、私も商事も、お酒が飲めればどこでも行きますからねぇ〜」
 八幡は二人の会話を見届けると、すぐに立ち上がる。
「さぁ二瀬、帰りますよ!今日の内に手紙をしたためて、明朝には電話しますから!」
「あぁ分かりましたから……すいません、とりあえず飲食代はそれで……
 慌ただしく出ていく八幡を追うために、二瀬は封筒の方を指し示して会釈すると、すぐに彼も立ち上がって出ていった。
 商事がニコニコしながら、その後ろ姿に手を振る。
「あい!二瀬ちゃんありがとー!頑張ってねー!」


 
「あ〜なんだか二瀬ちゃんが忙しそうにしてるの久しぶりに見たかもね、元気そうで良かった〜」
 商事が盃を仰ぐ。部屋に残されているのは銀行と商事の二人きりだ。
「八幡さんも随分様子が違ってましたけど……何があったんでしょうか」
 急に集められた二人の前に現れた、平素とは全く異なる風貌と性格の八幡を紹介するに際して二瀬が放った言葉は、色々あった、その一言だけだった。そして、その色々あったのを元に戻すために、釜石を買収しなくてはいけないと。
「うーん、まぁ、珍しいけど、無いことじゃないでしょ?三井銀行ちゃんも中上川クン来た時あんな感じだったし、日銀クンなんて毎内閣あんな感じで性格変わるじゃん」
「三井銀行さんの方は、私、当時を知らないのでわかりませんが、確かに日銀さんは……総裁さんが変わるたびにあんな感じですね」
 日本銀行のトップである総裁は、日銀事態が金融政策の根幹である以上、内閣の交代に大きく左右され、そしてその総裁の交代が日銀全体の行動も左右する。そのため、日銀は機械的な官僚肌の性格と、総裁の影響を受けた性格の2つの側面を持っており、そして後者の方は総裁の影響で傲慢にもなれば神経質にも悠然にもなるので、銀行界の人々からすると少し面倒な存在だと思われているのだった。
「うーん、では八幡さんの長官が、何か途轍もない変革を起こしている……とか?」
「中井クンがぁ?うーん、確かに仕事熱心っぽいけど、そんなグイグイ行く感じじゃないと思うけどねー」
 今の八幡製鉄所の長官を務める中井励作は農商務省から来た官僚だ。中村雄次郎、押川則吉と軍関係者続きの中で、農商務省の叩き上げから来た彼は、八幡製鉄所にとっては原点回帰的存在である。堅実ではあるが行動的性格で、赴任した当時は製鉄業とその関係業界を学ぶために、長官が部下の技師たちの後をついて教えを乞いていたのを商事も一度だけ見たことがあった。
「あーでも、今日の八幡ちゃんの性格も、ワシとしてはある意味"八幡製鉄所"っぽいと思うけどね。和田クンとか、中村クンとか……八幡の長官って果断で押しの強い人のイメージあるし」
「そ、そうなんですかねー……
 押しが強いのと行動が突飛なのはまた話が別ではないか……と銀行は思ったが、次の瞬間、嫌な予感がして押し黙った。
「どうしたのォー?銀行、なんか急に変な顔し始めちゃってェ!」
 商事は呑気に肴をつまみながら、不思議そうに彼を覗き込んだ。
「いや……八幡さんの……長官や技師さん達って、この釜石さん買収の話、聞いてるんでしょうかね……
「えぇ?流石に流石にー!報連相くらいはしてるでしょ!ていうか、もう八幡ちゃん帰っちゃったし、仕事のことなんか忘れちゃって飲もうよ!」
 そういうと商事は手を叩いて女将を呼んだ。追加分の熱燗でも頼むつもりなのだろう。
 まぁ、商事の言う通り、自分の仕事には関わらないからいいか……銀行も、不安を心中に残しつつ、首を振って切り替えた。