mishiadd
2024-09-05 09:19:48
3886文字
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宮本伊織は生きにくい:吉原嫌い

逆ナンされる性嫌悪のある宮本伊織とさすが古い付き合いの助之進の小噺。(+セイバー、宗矩殿)

吉原に助之進の馴染みの水茶屋がある、というので連れ立って行った帰りだった。そもそもは宗矩が助之進に誘われたものだったが、たまには一緒にどうだということで伊織とセイバーもついていった。
正直、セイバーからしても団子の味は中の下、というところで――やけに餡子の味が薄かった――出されたものに当然文句は言わないし、「旨い旨い」といつも通りぺろりと平らげたが、なぜ助之進がそこまで贔屓にしているのかはわからずじまいだった。

由を聞いたのは四人が帰路についてからである。曰く、

「たまに給仕で入っている娘がとてもいい」。

聞いた途端に「そんなことだろうと思った!」と嘆いたのはセイバーであり、宗矩は「では、今日ははずれであったかな。実に無念」と助之進の話に乗ってやり、伊織はといえば黙り込んでしまう。たっぷり間を置いてから、「おまえはまた」と低い声でぴしゃりと叱りつける。
出逢ったばかりの頃のような剣幕に無関係のセイバーが一瞬びくりとし、助之進は「ひゃあ」と情けない声をあげた。

「そうやってあちこちにちょっかいを出しては苦情を受けているだろう。いつになったら改めるのだ」
「俺ァちょっかいなんざ出してねえよ伊織さん。ただこう……遠くから眺めてるだけで……
「それを『ちょっかいを出している』というのだ。そうやって知らぬ者にじろじろ見られたら気味が悪いだろう。相手の気持ちを考えろ」
相手の気持ちを考えたら声を掛けられなくてこうなっちまってんで……

ますます情けない声で助之進が言う。

「そりゃあ伊織さん、アンタみたいな見てくれだったら、遠くから見てる暇があったらさっさと相手に声を掛けた方がずっと話が早い。しかし普通はそういうわけには、いやあとてもとても」
「誰が声を掛けろと言った。迷惑を掛けるなと言ったんだ」

のらりくらりと冗談のようなやりとりをしながら大通りを歩いていると、数人の見知らぬ女達とすれ違った。そのうちのひとりが足を止め、わざわざ振り向く。

「あら、そこの若いお侍のお兄さん。落とし物をしましたよ」

四人ともが足を止める。言いぶりから、恐らく伊織のことだろうと他の三人が目を向けたので、彼だけのこのこと道を戻る。「かたじけない」と女に礼を言いながら、何を落としたかと道を見下ろす。――見る限り、なにも落ちていない。

おや、と伊織が訝しげに首を傾げると、女に袖を掴まれる。すわスリの類か、と伊織が構えたが、そうではないようだった。
しゃなり、とやけにしどけない身振りで、伊織に身をすり寄せてくる。え、と伊織が思わず身を引くと、クスクスと笑って見ていた他のふたりの女も近づいてきた。いずれも歳の頃は伊織よりやや上のように見えた。

「あはは、さっきすれ違っただけでびっくりしたけど、近くで見たら本当に色男」
「本当に綺麗な顔。ねえ、お若い浪人さん」
「こんなところをうろついてるんだもの、顔に似合わず結構なスキモノなんだろ? どっかのお気に入りの娘の帰りかい」

その言葉に伊織の表情がやや曇る。「わざわざ偽りを申して俺を呼び止めたのなら、俺はもう行く」と端的に告げて、女の縋っている袖を振り払おうとしたが、うまくいかない。
やがて女が伊織の手を握って言った。

「ねえ、浪人さん。――金に困ってないかい? あたしが一晩買おうか? あんたなら相場の五倍でもいいよ」
「あはは、そりゃあいい! いいね、このあばずれ女と一緒にあたしのことも相手してくれるんだったら、更にその二倍で上乗せだ」
「あんたたち一晩で破産する気かい! ――ああでも、本当にいい男だね。このまま行かせるのはもったいない。……ねえあんた、いいおたなを紹介しようか? あんたも金が稼げる、あたしたちもあんたのとこに通える、お互い損しないじゃないか」
「どうせあんたもここらへんで女を買ったんだろう。あんたならわざわざ買うことはないよ、女の方があんたに抱かれたくて金を払うよ。あんたみたいな別嬪なら客だって選び放題さ、身の程知らずのブスはお呼びでないって追い返してやりゃあいい」

一方的に捲し立てて甲高い声をあげて笑う。目尻に滲んだらしい涙を指先で払ってから、はたと女のひとりがようやく伊織を見遣る。伊織の皮膚の薄い白い顔が――蒼白になっていることに気付く。

……あんた? どうしたんだい?」

ぽかんとして声を掛けた女の前に割って入ってくる者があった。「やあやあやあ」とやけにおどけた声を出し、女を伊織から引き剥がす。棒のように突っ立ったままの伊織を背後に隠して庇い、女達に笑顔を向ける。助之進だった。

「いやはや悪いねえ姐さん方! この人ちょっと苦手でねえ、せっかく声掛けてくれたところ実に申し訳ない」
「あら、そうなのかい? もったいないねえ、この見てくれならよりどりみどりだろうに。……ちょっと試してみたら、変わるかもしれないよ? あたしが治してあげようか。これでも結構評判はいいんだ――
「お、そうかい? それなら俺がよろこんでお付き合いするぜ。この兄さんに払うって言ってた五分の一でいいや。へへ、つまり相場だ」
「莫迦お言いでないよ、そんならあんたがあたしに金を払うんだね」

あはは、と笑うだけ笑ってようやく女達がその場を去っていく。その後ろ姿を眺めながら、「ふひい」と一仕事終えた助之進が額を拭った。背後を振り向く。酷く蒼褪めた顔をしたままの伊織が、助之進を見た。口許を覆っている大きな手が震えていることに、助之進が気付く。

「伊織さん? ――あ」

気付いて助之進がまだ離れたところにいるセイバーと宗矩を見遣る。心配そうに遠目に見ていたセイバーが何事かと駆け出そうとすると、助之進が声を出さずに口だけを動かして伝えてくる。――「伊織さん、吐きそう」。

わわわ、と慌てたセイバーが宗矩を見上げる。宗矩がゆったりと伊織と助之進に歩み寄り、しゅるりと手拭いを手渡す。助之進に背中をさすられながら、伊織がふらつく足どりで路地裏へと入る。大通りに残ったセイバーと宗矩の耳に、けほけほと伊織の咳き込む苦しげな声だけが聞こえてきた。
やがて、宗矩に借り受けた手拭いで口許を押さえた伊織が、助之進に体を支えられながら大通りに戻ってきた。顔色はまだ戻らないまでも、手の震えは止まっていた。

はあ、と物憂げに目を伏せた伊織の横顔に、セイバーが気遣わしげに声を掛ける。

……イオリ? どうしたんだ? ……大丈夫か?」
「あー……

まだ話せる状態になさそうな伊織に代わって、言いにくそうに口を開いたのは助之進だった。

「伊織さん、まあ多分アンタとか、あの綺麗な女剣士みたいなのはきっと大丈夫なんだと思うんだが」

長屋に連れ込んでるくらいだし、と目を泳がせてから、助之進が言った。

「ああいう歳上の女が苦手なんだ。――迫られると、どうも具合が悪くなっちまう。知り合ってからずっとだ」
「助之進、すまん。――また迷惑をかけた」

ようやく言葉を発した伊織の声が掠れている。けほ、と軽く咳き込んでから、宗矩の手拭いで口許を拭う。それからそれをわずかに汚してしまったことに気付いて伊織が申し訳なさそうな顔をしたが、宗矩はただ鷹揚に微笑むだけだった。

「歳上の女――

セイバーが反芻し、心配そうに眉根を寄せながらも、事実関係を確かめるように問う。

「でもきみ、ムサシや――
――太夫は平気だ。……つまり、その」

きょと、と言いにくそうに伊織が目線を落とす。セイバーにはなぜか、伊織がひどく脆くてか弱い生き物のように見えた。――獲物側の生き物
ああ、と宗矩が合点がいったように、ゆったりとした口調で言った。

「『欲』を向けられた途端に嫌悪せざるを得なくなる、と。そういうことであるかな、伊織殿」

足元に視線を落としたまま、わずかに伊織が目を見開く。かっと耳のあたりがかすかに赤くなったのを、セイバーは痛々しいと感じた。

「昔――

伊織が、ぽつり、と言葉を漏らす。
「イオリ」とセイバーが気遣わしげに呼び、助之進が「伊織さん」と警告するように呼ぶ。宗矩は柔和な笑みを浮かべてただ聞いている。

びいどろをやるからと言われたことがあった。……カヤに、やろうと思ったんだ。――それで、」

「イオリ、もういいから」とセイバーが小さな声で言う。それが聞こえなかったのか、伊織が続けた。

「化粧の――おしろいのにおいが、臭くて――全部、全部臭くて、怖くて、痛くて、気持ち悪くて」
「イオリ」
「伊織さん。――もういいよ、大丈夫だ。もう、行っちまったよ。女たちは行っちまった」

伊織が顔をあげる。それからようやく自分が何を口走っていたのか気が付いたように、三人の顔を見まわした。それから、ぽつりと「すまん」と謝った。
セイバーがほっとしたように小さく息を吐く。伊織が汚れた手拭いを畳んで懐に入れようとしたのを宗矩が受け取り、そのまま自分の懐にしまった。「んじゃま、」と助之進がどこか間延びした声で言う。

「浅草に帰るかあ」

ぽつぽつと大通りを歩きながら、やがてゆっくりと助之進が歩幅を狭める。前を歩く伊織と宗矩に聞こえないような小さな声で、こっそりとセイバーに耳打ちした。

「そういうことなんで。――あとはアンタによろしく頼んだぜえ、正妻さん

少し考えてから、セイバーが力強く頷いた。

「ああ」






吉原嫌い・了