inte9rer
2024-09-04 21:16:12
5521文字
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『亜空間より、君に一目』第三話

 突如現れた亜空間の八幡と、それに絶句する後輩たち。
 彼らは、眼の前の八幡をこの世界から帰すための方策を、一緒に考えようとしていたはずだったが……?
 八幡ルート編開始。


「はぁああぁ〜ッ!?」
「あぁ……
 戸畑──東洋製鉄、戸畑製鉄所の絶叫が長官舎前の屋外に響き渡る。それと同時に、官営二瀬炭坑からため息まじりの嘆きが聞こえた。官営八幡製鉄所は黙ったまま、ムスッとした顔で二人を見た。事務員が心配そうにこちらを振り返ったが、二瀬が首を降ると、そのまま元の持ち場へ帰っていった。



 戸畑が部屋に入ってくるなり八幡へ声をかけたのは、彼曰く、事務所の辺りを探して八幡が見つからなかったので、きっとこの事務室にいると思って来たからだということだった。その言葉に不安に思った二瀬が、事務所の周りを巡回している警備員や、夜勤組と交代し始めていた職工たちに話を聞きに行くと、今日は朝から一度も八幡の顔を見ていないと皆口を揃えて言うのだ。八幡はよく朝食の前にこの製鉄所の内部を散歩して回る習慣があるし、加えて人に挨拶するのを欠かさない彼が、誰にも見られていないというのは奇妙なことである。
 そこで二瀬が口にしたのが次の言葉だった。
 もしかして、自分たちの知る八幡と、今自分たちの眼の前にいる八幡は入れ替わっているのではないかと。
 そして、八幡が戸畑に向かって自己紹介するなりあげた絶叫が、この冒頭であった。

「ちょっと、貴方、先程から騒がしすぎませんか?これがこの世界の戸畑なんて、到底──」
 戸畑は、呆れる八幡の言葉をも押しのけて言葉を続けた。
「いやいや、そんなの!ありえませんよ!じゃあ一体どうすれば元に戻るんですかーッ!? 僕は元の八幡意外、認めませんけど!?」
 無視された八幡が露骨に嫌そうな顔をする。
 二瀬は頭を抱えた。この無鉄砲な年下の言動が、今隣りに居る八幡の逆鱗をできるだけ刺激しないことを願うほかない……。戸畑が自分たちの知る八幡に拘るのも、この傍若無人ぶりを許容してくれるのが、彼くらいだからだろう。
「そうは言われましても、分からない事だらけで、何も……
 二瀬は困惑した声をあげたが、しかし、何もしないことが最も無為であることをよく知っている。なんとか次の行動を思い起こそうと頭を捻った。
「とりあえず……他の会社にも確認してみるとか」
「他の?」
 八幡の驚いたような声に二瀬が答える。
「他の……例えば知り合いの製鉄鋼会社にも同じような、我々のような存在が失踪してそれで代わりに別の容貌の存在が現れたとかいう被……えぇと、事故、いやこれも失礼ですね、うぅん……事態」
「そんなの、どうでもいーですよ!とにかく、アレです!釜石とか、神戸とか北炭とかに話を聞けば言いんでしょ!」
「──ッ!釜石!」
 すると、八幡が突然声を上げた。
「二瀬、貴方さっき、今年が昭和4年だって言いましたね!?」
「あ、はい」
 突然の質問に若干困惑しながらも二瀬が頷く。
「じゃあ、つまり、今、釜石は三井にいるんですよね!?」
「あぁ、釜石製鉄所のことですか?そうですね、三井鉱山に買収されて以降、専ら彼らの指導の元で経営されていますが……
 ますます方向性の変わった質問に二瀬の不安が──
「ならもう私たちの次の行動は決まりました!」
「は?」
 二瀬が考える間もなく、八幡は頷きながら意気揚々と答えた。
 
「釜石を三井から救い出しに行くんです!」
……
 沈黙が流れる。年下二人が……目を丸めて、あるいは思い切り顔をしかめて、眼の前の知らない顔の八幡を見た。
「はぁああぁ〜ッ!?」
 思いきりしかめっ面をしていた方の年下、戸畑が、本日二度目の絶叫を上げた。

 八幡製鉄所にとって、釜石製鉄所は憧れと恋慕の詰まった存在だ。
 彼と供にいたのは、自分が幼かった時、火入れから開始式までの一年にも満たない短い間だけだった。それでも、当時日本でも洋式製鉄所の先駆者として唯一の存在だった彼が自分に与えた影響は甚大だった。彼の教えてくれた高炉技術や平炉の運転は言わずもがなだが、それ以上に、自分が彼から与えられたのは愛情だったと信じている。
 火入れから、ずっと八幡製鉄所は失敗ばかりであった。届かない機械や、環境や資源の違いによって不調続きの機械に揉まれて、技師や職工達は気が立っていたし、子供の時分が甘えられるような空気ではなかったのだ。そんな中でも釜石はいつも優しかったし、失敗があっても彼はいつも平然とした態度で、八幡の肩を叩いてすぐに前を向かせてくれる人だった。それは、彼が今まで多くの失敗を乗り越えてきたことや、あるいは彼はあくまで田中釜石製鉄の存在で、官営八幡製鉄所の外輪にいたからだとか、色々あるのかもしれないが、それでもその余裕に満ちた態度が八幡には救いだったのだ。開始式で失敗して、世間から八幡が非難されて運転が停止されたときでも、彼は自分の肩を持ってくれたし、自分の運転再開を信じてくれていた。
 それで……八幡は、いつか自分がこの人に与えられただけの愛情と安寧を返せるだけの存在にならなくてはいけないと決意し──
「いやいやいやッ!知りませんよ、そんなのッ!」
 
「戸畑……そんな言い方は……
 八幡による愛情こもった釜石への熱い語りを、顔を赤くした戸畑が怒号を上げて遮った。二瀬が思わず戸畑に苦言を上げる。
「ちょっと!私の釜石への語りを邪魔するとか大罪なんですが!?」
 邪魔をされた八幡も、思い切り戸畑を睨みつけた。戸畑も上等とばかりにその睨みを打ち返す。
「黙りなさーい!貴方こそなんですか今の説明!釜石とか……所詮過去の英雄じゃないですか!」
「過去ォ!?ふざけないでくださいね!?釜石は今でも現役の私の太陽ですが!?」
「太陽〜ッ!?所詮市場シェア僕以下のあの男が〜!?せめて月って形容するべきですよねェ!」
「戸畑!人を下げるような物言いは辞めなさいと言ってるでしょう」
 いがみ合いになりつつある二人の険悪なムードに二瀬がなんとか口を挟んだ。
「フン!勝手に言ってなさい!いいですか!?私にとって、釜石には金では決して推し量れない価値があるんですよ」
「はぁ〜?じゃあどうやって彼を三井から救うとか言ってるんですか!?」
 口を尖らせる戸畑に、八幡が腕を組んで自信満々に答える。
「それは勿論、三井から釜石を買収するんです。官営の財力を持ってすればそんなの余裕でしょう!彼も私の系列に加えて──」
「はあぁああぁ〜、金で解決するつもりなのに、金には無い価値が〜とか、無茶苦茶ですねぇ?」
 揚げ足を取るような、戸畑の嫌味の詰まった言い方に、八幡が再び戸畑を思い切り睨んだ。
 完全に口論である。挟まれた二瀬は肩を落として額を打った。
「第一、今の釜石なんて背負ったって、到底お荷物なんですよ!ただでさえ彼のとこの設備は日露戦役時代のものが残ってるくらい古いのに、彼の会社には資金もなくて、建て替えすらせずに使ってる貧乏っぷり、まさしく負債の塊で〜す!」
 経営者主体によって生まれた戸畑らしい、現実主義的な反論に、八幡は思わず言葉がつっかえた。二瀬がなんとか八幡に助け舟を出す。
「戸畑、貴方だって八幡に抱え込まれて救われたのに──」
「僕みたいな大正生まれで新品の設備を抱えている工場は別でしょ!それにくらべて、釜石は設備を建て替えるための初期投資すら必要なんですからね!あ〜、工業会社にとって、年をとること、これはホントに罪!」
 二瀬の言葉にも戸畑は全くダメージを受けていないようだ。寧ろ若干ふんぞり返っている。
 だが、八幡も全くめげてはいなかった。
 
「いいえ、戸畑、釜石が経済的でないからこそ、この私が、釜石を救わなくてはいけないんです!」
 寧ろ、今の戸畑の言葉で自身の釜石への決意を増したほどだった。
「釜石が多くの負債を抱えているからこそ、この国一番の製鉄業者である私が彼のために投資するべきなんです」
 八幡の言葉には強い力が、その分の意気が籠もっている。戸畑も不満げながらも黙って彼の言葉を聞いていた。
「だから──」
「いや投資云々が目的だったら、別に三井にまかせておけば良くないですか?僕ら官営は税金で縛られてる上に、最近まで緊縮財政で予算会議に虐められてたんですよ?絶ッ対、三井の方がもっと使えるお金いっぱいあるし、余裕もありますって」
 我慢できたのはここまでだったらしい。戸畑が再び、揚げ足を取るような言葉を挟んだ。
「い、いや、三井財閥なんて、良くないですよ。彼らは工業系に弱いし、きっと経営も上手くいきません」
 八幡が若干目を泳がせながら言葉を継ぐ。明らかに動揺しているのが目に見てとれた。二瀬が再び助け舟を出す。
「今の内閣と与党政友会は対外に積極的ですから、予算でも軍備に関わる八幡に融通してくれるかも知れませんよ」
「フン!今更、何無駄な事言ってるんですか!?」
 戸畑がその言葉を鼻で笑って二瀬を睨んだ。
「ど〜せ!色んな言葉で粉飾したって、八幡、ようするに、貴方は釜石を独占したいだけでしょ!三井から彼を略奪したいだけ!」
 核心をついた言葉に、八幡がうめき声を漏らした。
「う……ッ」
「釜石を独占して?それで?何になるんです?白馬の王子様気取りで、彼が貴方に感謝するのを願ってる?随分、恩着せがましいこと言うんですね!」
……
 八幡は顔を歪ませて押し黙った。二瀬が顔を曇らせて八幡の方を見る。流石にこれは擁護するのが困難だ。
 たとえ子供は子供でも、戸畑は口手八丁の謀略好きな東京財界人が集う伏魔殿、工業倶楽部の申し子だ。相手の裏腹を読むことにも、論説詭弁でそれを叩きのめすことにも、官営で生真面目な人間が集いがちな八幡たちより群を抜いている。
 
 しかし、八幡は正々堂々戸畑の顔を見返して言い放った。
「白馬の王子様で、何が悪いんです?私は、私がこの世で一番釜石のことを愛しているし、彼のことを理解していて、彼のために最も良い選択をしてやれると信じているんです」
 真剣な眼差しが青くなりはじめた空の光を受けて輝く。
 八幡は、釜石が自分よりもずっと多くの苦労を背に生きてきたことを知っている。
 釜石を育んだ南部藩は戊辰戦争で幕府軍として戦ったために潰され、その苦しい時代を違法な鋳銭に手を染めてなんとか生き伸びてきた。そうして高炉が生き残ったお陰で、彼は官営製鉄所の建設地として洋式高炉が作られたものの、その計画も上手くいかずに放棄されて、結局叩き売りされる屈辱を味わった。そしてようやく出会えた長らくの相棒、田中家とも経営難で引き離されて、三井に来る羽目になっているのだ。
 失敗続きだった自分の創業期よりも長い時を、釜石は苦難とともに彼は歩んできていて、そして今まさに、彼はその苦難の第三期にいる。八幡にとって、追い詰められていた創設期の中、釜石の泰然たる愛情だけが唯一の心の支えであった。だからこそ、自分も苦難の中にいる釜石にとっての一番の支えになってやりたいのだ。
 純粋な使命感に燃えるこの愛情は、釜石の世話になった自分にしか分からないだろう。自分も、他人から理解されたいとは思ってはいない。この感情は自分と釜石の間だけにあるもので、それを第三者から独占欲だのと言われようが、別に構わない。
「田中家よりも、三井よりも!私の方が彼を経営することに優れている!だから私が彼を迎えに行く、これで全てです。独占欲といわれようが、妄執だといわれようが、私の愛はゆるぎません」
 言い切った言葉の清々しさには、遂に戸畑にも敵わなかったらしい。ムスッとして、言葉を言い返せずにいる。二瀬は八幡のその姿に驚いて、心中で感嘆した。
 
 すると、戸畑が急に二瀬の方を振り返って迫った。
「二瀬!貴方はどうなんですか!?」
 その剣幕には、有無を言わさないものがあった。
 要するに、八幡の論に言い返せなくなったから、自分を巻き込んで多数決で押さえつけるつもりなんだな──二瀬はため息をついた。
「フン!無駄なことを!私の夢は誰にも止められませんから。何を言われようと──」
「あーんッ黙ってなさーい!今は二瀬の返事を聞いてるんです!」
 早く答えないと再び口論が火を吹きそうだ。どう答えるべきか、二瀬は、暫く思案する。
「ふーたーせー……わかってますよね?現実主義の貴方なら、今の僕たちの経済状況で八幡の言ってるのがどれだけ馬鹿げているか……
「経済状況なんて!それがどうしたっていうんです!?議会でさえも、最悪勅令を持ち出して──」
「うーわッ聞きましたか二瀬!?この超然主義者ッ!民主主義への反乱ですよね!」
 二人の口論をよそに二瀬はため息をつく。
 戸畑の言い分は正直言って正論だ。どう考えたって、八幡の言動は望み薄な暴走そのものだ。でも……望み薄だからといって、何もしないのは……なにかすることよりも、いい選択だろうか。もし、それがいい事だったとして……一体何をもって、「いい」と言っているのだろうか。何がいい選択なのかは、自分にとって何が「いい」ことなのかを考えなくてはいけない。
 だとすれば、自分は──

 二瀬は──戸畑に向かってきっぱりと言い切った。
「私は、八幡の肩を持ちます」
 
 八幡が意外そうな顔で二瀬の横顔を見た。その顔は、いつもと変わらない、冷淡で生真面目そうな風貌そのもので、感情が読めない。
 戸畑は……絶句して、拳を震わせた。

「こんのッ……おバカちんがぁーッ!」
 本日三回目の絶叫を上げ、戸畑は、全速力で何処かへ駆けていった。