王の手足となり、そして目となり、カブルーはただの旅人のふりをしてこの国の内情を視察して回る。もちろんライオスが直接今年の小麦の具合を視察することもあるが、王の到来とあればみな見栄を張るものだ。カブルーはそれをかいくぐって、本当の農作物や家畜の具合を見て回るのだった。
彼は元々まめな男だったけれど、その役目を初めて聞いた時、王の側近がそんなことをするなんて、と私は少々呆れたものだ。専門の役人を雇えばいいのに(まぁ、農民は役人にもいい顔をするものだが)、あの王とカブルーはそうしない。それほどまでに周囲の人間が信用できないのか、それともカブルーが信用されすぎているのか、私には分からないのだけれども。
カブルーが黄金郷の農地を見回って半月が過ぎた。
彼は出立する前私の屋敷を訪ね、いつもよりもずっと情熱的に私を抱いたが、あの男は挨拶もせずに朝もやの中に消えてしまった。まぼろしみたいなそれに私は夢を見たのかと思ったけれど、彼が触れた場所にはわずかなあざがあり、あぁ、現実だったのだと思った。とはいえ、そこに痛みはなかった。痛みを感じている暇がなかったというのが正しいのかもしれないけれど、私は痛みを感じることなく、彼を覚えていられた。私はそれをしみじみと喜ばしく思った。欲望を食われたせいで鈍化した感情で、そう思った。
予定では、そろそろカブルーが私の屋敷近くの農地に戻ってくる。というのも、近頃仕舞い込んでいた使い魔をやると、多分明日ごろ彼は王に謁見するとの情報が入り込んだからだ。けれどあの男のことだから、その前に私を訪ねるだろうことは分かりきっていた。彼は優秀な役人だったが、その前に情熱的な若い男でもあったので、きっとこの屋敷で農地の状況を取りまとめ、私を抱き、それからライオスに会いに行くだろうと思ったのだ。自然と、口元がほころぶ。カブルーは私を愛している。それは再び芽生えた欲望が望むものではなく、彼の表情などから読み取れるものだった。そして私も彼以上に、彼を愛しているのだった。それこそ欲望を食いちぎられていなかったら、いてもたってもいられず彼に走り寄ってしまうくらいに。
(でも、結局することは同じか……)
欲望を食われても、食われていなくても、どちらにせよ私は恋人を訪ねようとしていた。彼がこの屋敷にやってくる前に、驚かせようと思っていた。自分を餌にして、彼を喜ばせようとしていた。
使い魔が、近くの農地にカブルーがたどり着いたと私に言う。私はそれを聞いて、身を清め、目立たないが清潔な服を着て、屋敷を出た。
早く彼に会いたかった。それが欲望のかけらから生まれた大きな欲望だと気付いたのは、家を出てからだったが。
昼過ぎ、乗り合い馬車に乗り、ゆっくりと西に向かって坂を登り穀倉地帯に行くと、収穫を終えた農地では未亡人が落ち穂拾いをしていた。私はそんな彼女らを哀れに思うこともなく(欲望と同時に、そんな感情は消えてしまっているのだ)、カブルーを探して歩いた。使い魔の情報では、彼はこの村にいるはずだったからだ。
でも、その村は中央に進むにつれ少しおかしくなった。みなどこかそわそわしていて、村長から墓守までが水を汲んだり、小さな家に焚き木を運び込んだりと忙しくしているのだ。
一体何が起こっているのだろう? 私はカブルーを探すのをひとたびやめ、その謎を探ることにする。とは言っても、水を汲み運ぶ若い女に、何をしているのだと尋ねただけだったが。
「何をしている」
「何をしているって、赤ちゃんが産まれそうなのに産婆さんが倒れちゃって大変なのよ! あなたエルフね! だったら手伝って!」
私はなぜエルフがトールマンの出産を手伝わねばならないのかと思ったが、あれよあれよという間に小さな家に引きずり込まれ、その疑問は霧散した。そこではやはり若い妊婦が干し草のベッドの上でうめき声をあげ、足を開いて「痛い! 痛い!」とわめいていた。私はそれに少しばかり驚いたのだが、そんな私をもっと驚かせたのは彼女の手を握っていたのがカブルーその人だったことだ。癖のある黒髪、褐色の肌、海のような、空のような真っ青な瞳。半月前たくましく私を抱いたその手のひらは、今は妊婦の手のひらを握っている。
「カブルー?」
「えっ、ミスルンさん?」
「へっ、知り合いなの?」
私を家に引きずり込んだ若い女が驚いたように、彼と私を交互に見る。私はとんだ再会になってしまったなと思った。本当は、彼を驚かせたかったのに。いや、今も結構驚いてはいるだろうが。
「いいえ、今はどうだっていいわ! あなたエルフなんでしょう! 魔法で痛みを取り去ってあげて!」
「ミスルンさん、絶対に転移術は使わないでください!」
一体トールマンはエルフをどう思っているのだ、カブルーは何を恐れているのだ、私は少し立腹しかかったが、それすら欲望とともに食われた感情だったのかじきに怒りはおさまった。
そこから先は忙しかった。私は家庭教師から教わった痛み消しの魔法を唱え、念のためいつも持ち歩いている薬草を煎じて妊婦に飲ませた。妊婦はそれでも痛い痛いと叫んでいたけれど、もう長いこと苦しんでいたのだろう、じきに赤ん坊が生まれた。みながそれを喜び、村長も、墓守も、真っ赤な子に祝福を与えた。そしてそれはカブルーと私も変わらなかった。
「ありがとうございます、旅のお方たち。あなた方もどうぞこの子に祝福を」
さっきまでわめいていた妊婦は冷静さを取り戻したのか、そんなことを言った。カブルーはそれに簡単な祝福の魔法をかけ、私も同じような魔術で赤子のこれから先を祝った。カブルーは良かったですねぇと妊婦をねぎらい自らの汗をぬぐい、あなたが来てくれてよかった、と私を見た。でも、その目は何かをたくらんでいて、私は少しばかり警戒したのだけれど。
村に新しい仲間が生まれた祝いは、夜になっても続いた。カブルーはその中心にいたが、私は興味が持てず酒飲みが使う、空の下に並べられた、干し草のベッドに寝そべっていた。でも、彼はすぐに私を見つけてしまう。エールの入ったコップを両手に持って、私の機嫌をとりに。
「疲れましたか? だったら一杯どうぞ」
「疲れてはいない。でももらうことにする」
私はそう言って身体を起こし、エールを受け取った。そうして一口飲み、空に光る星や月を眺めた。
「収穫量の調査をしていると、ちょうどお産が始まってしまって。俺も駆られたんです」
「そうか」
「知ってますか? あなたがお産に立ち会ったことで、あの赤ん坊は祝福された子と呼ばれてる。あなたが東方からやって来た博士みたいだって。おまけに誰よりも美しいと来てますからね」
カブルーが笑う。てらいもなく私の容姿を褒めるだなんて、彼も酔っ払っているのかもしれない。めでたいことだが、計画が狂ってしまったな。私はカブルーを驚かせてやりたかったのに。彼がいつも、私を驚かせ喜ばせるようにして。
「今日はここで寝ましょうか? 星がきれいだ、月も。あなたも」
「旅が続いていたんだろう? きちんとしたベッドで寝なくていいのか」
私がそう言うと、カブルーは笑って私の名を呼んだ。そうして、「ここなら、あなたの隣にいられるから」と、甘ったるく笑った。
褐色の肌の指が伸びる。それは私のかさついた唇をなぞり、宴が続くなか、彼はそっと私に口付けた。エールの味がする。それから、彼の味も。
私たちは寄り添って眠る。手を繋ぐだけで、何もせずに。でもそれでもよかった、私は彼に触れられていたら、それでよかった。カブルーは再会を喜んでいるようだったし、それは私も同じだったから。
私は少しだけ王に優越感を持って、焚き火を囲んで踊る村人の歌声を背景に彼の手のひらに口付けた。少し香ばしく甘い体臭がする。それは私を眠りに誘い、結局、旅に疲れたカブルーに起こされるまで、私は彼の手のひらを掴んで眠っていたのだった。
いのちの生まれたところで、彼の鼓動を感じ、眠っていたのだった。
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