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雪貴
2024-09-04 04:04:00
2905文字
Public
RotR
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鰭にまみれた男の噂
TLでお見かけしたモブの会話から始まるお話をお借りしました。高主♂です。
「あの隠し刀って呼ばれてる浪人、頼めば何でもしてくれるらしいぞ」
「ほんとか? それなら夜伽とかもしてくれんのかな」
「夜伽だあ? なんでも大層腕は立つが顔中に刀傷が残る醜男と聞いたぞ」
「そうなのか? 俺は男でも見惚れるほどの別嬪だと聞いたんだが」
「俺が聞いたのは身の丈一間を超える筋骨隆々で禿頭の大男だな」
「それは武田物外殿ではないか?」
「
……
そうかな
……
そうかも
……
」
「私は幽鬼のように蒼白い顔をしたひょろ長い細身の男だと聞いた」
「そんなので腕が立つもんかね」
「俺ぁ遊郭に入り浸ってて太夫殿と良い仲なんじゃないかって話を耳にしたな。そんな奴が醜男なもんか」
「太夫ってあの薄雲太夫か?! なんて羨ましい
……
顔繋ぎでもしてくれんだろうか
……
」
「してほしいなあ
……
」
「行きてえなあ、遊郭
……
」
「面白い噂だなあ。他にも何かあるのか?」
「他かあ
……
そうだなあ、飯より何より犬猫が好きと聞いた気がする」
「屋根の上を走ってたとも聞いたな。忍の者なのか?」
「あとはそうだな
……
変わった色の瞳をしてると聞いた」
「ああ、それなら俺も聞いた。どんな色とまでは知らぬが
……
異人の血でも引いてるのか?」
「そればっかりは本人に聞くしかないだろうな。俺でも聞いたことがない。ま、あいつが話さないというなら聞きもせんが」
「なんだあんた、その浪人に会ったことでも
……
」
「
……
? どうし、た
……
」
「あ
……
」
──中華街の一郭にある、とある飯屋に男達はいた。
奇兵隊での鍛練を終えた男達は、運ばれてくる料理を待つ間、ふと道行きで聞いたとある浪人の噂で盛り上がっていた。
隠し刀という風変わりな呼び名は、奇兵隊で少し耳にした。曰く、すこぶる腕の立つ男である、と。そしてその腕の良さを見込まれて、時折上の方々からの依頼をこなしているのだと。
ただそれ以上の話はとんと聞かず、男達のような下っ端は顔も声も拝んだことがない。もっぱら、上の方々としか交流が無い、謎多き人物である。
街中でもやけに腕の立つ浪人の噂は聞くが、どこぞの人斬りやならず者の噂と混じり合いどうにも判然としない。だからこそ、こうしてああでもないこうでもないと、尾鰭に背鰭に胸鰭までつけて盛り上がっていた次第だった。
のだが。
「ん? どうした? 俺に気にせず続けてくれていいぜ。まあ
……
続けられるもんならな」
「あ
……
た、高杉
……
さん
……
」
「なん、なんで、ここに
……
」
「なんでも何も、俺の島に俺がいて何かおかしいか?」
「いえ
……
あの
……
」
「と、というか、いつからここに
……
?」
「さてね
……
夜伽がどうこう、というところから耳にした気がするが。
……
で? その浪人が」
──なんだって?
下っ端とはいえ、これでも奇兵隊の一員である。いつの間にか(むしろ最初から居たのかもしれないが)隣りの席に腰掛けていた美丈夫が誰であるか、知らぬ者はいない。
彼等が着いて行くと決めた、高杉晋作そのひとである。
本来であれば、尊敬する彼に直接声を掛けられたと色めき立つところであるが、男達は一様に押し黙り、固唾を飲んでいた。
静かにこちらを見詰める高杉の顔を、恐る恐る見遣る。目元と口元は笑みの形に歪んでいるが、黒檀の目は至極冷ややかだ。
これが他の上役だったならともかく、まさかの高杉の登場に、男達は内心「あ、これ終わったな
……
」と気持ちを同じくしていた。
なんせ噂の浪人は、この高杉と懇意の仲であるらしいのだ。更には高杉どころか、長州藩士のまとめ役である桂とも親しいと耳にした。そんなお歴々と関わりの深い浪人の、噂とはいえ耳障りの良くない話をべらべらと続けていたのである。
これは、まずい。
そう思い、知れず身構えた男達だったが。
「
……
ま、ここであれこれ長話してちゃあ他の客に迷惑だろう。せっかくの飯も冷えるしな。じゃ、俺はこれで失礼するぜ」
特にこれといったお咎めもなく、高杉は席を立つ。
呆気に取られたのも束の間、慌てて「飯代は俺が!」「いや私が!」と我に返った男達に、軽く「じゃあ頼む」と一言だけ残し、高杉は颯爽と店から出て行った。
「
……
俺
……
首飛ぶかと思った
……
」
「私も
……
」
「目がよお
……
全然笑ってなかったよな
……
」
「
……
胃が痛え
……
食欲無くなった
……
」
いつの間にか運ばれてきていたまだ湯気の立つ料理を前にしても、男達は沈痛な面持ちのままなかなか手を付けられずにいた。
瞳に宿った威圧感を思い出し、身体がぶるりと震える。
何も言われないのが一番怖い。
鳥肌の立つ腕を擦りながら、男達はしばらく無言のまま冷めていく料理を見詰めていた。
◇
「三味の音がいつもと違う気がするな」
「へえ
……
あんたにも分かるかい」
長州藩屋敷の一室で三味を弾いていた高杉の元に、一人の男が歩み寄る。昼日中、奇兵隊の男達があれこれ噂をしていた男──隠し刀と呼ばれる浪人である。
その男は背が高く、着物から僅かに覗く腕や腿は無駄のない引き締まった筋肉に覆われている。だというのに、廊下は軋む音を一切させず、高杉も廊下の端に影が射すまで来訪に気付けなかった。
──気配に気付かぬほど荒れているのか、俺は。
いつもと違う音がするのは、あんたのせいなんだが。
そう言いたいのを既のところで堪え、そもそもがあの噂話をしていた男どもが原因かと思い直し、言葉を飲み込む。
この男についてあらぬ噂が広まっているのは知っていた。広くない土地である。その中で藩士のみならず町民や遊女や役人にまでも手を貸すような奇特な人物が、口の端に上らぬわけがない。
それでもなぜか、『大層腕の立つ男』、『頼めばなんでもしてくれる』、という部分だけが一人歩きし、今やそれがどんな男であるかなど誰も分からなくなっている。
正直これは嬉しい誤算ではあるものの、それでも良からぬ噂が流れているのには腹が立つ。しかしそれを逐一訂正しては、せっかくこの男が図らずも手に入れた匿名性を無にすることにもなる。
そう思って敢えてあの男どもを見逃し、むしろそれで今後こちらに迷惑をかけないように圧もかけた。それで済んだ話だというのに。
高杉が何かに対して苛立っているのは理解しているようで、男はほんの少しだけ尻の座りが悪そうに静かに座している。
自分が勝手にやっていることだし、わざわざ本人に喧伝するようなものでもない。そう頭で理解していても、心はささくれだったままで。
「
……
あんた、この後は予定があるか?」
「特には
……
」
「そうかそうか。じゃあそうだな
……
今日はとことん俺に付き合ってもらうぞ」
「それは
……
構わないが
……
」
「よし、じゃあまずは賭場だ。遊ぶ元手を作らんとな」
「
……
今日は金は貸さんぞ」
「そっちこそ俺に泣き付くなよ?」
荒れる心を博打で慰めるなど無粋極まりないが、そうでもしないと腹の虫がおさまらない。
困惑顔の男の腕をしっかと掴み、室内を後にする。
せめて今夜の宿代くらいは稼げますように──。
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