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ユナユナ
2024-09-03 21:04:59
3357文字
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いつか灰になるそのときまで
ドラロナ死ネタです。途中でブツ切れます
「君が死んだら、髪をひと束もらってもいい?」
そう尋ねた瞬間の彼の瞳の色を、ドラルクは今でも覚えている。
いつか灰になるそのときまで
ロナルドが息を引き取ったのは、良く晴れた、とある夏の日のことだった。その瞬間をドラルクは見ていない。それでも、目が覚めて、棺桶の蓋を持ち上げて、そうして物音ひとつしない薄暗い室内に「ああ逝ったのか」と静かに悟った瞬間のことを、ドラルクはきっと一生忘れることはないだろう。
きっかけらしいきっかけなど、何もなかったと思う。いつものようにドラルクの作った食事を食べて、いつものように口喧嘩をして、いつものようにおやすみと言って。そうしてきっと、そのまま眠るように息を引き取ったのだろう。明日のおやつはバナナフリッターがいいと、ドラルクにリクエストしておきながら。
「全く。現れたのも突然なら、去るのも突然とはね。少しはこちらの都合も考えて欲しいものだ」
ドラルクは小さく毒づいて、肺の中の空気を全て押し出すように息を吐いた。涙は出なかった。ただ、彼が夏に逝けて良かったな、とだけ思った。夏は、彼が好きな季節だから。彼の九十歳の誕生日を祝えなかったことだけが、多少心残りだけれど。
「ヌヌヌヌヌヌ」
「ああ、うん、わかっているよジョン──ロナルド君は、寝室かな?」
「ヌー」
ドラルクは棺桶から起き上がっていつもの服装に着替えると、足元にやって来たジョンを優しく抱き上げた。ダイニングテーブルの上に置かれた照明用のリモコンを持ち上げて、少し考えてからそのまま何もせずに元の場所に戻す。もう照明をつける必要がないことに気付いたからだ。吸血鬼であるドラルクには、この程度の暗さなど何の障害にもなりはしない。人間だったロナルドとは違って。
リビングと廊下を繋ぐドアを開けば、じっとりとした空気がドラルクに無遠慮にまとわりついた。家の中はいっそ耳が痛くなるほどにしんとしている。ロナルドの寝室に向かうには、この廊下をたった数歩進むだけでいい。だというのにドラルクの足はこれっぽっちも動こうとはしない。人の気配のしない場所に足を踏み出すのは思いのほか気力のいることだったのだと、ドラルクはこのとき初めて知った。
リビングと廊下の境に立ったまま、何となしに壁に目をやると、あちこちに細かな傷や汚れがついていることに気付く。あ、と思ったときにはもう、ドラルクの足は廊下へと踏み出していた。
この僅かに凹んでいるところは、怒ったロナルドがドラルクを殺した拍子に勢い余ってつけたものだ。その下にある傷は買い物帰りのドラルクが荷物の重さに耐えきれず転んでしまったときにつけた傷で、擦ったような傷はジョンが転がった弾みでつけたもの。
あの一帯の壁は半田がぶちまけたセロリジュースのせいで少し黄ばんでしまっているし、あの玄関近くの壁の傷は遊びに──本人曰く監視に──来たヒナイチがうっかり制服のボタンを引っ掛けたせいでついた傷だ。
案外覚えているものだな、と頭の片隅で考えながら、ドラルクは小さな傷跡を辿るように歩いていく。あの事務所を引き払って、このそれなりに広いマンションに越してきたのも随分と前のことだ。越してきたばかりの頃は綺麗だったこの壁も、住人が粗雑なものだからすっかり傷だらけになってしまった。敷金は諦めた方が良いかもしれない。
「まあでも、三十年暮らしているのだから無理もないことかもしれないね」
「ヌン」
事務所で暮らしていたのが三十年と少し。ここに越してきたのが、今からちょうど三十年前のこと。ドラルクたちは、ロナルドと六十年以上も一緒に生きていたということになる。ドラルクの長い生のうちのたったの六十年。それでも、情を傾けるには十分すぎる時間だった。
「
……
ヌヌヌヌヌヌ、ヌヌヌヌ」
ジョンは小さな体を目一杯に伸ばすと、不意に黙り込んだドラルクの気を引くように、その首元に自身の頭を擦りつけた。ドラルクは反射的に足を止め、ロナルドの寝室の扉が目の前にあることに少し遅れて気付く。ドラルクは礼を言う代わりに人差し指でジョンの頭を撫でると、一呼吸分の間を置いて、そっとドアノブに手を掛けた。
カチャリと、存外に軽い音を立ててドアノブが下がる。そのまま僅かに力を込めてドラを押すと、隙間からひやりとした空気が溢れ出す。そうしてゆっくりと開いたドアの先、ベッドの上に静かに横たわる人影を視界に入れたドラルクは、知らず止めていた息を吐き出した。この距離からでもわかる。あそこに横たわっているのは、もうとっくにただの抜け殻なのだと。
全身から力が抜けて、手のひらがドアノブの上を滑り落ちた。ガンだかガコンだかと音を立てて、ドアノブが勢いよく戻る。部屋に入るのがいやに億劫だった。招かれなければ入れないという吸血鬼の習性が発揮されているわけでもないのに。
静かすぎる空間のなかで唯一響くエアコンの機械音に、そういえばメビヤツはどうしたのだろうと室内に視線を巡らせる。ロナルドはエアコンをつけたまま眠ることを好まないから、つけたのがメビヤツであることはほぼ確実だ。だが一体どこに、と薄暗がりのなかを彷徨っていた視線は、ベッドの枕元あたりで止まった。
ベッドサイドの、ロナルドの顔が良く見える位置。そこにメビヤツは物言わず佇んでいた。いつもロナルドを追いかけていたその大きな瞳は、今は固く閉ざされている。メビヤツ、と呼び掛けて、遅れて違和感に気付く。妙に、部屋の中が焦げ臭い。ドラルクはハッと目を見開くと、大股でメビヤツの元へと向かう。ぐいっとメビヤツの体をこちらに向ければ案の定、あちこちからぶすぶすと黒い煙がでているのが見て取れた。恐らく回路という回路が焼き切れている。これでは修理することも叶わないだろう。
「
……
はは、まさか後追い自殺するなんてね」
思わず零れた笑いは、自分でもわかるほど乾ききっていた。ドラルクはジョンを抱えているのと反対側の手でメビヤツの頭を撫でる。石像らしからぬつるりとしたその感触に、ドラルクはまた乾いた笑みを浮かべた。
「ロナルド君があんまり撫でるから、メビヤツもすっかりつるつるになってしまったじゃないか」
傍らのロナルドに目を向けないまま語りかけ、ジョンをそっとベッドに下ろす。ジョンはほろほろと涙を零しながら、何度もロナルドの頬に頭を擦りつけていた。きっと、彼が生きていたら泣いて喜ぶ出来事だったに違いない。
──残念だったな、若造め。
自由になった両手で勢い良くカーテンを開くと、途端に月明かりが室内に差し込んで、空気中に舞った微かな埃をきらきらと美しく輝かせた。
「
……
ん?」
サイドチェストの上に、月光を浴びて鈍く光る何かがある。はて、と目を凝らしても、位置が悪いのかそれが何なのかが良く分からない。仕方がないな、とドラルクはベッドに身を乗り出すようにしてサイドチェストに手を伸ばす。ひょいとそれをつまみ上げ、それから、ひゅ、と息を呑んだ。
「これ、は」
鋏、だった。どこでも買えるような、20センチ程度の黄色い持ち手の鋏。普段から使っているものによく似ているが、この鋏は一度も使われた形跡がない。ドラルクは震える手でそれを握り締め、ゆっくりとロナルドに視線を向けた。
「
……
覚えていたのか、きみ」
出会った頃よりも格段に増えた皺と、少しだけシャープになった頬が月の光に照らされて浮き彫りになる。少しだけカサついた唇は、うっすらと微笑んでいるようにすら見えた。
この六十年と少しの間で伸ばしたり短くしたりを繰り返していた彼の髪は、今は出会った頃と同じように、頬にかかるくらいの長さで切り揃えられている。この長さならどこを切っても、きっと誰も気付かないだろう。
──君が死んだら、髪をひと束もらってもいい?
かつての己の言葉がフラッシュバックする。覚えていたのか。三十年前にたった一度だけ見せてしまった執着の欠片を、ロナルドは最期まで。
ドラルクが冷静さを保てていたのも、そこまでだった。全身から力が抜けて、崩れ落ちるように床に座り込む。膝を強かに打ちつけて、一度砂になった──(エタりました)
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