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inte9rer
2024-09-03 19:25:42
2846文字
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『亜空間より、君に一目』第二話
令和版旧釜石製鉄所はある日突然、昭和初年代の東京にタイムスリップしてしまう。
そして彼の眼の前に、死んだはずの恋人が現れて……。
べこさん(@SPBJdHliaztGpT0)の釜石製鉄所と恋の話(
http://1120.dou-jin.com/%e5%8f%b2%e5%ae%9f%e3%82%82%e3%81%ae-%e3%81%88%e3%81%b5%e3%81%84%e3%83%bc-/%e7%a5%9e%e6%a7%98%e3%81%af%e6%81%8b%e3%81%ab%e8%90%bd%e3%81%a1%e3%81%aa%e3%81%84%ef%bc%9a%e5%ba%8f
)が下敷き。
「凛々千代様?」
微笑む彼女は雪中の椿のようなのだろう。
「
……
なんだか、お顔が怖いですよ」
闇の中に、行灯だけが輝いている。障子にかかるは二人の男女の影だ。
「
……
」
男は黙って、畳だけを睨みつけていた。
人々はいつか海の彼方へ、記憶はただ波打ち際に。
やがてそれらも海の底、忘却だけが己の薬。
男のように長い時を生きる者たちの多くは
……
皆、そうやって過去と人々を忘れ去る。
男もそれをよく知っている。
「凛々千代様
……
せっかくの熱燗が冷えてしまいます」
隣に座る彼女がどこか落ち着かなそうな声で話しかけてきた。
銚子の中から湯気が沸き立ち、温かな感触が男の手のひらにおさまっている。
だが男の心の中は、永遠の氷に閉ざされたように凍てついていた。
男はこれが全て夢なのだと理解していた。
自分と亡くなった恋人の夢!もう幾度と見てきた光景だった。
男が過去に求めているのは、ただ過去だけで
……
幻覚ではない。それでも未だに自分がこんな夢にすがりついていることが、男は許せなかった。幸福な夢ほど残酷な終焉が来るのだと、男はよく知っている。
夢の終わりを待つために、できるだけこの夢を平穏に終わらせるため、男はただ黙って、この幻覚を無視しようと努力していた。
「凛々千代様
……
あぁ、そうです!一つ
……
お話したいことがあって」
急に彼女がこちらに身体を向けて楽しげに話し始めた。
男は驚いて、思わず彼女の方を見てしまう。
おかしい、いつもならただ黙って終わるはずの夢が、今日はどこか胸騒ぎがする
……
。
彼女の顔は
……
もう何も分からない。それは朧げで、もはやまとまりのない輪郭になってしまっていたが、それでも釜石には彼女の顔が見えている気がした。
彼女が、目元を緩ませて頬を赤らめている。
「実は私
……
その、帝都へ行くことになったのです!」
「
……
」
……
なんと言えば良いのか、男には分からなかった。帝都
……
懐かしい言葉だ
……
。
「先日、帝都の方から来たお客様に、三味線の腕を大変褒めて頂いてしまって」
男は黙って、彼女の話を聞いていた。胸騒ぎが、心臓に早鐘を打ち出す。
今まで何度も見てきたはずの夢で、自分には全く予想のできない話が、始まろうとしている気がした。
「それで
……
その、良かったらそのお客様の知り合いの料亭へ奉公に来ないかって、お手紙を頂いてしまって!」
彼女は満面の笑みを抑えるかのように、恥ずかしそうに目線をそらした。
男は声を震わせて彼女に聞いた。
「そんなの
……
信じて平気か?それに
……
」
彼女が
……
帝都に行ってしまったら、この三陸の地にいる自分はどうすれば良い?
男は言葉に詰まって、その先を言えなかった。なんと情けない台詞だと、自分でも嫌な気分になったからだ。
だが彼女は平然と応えた。
「平気ですよ」
朧気な幻覚の中で、彼女の目だけがはっきりと見えた気がした。
「だって、凛々千代様が迎えに来てくださりますから」
すると、眼の前の景色が、彼女と共に闇の中へ朧気に消えていった。
夜の街路に風が吹く。
街灯がレンガの歩道を照らし、傍にそびえ立つ白亜の大理石でできたホテルの窓のカーテンの隙間からは、温かな橙色の明かりがいくつも漏れていた。
鉄の靴底が、街路を規則正しく打ち鳴らす。
道路脇に見知った男と車の姿を認めると、靴音の主はやや速度を緩めて立ち止まった。
「やぁ」
靴音の主だった、栗毛色の毛髪の長駆の男が、車の隣に佇んでいた男へよびかけた。
その、体格の良い中背の男が、腕を組んだまま声の主を振り返る。
「私の頼み事で、君の手を煩わせてしまって申し訳ない
……
来てくれて本当に感謝している」
「あぁ
……
もういい、社交辞令は
……
結構だ」
男は面倒くさそうに手を振ると、気まずそうに車の方へ目線をそらした。
「どうしたのかね、牧田
……
なにか問題が?」
長駆の男の質問に、牧田と呼ばれた中背の男が困惑の顔で目を合わせた。
「その
……
どうも、しち面倒臭いことになっていてなぁ」
持ち前の低い声で、牧田は苦々しく応えた。
長駆の男が彼の目線を追って車の中を見やる。
その奥の座席には、彼ら二人の、全く知らない顔の男が眠っていた。
長駆の男の正体は三井銀行だ。彼が今日、この夜に牧田──三井合名会社の理事にして三井鉱山社長、牧田環と会う約束をしていたのは、彼が社長となっている釜石製鉄と食事をするためであった。
しかしながら、どうやら当人の釜石が落ち合う時間になって忽然と消えてしまったらしい。昨日まで、総会のため帝国ホテルに泊まっていた釜石を迎えに来た牧田だったが、約束の時間になっても彼はロビーに現れなかった。ホテルの受付にチェックアウトのことを聞くと、既に数時間前に出ていってしまったというのだ。そして、呆然とした彼がホテルから車に帰ってくると、この眼の前の見知らぬ男が寝ていたというのだ。
「それは確かに、参ったな。道理で君の車夫が見当たらない訳だ」
「おう、あいつは駅の方に回したが、どうにも
……
見つかる気がせん」
牧田が車に寄りかかりながら両手を広げた。打つ手が見つからないと行った様子だ。
「釜石の切符は俺が用意してたし、それに俺はまだその切符を渡してなかった。だからよもや駅に行ったとは思えんが
……
あれは突飛だ」
「君に負けず劣らず、ね」
三井銀行が微笑んで冗談を飛ばす。牧田は苦笑して首を振った。
「物産や他の友人と飲みに行ったと思うか?」
「可能性として、一番ありそうなのはそれだな
……
だが違うと思う」
牧田の疑問に一旦首肯した銀行だが、すぐにそれを否定する。
「少なくとも物産は、東洋レーヨンの面倒を見に行って午後休だ。それに
……
釜石は突飛だが、何も言わずに先の約束を破るほど不義理ではないだろう」
「はぁ
……
そうか、じゃあ、問題はいよいよ五里霧中だな」
牧田は深い溜め息をつく。
すると、街路から車夫が走ってくる姿が見えた。被っていた鳥打ち帽を脱いで、首を振る。
「すいません、駅の方に聞いてみましたが、それらしい人影は見ていないとのことで
……
」
「おう、だろうなぁ、しかしたとえ居たとしても気づかんだろうな、金曜の夜じゃあな」
牧田は、車から身体を起こした。
「ははは
……
まぁ、もはや我々にはどうしようもないようだ」
銀行が苦笑する。牧田が眉を上げて彼の方を見た。
「どうする?釜石に限って、なにか変なことをしている訳じゃあないだろうが、君との約束は果たせそうにないぞ」
「構わないよ。このまま三人で食べに行こう」
牧田が訝しげに銀行を見上げた。
「三人?」
「良い話し相手がいるじゃあないか」
そう言いながら、銀行は車のドアを開け、後部座席へ座る。
そして、見知らぬ男を指し示した。
「彼がね」
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