inte9rer
2024-09-03 19:21:36
5838文字
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『亜空間より、君に一目』第一話

 令和版旧八幡製鉄所はある日突然、昭和初年代の北九州にタイムスリップ!?
 八幡は三井鉱山に買収されてしまった釜石製鉄所を救うために奔走する!

 べこさん(@SPBJdHliaztGpT0)の八幡製鉄所創設期の話(http://1120.dou-jin.com/%e5%8f%b2%e5%ae%9f%e3%82%82%e3%81%ae-%e3%81%88%e3%81%b5%e3%81%84%e3%83%bc-/%e3%83%8a%e3%82%a4%e3%83%88%e3%82%a6%e3%82%a9%e3%83%bc%e3%82%ab%e3%83%bc%ef%bc%91)が下敷き。

 展開に全振りして史実の確認がおなざりななっている作品であるため、ご注意下さい。

……
 風の駆ける音が聞こえる……
 人影が、田んぼのあぜ道を歩いている。彼の後ろには大きな山があって、彼は眼の前の海原を見つめていて……
 彼が振り返ってこちらを見つけた。大きな射干玉の目は冷泉のようだ。
 私を見ながら、何かを言おうと──


 
……大丈夫ですか?」
 誰かが肩を揺すっている。
 目を開くと、いつの間にか自分は机の上で突っ伏していたようだった。
 周囲には同じような机の列が立ち並び、机の上には書類の束が……事務室だろうか。後ろの窓から、カーテン越しに白い光の筋が指している。
「驚かせてしまい申し訳ありません」
 顔を上げると、先程自分に声をかけようとした青年とそっくりな顔の人物が、こちらを見ている。
 彼もまた、青年と言えるくらいの風貌だった。眉を上げて困惑したような表情をしている。
「私はここの職員の一人ですが、貴方が事務室で寝ているのを見かけて……見知らない顔でしたので」
「ここの……職員ですって?」
 今度はこちらが困惑した気分になって、目を細めた。
 自分はたしか、昨日の真夜中に……なんだか寝苦しくなって、気分転換に事務所の周りでも散歩しようと外に出て……それで……
「えぇっと、それじゃあここは……
 青年が不思議そうな顔をしながらも淡々と答える。
……八幡製鐵所の事務所ですよ」

 官営二瀬炭鉱は、眼の前で頭を抑えている壮年の男を前に、どうしたものかと頭を捻った。
 ここは北九州の枝光に位置する、官営八幡製鉄所の事務所だ。官営二瀬炭鉱の中央事務所は、枝光からは遠く離れた東南の稲築に位置していたが、二瀬は毎朝早くに起きて炭鉱の様子を報告しにこちらへ来るのを習慣としていた。対する八幡も朝が早く、二瀬が来ると大概既に事務所に座って本を読んでいるか、どこかの掃除をしているのが常だった。
 それで、今日も習慣通りにやって来た二瀬が八幡の事務所で見つけたのが、普段や八幡が座っているはずの机で寝ていた、眼の前の見知らぬ男である。見つけた時は警備員を呼ぶべきかと思ったが、彼の服装はスーツに革靴という異様に整えられた身なりで、非常に違和感がある。それにこんな大胆なところで寝ているのなら、流石に盗人や襲撃目的の壮士ではないだろうと考えて、とりあえず彼を起こして話を聞くことにしたのだ。
 二瀬は窓の外に目をやった。そもそも、机の主の八幡は何処に行ったのか……
 
……本当ですか?でも私は貴方の顔を知りませんよ」
「はい?」
 二瀬は、頭を上げてこちらを見ている男の意外な言葉に驚いた。しかし、すぐに思い当たることがあって聞き返す。
……もしかして、役場か、政治家の秘書の方ですか?それでしたら──」
 言うやいなや、思い切り不機嫌そうに、同時にさらに困惑したように、男が眉をしかめた。
「いやいや……貴方!ここの職員なのに、私のことを知らないんですか?」
「は、はぁ?」
 二瀬は今度こそ呆気にとられて絶句する。しかし、対する男はしばしの沈黙の後に、あぁ、と急に合点の言ったような声を上げてため息をついた。
「あぁ、新入社員の方ですかね。それなら今まで私が見えていなかったから知らないのも無理はありません」
 困惑が……二瀬の頭を占めている。そして、本当に、自分は警備員を呼んでくるべきだったと若干後悔し始めている。
 男が急に立ち上がって胸を張ると、その涼しげな目元を緩ませて笑顔を作った。
 「それでしたら、驚かせたのは私の方でしたね。介抱して下さってありがとう。私がここの付喪神、八幡製鉄所です」

 要するに──きっと、自分は事務所のそばで寝てしまって、それを見つけた彼が介抱してここに寝かしてくれたのではないか。壮年の男は、寝ぼけていた頭が急激に冷めていくのを実感した。眼の前の彼は、きっと今年新しく入ってきた社員か警備員なのだろう。
 壮年の男は、八幡製鉄所の付喪神として、ずっと長い間この北九州の八幡の地に存在してきた。この土地に長らく暮らすものならば、自分の顔を知らないものはいないだろうという自負があった。しかし、この土地に来て日の浅いものには、どうにも自分の姿は見えないようだとも自覚していた。そのために、毎年来る新入社員は、すでに何年もここに努めている職員から付喪神の話を聞いた時、どうせ幽霊話だろうと眉唾に思っているのをよく見る。しかし、初めて自分の姿が見えるようになった時、先輩の話は本当だったのかと驚愕して絶句するのが、これもまた毎年の恒例行事だった。
 だから、今回もきっとそうだろうと、壮年の男は──八幡は思ったのだ。笑顔のまま、彼は口を開けて固まっている青年にむかって話し続ける。
「貴方も先輩から、ここの付喪神の話は聞いていますよね?まさにそれこそが私で──」
 話も終わらないうちから、彼はいきなりこちらに背を向けて部屋の外へと歩き出していた。

「あぁッ待ちなさい!ちょっと、まさか私を通報したりなんかしませんよね!」
 八幡が青年の腕を掴むと、青年は思い切りこちらを睨みつけてきた。
「すみませんが、私はくだらない冗談を返すほどのユーモアを持ち合わせていません」
 露骨に敵意を示している顔に八幡はどうしたものかと頭をフル回転させる。
 毎年ではないが、たまにあるのだ!こういうことが!
 自分の姿を見ても先輩の話を信じられず、急に敷地内に現れた頭のおかしい不審者だと勘違いして通報するのが!特に携帯が流行ってからは、眼の前で警察へ電話される屈辱を何度味わってきたことか──
 青年は八幡が掴んでいた左腕を振り払うと、こちらへ振り向いて、腰に結んでいた警棒を構えた。
「何の真似だ!? 我々の会社に入って何が目的だ!社会主義者か、それとも国粋主義者か!?」
 八幡は益々面食らって唖然とした。
 いつの時代の言葉選びだと困惑するしかない。どうしてこんなアクの濃い新入社員を雇ったんだ、今年の採用担当は!
「あのですねぇ!だから!言ったでしょう。私はこの八幡製鉄所の付喪神!不審者ではないし、むしろ貴方よりずっと何年もこの地に──」
「だからまず、その下らない冗談を止めてくれないか?私が聞いているのは目的だ。君の名前ではない」
「はぁあ……!」
 八幡は頭を抱えて深い溜め息をついた。
 青年が身を低くする。今にも飛びかかってきそうな気配だ。
 警戒を解くためには、どうにか証拠を示すしかないだろう。
「ならば、少なくとも私がここに長年いることを、そしてそれは貴方が生まれるよりずっと前からであることを証明しましょう!ね、貴方も太平洋戦争のことは知っているでしょう」
 青年の目が見開かれた。少なくとも彼の動きは止められたようだ。
「あの時の空襲で敵の飛行機が来た方角を知っていますか?彼らは皿倉山の東から来た。子どもたちは毎日いつも阻塞気球を上げていたけれど、結局、役には──」
「待て──空襲だとか、気球だとか、一体何のことを言っているんだ?ここは欧州でも、まして帝都でもないが!?」
 帝都!もはやめまいがしてくる致命的言葉遣いだ。八幡はげんなりしながら青年を見た。
「貴方は!そんな言葉遣いをして、一体何年生まれなんですか⁉」
 近年日本製鉄へ入ってくる平成生まれの社員たちは、皆ほとんど八幡の言うことを信じてくれる大人しい人間たちばかりであった。八幡へ向かってここまで噛みついてくる気骨のある若者を見たのは本当に久しぶりだ。
「明治三十二年だが」
……はぁあ!?」
 端的なその答えは、八幡の混乱を悪化させた。
 思考が固まる……悪い冗談としか思えないが、眼の前の青年は先程からずっと生真面目そうな言動をしているし、到底そういう悪ふざけを返す人間だとは思えない。第一、悪ふざけをするにしても、明治三十年代なんてそんな絶妙な時代を選ぶだろうか。
「あの……貴方ね、今が何年か分かっていますか」
「昭和四年だな」
「あぁ……え、ええッ!?」
 
 八幡はなんだかふらつきかけた身体を支えるため、近くのデスクに手をついて、頭を抱えた。
 慌てて周りを見渡す……デスクの上に書類が立ち並び、その前にペンや朱印が置かれている様子は、八幡が夢を見る前の令和の景色と変わっていない。
 しかし、並ぶデスクや椅子は皆木製で、奥のチェストも木製にガラス張りの、まさに什器のような見た目をしていた。手をついた机の上のメモには、独特のくずし書きで、之一纒書類者明朝鎔鑛課長ニ送付スル事……云々と書かれている。自分が座っていた、机の上に置かれたランプは真鍮の土台にミルガラスのついた古めかしいバンカーズランプだ。頭上の柱には緑色の針金で覆われた扇風機があり、エアコンや排気のための配管の影は、全く見当たらない。
 自分の覚えている事務室とは全然違う……いや、むしろ逆に、それはひどく懐かしい景色として覚えているものだった。どう考えても、現代令和日本とは思えなかったし、それと同じく、どこか別の国のオフィスだとも思えなかった。
 冷や汗が流れる。一体何が起きているのだろうか?自分は眼の前の青年が言う通り、本当に昭和の、1920年代の日本にいるのだろうか。
「あ、あぁ……
 八幡のめまいが止まらない。

「ようやく自分が支離滅裂なことを言っていたと理解したのか?」
 急に当たりを見まして顔を青ざめさせた男に、二瀬は警棒を構えながら淡々と問いかけた。
 男は口を開けたまま、呆然として固まっている。
 男が何か、大きな勘違いしているのだろうということは、二瀬にも察せられた。しかし、何故彼が八幡製鉄所だと名乗ったのかは全くわからない。二瀬にとっての八幡と、彼とは全くかけ離れた見た目をしていたし、その振る舞いも異なっている。背丈は変わらないくらいだが、眼の前の男の、鼻筋が通った意思の強そうな目元は、二瀬の知る八幡の、淡白で特徴の少ないような顔つきとは大違いだった。それに、彼はいつも淡々としていて物腰柔らかな人で、自信げに話す人ではない。
「八幡のふりをしたいのならば、顔からしてもはや別人の君には到底無理難題だ。早く諦めた方が良い」
「ふ、ふり……?待って下さい、まるで私がもう一人別にいるみたいな……しかも、顔が違うですって!?」
「もう一人?まだ自分が八幡だと言いたいのか。信じられないな」

 八幡は、そこで、ようやく自分が置かれた本当の状況を掴み始めていた。自分は、本当に昭和三年の、八幡の事務所にいるのだ……つまり、戦後大量に現れてきたSF小説のような、タイムスリップが起きている!その上、恐ろしいことには、どうやらここにいる八幡は、若い頃の自分ではない、全く別人の「官営八幡製鐵所」がいるらしい。もしかすると、自分はタイムスリップどころでなくて、別の世界にいるということだろうか。これが君津や鹿島などの若者が騒いでいた、異世界うんたらというやつなのだろうか。
 もはや意を決するしかない。とにかく……今は、この目の前の青年に、自分が本当に八幡製鉄所の記憶を持つ存在であることと、そして今からずっと先の未来から来たことを説明しなくてはいけない。

 八幡は身体を持ち直して、眼の前の青年に向かった。
「信じがたいでしょうが」
 青年が再び警棒を身構える。八幡はなんとか彼の目を真っ直ぐ見て自分の切実さを伝えようとする。
「私は貴方にとてつもないことを話さなくてはいけません」



 八幡の必死の説得によって、青年はようやく構えていた警棒をおろして、今度はずっと腕を組んでドアの傍の壁に寄りかかっている。こちらを訝しそうに見る目は未だ変わらないようだが。
 ため息を付きながら青年は呟いた。
「とりあえず……貴方がここの関係者であることまでは認めましょう」

 青年は──二瀬は、この眼の前の八幡がする、建設時の話や数年前のストライキのこと、そして製鉄合同の話の中に、おおよそ身内にしか分からない情報まで含まれているのを確かめて、彼が部外者ではないということまでは認められた。ただ、彼の言う「日本製鐵」だとか「太平洋戦争」だとか、彼曰く未来に起きるだろうという話は、全く訳が分からなかったが。
 しかし、彼の未来の話は、荒唐無稽なものではない。すでに鉄鋼業界のトラストが形成され始めている中で、遠くない未来に製鉄業者が合併するのは予想ができるし、アメリカと戦争になるという話も……まるで、世界大戦以降、日本はアメリカに虐待されているだとか騒ぎ立てる国粋主義者の言い分のような話だが、想像できないものではなかった。

 青年の言葉に、八幡はようやく胸をなでおろした。
「しかし意外ですね、貴方が生まれたのは明治三十四年の高炉の作業開始時だったと。私の知る八幡は明治三十年の、建設開始時の生まれでしたが」
 首を振る青年に、顔をあげた八幡が眉を下げた。
「明治三十年?ずいぶん早くに生まれていますね、この世界の私……あぁ、私にもそれほど長い時間が与えられたなら、もっと釜石といっしょに過ごせたし、きっと開始式だって成功させるくらい勉強したのに」
 青年はその物言いに一瞬眉をひそめたが、すぐに元の無表情に戻る。
「まぁ、貴方の身の上は一応聞けましたし、私の自己紹介もしましょうか。私は官営二瀬炭鉱、八幡の補佐役です」
 八幡は驚く。
 官営二瀬炭鉱といえば、八幡が建設される最中に、八幡での石炭消費の大部分を賄うために買収された炭鉱群から設立された官営の石炭鉱山だ。
「二瀬炭鉱って……貴方も付喪神なんですか?」
……付喪神かどうかは知りませんがね、まぁ、きっとそれに近いのでしょう」
 
「とにかく……今は早く"私たちの”八幡を見つけて報告しないといけませんね。貴方をどうするかはそれから協議しないと……
 二瀬は壁から背を離して組んでいた腕を解こうとすると、背中のドアからバタバタとした音が聞こえてきた。

「八幡ー!」
 ドカンと力いっぱい乱暴にドアが開け放たれる。
「ねー今週末は野球見に行きましょうよー!」
 室内も確認せず、ドアから身を乗り出しすようにして元気に叫ぶ少年を見て、二瀬がため息をついた。
「戸畑……ちょっといいですか?」