鹹味塗装(かんみとそう)

うちよそオスラッテのエタバン6周年に平和な食事の風景を、飯テロの練習も兼ねて

 手元の素材は無駄にしない、というのが自分の職人としてのモットーではあるが、それでもやらかす時にはやらかしてしまうのが人間というものだ。例えば、現在目の前のダイニングテーブルの上を埋め尽くす濃厚な甘い香りを漂わせる様々な種類のケーキたちは、自分自身の過ちを見事に現実のものとさせていると言える。
 ふんわりと綺麗な円形で焼き上がり積み重なったパンケーキ、隠し味にアロエを混ぜてしっかり焼き目を付けた生地と中に入れたバナナの香りが見事に調和している黄色いケーキ、並べられているケーキの中でも一際濃いチョコレートの香りを放つガトーショコラ、それらの生地の材料が余ってしまったからと気まぐれに作ってしまったメープルシロップを混ぜ込んだスイートマフィンなど……そう、ただ勿体ないからという理由でこのケーキたちは量産されてしまい、結果自分だけではとても食べられない量が出来上がってしまった。元々依頼されていた分のケーキは既に納品を終えてしまったため、これらのケーキは行き場を無くして我が家のテーブルの上に残ったままなのである。朝からキッチンで無我夢中でケーキ作りに勤しんでる自分を邪魔しないようにと、モブハントの紙の束を手に出かけていった甘味が苦手なディルがこの家に帰ってきたならば、まず家中に漂う甘い香りだけで怪訝な顔をされるのは想像に容易い。
 さて、どうしたものか。いくつか差し入れとして持っていけば喜んでくれる知り合いは思い当たるので、とりあえず引き取ってくれるかどうか連絡をとる必要がある。これは仕事以上に忙しくなりそうだと自分の愚かさに後悔しつつ、耳に付けたリンクパールに指を当てた。

 それから数時間が経ちすっかり夜になってしまった頃、各ハウジングエリアを巡りながら引き取り希望をくれた親切な知り合いたちにケーキを渡し、ついでに日頃のお礼ということでリテイナーとして雇っている兄にも差し入れとしてケーキを半ば無理矢理押し付け、その兄から実家にもあげてやれ言われたので実家まで赴き、そこで畑仕事をしていた姉に久しぶりのスイーツということでハイテンションになり手元に残っていたケーキを強奪? されて……ひとまずケーキのおすそ分けを無事に終えて自宅の前にテレポで帰ってきた。確かテーブルの上にはまだスイートマフィンが数個残ったままだった。でも、これだけ引き取ってもらえたのなら残りは自分で朝食として食べればいい。各員にはケーキのお礼として材料費のギルや手持ちの製作素材、実家の畑で採れたての野菜などを頂いたので、まずはこれらを整理して片づけないといけない。先に自宅に帰ってきたディルから夕方にリンクパールを通じてどこにいるのか確認の連絡がきたが、その時はまだ実家にいたのでその旨を伝えると、御家族によろしく伝えてからゆっくり帰っておいでと言われたので親や姉たちに自分の近況報告や兄のリテイナーとしての働きぶりを軽く話してから帰ってきたのだった。
 さて、家のドアを開けると真っ先に感じたのは昼間の甘い香りとは一変して香ばしい焼いた肉の匂いだった。恐らくディルが夕食のおかずとして作ったものだろうと推察する。ひとまずは頂いたギルや素材を所定の場所に片づけ、実家の野菜を抱えてキッチンへと向かう。そこへ近づいていくにつれて醤油の香りが強くなり、微かに味噌の香りも混ざっているのが分かった。
 そうしてキッチンに到着すると、自身の鱗と同じ色の黒いエプロンを身に着けたディルが機嫌よくシンクでフライパンなどの調理器具を洗っているところだった。
「ああ、おかえりクルウ。実家のほうはもういいのか?」
「ただいま。用事は済ませたから大丈夫だ。遅くまで待たせてごめん」
 普段食事は自分が作ることが圧倒的に多いのだが、ディルも人並みに家事が出来るのでこちらが家にいない時には料理をしていたりする。チラッとダイニングテーブルの方を見てみれば、炊き立てのほかほかご飯と出汁の香りが立つ味噌汁が二つずつ並んでいる。そしてテーブルの中央には、ラノシアレタスが敷かれた大皿の上にパリパリの茶色い焦げ目の付いた鳥のもも肉が何枚も重ねられていた。帰宅した時から感じていた醤油の香りの正体はどうやらこのメインディッシュらしい。
「夕飯は適当に作ってしまったんだが、これでもいいか?」
「構わないさ、作ってくれてありがとうディル。この野菜を置いたらすぐに食べようか」
「いや、クルウ……それが終わったら一度着替えて、手と顔を洗うの忘れるなよ? 結構土が付いているからな」
「あ、そうか……
 確かに土が付いているのは衛生的によろしくない。せっかくディルが作ってくれたんだから、今回は作ってくれた人の言う通りにするのが筋というもの。ディルがシンクで片づけをしている傍で手早く野菜をしまい、一度キッチンから離れて部屋着に着替え、洗面所で手と顔の洗浄を終えてから再び戻った。ディルもまたエプロンを片づけてダイニングに置かれたソファでくつろぎつつこちらを待ってくれていた。
「おまたせディル、これでいいか?」
「ふむ……ああ、早くこっちにおいで。お前も腹が空いているだろう? 冷めないうちに食べよう」
「そうだな」
 そうして微笑むディルに招かれ、遅い時間の夕食が始まった。流石ひんがしの国の出身とあって、白飯はふわりと甘味が感じられるほど柔らかく炊きあがっているし、味噌汁の味は味噌と魚介の出汁が小さく切られた具材の豆腐とグリーンリーキが優しく混ざり合う安心感と温かみのある味がしている。そして大皿のメインディッシュの鳥のもも肉をひと切れ貰い一口齧り付いてみると、見た目通りのパリッとした鳥の皮の奥に食べ応え充分な弾力とたっぷりの肉汁を含んだ白い肉があり、それらが醤油を中心に調味されたソースと良く絡んで舌から疲労の溜まった身体中に染み渡るようであった。このソースはディルの好みに合わせられていて少し醤油の塩気が強いように感じられるが、ふと気が付けばそのしょっぱさを中和させるかのように白飯に箸が伸びていき、口の中で鳥の肉と米粒と醤油のソースが丁度良い塩梅で組み合わさった瞬間、また肉に一口、白飯に一口と手が止まらなくなってしまった。
「どうだ? 俺の料理の腕は職人のお前ほどじゃないから、ただ焼いただけの肉で口に合うかどうか心配だったが……。ははっ、それだけ黙々と食べているなら大丈夫か」
……ああ、すごく美味いな、これ」
 ディルの方を見れば手元に彼のお気に入りのスパイスボトルが置かれていて、ソースが染み込んだ白飯の上にのった鳥の肉にはたっぷりとスパイスがかけられている。果たしてあれ以上濃い味になって大丈夫だろうかと考えたが、しかしそれは食べる本人の自由だろう。せっかくこんなに美味しい料理を作ってもらったのだし、今は互いに食事を楽しむことに集中しようと決めた。

 そして次の日の朝、予定通りに自分の朝食にスイートマフィンを食べようと予め保管していた棚から取り出すと、昨日よりも数が一つ足りないことに気が付いた。お裾分けに出かける前にいくつあるのかはちゃんと確認しておいたはずなのだが、何度数えてもやはり一つ足りない。自分はまだ一つも食べていないのに……と考え込んでから、ふと寝起きでまだ少しぼんやりとしたままダイニングのソファに座る寝間着を着ているディルをジッと見つめる。彼はこちらの視線と手元に持ったスイートマフィンに気が付いたのか、途端にパチッと重たかったはずの瞼を上げてから、バツが悪そうに視線を逸らした。
 ああ、そうか、彼もまた過ちを犯したのか! 昨晩帰宅した時に甘い香りから香ばしい香りに塗り替えられたこの家のことを思い出し、彼が好む濃い醤油の味の鳥の肉の真相に辿り着いて、思わず苦笑してしまったのだった。