【カブミス】花降る祭り

建国祭の前日城を抜け出してミスルンの屋敷に来たカブルーのカブミス。甘め。

 夕暮れ時に目覚め、空気を入れ替えるために二階の窓を開けると、色とりどりの花びらが部屋に舞い込んできた。
 風に煽られたそのうちの一枚が義眼に貼り付いたので、私は短い爪で花びらを剥ぎ取り、手のひらの上で握りつぶす。すると香りの強い汁が床に落ち、そこにきて初めて、あぁ、そういえば今日は建国祭の前日だったのだ、と思い出した。というのも、眼下には笑顔で籠いっぱいの花を散らす若い娘たち、そしてはしゃぐ子どもたちの姿が見てとれたから。
(もう、そんな季節か……
 悪食王トーデンの即位を祝って始まったとされる建国祭は、国民だけでなく、国交を持つ国の要人たちが招待され、花びらが舞う中その日を祝う。
 祝祭の目玉はなんと言っても美味い料理だ。まぁ、私には相変わらず食欲はないのだが、身分上祭りに加わらねばならない。とはいってもカブルーのおかげで私は欲はなくとも食事をすることができるようになってきていたから(彼の言う通り、満腹になってもいずれ腹は減る)、近頃はそういった集まりもそれほど苦ではなかった。
 そういえば、あの若者は、カブルーは今どうしているのだろう? 彼は王の側近で今日は祭りの前日だ、忙しく働いているのだろうか? 私はそれを少しだけ寂しく思い、あの男に会いたいと思い、こんなかけらのような欲求がまだあったのかと口元を緩ませた。
 王国の中枢で忙しく寝泊まりをする彼が、この部屋を訪れるのは難しいことだった。けれど彼は仕事に忙殺される身の上であるというのに、週に一度は必ずあの城を抜け出しては私の世話を焼き、せわしなく、熱くこの身体を抱いては日常に戻ってゆく。
 私たちは口にこそ出さなかったが、確かに肌を合わせる恋人同士だった。けれど祭りの前ということもあって彼は近頃この部屋に顔を出さず、私はそれを咎めもしなかった。そもそもエルフの時間感覚は長い。何十年も放り出されたらさすがに怒るかもしれないが、数週間なんてほんの一瞬、可愛いものだ。祭りも放っておけばじきに終わる。そうすればあの可愛い恋人は、息を切らせてこの部屋にやってくることだろう。そうしたら、きっと彼は私を身体の隅々まで愛してくれる。それをじっと待つのもいい。
 私はそんな甘ったるいことを考えて、手のひらを広げ、香りの強い花びらの汁を舐めた。食用ではないそれは喉に絡みつき苦かったが、彼のものほどではなかった。私は窓から入り込んでくる花びらを踏み、青い空を眺める。今夜は、彼は来ないだろう。だったら寝酒が必要だ。少しでも眠り入るために。カブルーはそれを不健康と謗るかもしれないが、眠らないまま建国祭を迎えるよりはましだ。
 というわけで、私は今夜のワインを求めるべく、花びらの散る街に出ることにしたのだった。祭りを控えて浮かれる街に、出ることにしたのだった。
 
 
 ワインは祭りの前ということもあって、馴染みの酒屋でもいくらか値上がりしていた。しかし私はそれに文句を言うこともなく、いつものように一瓶買って、つまみの干し肉も買い求めた。
 酒屋から出ると、薄暗くなった帰り道にはさっきよりも人があふれ、酒場ではもう建国祭が始まったかのように酒を酌み交わし、料理を口に運ぶ人も多かった。
 元々の始まりが自由なそれだ。誰も祭りの前日から盛り上がる人々を怒る者はいない。私はそれをどこか浮ついた気分で眺め、紙袋に収めた買い物を片手に、家に向かう足を早くした。
 レンガ敷きの通りを歩き、自分の屋敷に戻る。
 すると、今夜は使用人も帰したというのに、食堂にランプがともっているではないか。一瞬、とっさの癖で無法者が入り込んだのかと思ったが、考えてみればこの家の鍵を渡している男が、私には一人だけいたのだった。
 それでも念のため警戒しつつ、扉を開ける。すると扉の奥、食堂から正装を着崩した褐色の肌の恋人が現れ、彼は「ミスルンさん」と、私の名を呼んだ。「お帰りなさい」とも。
 私はそれにどう返事していいのかよく分からなくて、口をつぐみかけたが、カブルーは「食事は出来てますよ」と、ごく自然に私に向かって腕を伸ばしただけだった。
 太く、たくましい腕。それはまたたく間に、私が抱えていた荷物を奪ってしまう。私はその強引だが紳士的な振る舞いに引っ張られ、食堂へと向かう。
 閉じかけた扉をカブルーが開ける。そこには簡単だが家庭的な料理とワインがあり、彼の生活を垣間見た気になってどこか嬉しくなった。とはいえ、そんなことは口にしなかったのだが。
「お前、時間は……
「まずは腹を満たさないと」
 カブルーが荷物を部屋のベンチの上に置き、青い目で笑う。私は半ば国訓になりつつあるようなそれに口を封じられてしまい、ため息をついて椅子を引き、彼の向かいに座った。私たちの間には小さなランプがあり、それはゆらめいて、私たちをゆっくりと照らしている。
「食事をするのはいいが、仕事は」
「一時間分は終わらせてきました」
 めちゃくちゃだな、と思った。我が悪食王は気のいい男だからこうやって彼のわがままも許したのだろうが、それより何より側近が祭りの前に城を抜け出してここにいるというのがめちゃくちゃすぎる。もう関係国の要人の宴は始まっている頃だろう。そこにカブルーがいないことは、あまり褒められたことではないはずなのだが。
 でも、一時間か。食事をし、酒を飲み、そうしたらすべて終わりだ。私はそれに一抹の寂しさを覚え、もう少しともにいられたら、と思った。
 それが表情に出ていたのかどうかは分からない。でもカブルーは聡い男だったから、何もかも分かっていて、たくましい腕で私の貧相なそれを掴んでみせた。
「一時間じゃあ足りませんか?」
「何……言って……
「俺が帰ってもあなたがちゃんと食事をしてくれるんなら、俺の一時間、全部あなたにあげられますよ」
 カブルーが笑って、チキンのトマト煮を口に運ぶ。私はそれにめまいを覚えながら返事をしようとして、ワインを取ろうとして、それをテーブルの上にぶちまけてしまう。でも、カブルーはそれに動じない。私の腕を掴み続ける。
 私はそろそろとようやく見えている目を閉じ、花びらが舞う景色を思い浮かべる。
 明日は祭りだ。きっとでなくても王の側近であるカブルーとは会えない。前夜にこうやって忍ぶように会うのが、私たちの人生だった。短命種の彼とは、もっと深く会っていたいのに、それは身分上許されないのだ。
「それじゃあ、行きましょうか」
 カブルーが私の額をさすり、そこに唇を合わせる。そして私がこぼしたワインを布で拭くと、腕を引っ張って今度は唇同士を合わせる。
「お前の一時間を私にくれるのか……
 私の問いに、彼は口付けで答える。
 私たちはしばらくの間、食堂で唇を舐め合う。
 テーブルの上には小さなランプがあり、それが彼を魅惑的に映している。私は呼吸を苦しくさせながら、ふらふらと立ち上がり寝室へ続く階段へと彼を引っ張る。もう、何も取り繕えない。欲求なんてなくなったはずなのに腹は減り、彼に触れたいと思う。そんなものすべて、悪魔に食われてしまったはずなのに。
「もちろん。そのための激務ですから」
 カブルーが笑い、私を抱きしめる。かすかな体臭。私は目を閉じる。花びらが舞う中、忙しなく働く彼と、離れたところで恋人を見つめる自分を思い浮かべる。でも、でも私たちには今がある。彼が作った時間がある。だったら今日はそれに触れていよう。彼がくれた時間で、この愛しい男に触れていよう。
 私たちは足をもつれさせながら階段を上る。愛しているとも、好きだとも言わないで、ただ時間が許す限り触れていたくて、ただ、それだけで。