いを
2024-08-29 18:05:08
1295文字
Public 刀神
 

斯くして雨は分かたれる

青嵐

 刀遣いには望んで成ったのか、と問われる。〝成る〟とはね。と、青嵐は笑った。
 さあ、どうだったでしょうね。
「大和の民にとって天照は唯一無二の太陽神であり、妖魔討伐のシンボルでしょう」
 烏がどこかで鳴いている。
 眼鏡をやわらかい布で拭きながら、青嵐は目の前の人物を見つめた。
天照坐皇大御神アマテラシマススメオオミカミ。かの太陽神でさえ、名、あるいは文字として閉じ込めることができる。私はそれを言霊と呼びます」
 人類が無意識に開発した名付けという行為はこの先永遠に続いていくだろう。
「言霊の幸う国。それが今の日本です」
 モノに名付け、ヒトに名付け、そしてカミや――刀神さえ名付け続け二千年がたつ。それを呪いといわず何と言おうか。
「名がないと不便。あるいは名がなければ人間は不安になるものです」
 青嵐の手元にはからの茶碗がある。家人が急須をもつと、それを手で制した。
「あなたがたには分からぬ現象でしょうか」
 掛け軸が重みに耐えかね、千切れ落ちる。もう古いものだったから、仕方がない。
 ――刀遣いなどやめて、こちらで遊んで暮らせばよいのに。
 主人は目を細め、笑う。
「ははは。そうもいきません。いずれお世話になることもありましょうが、今は」
 ――お前は名を呪いというが、我々には当てはまらない。自由だ。なによりも。
「ええ、そうでしょうとも。全ての事象から自由です。あなたがたは生きたことがない・・・・・・・・のですから」
 呪いというものは決して悪いものではありません。
 そう言い、ゆっくりと立ち上がる。
 ――客人がお帰りだ。
 主人の声が通る。烏の鳴き声が低く響いた。
「衆の善悪の果報、皆一の業因に依て也。前世も来世もないのはひとつの理想でもありますが、それではつまらないでしょう」
 
 一陣の風が吹くと青嵐がいた屋敷は消え、ただ初秋の野が広がっている。
 青い芒が揺れ、足をくすぐった。

「あんたどこに行ってたんだ」
 髪の毛の短い青年は、眉根を寄せた。
「耄碌するにはまだ早いんじゃないか」
「耄碌した覚えはございません。趣味ですよ。ただの」
「仕事放り出してか……
「仕事は終わっているはずですが」
 眼鏡の奥の鮮やかな赤い目がすっとすぼまる。まだ二十歳にも満たないこの青年は、はたしてなにを見ているのだろうか。
「なかなかいい趣味してるな、あんた。魑魅魍魎と話してなにが楽しいんだか」
「分かりますか」
「生きてないもののにおいがする」
「なるほど。大変よい観察眼です。この件はご内密に。はい、こちらは賄賂」
 袂からゴマ団子を渡すと、青年は眉間に皺を寄せたまま大きなため息をついた。受け取ったということはそういうことだろう。
 有り難いと笑い、この場をあとにする。
 窓の外から視線を感じ、足を止めた。木の幹に一羽の烏がとまっていた。黒い目を瞬かせて。
「そんな見とがめなくてもよいじゃありませんか」
 烏はつややかな嘴をゆっくりと揺らしている。
「今どき信じるものも、あまりいますまい」
 ふと笑い、白髪の男は烏の前から姿を消した。