※注意※
・この作品は二次創作です。
・なにひとつ公式ではないことをしっかりとご理解頂いてからお読みください。
・この作品は重度の妄想で出来ています。
・登場する人物について、(特にメイン以外の人物について)解像度が低い可能性があります。
ご容赦ください。
・登場人物の設定は、一観測者の勝手な推測&妄想でできています
・軽度の暴力表現、流血表現があります。
・全部妄想です。
※すべて大丈夫な方だけお読みください。
読んだ後の責任は取りません。
地雷は踏んだら死ぬ。自分で避けろ。
―――――――――――――――――――――――――
代理店長s二作目。
こんなの見たいなーって思う場面を詰め込んだら
とっても長くなりました。
―――――――――――――――――――――――――
Unknown Black
1:
「
―――というわけで、実は今も
……」
ケンシロウがおどろおどろしい声色で言うと、「えっ」と女性客が悲鳴を上げた。
「
……どうしよう、ケンシロウさん。私の衛星、プツプツ切れるって
……」
「え、嘘!? 私のところも
……!」
「ああ、それ良くあるんですよねぇ
……」
苦笑するケンシロウに、さらなる悲鳴が次々に上がった。
どうやら彼の怪談話は今日も絶好調のようだ。
今夜のヴァイオレットフィズは、珍しい賑わいを見せていた。
二階の団体客用の大きなソファー席では、魔法少女カフェの団体がケンシロウを囲むようにして席を占拠していた。彼を指名しているのは、もちろん怪談を聞くためである。
以前の怪談イベント以降、こうして涼を求めた客がケンシロウを指名する機会が増えた。
時折二階から聞こえてくる悲鳴の数々。
ケンシロウの腕前は一級品だ。
この調子だと今夜のヴァイオレットフィズは、限定ホラーナイトになりそうだ。
ヤミーは苦笑しながらカウンターで別の客の相手をする。
どの客も怪談に興味をもって二階に上がってしまうので、一階席は割と暇だ。
二階の接客はケンシロウに任せているので、自分は無線でオーダーが入ったら届けるだけ。
暇なので、ヤミーはグラスを磨きながら二階から漏れ聞こえてくる話を聞いていた。
今日は店員も多いからと、先程までカウンターに立っていた桃園寺はキッチンに籠っている。自販機用の肉を焼くと言っていたが、実は桃園寺もこっそり怪談を聞いているのかもしれない。
あのソファー席はキッチンの真上だから、カウンターにいるよりも会話がよく聞こえるのだ。
桃園寺も怖い話が好きなのか。
ホラーを好む人間ばかりとは、日本人も物好きだなとヤミーは思う。
「
―――さて、丑三つ時も大きく過ぎたことですし、皆様も帰り道にはくれぐれもお気をつけてお帰り下さいませ」
「やだもう、そういうこと言わないでくださいよ、ケンシロウさん!」
悲鳴を上げる香月ろぎあの声が聞こえてくる。
深夜二時を回り、締めくくるようにケンシロウが言うと、ガタガタと席を立つ音が聞こえてきた。どうやら怪談の会もお開きになったようだ。
ヤミーはお客様のお見送りをすべく、扉の前に立つ。階段を降りてきた葛城司にニコリと笑いかけた。
「葛城様、いかがでしたか? ケンシロウの怪談は」
「うん。彼はプロだね。いい話しっぷりだった」
うんうんと頷きながら、満足そうに店を出ていく葛城司。
その後を、電話をしながら降りてくる香月ろぎあが続く。
『
―――そうなんです。お迎えに来てもらってもいいですか?』
どうやら恋人に迎えを頼んでいるようだ。
怖くなってしまったのだろうか。微笑ましいことだ。
満足げに、或いは、青褪めた顔をしながら、次々と退店していく客達を見送る。
一通り送り出した後、片付けをしようとヤミーが二階へ上がると、ソファー席にはまだお客様が一人残っていた。
「おや、まだお帰りではなかったのですね?」
ヤミーの声に振り向いたのは、盲目の小説家、東雲むにだった。
「はい、そうなんです。えーと
……」
「失礼致しました。ヤミーと申します」
「ああ、ヤミーさん、こんばんは。巧さんがお迎えに来るまで待たせてもらってるんです」
東雲むにはニコッと笑う。
巧さん、とは彼女の夫、東雲巧のことだ。
「ケンシロウさん、怪談とてもお上手ですね」
「ははっ、ありがとうございます!」
ケンシロウが嬉しそうに笑った。
「東雲様は怪談、お好きなんですか?」
ヤミーの問いに、東雲むには笑って頬を掻く。
「そうですね、怪談が好きというよりは、話し手さんが上手だったらどんな話でも好き、といったところでしょうか。ケンシロウさんはとてもお話が上手だったので聞き入ってしまいました」
「そう言ってもらえるとなんか、良かった。嬉しいです」
ケンシロウが照れくさそうに頭に手をやる。
「むにさん、旦那さんが迎えに来るまでまだかかるようなら、もうひと話どうですか?」
「いいんですか? ぜひぜひ!」
嬉しそうに頷く東雲むにを見て、ケンシロウが目配せをしてくる。
これは、彼女に一杯奢れということだろう。
ヤミーは小さくケンシロウに頷くと、空のグラスをトレーに乗せる。
「では、失礼致します」
丁寧に頭を下げ、ヤミーは足早に一階に降りた。
するとすぐに、ケンシロウから無線が入る。
『
―――ヤミーさん、むにさんってさっき何飲んでましたっけ?』
『
―――さっきはヴァイオレットフィズだったと思うっす』
『
―――じゃあ、違う飲み物の方がいいですかね?』
『
―――そうっすねぇ。まぁ適当に持ってくっす』
ヤミーは早速グラスを準備する。
『
―――ああ、ヤミー。そのお客さん、ヴァイオレットフィズばっかり注文してるから、同じのでいいかもしれやん』
珍しく桃園寺がそう挟み込んできた。
『
―――なるほど、了解っす』
なんだかんだ客についての記憶力のいい桃園寺の言うことだ。
ヤミーは取り敢えずヴァイオレットフィズをトレーに乗せ、少し考えてから女性の好みそうなクローバークラブと、ノンアルコールのシンデレラも追加する。
二階に戻ると、既に新たな怪談が始まっていたようだった。
ヤミーは東雲むにの横に立ち、静かに声を掛ける。
「東雲様、こちら当店からのサービスになります」
「わぁ、ありがとうございます!」
「ヴァイオレットフィズ、クローバークラブ、ノンアルコールのシンデレラと三種類お持ち致しましたが、どちらになさいますか?」
「じゃあ
……」
彼女はトレーの側に顔を近づけると、ふわっと微笑む。
「そうですね、やっぱりヴァイオレットフィズにしようかな。これ、香りがとてもいいからお気に入りなんです」
「それはそれは、ありがとうございます。では、こちらをどうぞ」
グラスを手渡すと、彼女は「これこれ」と嬉しそうに頷いた。
なるほど、桃園寺の読み通りだった。
ヤミーは余った酒をどうするか少し考え、余った二杯を無言でケンシロウに押し付ける。
「それでは東雲様、ごゆっくりお寛ぎくださいませ」
「はい、ありがとうございます」
ヤミーは盲目の彼女に丁寧に頭を下げると、一階へと戻った。
『
―――さすがっすね、桃園寺。当たりっす』
『
―――でしょ?』
ふふ、と笑う桃園寺の声が無線越しに聞こえる。
相変わらず一人気ままに肉を焼いているらしい。
コツコツ真面目に働く仕事熱心な店長代理の片割れに、ヤミーは肩を竦めると両手を上げ大きく伸びをした。
客足も落ち着いた頃だし、いつもなら店員も二人いるなら警察にでも出勤しようかと考え始めるタイミングだ。
だが今夜は漏れ聞こえてくる怪談もなかなかに興味深い。
ヤミーは出かけるのはやめにして、グラスを磨きながらのんびり店内で過ごすことに決めたのだった。
怪談話はなかなか尽きることがないようだった。
というのも、客である東雲むにも小説家だけあって、その手の話題には事欠かないようなのだ。
怪談の語り手が二人になったのだから、話が途切れることもない。
延々と続く怪談合戦は、多くが日本の怖い話のようだった。
ケンシロウも東雲むにも同じ日本出身で、話も弾むのだろう。
ヤミーは時折訪れる客の応対をしつつグラスを磨いていたのだが、いい加減磨くグラスもなくなってしまった。
大きく伸びをすると、二階への階段を上がる。
次の客が来るまでと、ヤミーは二人の側で怪談でも聞いてサボることに決めた。
「
―――私もそれから少しの間、人形が怖くなっちゃって
……」
怪談話は、どうやら東雲むにが日本の人形の話をし終わったところのようだ。
ヤミーはそれとなく二人の側に立ち、話を聞く。
「日本人形は怪談の題材になることが多いですよねぇ」
「お人形なんだし可愛いはずなんですけど、やっぱり怪談を聞いてしまうとどうしても思い出しちゃって怖くなります
……」
「そうですね、髪が伸びる人形とか、呪われてなくても普通に怖いですもんね」
髪が伸びる人形。
「
―――それは、『イチマツ人形』のことでしょうか?」
つい最近耳にしたその言葉に、ヤミーは思わず口を挟んだ。
「そう、市松人形です。ヤミーさん良くご存じですね!」
東雲むにが驚いたように声を上げる。
「この街は日本の方が多いですからね。最近耳にする機会がありまして」
「なるほど」
「ですが、聞きかじっただけでして、詳しいことはあまり」
そう言いつつケンシロウに視線を投げると、ケンシロウは待ってましたとばかりに頷いた。
「市松人形はですね、着物を着た女の子の人形で、本来は着せ替えなどして遊ぶような普通のお人形なんですよ。でも、日本には人の形に似たものには魂が宿ると考えられていて、幼くして亡くなった女の子が
―――」
ケンシロウが怪談じみた口調で話し始める。
ヤミーは耳に流れてくるその話を半分くらいに、頭では別のことを考えていた。
―――市松人形。
その言葉を聞いた時のことを思い出す。
社宅で見た、あの
……。
――――――
視界に飛び込んできたそれは、「黒」だった。
どこまでも真っ直ぐな、黒い髪。
黒曜石かオニキスかと思わせる艶やかなそれは、背中を覆い隠してしまうほど長い。
髪と同じく真っ黒なスーツに身を包み、ある種異様な存在感を放つ男の姿。
目の前にいる男が何者なのか、一瞬分からなかった。
ドアを開けた時、漏れ聞こえてきた声から、社宅にいるのは桃園寺だと知っていたはずなのに、目の前にいるのは見知らぬ男。
驚き声を上げると、返ってきたのは紛れもない桃園寺本人の声で。
一人で会議をしていたというその様子は、いつもと全く同じだった。
けれど、その目だけは、いつもとはまるで違っていた。
会話をしながら、一体これは誰なのだろうかと疑問符が頭を駆け巡る。
同じ声、同じ口調。違うのは姿形だけ。
長い髪がさらりと頬にかかる様子はまるで異国のビスクドールのようで、エキゾチックな、妖しい美しさすら放っているように見えた。
なのに、その髪の隙間から覗く目だけが、ゾッとするほど昏い。
長い髪をサラリと手で掻き上げる仕草はどこか優美なのに、こちらに向けられた瞳は闇夜に燃える篝火のように、ゆらゆらと不安定に揺れ動いていた。
不穏。不穏そのものだ。
明らかに桃園寺とは違う、別のナニモノか。
あれは一体誰だったのだろう。
まるで呪いの人形のように、どす黒い不穏なモノを放つあの男は。
あの目の昏さが、「黒」さが、今でも何故か頭にこびり付いて離れない。
――――――
「
―――長く伸ばした髪には念が籠るって言いますもんね」
東雲むにの言葉が聞こえ、ふとヤミーは顔を上げた。
『
……ストレスで髪の毛伸びる病気にかかったんよ』
確か桃園寺はそんなことを言っていた気がする。
それにしたってあの髪は伸びすぎだろう。
ほんの数日であの長さになったのだ。どれだけのストレスがかかっていたのだろうか。
籠った念を思うと、空恐ろしくなってくる。
あんなに長い黒髪は日本のホラー映画くらいでしかお目にかかったことがない。
「
……日本のホラーでは、長い黒髪というのは定番なのでしょうか?」
ふとヤミーはそう口にしていた。
「そうですね、こう、顔の前に垂らすと不気味ですし」
東雲むにが頭をぐわっと下げる。
「あ、私の髪の長さだと顔は隠れないですね、ふふっ」
手を胸の前で力なく持ち上げるようにして、彼女は笑う。
いわゆる「ユウレイ」のポーズらしい。
「まぁ定番は長い黒髪に白い服ですかね。最近で有名なところだとリングの貞子とか、その辺は全部それですし」
ケンシロウのフォローに、東雲むにはコロコロと笑った。
「昔の定番は白い着物だったんですよ。日本では死者に白い着物を着せて送り出すので」
「定番の怪談と言えば、柳の下に白い着物の幽霊が、ってヤツですもんね」
二人は話が合うらしい。互いに頷き合っている。
「なるほど、長い黒髪に白い服が日本のユウレイの象徴、なのですね」
何故だか、あの時見た桃園寺の姿が白い服でなくて良かった、などとヤミーは思ってしまった。
黒いスーツ姿だけでも相当不気味な感じがしたのだ。
もし白い服だったらそれはもう、完全にホラー映画に違いない。
ヤミーが思い出して肩を竦めると、東雲むにがニコッと笑った。
「でもヤミーさん。別に長い黒髪が全部ユウレイとか、お化けというわけじゃないんですよ?」
「ほう。と言いますと?」
「日本の昔の貴婦人はみんな長い髪を大事にしていましたから。腰より長い艶やかな黒髪は高貴さの象徴だったんです」
そう言って、東雲むにはスマホに声を掛ける。
「Hey,Siri、日本のおとぎ話のお姫様の画像を検索して?」
『♪ 畏まりました。日本のおとぎ話のお姫様を画像検索します』
そして、彼女はヤミーにスマホの画面を向ける。
「出てるかな? 日本の童話のお姫様も、みんな長い黒髪に着物なんですよ」
ほら、と見せられた画面にはなるほど、長い黒髪のプリンセスが沢山並んでいた。
みな華やかな色の着物を纏っているところが、不気味なユウレイとの違いだろうか。
スマホの画面をスライドさせていく。
どれもエキゾチックで可憐なプリンセスばかりだ。
ふと、ヤミーはその中に何となく見覚えのある色彩を見つけ、手を止める。
「おや、これは
……」
思わず片眉を上げた。
「ん、どうかしたんですか、ヤミーさん?」
訝しむケンシロウに、ヤミーはその画面を見せる。
「ああ、いやほら、これ」
画面に映っているのは、鮮やかな桃色の着物を纏ったプリンセスだった。
袖口や襟元が若葉色で、背景には黄色い丸い月が描かれている。
「このプリンセス、色合いが桃園寺のオリカクに似てるなぁと」
「あー、ホントだ! このイラスト、色合いそっくりですね!」
ケンシロウも認める類似具合だ。
あの仕事熱心な真面目な男のオリジナルカクテルが、日本のプリンセスと同じ色合いとは、偶然とはいえだいぶ興味深い。
「え、桃園寺さんのカクテル? どのお姫様ですか?」
東雲むにが興味津々で身を乗り出した。
「ああ、かぐや姫ですよ。ほら、桃色の着物を着た」
「かぐや姫! なるほど、わぁ、きっと可愛いカクテルなんでしょうね!」
彼女の少し興奮したような声が響いた瞬間。
―――ガシャン、パリーン!
派手に物が割れる音が店内に響き渡った。
「!?」
「わっ、ビックリした!」
ビクッと体を強張らせる東雲むに。
「
―――失礼致しました!」
階下から、桃園寺の詫びる声がする。
「珍しいな、桃園寺さんがグラス割るなんて」
「すごい音がしましたね。大丈夫かな?」
棚でも引っ繰り返したかのような、だいぶ大きな物音だった。
さすがに少し気になる。
「様子を見てきます。ケンシロウ、引き続き東雲様のお相手をお願いします」
「はい、もちろん」
「いってらっしゃーい」
「では、失礼致します」
手を振る東雲むにに丁寧に頭を下げると、ヤミーはキッチンへと向かった。
2:
「
―――うわ、盛大にやったっすね」
床一面に広がるほど派手に飛び散った赤ワイン。
ヤミーがキッチンへ行くと、赤紫色で染まった床に這いつくばっている桃園寺の姿があった。
その傍らには、大きなトレーが転がっている。
在庫補充の途中だったのだろう。赤ワインのボトルやグラスの残骸が辺りに散乱していた。
「手が滑ったわ。大損害出してしもうた、情けない
……」
桃園寺はヤミーの方を見ることもなく、黙々とガラス片を拾っている。
「アンタが手を滑らすなんて珍しいっすね」
「そう?」
背中を向けたまま作業するその様子に、ヤミーはどこか違和感を感じた。
いつも他の店員には必ず「怪我をするから箒を使え」と口酸っぱく言っている桃園寺が、何故自ら欠片を素手で拾っているのだろう。
「手、切るっすよ? ホウキ持って来るっすか?」
「あ。
……ああ、お願いしていい?」
やっとそれに気付いた、とでもいうように片手を上げる桃園寺。
やはり顔はこちらを向かない。
するとその時。
「
―――わぁ、それは確かに『かぐや姫』って感じがしますね!」
東雲むにの声が、キッチンにまで響いた。
ケンシロウが桃園寺のカクテルの説明をしているのだろう。
偶然の一致をからかってやろうとして、ふと、ヤミーは気付いてしまった。
彼女の声がした瞬間、ビクッと一瞬、桃園寺が体を強張らせたことに。
動揺している?
いつも悠然と構えているように見えるこの男が?
そういえば、桃園寺がグラスを割った時に彼女が発していた言葉も
―――。
「
―――かぐや姫」
ヤミーがそう発した瞬間、桃園寺が短く息を吸う。
ああ、やはり動揺しているようだ。
「桃園寺のカクテル、『かぐや姫』っていうお姫様の着物の色と、色合いがそっくりなんすよ。知ってたっすか?」
「
……いや」
「桃園寺のがお姫様って、ガラじゃないっすよねぇ」
「
………………あぁ」
笑いながら軽くつついてみたが、桃園寺は動きを止めたまま、生返事を返すだけだった。
しばしの沈黙。
上の階から、軽やかに笑う女性の声が聞こえてくる。
「東雲むにさんの声、良く通るっすね」
「
……そうだな」
床を睨みつけるようにして、未だ顔を上げもしない桃園寺。
すーーーっと、息を細く吐き出したかと思うと、思い出したようにノロノロとガラスを拾い始める。
「そういえば、
……アンタがこれぶちまけた時も、その話してたっすよね?」
「
……さあな」
一段低い声色。
気温が一気に下がる様な、そんな気がした。
向けられたままの背中が「これ以上踏み込んでくれるな」と、明らかな拒否を示しているように見える。
それが分かっていても尚、ヤミーは敢えて訊いた。
この男が動揺するモノ、それが一体何なのか、興味がある。
怖いもの見たさ、というヤツだ。
「『かぐや姫』って、何すか?」
「
……おとぎ話の、お姫様、だろ」
桃園寺の声色が、さらに低く、凄みを増していく。
この声色は前にも聞いた。
あの、餡ブレラによる襲撃事件の日に。
あの日からずっと、どこかで感じていた違和感がある。
この薄ら寒い気配を放つ男が、本当にただの白市民なのか?
緊張感で皮膚がヒリつく。
「俺は、『アンタにとっての意味』を聞いてるんすよ?」
本当に踏み込んでいいのか?
本能がアラートを鳴らす。
止めた方がいいと分かっているけれど、それでも好奇心には勝てない。
「アンタがそんなに動揺するんだ、それなりに意味があるってことっすよね?」
「
……何のことか、さっぱり」
床に飛び散ったガラス片を、桃園寺がザッザッと両手で搔き集める。
あまりにも雑な動き。手を切ろうがお構いなしだ。
早く片付けてこの場を去りたい、早くこの話題から逃げたい。そんな様子が手に取るように分かる。
だからこそ、隠されれば隠されるほど、余計に聞きたくなってしまうのが人の常というものだろう。
「そうやって頑なに否定するの、怪しいんすよね。アンタらしくないっていうか」
「
………………」
押し黙るその背中が、ある種の重力場を発生させているように感じる。
「いつものアンタなら、尤もらしいこと言ってうまく誤魔化すっすよね? それすら忘れてダンマリなんて、よっぽど何かあるとしか
―――」
「ヤミー」
言葉を遮るように、短く名前を呼ばれた。
こちらを振り向いた桃園寺と、バチッと目が合う。
ヤミーは、ヒュ、と短く息を吸い込んだ。
―――この目。
それは、ゾッとするほど昏い、澱んだ目だった。
あの日見た、「黒」の男。
目の前にいる桃園寺が、あの時の見知らぬ男の顔に見える。
重苦しい気配がヤミーに触手を伸ばすように絡みついた。
それ以上喋ろうものなら縊り殺さんばかりの重圧感。
昏く澱んだ目の底に、底知れぬ殺意のようなものが蠢いている。
強いその目に射竦められ、息もできない。
「は、はは
……」
ヤミーは思わず笑った。
これは、たぶんやってしまった。
地雷を踏み抜いてしまったようだ。
得体の知れない怪物を前にして、後ずさる。
こんなに、バケモノみたいだっただろうか、この男は。
「
……オマエ、そんなに知りたいか?」
血の底を這うような声色で「黒」の男が言った。
昏い目は深く澱んだ淵のようで、見ているこちらが引きずり込まれてしまいそうになる。
まるで魔物に魅入られているかのように、目を離すことができない。
いつもの短い桃色の髪は変わらないはずなのに、今は何故だろう。あの「長い黒髪」の姿のように見えた。
あの作り物めいた顔をした、「呪いの人形」のような姿に。
これが、この男の本当の姿だとでもいうのだろうか。
圧倒され、うまく言葉も出せない。
男は澱んだ桃色の目をヤミーに向けたまま、口の端を釣り上げる。
「
―――猫やな、猫」
唐突にそう言葉を投げかけられた。
「え
……?」
脈絡のない言葉に訳が分からず、ヤミーは喘ぐように小さく声を出す。
「猫は、好奇心が強いって言うやろ?」
そう言いながら、男は搔き集めたガラス片を手に取り、軽く握り潰した。
パキッと音を立てて砕けたガラスを、つまらなそうに放り捨てる。
「なんや、猫みたいやな、オマエ」
鋭利な角で傷つけたのか、ぽたぽたと手から血が滴り落ちる。
聞き慣れない、どこか粗野な物言い。
男は手の平に残った細かい破片を、ふぅ、とヤミーの方に吹いて飛ばす。
ガラスの粉がキラキラとその手から落ちた。
「可愛い子猫ちゃんは、おうちでのんびりしてた方がええ。下手にうろうろせんと、な?」
鋭い眼光が警告するように光る。
好奇心が強すぎると身を滅ぼす。そう言われているのだ。
手を引け、これ以上詮索するな、と。
ヤミーは浅く息を吐いた。
「
……脅迫っすか」
「いや? 違うよ?」
男はニィと笑って、今度は鋭く尖った大きな欠片を手に取る。
手を切ってしまいそうな鋭利な破片を、おもちゃのように両手で弄びながら、こちらを見て笑う男。
「
……ただ、無用な詮索は、なぁ?」
笑顔による圧力。
このやり口はよく知っているではないか。
証拠になるような直接的な表現を使うことなく、相手を脅しつけるこの手法は。
ギャング。あいつらの常套手段だ。
―――こいつ、ギャングだったのか?
いや違う。少なくともこの街では、犯罪歴一つない「真っ白」な住民のはずだ。
それなのに、この手慣れた感じは。
ヤミーは探るように男の目を見返した。
桃色の澱んだ目。
まるで、この世の薄汚い物を全部見てきたかのような目だ。
警察官である自分が警告を発している。
この男、恐らくこの街のギャング達よりよほど、タチが悪いに違いない。
対処を間違ったら、下手をすれば命がない。
極度の緊張に、冷や汗が背中を伝っていく。
ヤミーは男の発する気配に呑み込まれないように、ゆっくりと大きく深呼吸をした。
「
……そういう脅しには慣れてるんすよ、これでも」
別に、脅しつけられても今更怖くなどない、はずだ。
そのはずなのに、何故かどうしても冷や汗が引かない。
いつもの余裕がなくなっていく。
目の前の得体の知れない男に、圧倒され始めている。
「案外肝が据わってるな?」
男は感心したように、ほう、と笑みを浮かべた。
「そうか。オマエ、ポリやもんな。じゃあ、こんくらいじゃ折れんか」
思案するように顎に手を当て、軽く目を閉じる男。
小首を傾げ、長い睫毛が頬に影を落とす。
こんなに物騒極まりないのに、どこか艶やかさを感じさせるような佇まいだと、ヤミーは思った。
さらりと顔にかかる髪を掻き上げるような仕草で男は頭に手をやると、短い桃色の髪をくしゃりと掴んだ。
この仕草を、見たことがある。
あの日。
あの日もこうして、顔にかかる髪を掻き上げていた。
目の前にいる男は、やはりあの時の「黒髪の男」なのだ。
見知った、店長代理の片割れの「桃園寺紀土」などではなく。
では、この男は一体何者なのだろう。
梟と福田明宏のように、二重人格なのか。
いや。それは多分違う。
あの襲撃事件の時も、桃園寺はギャングなど少しも怖がってはいなかった。
覚悟の決まりようが最初から、白市民のレベルを遥かに凌駕していたのだ。
そもそもの性根が「白」ではありえない。
あの時の桃園寺は、目の前のこの男とシームレスに繋がっているように思える。
ならば、普段見せている姿こそが「偽り」なのか。
「
……アンタ、一体何者だ?」
ヤミーは意を決して、そう尋ねた。
男はピクリと片目を開けた。
「ほぅ、
……それを聞くか。なるほどな」
ふ、と小さく口元に笑みを作る。「おもしろい」と唇が動いた気がした。
しばしの沈黙。
探る様な視線を向け合う。
「
……もう察しはついてるやろ。それ以上、必要か?」
男が眉間に手をやって、クイと押し上げるような仕草をする。
こちらを見透かすような強い瞳。
「俺が何者であっても、店にも、オマエにも関係ない。そうだろう?」
ゆっくり諭すようにそう言って、男が手にした破片をグッと握る。
「オマエが何者であっても、俺は詮索しない。必要がないからな」
鋭い角が食い込み、ポタ、ポタ、と血が滴り落ちていく。
「
……ただし、オマエが詮索するなら、話は別だ」
ギンッと鋭すぎる眼光がヤミーを射抜く。
男はそのまま、手にした破片を強く握り締めた。
ピキッとヒビの入る音。ミシミシと力づくで、押し潰す。
まるで人など簡単に捻り潰せるとでも言いたげな顔で。
直後、バキンッともグシャッともつかない、嫌な音がした。
ヤミーの頬を何かがかすめていく。
「
……っ!」
つぅ、と頬を暖かいものが伝っていくのが分かる。
潰されて砕け散ったガラスの破片が、ヤミーの頬を掠めたのだ。
男はヤミーをぎろりと睨みつける。
口元には、変わらず何を考えているのか分からない笑み。
でも今はそれが警告の笑みであることだけはハッキリと分かる。
「調べるよ? オマエを。洗いざらい」
「いいの?」と楽しそうに口の端を釣り上げて、酷く物騒な顔で笑う。
手の中で砕け散ったガラスに目をやると少しだけ眉を上げ、男はそれを邪魔そうにバラバラと床に落とした。
パンパンと軽く払うと、煙草に火を付ける。
ボタボタと落ちる血が指先を伝い、煙草を咥えるその唇まで紅を差しているかのように赤黒く汚していく。
「俺の秘密が知りたいんやろ? いいよ。教えよか、何もかも」
ふーっと長く煙を吐き出して、口元に浮かぶ艶やかな笑み。
恐ろしい笑顔だと思った。
まるで、裏社会を掻い潜ってきた魔物のよう。
「その変わり、等価交換だ。オマエにも、それなりのものを差し出してもらう」
ふふ、と微笑んで、また煙を吐き出した。
等価交換なら、まだいい。
きっとこの男は、一つ与えたら十も二十も奪っていく。丸裸にされる。
この男の調査能力も、行動力も、十分過ぎるほど分かっているではないか。
本気になりさえすれば、隠しているものすべてを曝け出されてしまうだろう。
今まで必死に被り続けてきた「ヤミー・エンデバー」の仮面が、いとも簡単に剥がされてしまう。
得体の知れない男に、自分の情報を渡すことの危険さ。
この男には、知られたくない。
敵か味方か分からない、少なくとも今は。
ヤミーは拳を握り締めて、俯いた。
「
……さあ、どうする?」
ダメ押しだとばかりに、威圧するように低く響く声。
強い視線が抉るようにヤミーに突き刺さる。
どうやったって、分が悪すぎる。
この取引は、応じるべきではない。
「
―――分かった。降参する」
両手を上げて、ヤミーは全面降伏の姿勢を取った。
「
……ほう? 随分とあっさり諦めたもんだな」
男は訝し気に片眉を上げ、ヤミーを凝視する。
その視線が怖い。
どこまでも見透かされているようで。
「
……はぁん、なるほど
……?」
クク、と楽し気に笑みを浮かべる男。
「
……軽率に詮索しようとした、俺が悪かった」
ヤミーはグッと拳を握ったまま、頭を下げる。
煙草の煙をふーっと吐き出す音が聞こえる。
「
……ん。ま、それならええ。互いに詮索はナシでいこうや」
重力を感じさせるような低い声が、不意にいつもの穏やかな声に変わった気がして、ヤミーはゆっくりと頭を上げた。
「あー、心配せんでええよ。オマエが詮索しやんなら、俺も何も探らんし」
目の前の男は、いつもの桃園寺の口調に戻ってニカッと笑った。
もう一本煙草に火を付けると、悠然と煙草を吹かす。
見慣れたいつもの仕草だ。
「
―――ってことは、ここからは『いつも通り』ってことで、いいっすか?」
ヤミーは『ヤミー・エンデバー』の口調に戻り、敢えて訊く。
「うん。そうね、いつも通り。俺も、ヤミーも」
「
……分かったっす」
どこかホッとして、ヤミーは頭に手をやった。
「あー、ヤミー?」
「今度は何っすか?」
「ほっぺのとこ、ちょっと血付いてる」
桃園寺はちょんちょんと指差した。
「ああ
……」
ヤミーは手の甲でそれをグイと拭った。
アンタがガラス飛ばしたからだろ。そう言いたかったが藪蛇を突きたくはない。
「そういうアンタは、口紅塗ってるみたいになってるっすよ?」
「えぇ? うそん」
桃園寺も袖口で唇を拭う。
だがべっとりついているからか、その汚れは簡単には落ちそうにない。
「濡らさないと取れないかもしれないっすね」
「そうするわ」
桃園寺はよっこらせと立ち上がる。
ヤミーはそれを見ながら、ゆっくりと息を吐いた。
「
―――さて、片付けでもするっすかね」
いつもの日常に戻るためには、このガラス片と血痕だらけの惨状は相応しくない。
ヤミーはやれやれと溜息を吐く。
「これ、一応店長に損害報告するっすよ、桃園寺」
「えぇ
……、ナイショにしといて?」
「ダメっす」
怖い体験をさせられた仕返しのように、ヤミーはキッパリと言って笑った。
情けない声を上げる桃園寺に、どこか安心する自分がいる。
互いに「偽り」だらけだが、この方が、息ができる。
何も、本性を曝け出す必要などないのだ、お互いに。
ヤミーは何度かひとり頷くと、静かに口元に笑みを浮かべた。
3:
キッチンの掃除は大変だった。
誰かさんのせいで、あちこちにガラスが派手に飛び散って、それを掃き集めるだけでも重労働だ。
確かに藪を突いたのは自分だという自覚はあるが、それにしたって。
ひとまずヤミーは散らばったガラスを箒でまとめる。
集めてみると、思っていた以上にべっとりと破片に血が付着していて、思わず顔を顰めた。
大怪我でもしていないと、こうはならないはずなのだが。
そう思い、ヤミーは桃園寺を見る。
桃園寺はモップで床に零れた大量のワインを何とかしようとしていた。
綺麗に拭きあげているが、その後ろには点々と赤い痕が落ちている。
「桃園寺、先に止血しないと。後ろ、ほら」
「ん? あら、垂れちゃってる」
ヤミーが指差すと、それに気付いた桃園寺は「チッ」と舌打ちをした。
「とりあえず洗うかぁ」
流し台に立つと、ザーッと水を流して手を洗う桃園寺。
水の音を聞きながらヤミーはガラスを集め、ゴミ箱に突っ込んだ。
ガラスを捨て終わっても、水音は止まらない。
「桃園寺? 大丈夫っすか?」
「んー。ヤミー、悪いんだけどちょっとタオル取ってくれる?」
「タオルっすね」
手近にあったタオルを渡そうとして、ヤミーはギョッとした。
流し台の中が、真っ赤だった。
傷口を洗い流しているのかと思いきや、桃園寺は手の平に深々と突き刺さったガラスの破片を抜こうとしていたのだ。
まるで、肉の仕込みをしているのと同じように平然と。
「え!? ちょっと待った、何してんすか!?」
思わずヤミーは叫ぶ。
「いやちょっと。邪魔やなぁと思って」
「はぁ!? 邪魔って、いや、そうじゃなくて! いつ刺さったんすかそれ!?」
動揺するヤミーに、桃園寺は首を傾げる。
「え、いや、さっきだけど?」
「さっきって。だってアンタ、え???」
状況が状況だったということもあるが、正面から対峙していたのにここまでの大怪我とは全く気付かなかった。
せいぜいちょっと手を切ったくらいだと思っていたのに。
慌てるヤミーをよそに、桃園寺が大きな欠片を無理やり引っこ抜く。
「あー、やっと取れたぁ」
やれやれ、と呑気に言って、次の欠片も取ろうとする。
無理に引き抜いたせいで血管を傷つけたのだろう。
破片を抜いた傷口から、ぴゅうと大量に血が噴き出して、流しをどんどん赤く染めていく。
こういう刺創は、無理に引き抜ぬいてはいけないのではなかったか。
「ちょっと待て、いやマジでアンタ何やってんすか」
信じられない行動に目を丸くしながら、ヤミーは思わずその傷だらけの手を凝視する。
真っ赤に染まった桃園寺の手には、大小さまざまなガラス片が突き刺さっていた。
右手には貫通しそうなほど深く大きな穴が開いている。裂傷も数えきれない。
破片を抜こうとして余計に傷つけてしまっているのか、状態は酷くなるばかりだ。
「止血! とりあえず止血しないと」
ヤミーは慌てて救急箱を漁る。
一応包帯は入っていたが、ガラス片が刺さっている状態で止血など出来るものだろうか。
「んー、奥入ってんの取れやんなぁ。ピンセットとかあったっけ?」
慌てるヤミーをよそに、妙に冷静に言う桃園寺。
「いやいやいや。そうじゃない。そうじゃないっすよ!」
見ているこちらが具合が悪くなりそうな光景だ。
出血量からしても、まぎれもなく大怪我だ。
そういえばこの男、素手でガラスを握り潰したのだった。
こんな風になっていたって全然不思議ではない。何故それに全然気付かなかったのだろう。
「それ、絶対病院行かなきゃダメな怪我っすよ?」
「嫌や面倒くさい。いいよ包帯巻いときゃ治るって」
桃園寺は何故か渋る。
この男、病院嫌いだっただろうか?
「いや、刺さったガラス抜けないんすよね? 病院行くか、救急隊呼ぶか。どっちがいいっすか?」
今度はヤミーが桃園寺に圧をかける番になった。
破片が入ったままの状態で包帯を巻いてどうにかなるわけがない。
それに、渋る桃園寺の顔色が、どんどん青褪めてきている気がする。
「わざわざそんな、こんくらいのことでいいよ。ここに救急隊呼ぶのは、ちょっと」
桃園寺は床を見て顔を顰めた。
割れたガラスはあらかた片付けたが、まだ床には血痕点々と残っていて、事件の匂いがする様相だ。
この男、自分の怪我よりも店に厄介ごとを持ち込みたくない一心で、救急隊を拒否しているのだろうか。
「呼びたくないなら、行くしかないっすね」
有無を言わせぬ勢いでそう言うと、ヤミーは無線を手にした。
『
―――ケンシロウ。ちょっといいっすか?』
『
―――はい、どうしました?』
『
―――桃園寺が手をザックリ切ったっす。病院連れてくんで店任せてもいいっすか?』
『
―――うわ、大丈夫ですか桃園寺さん。こっちは任せてください!』
『
―――助かるっす』
用件だけ手早く伝えると、ヤミーは桃園寺の右腕を掴んだ。
「え、ちょっと、ヤミー?」
問答無用で腕の付け根を包帯でギュッと縛る。
これで少しは止血になるだろうか。
「ほら、行くっすよ。仕方ないから車出してやるっす」
恩着せがましくそう言って、まだ自力で何とかしようとしている桃園寺を流し台から引き剥がす。
途端、床にボタボタと血が落ちて、新たな血溜まりが出来た。
桃園寺がチッチッと舌を鳴らす。
床を更に汚したことに苛立っているらしい。
苛立つくらいならガラスなんか潰さなきゃいいのに。
ヤミーはそう思いながら、棚からタオルをごそっと取り出すと、桃園寺の手に押し付ける。
「さっさと行かないと、余計に床が汚れるっすよ?」
「それは、そうだけど。でもほら
……」
まだごねる桃園寺。
「いいから! 早くしないと倒れて余計に面倒なことになる」
ヤミーは桃園寺の背中をグイグイ押して、問答無用で店から押し出す。
「ヤミー、待って?」
「アンタちょっとは自分の状態をちゃんと把握しろ。そんな今にも倒れそうな青い顔して
―――」
押し問答を続けながら店を出たところで、丁度、妻を迎えにきた東雲巧が来店した。
「
……おや、お店、もう閉店でしょうか?」
「いえ、まだやっておりますよ。いらっしゃいませ」
「ああ、良かった。ありがとうございます」
ヤミーは接客モードで東雲巧を笑顔で迎える。
「
……いらっしゃいませ。どうぞごゆっくり」
桃園寺も両手を背中に隠しながら、丁寧に頭を下げた。
血の気の引いた顔をしているクセに、こういう時でも接客はきちんとしているのだから、そこはさすがだなとヤミーは思う。
それはそれとして「逃げるなよ」と、じろりと桃園寺を牽制することは忘れない。
「東雲様、奥様は二階席でお待ちです。ご案内致します」
ヤミーは営業スマイルを浮かべると、案内をするために東雲巧と一緒に店内へ戻った。
二階席に東雲巧を案内し終えると、ヤミーは改めてケンシロウに接客を任せ、急ぎ階段を降りる。
店の外へ出ると、桃園寺が扉にもたれ掛かっているのが目に入った。
背中で浅く息をしている。
「桃園寺、IFAKSは?」
「
……切らしてる」
「取り敢えずこれ使って。今車回して来るっす」
手持ちのIFAKSを数個押し付けて、駐車場へと急ぐ。
走りながら何故こんなに必死にあの男の為に奔走しているのか、とヤミーは苦笑した。
さっきまであんなに脅しつけられて、怖い目にあわされたというのに。
だいたいガラス片を握り潰すなんて正気の沙汰じゃない。自業自得だ。
けれど、目の前で見知った顔が倒れるのを見るのは、何となく嫌なのは事実だった。
警察業務を長くやりすぎて、困っている人を放っておけない性質になってしまったのか。
いや、これは多分、若干の負い目。
自分のせいで襲撃事件に巻き込んでしまった。
そのことが、多分自分の中に負い目になっているから。
目の前で倒れられるのはやっぱり見たくない、のかもしれない。
思いのほか店員達に情が移っていることにヤミーは苦笑する。
―――まぁ、アイツに貸しを作っておくのは、悪くはないし。
ヤミーはそう自分に言い訳をしながら、車を店の前に着ける。
扉にもたれ掛かったままの桃園寺を、後部座席に押し込んだ。
IFAKSがあまり効果が出なかったのか、その顔色は悪いを通り越してもはや蒼白だった。
もう、いつ意識を失ってもおかしくない状態だ。
車内に広がっていく血の匂いに急かされるように、ヤミーは夜の街に急ぎ車を走らせた。
4:
ピルボックス病院の入り口に車を横付けして、ヤミーは急ぎ後部座席のドアを開けた。
車に乗せて以降、桃園寺は一言も喋っていない。
「着いたっすよ、桃園寺?」
座席に横になったままの桃園寺は、浅く息をしたままグッタリとしている。
もはや手遅れだったか?
慌てて車から引きずり出し、ヤミーは有無を言わせず肩に担いだ。
「
……ヤミー、すまんね
……」
掠れた声で桃園寺が呟いた。まだ意識はある。
「アンタは黙ってて」
見た目よりずっしり重い男を引きずって、ヤミーは数メートルの距離を急いだ。
「
―――すいません! 急患っす! 誰か!」
病院の中へ駆け込むと、奥にいた少女がすぐに駆け寄ってくる。
「あれぇ、ヤミーさんどうしたの~!?」
「出血がヤバいみたいで、処置お願いするっす!」
ヤミーが肩から降ろすと、桃園寺はその場に力なくへたり込んだ。
「わぁ、桃園寺さん~!?」
少女らしい甲高い声で、救急隊のももみが叫ぶ。
「大変だ~! すぐ診察しますからね!」
状態を察したのか、ももみはその場で医療キットを広げ、すぐさま止血を施した。
何とか間に合った。思わずほっとして息を吐く。
場所を診察室へ移し、慣れた手つきで診察を始めるももみ。
ヤミーはそれを少し離れて見守る。
桃園寺のズタズタに傷ついた手を診て、ももみが眉を顰めた。
「すごいおっきい穴開いちゃってる! どうしたのこれ!?」
「
……キッチンで、
……転ん、じゃって
……」
桃園寺が息も絶え絶えにそう説明する。
「割れたグラスを片付けようとして、滑ってその上にダイブしたみたいっす。俺が気付いた時にはもう結構出血してたみたいで」
ヤミーはそれとなく怪我の理由を誤魔化した。
「そっかぁ転んじゃったのか、痛かったね~! でも大丈夫、ももみがバシッと治してあげますからね~!」
そう元気に言うと、ももみはピンセットを使って傷口から一つずつ器用にガラス片を抜いていく。
「うーん。奥入っちゃってるからちょっと痛いかもだけど、我慢ですよぉ~?」
ももみの声に、微かに頷く桃園寺。
時折、ビク、と体が震える。
「
……ッ、いたぁい、
……いたいですぅ、ももみさん
……」
「は~い、もうちょっと我慢! もうすぐ終わりますからね~!」
泣き言を言う桃園寺をあやすようにしながら、ももみが必死に治療を続ける。
ヤミーはその様子を、口に手を当てながら見ていた。
―――先程までアンタ、自分で平然と欠片ほじくり出してたよな???
あの姿を見ているだけに、その豹変ぶりが可笑しくて堪らない。
思わず笑いだしてしまいそうなのを必死に堪え、ヤミーは心配している風を装った。
今の桃園寺はまるで、不慮の事故でガラスが刺さってしまった哀れな男だ。
あれだけの大怪我をしていれば、情けなく喚いたっておかしくはない。
むしろその方が自然だ。「白市民」らしい。
先程までの桃園寺がそもそもおかしいのだ。あんなに平然としているだなんて。
痛覚が麻痺しているのか、それとも、痛みに慣れ過ぎているのか。
どちらにせよ、やはりあの様子は普通の「白市民」では絶対にありえない。
今のこの、情けなく泣き言を言いながら治療されている姿は、ももみに不信感を抱かせないための「演技」なのだろう。
だとしたらこの男はやはり、似ている。自分と。
何らかの理由で、周囲を欺いて生きているのだ。
ヤミーは目の前の男にほんの少しだけ、親近感を抱いた。
そして「黒」を纏うこの男の本性に、それと同じだけの嫌悪感も。
ガラス片を何とか取り除き、ももみが治療の仕上げに桃園寺の両手にぐるぐると包帯を巻く。
失った血を補うよう投薬もしてもらった。
「はい、終わりましたよ~! よくがんばりましたね!」
ももみがニッコリと笑って、桃色の頭をわしわしと撫でる。
それを嫌がることなく受け入れると、桃園寺は優しく微笑んだ。
「ありがとうございます、ももみさん。お手数おかけしました。本当に優秀なお医者さんですね」
聞いたこともないような穏やかな声色で、ももみに礼を言う桃園寺。
褒められたももみも満更でもなさそうで、嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねている。
桃園寺はどうやら、子供には特別優しいらしい。
「じゃあ、店戻るっすか」
「そうね」
立ち上がった桃園寺に、ももみが手を振る。
「桃園寺さん、無理しちゃダメですよ~? 水仕事とかしばらくダメです! ヤミーさんも無理ないように気を付けてあげてくださいね!」
「はい、分かりました」
「了解っす」
車に乗り込むまで手を振り続けるももみ。
「気を付けてね~!」
それに応えて、桃園寺も包帯を巻いた手で振り返した。
最後まで、ももみを見るその目は優しい。
「じゃ、お世話になったっす!」
意外なものを見たなと思いながら、ヤミーは車を発進させたのだった。
「
―――桃園寺って、もしかしてロリコンっすか?」
「はぁ? なんでよ」
純粋な興味で聞いてみると、ジト目の桃園寺に即座に否定された。
「いや、だってほら。ももみに対してだけは優しいというか。ねぇ?」
ハンドルを握りながら、ヤミーは先程のやり取りを思い起こす。
「ねぇ? じゃないんよ。そういうんじゃないから」
助手席でタバコをふかしながら、桃園寺が呆れたように笑う。
「あの子は優秀なお医者様だし。『子供は街の宝』って言うでしょ?」
「そういうもんすかね?」
「そうよ」
ふーっと細く息を吐き出す桃園寺。
何かを思い出すように、窓の外の遠くを見つめている。
その横顔は、言い知れないほどの寂しさのようなものを湛えているように、ヤミーには見えた。
今日は、この男の知らない顔を沢山見た気がする。
あの「黒」の男の顔も、子供に優しい顔も、寂し気な今の顔も。
この男の隠しているものは、一体どれだけのものなのだろう。
「
……アンタも大概、猫被るの上手いっすよね」
ヤミーはポツリとそう言った。
真っ白な「白市民」という猫の皮を。
桃園寺は目を見開いてこちらを見ると、首を傾げる。
「
……たぶん、オマエほどじゃない」
意味深な笑みを浮かべると、また窓の外に視線を投げる。
煙草の煙をゆっくりと吐き出し、自嘲するように口の端を上げたその横顔は、あの「黒」をうっすら纏っているように、ヤミーには思えた。
しばしの無言。
街のネオンはもうすぐ店が近いと告げている。
「
……そういえば、店そのまま出てきちゃったけど、ケンちゃんキッチン見てビックリしないかな?」
ふと思い出したように桃園寺が言う。
「ああ、そういえば」
多少片付けはしたが、まだ床の血痕は掃除しきれていない。
あの事件現場にしか見えない惨状をケンシロウが見たら、大騒ぎするだろうか。
「まぁ、東雲夫妻の相手をしてるだろうし、そうそう一階には降りてこなそうっすけど」
「じゃあまだ間に合うかな? ヤミー、悪いけど俺だけ先に降ろして?」
「分かったっす」
店の前に車を停めると、桃園寺が急いで車を降りる。
「
―――あーそうだ、ヤミー」
「何すか?」
「ありがとうね。病院連れてってくれて」
桃園寺はそう言って、人の良さそうな笑みを浮かべた。
完全に「真っ白」な男の顔だ。
「いいっすよ。これはひとつ貸しにしとくっす」
「はは、必ず返すよ」
桃園寺はいつものように笑ってひらひらと両手を振ると、店内へと消えていった。
ヤミーはその姿が消えるまで見送ると、大きく溜め息を吐く。
「
……ほんと、猫被るのが上手だな」
人当たりのいい顔をして、周囲を欺いている。
誰に知られることもなく、腹の底に秘密を隠して。
「
……アンタも俺も」
お互い、難儀なことだ。
ヤミーはゆっくりと車をガレージまで運ぶと、ハンドルに顔を突っ伏した。
車に残る血の臭い。
否応にも、ある種の記憶が呼び起こされる。
―――血の臭いは、嫌いだ。
スマホを手に取った。
指が勝手に、ある名前を探す。
今は何故だか無性に、「あの女」の声が聞きたかった。
5:
心落ち着くジャズの流れる店内。
電話を済ませ店に戻ると、カウンターには二人の客と少し困ったように笑う桃園寺の姿があった。
窓際の席では休憩中のケンシロウがそれを楽しそうに見ている。
「ああ、お帰りなさいヤミーさん」
ケンシロウがヤミーの姿を見て片手を上げた。
「お疲れっす」
「桃園寺さんの怪我、大したことなかったみたいで良かったですね」
ケンシロウが笑顔でそう言った。
―――いや、大したことはあったんだが。
そう思ったが、桃園寺が誤魔化しているのなら乗ってやることにする。
「そっすね、まぁ良かったっす。
―――で、あれはどういう?」
ヤミーはケンシロウにこっそりと状況を確認した。
「さっき、むにさんと、桃園寺さんのオリカクの話してたじゃないですか」
「ああ、『かぐや姫』っすか?」
「それです。お二人が興味持ったみたいで。桃園寺さんが戻ったらオーダーしようって話になったんですよ」
「なるほど」
それで、あの複雑そうな顔か。
触れられたくない話題でも、お客様なら対応せざるを得ないのが接客業の辛い所だ。
「
……でも桃園寺、結構手を切ってるから、どうなんすかねぇ」
「まずかったですかね? 桃園寺さんが大丈夫って言ってたからそのままにしちゃいましたけど」
ケンシロウがしまったな、という顔をする。
「まぁ、本人がいいって言うなら、いいんじゃないっすか」
ヤミーは接客している桃園寺を見た。
よくみれば、桃園寺は先程までしていなかった、黒い手袋をしている。
厳重に巻かれた包帯を隠すためだろう。
お客様に余計な心配をさせない気遣いは見事なものだが、気付かれないということは、この場合は確実に怪我には良くない、と思う。
ヤミーは小さく溜め息を吐きながら、カウンターへ向かった。
チラリとキッチンを覗くと、事件現場の惨状はそのままだ。
桃園寺は戻ってすぐ、あの客に捕まったようだ。
早く片付けないとな、と思いつつ、ヤミーは桃園寺の横へさりげなく立つ。
「
―――楽しみだね、みーちゃん!」
東雲むにの楽しそうな声が響いた。
カウンター席では、東雲夫妻がワクワクしながら桃園寺の手元を見ている。
これからオリジナルカクテルを作るところのようだ。
桃園寺は棚からリキュールの瓶をカウンターへ並べている。
ヤミーはそれとなく桃園寺へ耳打ちした。
「
……大丈夫なんすか?」
「ん?」
「
……アンタの手、カクテル作れる状態じゃないっすよね?」
いくら病院で処置されているとはいえ、あれだけ大穴を開けているのだ。あの手でシェーカーを振るつもりなのか、この男は。
「大丈夫」
小声で答える桃園寺。
ヤミーの心配をよそに、いつもと変わらぬ手順で準備を進めている。
桃園寺専用のグラスを並べると、東雲巧が感心したように声を上げた。
「ほぅ、切子のグラスですか。渋いですね」
「お分かりですか。グラスにも少しこだわらせて頂いております」
その言葉に、桃園寺がフッと嬉しそうに微笑んだ。
「切子のグラスなんですね、わぁ
……」
東雲むには目を閉じ、想像しているようだ。
桃園寺はシェイカーに氷を入れようとして、ふと手を止めた。
ジンのボトルを開け、メジャーカップで計量する。
「では作っていきます。ベースのジンに、桜と桃のリキュールを加えます」
普段は瓶を並べるだけで特にしない説明をわざわざしながら、桃園寺は一つずつ丁寧に計量してシェイカーへと入れていく。
「わぁ、いい香り
……。桜と桃だぁ」
くんくんと鼻を動かす東雲むに。
「この二つを加えると、綺麗な桃色になるんですよ。それからレモンジュースを少し入れて爽やかさを出していきます」
シェイカーにレモンジュースを足す。
なるほど、とヤミーは思った。
盲目の東雲むにに対する心遣いに見せつつ、これはたぶん、いつもより上手く動かない手を誤魔化しているのだ。
相変わらず頭の回る男だ。
ヤミーは桃園寺の横で、仕上げにつかうグリーンチェリーを専用ピックに刺して準備を手伝うフリをしながら様子を窺った。
「では、シェイクしていきます」
桃園寺はシェーカーに氷を入れると、いつものようにスマートに構える。
本当に、あの手でシェーカーを振るつもりなのか。
ヤミーは今更ながらに少し心配になった。
だがそんな心配など杞憂だったかのように、桃園寺はいつもと寸分違わぬ動きでシェーカーを振る。
「ふふ、私このシェーカーを振る音、好きです」
シャカシャカと小気味良い音に、東雲むにがうっとり微笑んだ。
「ああ、見事なものだな」
東雲巧もその手付きに頷いた。
バーテンダーはどれだけ客を魅せられるかも腕のうちだ。
桃園寺は涼しい顔でシェイクし終えると、それをグラスに移す。
「こちらに、オレンジジュースを注いで二層にします」
バースプーンに伝わせ静かに注ぐと、桃色からオレンジへの綺麗なグラデーションが出来る。
「最後にグリーンチェリーを加えて完成です。どうぞ、ペルシクムオペラです。お楽しみください」
桃園寺は二人の前にペルシクムオペラを並べる。
春を思わせる可愛らしいカクテルに、東雲巧が大きく頷いた。
「なるほど、むに。聞いていた通りとても可愛らしい色合いだぞ」
「そうなんだね、みーちゃん!」
「ピンクから黄色へのきれいなグラデーションで、グリーンチェリーが底の方に沈んでアクセントになっている」
「そっかぁ、本当にかぐや姫の色合いなんだね」
「ああ」
桃園寺にとってはきっと、気まずい話題なのだろう。
一瞬だけ眉を顰めたようにヤミーには見えた。
「
……東雲様、接客途中で申し訳ありません。私はここで失礼させて頂きます」
そう言って東雲夫妻に丁寧に頭を下げる桃園寺。
「あらご用事かしら。お忙しいところありがとうございました」
「いいえ、今後とも御贔屓に」
にこやかに笑うと、桃園寺はキッチンへと下がった。
ヤミーはその穴を埋めるように、東雲夫妻との会話を引き継ぐ。
「そちらのペルシクムオペラ、見た目も可愛らしいのですが、カクテル言葉も大変可愛らしいものになっているんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ、カクテル言葉は『期待に胸を膨らませる夢見る乙女』です」
「わぁ! もしかして、私にピッタリ?」
「そうだな。むににピッタリだ。良かったな」
東雲巧が優し気な笑みを浮かべ、妻の頭を撫でた。
「この街での東雲様のご活躍を応援する一杯となりますよう」
ヤミーが胸に手を当て恭しく頭を下げた時。
『
―――ごめん、ヤミー。ひと段落したらちょっと裏来れる?』
珍しく、無線での桃園寺からの呼び出しが入った。
『
―――ケンシロウ、こっち頼めるっすか?』
『
―――はい、すぐ戻ります』
『
―――じゃあ、すぐ行くっす』
ケンシロウがカウンターに戻ってくるのを確認して、東雲夫妻に声を掛ける。
「私も少々失礼致します。ごゆっくりお楽しみください」
「はーい、ヤミーさんもありがとうございました!」
「ありがとうございました」
ニコニコと手を振る東雲夫妻に、ヤミーは丁寧に頭を下げるとキッチンへと下がった。
「
―――『あの話題』が嫌で引っ込んだ、というワケでもなさそうっすね?」
キッチンへ戻ると、調理台に寄りかかっている桃園寺の姿が見えた。
黒手袋を外そうとして口で引っ張っているが、うまく脱げないらしい。
キッチンに下がってから掃除をしていたのか、血で汚れた床は、今はそう言われなければ気付かない程度には綺麗に清掃されていた。
傍らに立てかけたモップの柄には、血の痕。
桃園寺はヤミーの姿を見るなり、中途半端に引っかかった黒手袋を「脱げないの」とばかりにヒラヒラと振って見せる。
「ごめんちょっと、手伝ってくれる?」
「
……やっぱり、傷口開いたっすか」
「うん」
素直に手を差し出す桃園寺。
ヤミーはゆっくりと黒手袋を外してやった。
下に巻かれた包帯には、案の定血が大きく滲んでいる。
「あーあ。無理するなって言われたばっかりなのに」
「うん。まぁでも、オーダーされちゃったんだから仕方ない」
「断れば良かったっすよね?」
ヤミーはそう言いながら、血の染みた包帯をくるくると巻き取る。
下のガーゼにはかなりの量の血が滲み出していた。
だいぶ負荷が掛かったのだろう。
「お客様の期待には出来るだけ応えないと、ね」
「アンタほんと
……」
自分の体より、店の事なんだな。
そう言おうとして、ヤミーは口をつぐんだ。
この男が、何よりも店のことを大事に思っているのは嫌になるほど知っている。
何でそんなにこの店に思い入れがあるのかは全く分からないけれど。
ガーゼを剥がすと、痛々しいほど深い大きな穴と裂傷の数々。
その大きな傷から、再び血が滲み出ていた。
細かい刺し傷、切り傷も数えきれないほどある、ズタズタの手。
よくこんな手でシェーカーを持ったものだ。
ヤミーは溜め息を吐く。
「お客さん、大丈夫だった?」
「楽しそうにしてたっすよ」
「そう、良かった」
桃園寺はホッとしたように息を吐いた。
「あのお客さん、鼻がいいみたいだから。血の臭い、気付いたら嫌かなって」
「ああ、なるほど」
それで早々に裏に引っ込んだというわけか。
どれだけ客思いなのか。立派なバーテンダーにも程がある。
「
……で?」
「ん?」
「これ、血止まらないみたいっすけど」
新しいガーゼに取り換えたが、血の滲む速度は変わらない。
「あらら」
他人事のように言う桃園寺。
本当にこの男は、どうしてこうなんだ。
「アンタこれ、痛くないんすか?」
「え?」
「普通、こんな大怪我してたら何も触れないはずなんすよ。傷開くじゃないっすか」
「いやでも、ほら。仕事だから」
言い訳をしようとして、目を泳がせる桃園寺。
やはり、さすがにおかしい自覚はあるのだろう。
「それをアンタ、平然とシェーカー持って、傷裂けてるのに平気な顔して振って。仕事熱心とか我慢強いとかそういうレベル超えてるんすよ。アンタ、やっぱり
―――」
『痛みを感じてないんだろ』
その言葉を、ヤミーはグッと呑み込んだ。
それを発してしまったら、この男の闇に深く触れすぎてしまいそうで。
「ヤミー、心配してくれてるの?」
桃園寺が意外そうにコテンと首を傾げる。
「
……そりゃ、仕事仲間なんだから心配くらいするっす」
「そっか。ごめんね」
ペコリを頭を下げる桃園寺。
ガーゼでいくら圧迫しても、変わらず滲んでくる血が止まる気配はない。
これはもう一度病院に行った方が早いまである。
「桃園寺。病院行くのと救急隊呼ぶの、どっちがいいっすか?」
「はは、それ今日二回目」
「包帯巻いとけば治るはナシっすよ。たぶん止まらないっすそれ。完全に開いちゃってる」
「えぇ
……」
またもや面倒だなと口を尖らせる桃園寺。
「アンタは自分の体を蔑ろにしすぎ!」
「いやでも、これくらいのことで
……」
「さっきもそう言って結局倒れかけたっすよね? ハッキリ言ってメーワクっす」
「
……それは謝る。ごめんね。でも今度はほら
……」
素直に謝りながらも渋る桃園寺に、ヤミーは大きく溜息を吐いた。
スマホを取り出し、問答無用で電話をかける。
「
―――あーもしもし、ももみっすか? ちょっとヴァイオレットフィズ来てもらえるっすか?」
「え、ちょ、ヤミー!?」
慌てる桃園寺を完全に無視してそのまま軽く事情を説明し、ももみを呼びつけた。
「もうアンタは、ももみにいっぺん怒られたほうがいいっす。もっと自分を大切にしろって」
そう言いながら、ヤミーは「どの口が言うのだろう」と自嘲する。
自分を大事にしていないのは、他ならぬ自分自身もそうではないのか。
この男と同じように。
すぐに聞こえ始めるサイレン。
「ええー、ホントにももみさん呼んじゃったの?」
「呼んだっす」
桃園寺が社宅へ逃げようとするのを、両手で肩を掴んで阻止した。
「逃げたら手錠かけるっすよ」
「
……やめて、手錠は」
眉間に皺をよせ、観念したように大人しくなる桃園寺。
「
―――桃園寺さ~~~ん!!」
店の入り口からももみの盛大に叫ぶ声が響く。
可愛らしい少女の声に、ギクッと身を強張らせる大の大人。
「ももみ、こっちっす!」
「もう~! ダメでしょ桃園寺さん、無茶しちゃ~!!」
「す、すいません、ももみさん
……」
ぷんぷん怒りながらキッチンに入ってくるももみを、情けない顔で出迎える桃園寺。
誰が言うのでもない。きっと、この子供に叱られるのが一番この男には効果があるに違いない。
「
―――桃園寺さん、大丈夫っすか!?」
ケンシロウがキッチンに駆け込んでくる。
「ちょっと、なんでケンちゃんまで!?」
困ったように叫ぶ桃園寺。
「いや、でも! そんな大怪我してたんだったら言ってくださいよ! 無茶しちゃって! 何のために俺達がいるんですか!」
ケンシロウの真っ直ぐな視線に、桃園寺は何故か狼狽えている。
「白市民」の皮を被った男は、純粋な善意に弱いらしい。
「俺はいいから、ケンちゃんはお客さんの相手をしてきて?」
「心配くらいさせてください! 仲間でしょ!?」
「あ~! 桃園寺さん~! まだ動かないで!」
ももみとケンシロウ、心配する二人に囲まれバツが悪そうに背を丸める桃園寺。
それを、ヤミーは遠巻きに眺めて笑う。
「
……はは、ざまーみろ。ちょっとは浄化されちまえばいいんだ」
真っ白な善意に触れて、少しでもあの「黒」が薄くなればいい。
そうしたらいつかは、綺麗な色に変われるかもしれない。
それこそあの、昔話のお姫様のような、綺麗な色に。
―――いつかそんな日が来ることがあったら、今度は話し合えるだろうか。
隠している本当の自分についてを、お互いに。
そんなことを一瞬考え、ヤミーは口元を歪める。
こんなところに救いを求めるのは、自分らしくない。
まだ目的も何も果たしていないのに。
それは分かっている。
でも今夜はそう、血の臭いを嗅ぎ過ぎた。
血は嫌な記憶を呼び起こすから、嫌いだ。
心が乱れる程度には、ストレスが溜まっているのかもしれない。
『
……ストレスで髪の毛伸びる病気にかかったんよ』
ふと、桃園寺の言葉を思い出した。
―――俺も、髪伸びそうだわ。アンタのせいで。
思わず苦笑する。
ふと、ポケットの中のスマホが振動した。
画面に表示された文字列に、フッと口の端を上げる。
『
―――後で、お話聞かせてくださいね』
超能力でもあるのだろうか、あの女は。
「
―――ほんと、お節介なヤツ」
ヤミーはやれやれと小さく笑うと、これから店に顔を出すであろう彼女の為に、カウンターへと戻った。
たまには、あのお節介な女に、オリカクでも奢ってやろうか。
そんなことを思いながら。
終わり
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というわけで、書きたかったシーンを書き綴っていたらこんな長さになりました。
どのシーンが書きたかったとこかはナイショです。
何故か毎度ヤミーがSANチェックしてるのが謎で面白い。
ある単語を出した途端に、姫が勝手に降臨するのがめっちゃ楽しかったです。
今回は、書きたかったシーンを先に書いたから
お話としてまとめるのにだいぶ苦労した
……。
読んで下さった、だれかに刺さるといいなとおもいつつ。
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☆感想などもらえると泣いて喜んで、次作につながります。
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