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和綺
2024-08-27 15:18:49
7117文字
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中天渦高く、本日も晴天なり(五歌)
幼馴染許嫁パロ。よくしゃべるモブにutaが悪口言われてる。
甚だ不本意なのである、歌姫だって。
気づいたらこんな厄介な立場になっていて、それだって物心が付く前の話だ。親が勝ち取ったのだとか、直々にご指名を受けたのだとか、貧乏くじを引かされたのだとか、聞こえてくるものは、すべてが眉に唾をつける話だ。
そもそも、同じ呪術界にいれば、家の、ましてやそこに渦巻く謀略に逆らうことなどできる訳もないことくらいわかるだろう。婚姻は本人の自由意志のもとで? それはまったく正しい。こんなところにいないで、早くまっとうな世界に行ってほしい、と心から願う。
はぁ、と思わず漏れたため息は、まだ歳若い彼女の先行きを憂いたものではあったが、この状況では逆効果である。
様子伺いから始まったご高説は、だんだんとその本音が露わになり、磨かれた外見にはそぐわない様相を呈してきたが、内面との恐ろしいほどのギャップなどこれまでに腐るほど見てきている歌姫は、どこ吹く風と受け流している。竹林を吹き抜ける風は涼しく、良く晴れた空は青くてきれいだ。
「傷物のくせに!」
始まったな、と思った。歳が上だとか、家格だとか、歌姫の職業、術式、力の弱さなど、つつくものは数あれど、それは程度の違ういちゃもんくらいにしかならなかったものが、歌姫の顔に消えない傷が刻まれたときから、決して揺るがない汚点になったようだった。万人が認める痘痕だ。
「こんなみっともない女がそばにいるだなんて悟様がかわいそう!」
かわいそう、なんて、なんてあの男に似合わない言葉だろうか。羨まれることこそあれ、哀れに思われることなど、生まれてこの方ないに違いない。あったとして気にするたまだとも思えないが。どちらにせよ、
「むかつくわね」
「は?」
ここにはいない男に向けての歌姫の言葉に気色ばんだ女の顔は、まるで般若のようだった。わずかな呪力が乱れている。そこにあるものはなんだろうか。プライド、虚栄心、差別、自信、欲望、などなど、いい呪術師になるための要素のオンパレードだ。それはつまり呪霊か呪詛師の素養でもあるのだが、呪力コントロールくらい教えればいいのにと思う一方で、そんなことすらできなかったのかもしれないと思えば、歌姫の教師魂がちくりと疼いた。しかしながら、そう長々と付き合うつもりはない。歌姫は肩を竦めた。
「あーー
……
そうね
……
これね、うん。すっかり忘れてた。だって普段自分からは見えないし、もうだいぶ馴染んでるし、慣れちゃったのよね」
それに、あいつもこれ気にしてないし、と続けたら、鋭い眼光が返ってきた。
「優しいお気遣いに気づかないなんて」
嘲笑付きである。その割に言っていることが的外れすぎて、笑えてしまう。歌姫の方が付き合いが長いということではなく、あのあけっぴろげな男の言動を受け取るほどの場所に、彼女はいないというだけだ。そう考えると気の毒にもなってきた。実態はどうあれ、ステータスだけなら、喉から手が出るほど求められる男だ。
いやだって、めっちゃ触ってくるし、なんか他の皮膚と違ってつるつるしてる感触が好きらしいし、気にしてないとか、見ないふりとかじゃなくて、マジのマジでなんか気に入ってるっぽいのよね。
頬に手を当て傷跡をなぞりながら、そんなことをぼんやりと考えていた歌姫は、目の前の女の箍が少しずつ外れていく様子もただ見ていた。
外皮が傷ついたからといって、その実が劣るわけではないのに、と歌姫は有機栽培の野菜と自分を同列に並べて笑った。曲がっていようが何だろうが、栄養価に変わりはない。歌姫の術式がそれで損なわれることなど、侮らせるようなことになるなど、ありえないのだ。
「あなた程度に育てられる子たちのレベルもたかが知れてるわね」
「
……
あ?」
これまで呆れながらも、受け流すことに努めていた歌姫のこめかみがびきりと鳴った。
当然のことながら、歌姫に実子はいない。あちらはどうだか知らないが、縛りと同等レベルの契約上で、それを違えることなど歌姫はしない。
つまり、歌姫にとっての子とは教え子に他ならず、毎度、毎日、血を流し、体を痛め、恐怖を抱き、泣きながら、それでも歯を食いしばって呪いに塗れて生きようともがいている彼らを侮辱するつもりだと認識した。
「お前
……
」
口調も気配もがらりと変化した歌姫に、女が鼻白む。非術師に対しての呪力行使は厳禁である。己の肩書が邪魔で、歌姫は歯を鳴らしたが、ぎりぎりと噴き出る呪詛をすり潰すようにしていれば、だんだんと腹に落ちるものもある。
よし、フリーになろう。
幸い伝手もコネもある。個人事業主として高専と関わることもできなくはないだろう。残った肩書は解消されるかもしれないが、それであの男とのつながりが断ち切れるわけでもない。だてに幼いころから契っていないのだ。そもそも、こうと決めたらしつこく粘って、どんな手を使っても、どんな努力をしても完遂するようなやつだ。放っておいても、自分の思うとおりにするに決まっている。
だから、歌姫も自分の思うとおりにするのだ。
「ふ、ふん、女として求められないから教師なんてしてるくせに。早く悟様を解放してあげなさいよ」
呪術の扱いにおいて、感情のコントロールは絶対だ。乱れる心のままに力を振るうなど三流以下のぼんくらが行うことである。歌姫とて教師として、呪力コントロールはいの一番に教えてきた。
ただし、その激情が力になることもまた然りである。
ぶわりと丹田に熱が湧いて、歌姫の髪がふわりと浮き上がる。
「馬鹿にするのもいい加減にしなさいよね」
「は?」
「あいつのことはどうでもいいけど、私は先生がしたくてしてんのよ。子どもたちを守り、教え、強くして送り出す、私の天職だわ」
歌姫の体に熱が回る。裾が、袖が、髪が、高まる呪力に舞い上がってははらはらと下る。攻撃するつもりなど当然ない。ただ怒りを可視化するだけだ。
「ま、負け惜しみでしょ! そんな醜い顔で結婚なんかできるわけないもの!」
再度声を張り上げて絶叫されても、歌姫の怒りはそんなところにはなかった。やっぱり一発殴っておこうかな。ぐ、と固めた拳に、一度は呪力をまとわせて、結局やめる。教師として、守らなければならない一線がある。
あーあ、先生って、大人ってめんどくさい。
ふと、遠い目になってしまった歌姫の視界の隅で、女が肩から下げている鞄を開いた。手を入れて、何かを探している。がちゃがちゃと鳴る乱雑な音が、女の苛立ちを表していた。
また何かろくでもないことが始まるのだろうか、と怪訝な気持ちで見ていると、焦った顔つきの女が、そのまま屈んで何かを拾い上げた。振りかぶる。
いや、子どもか?!
その手に握られているのが石だと気づいて、あまりの暴挙に歌姫に焦りが生まれる。拳じゃなくておしりぺんぺん案件じゃないのこれ?!
「この傷物が!」
ぶんとやはり素人の女が投げた石は大した軌道を描かず、歌姫はその場に立って、避けるか落とすか、どちらにしようと考えながら、ただ待ち構えていた。
叩き落とすのはちょっと痛そうだな、と避けることを選択した歌姫の重心が少し移動した瞬間、今まで毛ほども悟らせなかった覚えのある呪力が目の前に出現した。意識せず、歌姫が舌を打つ。どうせ止めるならもっと早く来い。
放たれた呪力に阻まれて、割れた石がぽとりと地に落ちる。少し尖った箇所があるそれは、当たったらまた傷が増えそうな代物ではあった。
「な
……
なに
……
?」
女が戸惑ったように辺りを見回している。呪力に対する感度が低いのであれば、歌姫の目の前の空間で、急に割れた石が落ちたように見えるだろう。気味が悪そうに、自らの体を抱きしめている。こういうとき、自分たちが操っている力は、不気味な呪いであるのだな、としみじみ実感する。
「やほー」
またどこかから飛んできたのだろう。気の抜けた声と態度で、唐突に五条悟が現れた。
「さ、悟様!?」
素っ頓狂な声を上げた女が、飛び上がるようにして叫んだ。それをサングラス越しに見た五条は、んー? と眉を寄せて唸っている。
「君、」
「は、はい!」
興奮か高揚か(同じか)で、顔を真っ赤にした女の目がきらきらと輝いている。先ほどまで歌姫に見せていた顔とは雲泥の差だ。男と女で見せる顔が違うというのも、まぁ、男女ともに、歌姫は腐るほど見てきている。
「僕の名前呼んでいいレベルのやつじゃなくない?」
「え
……
」
「少なくとも許可した覚えはないなぁ」
あっけらかんといつもの軽い口調での五条の言葉に、女が絶句し、歌姫はうわぁ
……
とどん引いた。
「ちょっと」
「ん?」
「そういうのわざと言うのやめなさい」
五条の袖を引いて、下りてきた顔に歌姫がささやくと、五条はえーと不満げに口を尖らせた。
「普通に、よく知らない、しかも雑魚みたいなやつに名前呼びされるのやじゃない?」
「雑魚もやめなさい」
「あ、歌姫はいーよ。弱いけど、雑魚とまでは言わないであげるから」
「ああ!? 呼ばねーよ!」
「いや、呼んでよ。昔は呼んでたじゃん」
「昔は昔。子どもの頃の話でしょ」
「でも結婚したら、歌姫も五条になるんだから、今のうちに慣れておいた方がいいんじゃない?」
「
……
そうなったら考える」
「往生際悪ー」
「あ、あの!」
「は?」
横からの声に、五条の低い声が応答して、歌姫がこら、と肘鉄を食らわせる。びびらせるな。
「歌姫様は、婚約を解消したいと仰っていました」
なるほど、縁もゆかりもない許可した覚えもないやつからの名前呼びはむかっ腹が立つな、と腕を組んだ歌姫は、ひとり頷いた。
それを横目で見ていた五条が、サングラスを押し上げ、はぁと面倒そうにため息をつきながら、で? と促した。
「私はお引き止めしたのですが、その、お顔の傷を気にされているようで
……
」
ちら、と飛んできた五条の目線にそうなの? と尋ねられる。この場ではそんなことは一言も言っていないが、歌姫がこの婚約に乗り気ではないことは周知の事実である。他にいいお相手がいるなら、いつでもこの地位を譲ると公言している。それを知っているのだろう、女は動揺を浮かべることなく、話を進めていく。いや、馬鹿か?
「じゃあ、さっき歌姫に石投げてたのは、とどめを刺してやろうってこと?」
「
……
え?」
「あれくらいじゃ死なないし」
「まぁでも当たったら傷はつくでしょ。歌姫また泣いちゃうでしょ」
「泣かねーわ」
「昔、僕ん家の庭で転んだとき、わんわん泣いてたじゃん」
「子どものころの話でしょ! そんなこと言うならあんただって私が研修合宿に行くとき、行かないでってしがみついて泣いてたくせに」
「そんなかわいい僕を振り払って、他の男のところに泊まりに行ったんだよね、歌姫は」
「研修合宿だって言ってんだろーが!」
ざり、と地を踏みしめる音がして、歌姫は女へと目を向けた。隣の五条もつまらなそうにしながら女を見ている。しん、と静まり返った場で、笹の葉だけが鳴っている。
「その、何のお話かわかりませんが、同じ女として、傷を気にされる気持ちは痛いほどよくわかります
……
悟様がお優しくすればするほど、歌姫様はきっとお辛くなると思うのです」
また、そうなの? という視線が飛んでくるが、歌姫は黙殺した。同じ女として、と宣ったが、歌姫は女としての自分にだって矜持を持っている。スキンケアやメイク、着飾ることだって楽しいのだ。この傷のせいで諦めたことなど特に思いつかない。
意地の悪い考えが浮かぶ。
じゃあ、今この場で、そのお綺麗な顔に傷をつけたら、うるさい口を閉じて黙って引き下がるのか、と。
口元が歪みそうになって、なんとか堪えたと思ったら、ちょい、と肩を突かれた。なによ、と見上げると、にんまりと笑う顔がある。
「なんか悪いこと考えてる」
「
……
考えてない」
危なく、わかる? と応えるところだった。もうそんな子どもではない。ふたり揃って夜蛾の拳骨を食らう時代は過ぎ去ったのだ。
「傷ってそんなに重要? 僕にはよくわかんないや」
「悟様のお顔はお綺麗ですし、なにより男性ですもの」
楚々と口元を隠すしぐさに艶を浮かべ、女はくすりと笑った。
「女にとって顔は命、悟様の隣に立つのであれば殊更
……
私では歌姫様の才覚にはとても及びませんが、それでも
……
」
ちら、と女の目が意味ありげに歌姫を見遣り、それはすぐに五条へと移動した。その視線を受けて、五条が肩をすくめる。
「ふーん? じゃあ、僕も傷物になったらどうなるの? お前と結婚しなくて済む? それとも男だから関係ないのかな?」
「は?」
五条の発言に呆気にとられたような女に構うことなく、五条は懐から小さな果物ナイフを取り出した。片手で器用に鞘を取り外すと、鋭い先端が光を反射する。それをひたりと自らの頬に当て、へらりと笑った。
「
……
っ!?」
息を呑んだ女がざっと後ずさるが、そちらに構っている場合ではなくなった。歌姫は、さりげなく五条と女の間に移動し、ナイフを取り上げようと手を伸ばす。
「おいこらバカ。なにしてんだ」
「なにって、歌姫とお揃いにしようかなーって」
「いや、ほんとにバカか!? やめなさいっての、こらっ!」
歌姫がやみくもに手を伸ばしても、その圧倒的身長差で到底届かない。昔はすぐに取り上げることができたのにっ、と過る記憶に歯噛みをしながら、歌姫はぴょんぴょんと跳ね回ることしかできない。
「一瞬だって。どっちにしろ反転あるんだし」
「何言ってんのよ! だからって痛くないわけじゃないでしょっ、このっ!」
高く飛んだ歌姫の両手ががしり、と五条の腕にしがみつく。その一瞬の重みで、ぶれたナイフが歌姫の頬を掠めた。
「は
……
ちょ、歌姫何やってんの」
「うるさいわね。あーあ、硝子に手当してもらわないといけないじゃない」
切り裂かれた頬に、痒みのようなかすかな違和感が生まれた。触れるとそこに血が触れる。
「自分でやったんじゃん」
「あんたが言うこと聞かないから」
はいはい、と五条が鞘を拾い上げる。つまんな、と不貞腐れながらも切っ先を納めたので、歌姫もやれやれ、と息をついた。
「
……
なんなの、あんたたち」
蒼白の声がする。忘れかけていた女の存在に目を向けたが、先ほどのような勢いは鳴りを潜めていた。真っ白な顔に汗を浮かべて、じりじりと少しずつ後ずさりながら、歌姫を見、五条を見た。五条はサングラスを上げ、あの青い瞳で一瞥したようだった。女が、ひっと漏らす息を聞いた。
「あ、頭おかしいんじゃないの
……
!」
引きつった声に、歌姫は五条と顔を見合わせた。だって。ねぇ。ふたりで首を傾げて、女に向き直る。
「何を今更」
「だって、呪術師よ、私たち」
そう言うと、女は背を向けて走り去った。その背を見送りながら、は、と息を吐く。
「疲れたわ」
「お疲れ」
痒みを訴える頬を掻くと、爪に血が染みた。
「舐めてあげよーか、そこ」
「キモい」
「早く治るかもよ」
「知ってる? 唾液は雑菌の塊だから、舐めて治すは迷信なのよ」
「情緒がないなー」
「あんたにだけは! 言われたくない!」
歌姫の怒声が、しゃらしゃらという笹の音にさらわれて、風に巻かれて竹林を抜ける。
「っていうか、なんで果物ナイフなんて持ってたのよ」
「んー、拾った」
「はぁ? どこで」
「いやなんか、ちょっと変な呪い付いてるな~って思って」
「え、呪具なの?」
五条の手に握られているせいで、やたらと小さく見えるナイフを、歌姫は凝視する。六眼を持たない歌姫の目には、何の変哲もないものに見えるが、五条がそう言うのなら間違いない。
「そこまでじゃないけど、切られたらちょっと普通よりダメージが大きいかも?」
「やだ、物騒ね。祓える?」
「もう祓った」
いえい、とピースサインを向ける五条に、ほ、と息をついた歌姫は、改めてその横顔を見上げる。
「一応助かったわ、ありがと」
「毎度毎度歌姫も大変だね~なに、普段の行い?」
「あんたのね!」
「僕って人気者だから~」
「理解できない」
「彼氏がモテるって嬉しくない? 自慢していいよ」
「嬉しくない! 毎回毎回有象無象どもがめんどくさい!」
「珍しく怒ってたね~」
「聞いてたんじゃなかったの」
「声はところどころしか聞こえなかった」
「あっそ」
そのままザクザクと土を踏みしめて歩いていく歌姫の背中に、声がかかる。
「うーたちゃん」
「!」
思わずぎょっとした顔で振り向いた歌姫の背後で、五条がにこりと笑っている。
「教えてくんないの」
「
……
なにを」
「怒った理由」
「
……
言いたくない」
「ふーん」
む、と口を引き結んで、目を逸らす。同じ教師として、自分の生徒が侮られたことなど言いたくない。五条と比べて、呪術師としての力量が弱いことなどわかっている。だけどそれが、他者への教育との差になることにはならない。そうであってはならないのだ。
顔を覗き込んできた五条の目が、サングラスを迂回して、歌姫を見ている。ぱちぱちと瞬きが下りて、ふ、と相好を崩した。
「絶対言わない、って顔してる」
「
……
わかってんなら、ほっといて」
「歌ちゃんは頑固だなぁ」
「うるさい。歌ちゃんって呼ぶな」
「さとちゃんでもいいよ」
昔懐かしい呼び名を口にして笑う五条に、うへぇ、と舌を突き出して嫌そうな顔をしてやると、五条は大きな声を上げて笑って、それに応えるように、笹がしゃらしゃらと鳴いた。
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