吾妻
2024-08-25 23:14:34
3150文字
Public アークナイツ
 

偶像

炎博。※博の性別不問
常に完璧な指揮官であろうとする博と、そんな博の振る舞いに苛立ちを覚えるエンカクの話。

 細い雨が音もなく甲板を濡らす。
 夕方から降り出した雨は夜が更けても止む気配を見せず、常夜灯の冷ややかな光に照らされ、さながら地に注ぐ無数の針だ。
 甲板には雨風を凌ぐ屋根がない。休憩所代わりに屯している連中の姿もなく、停泊状態のため走行音もせず。まるで巨大な獣の死骸の上に立っているような心地がした。
 命の気配が感じられない吹きさらしの空間に、佇む人影がひとつ。
 フードをすっぽりと被り、防護服の裾が雫を滴らせるのも構わず、彫像のように立ち尽くしている。
 想定通りの光景だったので、エンカクはさほど驚かなかった。どうせこんなことだろうと思っていた。
 この儀式を目にするのは初めてではない。
 そう、これは〝儀式〟だ。『ドクター』と呼ばれる人間が、己の感情を埋葬するための。

 本日の作戦で死傷者が出た。
 避難を呼びかけた民間人が協力に応じなかったせいだ。〝感染者如き〟の指図を嫌った連中が、独断行動に走って自滅した――それだけのこと。ロドスには何の非もない。
 しかし、説得に失敗したオペレーターは酷く取り乱し、頭を抱えて座り込んで、その場から動けなくなってしまった。
 武器を持てば人は死ぬ。そんな単純な摂理くらい、戦場に立つ以上は理解しておくべきだ。たとえ直接命のやりとりをしない後方支援要員だとしても、それは変わらない。そもそもこの艦に乗っていれば、嫌でも数多の死と向き合うことになるだろうに。
 エンカクからしてみれば、今日の現場などぬるま湯のようなものだった。
 レユニオン残党を名乗る暴徒の鎮圧と聞いていたが、結局虎の威を借りた賊の集まりでしかなかった。あれでは満足に刀を振るうこともできない。
 それでも、現場責任者である戦術指揮官は、件のオペレーターに歩み寄り、穏やかな声で語りかけた。
 君の選択や行動に間違いはなかったこと。
 このような事態は残念ながらありふれた悲劇であること。
 もし責任があるとすれば、君ではなく自分にあるということ。
 それらを穏やかに、いっそ無感情なほど冷静に説いてみせた。それこそこの世の真理であるかのように。
 くだらない。なんて道化だ。
 ぐしゃぐしゃに泣き腫らした顔を上げ、女が呆然と〝ドクター〟を仰ぐ姿を遠巻きに眺めながら、エンカクは心中で唾棄した。
 女オペレーターの表情が絶望から安堵へ、そしてどこか陶然としたものに変わっていくのを見て、舌打ちくらいしたかもしれない。

 ドクターがそういうなら。
 いつも冷静で間違いなんて犯さない〝完璧な〟ドクターがいうなら。
 私は間違ってなんていないんだ。

 女の頭の中はどうせそんなところだろう。
 反吐が出る。
 戦場の習いを弁えないその女よりも、フード姿の偽善者に腹が立った。
 お前は何をやっているんだ。
 どんな時も平常心を保ち、完璧な指揮で人々を導き、過ちを諭して赦す。
 そんなものは〝人間〟ではない。
 多くの者たちが望む偶像を演じて何になる。
 馬鹿でないならわかるはずだ。お前に縋る人々は、お前に何も還しはしない。与えられた紛い物の慈悲を貪るばかりで、己の弱さと罪悪感の捌け口にして去っていく。
 救われたような心地になって、負の感情を捨てていく。
 そうやってお前は、全ての罪を背負って死んでやるつもりなのか。まるで救世主か何かのように。

「どうしたんだ? 星でも見にきたのか?」
 彫像のように動かぬ背から、場違いに飄々とした声が飛んできた。
 エンカクは苛立たしげに舌打ちを落とす。どこに星が見えるというんだ? 雨は強まりもしない代わりに上がる気配もない。低く垂れ込めた雲からは、針の如く細い雫が降り続いている。
「それとも私を嗤いに来たのかな?」
 彫像がようやく動いた。体半分振り返り、ドクターはエンカクを見た。
 マスクに覆い隠されているせいで、どんな表情をしているのか判然としない。だがその声音には、やや皮肉めいた尖りがある。
 不機嫌そうな声はしかし、部下を宥めていた声に比べれば随分マシに聞こえた。
 少なくとも、胡散臭い偽善の匂いはしない。
「無様だな」
 口の端を歪めて、望み通りに嗤ってやる。
 完璧な指揮官の皮がすっかり剥がれ落ちているじゃないか。
 いつまでそうしているつもりなんだ? 万人が望む仮面を再び被れるようになるまで?
 人並みに感じる痛みを誰にも見せず、動揺や悲嘆をこうやって一人で処理しなければならないなんて、くだらないと思わないのか。
「オペレーターたちが望むのは確固たる支柱だよ。些細なことで揺らぐ柱に命を預けたいと思う者はいないだろう」
「だから偶像を演じてやると?」
「それが皆が私に望んでいる役割だろうからね」
……ご苦労なことだ」
 せせら笑いにドクターは答えなかった。
 すっかり濡れそぼった体を翻して、エンカクのほうへ歩み寄ってくる。
 すれ違い、艦内通路へつながる扉へ向かう途上でドクターは。
「君が望むように振る舞ってあげてもいいけど」
 やけに甘い声で、そう言った。
 気づけばエンカクは、右手で相手の首を掴んでいた。
 フェイスマスクの下から冷えた素肌に触れる。薄い皮膚の内側に、細い骨と血液の脈動を感じた。強く握れば千切れそうなほど脆弱な、ただのヒトの首だ。
「くだらん演技なんぞしてみろ。この首を体から斬り離してやる」
 亡霊。
 そう呼ばれたバケモノを、エンカクは知っている。
 眼前の脆弱な人間とよく似た、それでいて全く似ていない生き物だ。
 血と戦塵の匂いと共に脳裏に灼きついた面影を、求めていないと言えば嘘になる。
 だとしても、偽物に用はない。憐れみの発露だというなら尚のこと。
 そんなものはただのまやかしだ。求めるものではない。
 皮膚に爪を食い込ませるように力を込めれば、バイザー越しに見える瞳が僅かに歪み、次第に泣き笑いにも似た笑みを含んで揺れた。
……そうか。それなら良かった」
 心底安堵したような吐息が漏れて、唐突にエンカクは理解した。
 こいつは別に偶像になりたいわけではなく。
 亡霊になりたくないだけなのだ。
 過去に追いつかれ、飲み込まれるのを恐れている。
 その恐怖すら、誰にも打ち明けられぬ孤高の塔の上にいるのだ。
 そんな体たらくでよくもまぁ、「亡霊のふりをしてやろうか」などと言えたものだ。自虐の一種かもしれないが、唯一の武器である頭すらうまく回っていないのがよくわかる。

 ドクターの参っている様など、本来エンカクは見たくもない。
 だが、これほど自暴自棄な顔をこいつは決して他人には見せないだろう。
 そう思えば、胸がすく心地にもなる。
 苛立ちと殺気が鳴りを潜め、代わりに呆れが顔を出す。
 つまりお前は今日の作戦結果に凹んでいただけなのではないのか。
 心からの嘆息と共に細い首から手を離すと、ドクターは濡れそぼった襟元を正して自身も小さくため息をついた。
……もっとうまくやる方法があった気がするんだ」
 その呟きは誰かに向けたものではなく、行場のない独白に思えた。
 お前に不可能なら、誰に可能だというんだ。
 喉元まで出かかった言葉を結局声には乗せずに、エンカクはドクターの胸ぐらを掴み上げた。
「うわ、なに――
 抗議には耳を貸さず、そのまま艦内へ通じる扉を開き、濡れ鼠を屋根の下へ引っ張り込んだ。
 役に立たない思考なら、止めてしまったほうがまだ建設的だ。
 幸い、何も考えられなくさせる方法ならいくつか知っている。
 やや乱雑に扉が閉ざされ、あとには細い雨が甲板に打ち付ける波紋ばかりが残された。


【終わり】