操作し慣れた端末を手に、そのカメラを覗き込む。近づきすぎず遠すぎず、自分の顔が全部映るように。その距離を掴むまで、こはくは魚眼レンズでも覗いているのかとCrazy:Bのメンバーにからわかれたものだ。ファンの中でも喜ばれたそんなミスだが、今はもうしなくなった。寂しいというコメントも拾いつつ、今日のような突発的な個人配信でも集まってくれるファンたちを、有難く大切に思う。
こはくはそんなアイドルに成長しつつある。
「こんばんはぁ」
気負いのないまろやかな声。その挨拶に合わせて舞うハートマーク。
『大好き!』
『こはくんこんばんは!』
『こはくちゃん、いつもライブありがとう』
たくさんのコメントとハートマークが目まぐるしく流れる中、
「こっちこそおおきに! 今日はよろしゅう頼んます〜」
こはくはたおやかに笑った。
こうして今宵のこはくのライブ配信は穏やかに幕を開けたのだ。
少し楽しい近況を語ったところで、扉の開く音がする。振り返るこはく。
「あ、ちっと待ってな! ジュンはん帰ってきはったわ。おかえり〜」
マイペースに手を振って会釈するこはくと、途端に増える『おかえり』の文字。
「うおっ!?ちょ、撮ってるなら言ってくださいよぉ〜?」
当の特別ゲストは、ラフなTシャツとハーフパンツで首にタオルを掛けて現れた。その瞬間にまたコメントが溢れる。
「堪忍な!
……あ、ほらここ! 〝ランニング帰りかな?〟やって!」
「ええ〜
……オレも混ざるんすか? 先にシャワー浴びてぇんすけど」
その声を聞いてさらにふわふわと溢れるハートマークたち。
「みんなジュンはんのシャワーシーン見たい言うとるで」
「勘弁してくださいよサクラくん!?」
こはくは冗談やと調子よく笑った。視聴者は普段は見られないビッグ3の素顔を垣間見ては、同室の二人の仲の良さを喜ぶ。そんな穏やかな時間がすぎる。
「今度はラブはんにも声かけとこかな?」
こはくはそう柔らかく笑って、また楽しい近況を語る。話題はコメントに合わせてあっちへこっちへと飛び、それがまた臨場感もある生配信の醍醐味なのだろう。
そうしているうちに、こはくの目に留まった見知ったアカウントの文字列。
『浮気者〜! 配信するなら言ってくれよなァ? こはくちゃん冷たーい!』
『ちょりーっす!! こはくちゃーん! 来たっすよ〜! おつまみ作ってもってきましょうか!?』
二人目、三人目の特別ゲストのコメントに一瞬で舞い上がるハートの数は増え、
「アホ! わざわざ見んなや! こんでええねん!」
『え〜? 俺っちたちには応えねーのーーー? 燐音くん泣いちゃーーーう』
『じゃあおつまみもデザートも僕のってことで!』
お決まりのやりとりにまたハートの数は増える。こはくは怒りつつも腹を抱えて笑い、そんな姿を横目にジュンも笑みを零した。
「あー、まぁ連中はきにせんといてな! あとなんか質問? とか、リクエストとかあったら送ってや。今日もゆるっと答えてくで」
すっかり配信も板に着いたこはくが微笑めば、コメントの流れが早くなる。ハートの数もどんどん増える。視聴者数もぐんと増えた。
『きょう何時に起きましたか〜』
『犬猫どっち派?』
『使ってるスキンケア用品でおすすめあったら教えてほしいです!』
楽しい会話は続く。映像と文字とはいえ、自分と憧れの人と意思の疎通を図るチャンスだ。そのファンたちの情熱はこはくにも伝わっていた。
「んー、今はオールインワンやね。ジェルのさっぱりしたやつ」
ごそごそと取り出したパッケージをカメラに映して満足気に笑う。
「HiMERUはんに教えてもらったのがちとお高くてな、それ使い終わったてから今のに買い替え
……」
『初恋はいつですか』
「
……て
……」
話す途中でこはくの声が止まった。
そして目に留まるその文字列。
気づけば他のコメントの勢いが削がれ、要するにみんながその問いの答えを待っているということが容易にわかる。こはくは狼狽した。
――今や、いま
……いや今しとるなんて言われへんやろが!
誰にも言わずに胸にしまっていた。ファンへ笑顔で手を振りながら、それでも心のどこかに蔓延ってしまったただ一人のことは、一生誰にも言うつもりなどなかったというのに。たった一言でこれだけ動揺するものだろうか。
〝恋愛すらしたことのない俺が
――〟
かつてその彼が吐露した言葉を胸の奥にしまい直した。同じならいいのに。お互いに初恋で、同じ気持ちでいればいいのに。そんなことを思った日々。頭の中で回転する思考と叫び。それらを一瞬の間で打ち払い、こはくは続けた。
「えーと
……好きなの犬、猫
……んー、まぁ動物はみんな好き
……やねぇ
……」
しかし声は不安定に上擦る。
『照れてるのもかわいい』
そんなコメントが上がるぐらいには。
そして再び目に留まる。
『今、好きな人は?』
その文字に、ついにこはくは固まった。抑えられないまま真っ赤な茹で蛸ができあがった瞬間に、歓声のように舞い上がる大量のハートマーク。そのコメントを発したアカウントには、見知った文字が並んでいる。
〝@Madara.M〟
こはくの頭がぐらっと揺れた。心臓が昂って思わず目を伏せ、続いた言葉。
「
…………言うわけないやろそんなん
……」
そう、真っ白になった頭で思わず素で返してしまった。瞬間的に溢れかえる赤いハートマークたち。失態に気づいたこはくの右手が慌ただしくカメラを遮る。
「って!! ちゃうわ! ちゃうちゃう! ああもう!!」
響き渡る声は強く上擦ってマイクとスピーカーを揺らした。声は止まらない。
「アイドルになんちゅうこと聞いとんや、こんボケナスが!! ふざけるんも大概にせえよ!! 必要な連絡はしないくせに!! さっさとクソして寝ろ!!」
思わず必死に、思いつくまま乱暴に口を動かした。肩で息をして、またカメラを見つめて一瞬の沈黙。
『いくら俺でも傷つくぞお?』
「えっ
……」
もう一度送信されたその言葉に、
「えっ、あ
……ぁ
……その、すんまへん
……」
しどろもどろ、しおらしく紡ぐことしかできなかった。
今度こそ今までに見たことない数のリアクションが乱舞する画面。こはくは今にも酸欠で倒れるのではないかと思われるほど真っ赤な顔で肩を震わせる。
『なーんてなあ☆』
投稿されたその言葉の続きを読むことも叶わないほどの速さで溢れ返るコメントとハートマーク。
『やっぱり不仲じゃなかった〜でいいかな?』、『ダブフェ嬉しい!』、『斑くんと絡むの泣いちゃう
……』それぞれに喜ぶ声の多い中で、なにを先走ったのか『おめでとう』の文字まで舞う画面を見やったジュンは、そっとこはくの肩を叩いてシャワールームへ姿を消した。
『Double Face熱愛ってかァ!?』
「黙らんかい!! 茶化すな!! ぼてくりこかすぞ!!」
穏やかだったはずの配信はお祭り騒ぎと化し、締まりのないままぐだぐだと三十分。
「ほんならまたな〜! 今日はおおきに!」
大盛況のうちに幕を閉じた。既にぼろぼろのこはくを残して。
タイミングを見計らって、シャワーが終わったからいつでもどうぞと声をかけたジュン。もはやその声も届かないぐらいの疲労と胸の高鳴りを抱いて、こはくはベッドへと転がった。
「なんのつもりやあいつ
……。告ったろかアホが
……」
配信を台無しにしてしまったことに怒りとやるせなさと申し訳なさを感じるものの、もうなにも考えることができない。
取り繕うこともできない。秘めて隠しておくこともできない。甘酸っぱい味と塩辛さが混ざったような不思議な心地が胸の奥まで染み込んで、じわっと広がる。その湧き出してしまった気持ちの渦が、ぐるぐる回って増えてゆく。
そんな中で微かにひとつ、鈴が転がるような音がする。聞き慣れた着信音だ。
『このあと空中庭園に来てくれないかなあ。だめなら無視してくれて構わない』
その文だけだ。
今まで何度か送っていたこはくからの言葉には、もう三週間近く既読も付かず返事もなかったというのに。
大きすぎる悪ふざけをする。そして必ず予防線を張る。どうしたってこれが彼
――斑
――だ。渦中の、そして意中の人だ。
そんな斑が少しずつ変わっていく様をずっと隣で見てきた。これからだって隣合って見ていたい。自分だけがいい。相棒だけがいい。そんな風に、どうしようもないぐらい斑に心臓を握られている。
「ッ、あ゛ーーーーもう! っ、アホ!!」
迫る予感を胸に、はやる恋心は抑えられない。真っ赤に頬を染めたままのこはくが走り出す。上がる息。高まる期待。見えてきた目的の影は悔しいぐらいすらっと格好よく伸びているのに、その気配は柄にもなくしずしずと、そしてそわそわと落ち着きがなかった。
「人の配信でなにしてくれとんじゃコラ!」
「君が勝手に暴走しただけだよなあ?」
ああ、対峙してしまえばこんなにも簡単なことだったのだろうか。この距離が、すべてが心地好い。
「
――一度しか言わんから、ちゃんと聞いとき」
少しだけ震えるこはくの言葉に、複雑な感情が絡まりあった笑顔が咲いた。少しだけ不安げに影を落としながら、それでもと咲くその笑顔。配信してしまうには余りにも惜しい、二人だけの笑顔。
緊張で硬まったままの斑の右手と汗ばんだこはくの左手が重なるのは、それからすぐのことだった。
fin.
こは斑ワンドロワンライ
【配信】
60min+60min
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